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昼のガスパール・オカブ日記

閑人オカブの日常、つらつら思ったことなど。語るもせんなき繰り言を俳句を交えて独吟。

かーたんのコンサート

2012-10-06 13:49:00 | アート・文化

かーたんが所属する二期会のブロック活動のコンサートが蒲田の『ギャラリー橋本』であった。オカブも荷物運びやら写真撮影などの雑役で引っ張り出された。小さな会場だが50席余りの席は満席。なかなかいい出だしだ。まずは、『ローレライ』。かーたん以外の、ソプラノとピアノとアコーディオンのメンバーは銀座のビアハウスの演奏仲間なのでこういう曲はのりがいい。一部の終わりは『メリー・ウィドウ』から、『ヴィリエの歌』と『女・女・女』。にぎやかに前半の幕を閉じた。今日はキャロラインの誕生日で招待してあったので、ハッピーバースデイの合唱もできた。第二部はみんなで歌いましょうコーナーが主体。聴衆の年齢に合わせて日本の伝統的な唱歌を中心に盛り上がった。
かーたんの『ウィーンわが夢の街』に続いて、『シャンパンの歌』で大団円。『オーシャンゼリゼ』がアンコール曲。沸きに沸いた熱いコンサートだった。
今回はアコーディオンも入り、MCを主に担当したSさんの語りも軽妙で、また二期会仲間のスタッフの合唱も入り、親しみやすくフレンドリーな会作りが行われた。
コンサートが終わって、スタッフとキャストで蒲田の駅前の『つぼ八』で打ち上げ。ビールのジョッキを重ねてプロージット!。
いい一日だった。

秋の雨妻の小言の煩わし     素閑

 

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『ドビュッシー・音楽と美術』展に行ってきた。

2012-09-22 08:02:00 | アート・文化

京橋のブリジストン美術館で開催されている、『ドビュッシー・音楽と美術』展にかーたんと行ってきた。土曜の昼前、渋谷までバス。渋谷から銀座線で京橋へ。
美術展は、ドビュッシーの生涯に沿って係ってきた美術家の作品を展示したもの。チケットは例によって新聞屋からもらったタダ券。
それほど期待はしていなかったというものの、ドビュッシーの生きた19世紀の新古典派、象徴主義、ラファエル前派、印象派を無理につなぎ合わせて雑然と並べたような印象だった。やたらモーリス・ドニが目立った。モネのマラルメの肖像以外はさして重要な作品もなく拍子抜け。企画倒れの展覧会だったようだ。最近、こういったとってつけたような企画展が多すぎる。もう少し正面から一人の作家に焦点を当てた骨太の展覧会を期待したい。

Kanban

美術展を観終わって銀座に出て、山野楽器、教文館、ヤマハを冷やかして、日比谷のガード下にあるドイツ居酒屋、『JS・レネップ』へ。オクトーバー・フェストにかけて特別キャンペーンをやっているというから何かと思ったら、なんだ、エルディンガーを3杯飲むと、専用グラスがもらえるというだけのもの。ただ、エルディンガーは好きなのでそれに釣られて店に入る。まあ、グラスも欲しいからビール3杯コースで、生ハム、ソーセージ、シュニッツェル、グラーシュと鯨飲馬食した。お代締めて××××円でエルディンガーの専用グラスをせしめてご帰館。よく金を使った一日だった。

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エルディンガー・ヴァイス

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エルディンガー・ヴァイス・デュンケル

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駄目押しのケストリッツァー。

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カシス・シュナップスというもの

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生ハムの前菜

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ソーセージ盛り合わせ

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シュニッツェル

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牛筋肉のグラーシュ

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デザート。アイスクリームとブランデーケーキ。

美術展夕べの秋も深まりぬ     素閑


2012年6月発表会

2012-06-24 23:27:00 | アート・文化

かーたんの音楽教室の発表会が、今年も世田谷、中町ふれあいホールで行われた。朝8:30、いつものように、ギブアウェイ、ピアノの椅子、衣装、楽器など大荷物一式をタクシーに乗せて、家を出る。会場に着いたのは9時前。会場の係員の人と簡単に打ち合わせをして、急いで会場の設営に入る。毎年、やっているので手慣れたものだ。案内のポスターを張り、ピアノの位置を調整し、ビデオをセッティングする。係りの人も慣れたもので、毎年同じ会場を使うメリットは大きい。この中町ふれあいホールは、半年前に電話予約をしておけば、ほぼ希望の日の予定を抑えられる。使用料もリーズナブルだし、会場の規模もうちの音楽教室の発表会には適当だし、代沢地域からの交通の便の悪さを割り引いても、考えられうるベストの会場だ。そのうちスタッフの先生方も到着し、子供たちも父兄に連れられれ三々五々集まってきて、リハーサルに入る。最初は緊張していた子供たちも、演奏が進むにつれて本領発揮といったところ。13:30本番開始。かーたんの旧来の友人Dさんのアナウンスによって会は始められた。最初の子はまだ三歳。上手にピアノとお歌ができました。午後の部。生徒の子供のお父さんのヴァイオリン演奏でバッハのメヌエットとラヴェルの『亡き王女のためのパヴァーヌ』。ついでオカブのドビュッシー『亜麻色の髪の乙女』フルート演奏。今年は多忙につき練習の時間が取れないので、簡単な曲を選んだ。希望の星、小5の二人はそれぞれ、ショパンとベートーヴェン。ちょっと難しい曲を選びすぎたか?・・・フィナーレの講師演奏ではかーたんがシューベルトの『献呈』と、J.シュトラウスの『こうもり』からアデーレのアリアを歌った。アデーレのアリアではオカブがアイゼンシュタイン役を演じ、とんだ道化振りを披露した。客席からは笑い声も漏れていた。集合写真を撮り16:00過ぎにお開き。タクシーで帰宅した。夕食はサミットで買ったパックの寿司とビール。今年も一大イベントが終わった。

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妻の音に合わせ踊るや梅雨の晴れ     素閑


新国立劇場『ローエングリン』ゲネプロ

2012-05-29 08:26:00 | アート・文化

『ローエングリン』の新国立劇場公演ゲネプロを観てきました。
マティアス・フォン・シュテーマンの新演出は斬新。ワーグナーものとしては、すごくモダンなイメージの舞台作り。ただし、大道具や衣装は「最低限」といった印象をぬぐえないのは致し方ないかも。
指揮のペーター・シュナイダーと東フィルの演奏はぴったり息があって、ゲネプロとしてはかなりいい出来。
歌手陣は、ハインリヒ一世のギュンター・グロイスベックがバスを朗々と響かせているのがかなり強烈なイメージ。
タイトル・ロールのクラウス・フロリアン・フォークトは、テノールで本番のために喉を気遣っていたのか、二幕までは、あまり聞かせてくれないような歯がゆさを感じたが、三幕目では、さすがに情感たっぷりに、高らかに白鳥の騎士の哀歌を歌い上げた。三幕目の山『はるかな国に』はエルザに語り聞かせるような演出で、歌いぶりもいささか人間味あふれるローエングリンだった。
エルザのリカルダ・メルベートは、こちらも本番前にフル・ヴォイスで歌うのを控えていたのかもしれないが、いささか声が散れて集中したトーンになっていなかったのが気にかかる。
テルラムント伯爵のゲルト・グロホフスキー、オルトルートのスサネ・レースマークはそこそこの出来。
しかし、今回の演奏の最大の収穫は、合唱の素晴らしさ。合唱指揮の三澤洋史も今回の公演にはかなり気合を込めたと見えて、ほれぼれするレヴェルに仕上がっていた。日本の合唱陣もここまでの力強い、また音楽性に優れた演奏ができる段階まで来たかと思うと頼もしくなる。
あとは、本番の完成に期待。全般としては素晴らしいゲネプロ公演だった。

帰りがけにオペラシティの『HUB』に寄って、エールとフィッシュ・アンド・チップスでオペラの余韻に浸った。

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悲歌劇の紅涙醒めし夏の夕     素閑


2011年発表会

2011-06-26 13:53:00 | アート・文化

今年も音楽教室の発表会の季節がやってきた。梅雨の季節、雨が心配されたが、曇りの天気で、降られることはなさそうだ。ピアノの椅子、ギブアウェイのお菓子、パンフレット類、譜面台、ビデオなどの大荷物を運んで、タクシーに積み込む。今年も会場は『中町ふれあいホール』だ。ここは、まず希望の日時にブッキングできることと、立地が不便な変わりに、当教室の規模の発表会にとっては、うってつけの控え室などの施設が充実しているということで、考えうる会場としては最高の会場だろう。場所は東急大井町線等々力駅から徒歩15分。拙宅からタクシーで20分ほど。この立地の悪ささえなければ、何も言うことはない。9時に会場着。先方の係員と打ち合わせをしてから、会場設営。一緒に参加してくださる先生が、作業の多くを引き受けてくれて、大いに助かる。子供たちが10時半から三々五々、会場に到着して、リハーサル。今年は、ハイドンのソナタを引く予定だった、小学四年生の子が前日から高熱を発して参加できなくなり、残念なことに、スター級を欠いた形になる。さて、13:30から本番開始。幼稚園年長組の子から始まる。親御さんも集まって、70人収容の会場はほぼ満席。ピアノを演奏するわが子を見る、親の視線は熱い。演奏の巧拙はあるが、どのこも真剣に弾いている。真剣さのあまり、リハーサルで思い通り弾けなかった子が思わず、泣き出してしまう場面もあったとか。第二部のトップ・バッターとしてオカブの出番。フルートの独奏でジョリベの『五つの呪文』。何回かとちってあまりいい出来ではなかった。フィナーレのかーたんはシューベルトの歌曲と、『セヴィリアの理髪師』からのアリア。高音が苦しそうだったが、まずまずの出来。今年もかーたんの高校時代の親友が司会を引き受けてくれた。かーたんのピアノ伴奏は二期会のピアニストをお願いした。終了後記念撮影をして、撤収、タクシーに荷物を載せて、帰宅。さすがに疲れた。夕食はスーパーの出来合いの寿司。これで年間の一大イベントが終わった。かーたんご苦労様。

 

6月のピアノの会の晴れ着かな     素閑

 

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メトロポリタンオペラ『ランメルモールのルチア』観劇

2011-06-12 06:13:00 | アート・文化

かーたんと、6月12日、東京文化会館へメトロポリタンオペラ『ランメルモールのルチア』を見に行ってきた。かーたんはここ数年、ルチア役のディアナ・ダムラウの大ファンで、来日が決まって以来、この日を心待ちにしていた。しかし、東日本大震災の原発事故の影響で、ネトレプコが公演をキャンセルするなど、主役級の歌手のキャンセルが相次ぐ中で、ダムラウの来日も危ぶまれていた。なにせ、去年、男の赤ちゃんを生んだばかりで、しかも環境問題に敏感なヨーロッパ人。公演自体がキャンセルになるなら、まだ許せるが、ダムラウが来なくて代役で公演となったら、最悪だとかーたんと話していた。しかし、蓋を開けてみたら、彼女は、赤ちゃんと母親同伴で来日。これを知ったとき思わず万歳を叫んだ。

舞台は当たり前だがやはりルチアの狂乱の場が山。消え入るようなピアニシッシモの歌唱が、しーんと静まり返った客席と舞台の間にとてつもない臨場感を与える。前半の狂乱の場があまりにも素晴らしいので、これも狂乱の見せ場のエドガルドの亡霊を呼ぶシーンもかすんでしまった。

ダムラウが事前に記していたが、一音一音に曲の解釈を込めて、歌唱と演技が一体となった、名演。一つの音も聞き逃せない緊迫の舞台だった。ただ、客席に空席が目立ったのはちょっと気になった。

舞台がはねて、サイン会があった。かーたんは、もうダムラウの追っかけ状態。渋谷で買った日本手工芸の錦の物入れにメッセージを添えて、ダムラウに渾身の挨拶。見てるほうも疲れた。

いやー、凄い一日だった。ブラーヴァ!ダムラウ!

 

  歌劇場妖しの美妓や梅雨の晴れ     素閑

 

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ユトリロ展・オルセー美術館展2010「ポスト印象派」

2010-07-03 18:49:29 | アート・文化

標題のとおり美術展の梯子をしてきた。

『モーリス・ユトリロ展』は損保ジャパン東郷青児美術館で開催されている。朝、一仕事片付けて、早めに下北沢から小田急線で新宿へ。よいしょっとという具合で損保ジャパンビルの42階の東郷青児美術館へ高層エレベーターで昇る。ユトリロ(1883~1955)はご存知のとおり20世紀初頭から中頃にかけて、主にパリ周辺で活躍したフランスの画家。そのアルコール依存症とあいまった奇矯な人格と奇妙な私生活、それを取り囲む家族を含めて同じく奇妙な人物たちに彩られた生涯は、執拗にパリの街を主に絵葉書に基づいて描いた作品とともに知られている。文字通り檻の中に閉ざされた魂の訴える光は垣間見れるものの、画家としては二流の存在であろう。しかし、彼の影響を受けた否を問わず、ユトリロの亜流は多く、特に日本では佐伯祐三、荻州高徳らが、似たようなモティーフと様式でパリの街を描いている。今回、出展された作品には、彼の重要な作品は含まれておらず、無名の作品が並んでいると言う印象だった。しかし、いわゆる『白の時代』の作品群をじかに見ることができたのは収穫だった。ただ『可愛い聖体拝領者・あるいはドゥイユの教会』のような名品を見ることができないのは、無理な要求とわかっていても残念なことだ。もっとも目に留まったのは『メトロポール・ホテル』。広い画面に展開される伸びやかな建物が、ユトリロの幽閉された陰鬱な魂と解放を求める外界への憧憬が映し出されているようで逆に悲劇性を増している。他に、モネの『ルーアン本寺』のように執拗にラパン・アジル、あるいはムーラン・ド・ラ・ギャレットを描いた作品の数々があるがもとより重要な範疇に入るものではない。たしかに天与の一筋の輝きを持ってはいるものの、ベルナール・ビュッフェのように表面的な様式にとらわれた、多作で通俗的な画家という印象はぬぐい切れなかった。

さて、ユトリロ展を見て、新宿を大江戸線で後にして、六本木の国立新美術館に向かう。ここで開催されている『オルセー美術館展2010年』を鑑賞しに行くためである。土曜日で損保ジャパンと同じく大層混んでいた。オルセー美術館と銘打ってあるが、美術展のタイトルの「ポスト印象派」とあるようにオルセーの真骨頂である印象派の作品で来日したものはわずかだ。今回出展された印象派の作品で重要なものはモネの『パラソルをさす女』と『ロンドン国会議事堂・霧の中に差す陽光』ぐらいだろう。印象派の力点がなくなったため、それを埋めるべくさまざまなジャンルの作品をテーマごとに分けて展示していたが、なにか雑然とした感じがするのは否めない。ちなみに展示のテーマを追っていくと、「第1章:1886-最後の印象派」、としてモネ、ドガ、シスレー、ピサロなど合わせてわずか11点。そして「第2章:スーラと新印象主義」に飛ぶ。このなかでスーラの『ポーズする女、正面』が今回の展示の中でもっとも重要な作品ではなかったか?「第3章:セザンヌとセザンヌ主義」では顧みるべき作品はない。「第4章:トゥールーズ・ロートレック」も無名の作品が3点、出展されただけで、なぜロートレックのテーマを設けたのか企画者の意図が図りえない。「第5章:ゴッホとゴーギャン」は、やや力が入っていて、ゴッホの『アルルのゴッホの寝室』、ゴーギャンの『深淵にて』、『《黄色いキリスト》のある自画像』、『タヒチの女たち』などの名品が並ぶ。しかし、美術の坩堝のような本場のオルセーでならまだしも、ここであえてゴッホとゴーギャンを採り上げるのはやや唐突な感じがする。「第6章:ポン・タヴェン派」はゴーギャンとこの後に続くナビ派との絡みで啓蒙的に設けられたテーマで重要度は低い。さて、「第7章:ナビ派」は、企画者がこの展覧会でもっとも強調したかったテーマではなかったかと推測する。モーリス・ドニとピエール・ボナールを中心とするこの精神性に富んだ、象徴主義と分かちがたい一派を16点も採り上げるのは企画者の本展覧会の中でのナビ派の位置づけに込める思い入れを感じさせる。しかし、重要な作品はドニの『ミューズたち』くらいで、作品の質と言う点からすると中途半端な印象だ。さらに、このあとの章もそうだが、象徴主義の精神的背景に根ざす本質に深く切り込んでいないのが残念だ。しかし、いずれにしても焦点の当たる機会の少ないナビ派にこれだけ力点を置いたのはそれなりに意味があろう。「第8章:内面への眼差し」では、ルドン、モローらのサンボリストの中核を取り上げる試みが行われたが、作品的には16点の出展のうち、ルドンが2点、モローが1点と肩透かしを食わされた格好だ。シャバンヌの『貧しき漁師』が唯一光彩を放っているのみだった。ほかにクノップフのいかにも大人しい作品があったが、象徴主義を敷衍するには何の意味も持たない。しかも前章でのべたように象徴主義の精神性にあまりにも言及していない。「第9章:アンリ・ルソー」はいかにもとってつけたような格好だ。「第10章:装飾の勝利」と題して、この展覧会が締めくくられるが、ボナールらの装飾画を展示するだけでいかにも尻切れトンボだ。ここでアール・ヌーヴォーに与えた影響、特にミュシャやギャレについても言及してほしかった。全体的な感想としては、オルセーという巨大にして偉大な美術のカオスから、展示品を抜き出して展覧会を開いても、偉大なるカオスには到底及ばず、ただ雑然とした印象を与えただけと言うことだ。まあ、予算と言う最大の壁があるのであろう。単なる巡回展よりも、特定の作家やエコールに焦点を当てるなどテーマを絞った展覧会のほうが、纏まりという面では受け容れやすいだろう。今回も、完全に印象派以降の流れの中の一つに焦点を当てたほうがよかった。そもそも、そういうものだと分かってはいたが、今年最大の美術展の目玉として注目していただけに残念だ。

 

美術館に着いた時点で、昼をはるかに回っていたのでレストランで食事をした。『ブラッセリー・ポール・ボキューズ・ミュゼー』というレストランで、「これは大きく出たな。名前だけで法外な金をふんだくろうという魂胆だな」と警戒したが、2860円のランチコースは、食材こそ珍味は出なかったものの、それなりに美味しかった。ポール・ボキューズの名に偽りなし。ただ延々と空き席を並んで待ったのが堪えた。

乃木坂に出て、千代田線、小田急線、下北沢と言う具合に帰宅した。

   名画展出でて茶房のビールかな     素閑


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悲しみを乗り越えて発表会

2010-06-27 09:13:00 | アート・文化

かーたんの主宰する音楽教室の発表会があった。

ジロの死からまだ2日。悲しみを癒えないが、ジロの思いを胸に秘めながら、悲しみを乗り越えてかーたんと発表会に臨んだ。幸い梅雨の合間の雨のない高曇りの天気。8時過ぎに、発表会で使う機材やらピアノの椅子やら、ギブアウェイやらをタクシーに詰め込んで、上野毛の『中町ふれあいホール』に向かった。午前中、会場の設営を終えて、子供の生徒さんがリハーサルに集まってくる。『中町ふれあいホール』は交通の便は悪いが、手ごろな広さと、希望した日に必ず予約が取れるのと、広い和室が、休憩室兼食事どころとして使えるのと、そして何より料金が安いので、毎年ここを発表会場に使っている。以前は、下北沢の『北沢タウンホール』を会場に使ったこともあったが、交通至便という点のほかは、上記に掲げた条件にことごとく反するので、5年前に会場の候補からはずした。

13時半から本番。司会はいつもお馴染みのかーたんの高校時代の同級生のDさん。あどけない幼稚園生からスタートだ。ピアノと歌の演奏。とても可愛い。そして、前半のトリを二人で勤めたのが小3の期待の星のお二人さん。一人はドビュッシーの『ゴリウォーグのケーク・ウォーク』とラベルの『マ・メール・ロワ』。もう一人の子は新調の燕尾服で登場。モーツァルトの『6つのウィーン・ソナチネ』。二人ともとても子供とは思えない聴き応えのある高度な演奏だった。

オカブもフルートで出演。今年は難曲は避けてグルックの『精霊の踊り』。演奏中にジロの好奇心旺盛な人の顔を覗き込むようなしぐさが頭をよぎる。

かーたんの講師演奏は2曲ともヘンデルの曲でオペラ『セルセ』より『オンブラ・マイ・フ』とオラトリオ『メサイア』より『リジョイス・グレートリー・ドウター・オブ・シオン』久々にバロックのソプラノ独唱だった。集合写真の後スタッフの皆さんが手伝っていただいて会場の撤収。タクシーで帰宅したのは18時前だった。ジロもかーたんの発表会の成功を喜んでくれたことだろう。

                 ピアノ弾く子に花束の百合の香よ     素閑

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新国立劇場『オテロ』のゲネプロに行ってきました。

2009-09-17 11:53:00 | アート・文化

新国立劇場シーズンスタートの公演『オテロ』のゲネプロに行った。
一言で言うと、久しぶりに見ごたえのある舞台を鑑賞できた、というところだろうか。
ゲネプロの常として、歌手は8~9割り方の力しか出さないで歌っているという感じだったが、受ける全体的な印象は強烈なものがあった。
特に、バリトンのルチオ・ガッロがイアーゴを好演。デズデーモナのノルマ・ファンティーニは、フル・ヴォイスで歌い上げる場と、か細くささやく狂乱の場のメリハリがいまひとつの感があるが、素晴らしい美しい持ち声で、十分、聴かせてくれた。タイトルロールのステファン・グールドの歌唱ももちろん素晴らしかったのだが、あの程度のテノールは、いまやあまたいるという感じで、いまひとつ印象に残らなかったところが残念。
舞台装置は、実際に水を張った掘割が使われ、それが悲劇の進行に実に効果的な役割を果たしている。そのほかのセットも手抜きが感じられず、新国のこの公演にかける意気込みやよし、というところか。また第一幕に打ち上げ花火が使われるなど、マリオ・マルトーネの演出も凝っていて、見ごたえがある。
衣装は、主に男性陣が19世紀の軍服姿。女性は17~18世紀の服装。ウルスラ・パーツァックはオーソドックスなデザインを前面に押し出した。
東フィルのピットもリハということで完成されていない箇所もあったが、平均的なレベルは高い。
とにかくゲネプロながら、キャスト、スタッフが全力を挙げて取り組んだというところがひしひしと感じ取れて、本番は今年の名舞台のひとつになることを確信した。

歌劇の憂いも知らずいわし雲     素閑

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西原悟ライブに行ってきました

2009-07-09 21:44:00 | アート・文化

Dscf0175_edited かれこれ十年来の畏友、西原悟氏の50歳の誕生を記念し祝うライブに行ってきた。会場は六本木のライブ・バー「KNOB」。演奏は8時から始まるのだが、客先から直帰したので大分早く会場に着いてしまい、まだリハーサルの最中。西原悟氏といっても、ご存知の方は少ないと思うが、NHKの素人のど自慢でピアノ、キーボードを弾いている髭のおじさん、と言えばあるいはお分かりになるかもしれない。彼は、キーボード奏者にしてミュージック・アレンジャー。NHKの番組では、演奏のほかに本番前日から予選通過者の歌う曲のパート譜を徹夜で書き上げる作業も引き受けているという。ライブは彼の挨拶から始まり、ゲストでポップス・シンガーの青木まり子さんの歌を皮切りに、クリスチャン・ミュージシャンの大御所、岩淵まこと氏のアルバム「ペトラ通り」からのナンバーを中心とした歌唱曲。インストルメンタル曲を混じえて、カントリー・シンガーのささ木ゆうこさんの歌。などが続く。岩淵氏と西原氏の軽妙な掛け合いの語りが笑いを引いた。インストルメンタルでは悟氏の絶妙の指さばきによるインプロビゼーションの技が聴けた。終曲は、4月に召天した西原氏のご尊父、明牧師に思いを寄せて、悟氏が作曲したオリジナル・インストルメンタル曲『暫定的な、なにものか』(?だったけな????)。アンコールにささ木さんのカントリー・ナンバー。盛り上がったコンサートだった。出演者は他にドラムスの市原康氏、ベースの谷源昌氏。5000円でフリードリンク。オカブが飲んだのはテキーラのロック4杯。空きっ腹に引っ掛けたので回ってしまった。悟氏の誕生日は7月12日。当日には再度、三軒茶屋のライブハウス「ラヂヲデイズ」で祝賀コンサートが開かれる。この日を以って彼も晴れて50台の仲間入りをするのである。おめでとうさん。(^^)

     更けゆく夜火酒をふくみつジャズの音や     素閑