Saraの人生右往左往

『人生は長い旅路である』
Saraの“あっちふらふら、こっちふらふら”な由無しごと

10月の道を過ぎて…

2006-10-31 23:36:04 | No music, No life!
数ヶ月前に気がついたのだけれど、
TV朝日で『ベストヒットUSA 2006』という番組を放送している。

もう、嬉しくて感涙

Low Teenの頃から、Rock好き。
10代~20代は、ひたすら'60~'70'sのアメリカやイギリスのRockを聴いていた。
そして、そのRockを掘り下げて行って辿り着いた、BluesやSoulも大好き。
あたしの音楽の嗜好は、そこで形作られたようだ。


ある季節になると、無性に聴きたくなるアルバムがある。
そのうちの1枚がこれ。
『October Road』By James Taylor

このアルバムのタイトル曲でもある『October Road』は、
数年前にたまたま『世界の車窓から』というTV番組のBGMで使われていて、
その時耳にしたのだ。
耳にした瞬間、ピンと来て、翌日CDを買いに走った。

James Taylorはまぁまぁ好きな方だったけど、
何でこの曲がそんなに耳に残ったのだろう。

夢見る頃を過ぎ、歳を重ねていくと、未来を見つめる時間よりも
過去を見つめる時間の方が多くなってくる。
夢を追いかけるより、夢の捨て場所を探す方が現実になってくる。

そんな時期に、たまたまJames Taylorのこの歌が心に響いたのだろう。
「October Roadを通って、心のふるさとに帰ろう」と、歌う彼の声が。

紅顔の美少年だったJames Taylorが、
心の内面を歌っていた時代はとうの昔に過ぎ去った。
あたしより年上の彼は、あたしより過去を優しい目で見つめているみたいだ。

色んなものが黄金色に色づき始める10月、
ちょうど1年の終わりを意識し始める頃、
あたしは前に進むために、過去を優しい目で見つめたくなるのかも知れない。

しかも、『October Road』のギターはRy Cooderが弾いているのだ!
あたしの耳は、自然とRyのギターに反応するようにできているのかも


南国植物の冬支度

2006-10-29 21:27:22 | Hawai'i
日本でもHAWAI'Iを感じるために買ったヒメモンステラの『マモちゃん』と、
ハイビスカスの『ハービー』。
10月上旬までは元気に新しい蕾をつけたり、
新しい葉っぱが出たりと活発に成長していましたが、
さすがにそろそろ朝晩の気温が彼らには寒く感じるのか、
葉っぱが黄色くなってきちゃった



そろそろ室内に入れてあげないといけないな~ってことで、本日室内に移動!

ハービーは、9月中旬にコナジラミにたかられてしまって大変な状態だったけど、
害虫駆除の薬剤を定期的に散布して撃退に成功。

マモちゃんは、葉っぱがつるつるしていて埃が目立つので、
1枚1枚水拭きしてきれいにしてあげてから移動。

2つ揃って窓辺の日当たりの良い所へ。



植木鉢の下に敷いたマットもHONU柄でHAWAI'IAN風に。



来年の夏まで、元気でいてくれますように…

このHONU柄マット代は、本日の天皇賞で回収


と思いきや、ワイドだったので大して回収できず…
秋競馬はこれからが本番だからね。
あたしにとっては『ジャパンカップ』が幸運のレースなのですよ。
毎年このレースだけはなぜか的中。
これから有馬まで、楽しみだな~



クリスマスコフレのシーズン

2006-10-28 22:32:29 | Cosmetixx Maniaxx
さ~て、何はともあれクリスマスコフレの季節がやってきます

今週月曜日に発売された『美的』でも、もちろん特集が組まれています。


でも、いつも思うんだけどね…
『美的』ってこういうコフレや新色特集のネタが弱いのよね
普通の記事は一番好きなんだけどね…



しかし、今年はそそられる物が少ないなぁ。
エスティローダーの『メークアップコレクション2006』なんて、
去年のとケースが変わっただけ?とすら思いかねないわ。

で、結局アウェイクの『スターダムコレクション』だけを予約しました。
ジルスチュアートの『クリスマスコレクション』も気になったけど、
予約分はもういっぱいだって!

後は、MACの『ソワレ ウォーム』くらいかな
これは、予約は11/9~だから、まだ先。

ダンナに「どうせ使い切れないのに~」って言われつつ、
やっぱりキレイなものには惹かれてしまうのですよね。


歳とともに変わる役割

2006-10-24 22:18:30 | Everyday Life
昨日から、新しい会社へ出社した。
もう離れよう、と思っていたはずの医療機器の業界へ再び
これがあたしの生きる道。な~んて。

歳も歳なので、中間管理職(死語?)レベルでの採用。
もっと叩き上げの若い子に睨まれるかと思ったけど、
中途採用が多いのでそうでもなさそう。
しかも、昔の同僚の誘いなので今のところそれほど居心地は悪くない。

そして、実感したのが『歳とともに求められる役割って変わるんだ』ということ
今までは、がむしゃらにやって自分が認められることだけを目指していたけど、
今度は『人を育てること』を求められていることを実感。

今まで自分を守ってきてもらったのと同様に、部下を守らなくてはならない。
部下はライバルだけど、それを表に出しちゃいけない。
叱るのも上手に叱らなくてはならない。

でも、役割が変わってきたということをすーっと理解できたのは、
あたしがそれ相応の歳になったということなのだろう。

大変だけど、人を育ててみたいと思う。
歳をとるって結構楽しいものだと思えたことに感謝

自分であることを証明しなくちゃいけないなんて…

2006-10-20 22:42:55 | 夫婦別姓という道
めでたく、昨日名前が戻ったのは良いけれど、まだまだ手続きは残っている。
昼間にフルに動ける日は今日しかない…

まず、銀行の名義を変えないといけない。
結婚前から持っていた口座は旧姓のままにしておいたので、変更の必要はなし。
銀行の人には「婚姻姓に変更してください!」と言われていたけどね。
ただ、マンションのローンのために作った口座は婚姻姓のもの。
これを変えないといけない。

何が必要なのか、皆目分からない

とりあえず区役所の出張所で、世帯全員が記載された住民票を出してもらった。
それと、年金手帳の氏名変更を書き直してもらった。
年金手帳は、今は特に氏名の変更があっても書き直さないらしいけど、
お願いして書いてもらった。

そして銀行へ。

窓口で貯金通帳とキャッシュカードを出して、変更手続き用紙に記入と捺印。
免許証を出したが、姓名の変更の経緯が分からないので、
戸籍謄本も出せと言われた。
しかし、昨日離婚届を出したので、まだ戸籍ができていないのだ。
その事を伝え、年金手帳なら変更の経緯が分かるのでは?と見せると、
これでOKと一件落着
たまたま年金手帳を持っていて、ラッキーでした。

次に、ローンの引き落とし口座であることを伝えると、住民票が必要と言われ、
これもたまたま持っていたので、提出して事なきを得る。
銀行の変更はこれでOK。
あとは、マンションの登記だが、これ変えるには戸籍謄本が必要らしいので、
後ほどダンナに行ってもらうことにした。

帰ってから、変更した↑の口座から引き落としになっている光熱費
(電気、水道、電話、マンション管理費)などの会社に電話して、
口座名義が変更になったことを伝えた。
契約者名がダンナで、口座名義はあたし。
しかも、別姓にする旨の電話。
係の方はみな一様に、『ご愁傷様』感を漂わせていた

仕方ない。
いくら事実婚を選択する人が増えてきたって言っても、まだまだマイナー。
みんなに理解してくれって言う言う方が、土台無理な話。
だからこそ、早く別姓を認めて欲しいのに。

やっぱり…
働きながらこの面倒くさい様々な名義変更をやるのって、絶対無理!
変えなきゃいけないのは銀行だけではない。
様々な資格を持っていたらそれも変えないといけないし、
海外で取得した資格はもっと面倒くさいだろう。
あたしは、いずれ別姓を選択するつもりでいたから、必要最低限のものしか
氏名の変更手続きをしなかったけれど、それでもこんなに疲れるのに…

日本国政府は、本当は女性の社会進出を阻もうとしているのでは?

さぁ、次はマンションの登記名義変更という難関が待っている

新しい関係

2006-10-19 20:48:14 | 夫婦別姓という道
なぜ、結婚したら、どちらかが今までの名前を捨てなくてはならないの?

そして日本では、今までの姓を捨てなくてはならないのは、
ほとんどの場合女性の役割だと思われている。なぜ?
そして、夫婦別姓法案が話し合われ出してからもう長いこと経つのに、
いっこうに話の決着がつく気配はない。
海外では夫婦別姓可のところって多いと聞く。
インドなんて、親と子の姓が違うのが当たり前のようだ。
↑これは、妹のインド人のダンナから聞いた。

そんな中、あたしが結婚したのが2年前の7月。
いわゆる婚姻届を区役所へ出すという処理を行った。
本当は夫婦別姓法案が国会を通過してからにしたかったのだけれど、
いまだに法案は成立しない。

結婚するまで30年以上も生家の姓でやってきた。
名前は、あたしのアイデンティティを形成する1つのファクターだ。
それを放棄するのがとても辛かった。我慢できないほど。

2年間婚姻姓でやってきたけど、どうも馴染めない。
何だか牙を抜かれたような、翼をもがれたような、そんな喪失感。

紙切れの婚姻関係に縛られたくない、とかってことじゃない。
ただ、名前を返して欲しい。
それをダンナに話し、今の日本で別姓でやっていける手段である
『事実婚』という関係にすることに決めた。
それには、いったん離婚届を出さなくてはならないのだ。

そして、本日めでたく区役所へ離婚届を出し、
登録上の関係を『妻(未届)』にしてきた。
最近こういうカップルが多いのか、区役所は思ったよりスムーズに
処理を進めてくれた。

しかし、離婚届を出してから事実婚の届けをするカップルは少ないらしく、
最初は『同居人』という続柄にされそうになった。
今後結婚する意志がある場合は『妻(未届)』になり、
結婚する意志がない場合は『同居人』になるらしい。
ダンナが窓口で係の人に「夫婦別姓法案が成立したら、籍をひとつにする」
という意思を伝え、続柄を『妻(未届)』にしてもらった。

事実婚でも年金の第3号控除が受けられたり、相手の扶養に入れたりと、
結局婚姻状態と変わらないらしい。
財産分与の権利もあるらしい。
じゃあ、なぜ別姓がダメなのか?
本当に不思議な日本の制度。
選択制にできないのだろうか。
どうせ、今は住基ネットで国民には背番号がついているから、
国は国民の管理なんて簡単にできるでしょうよ

家族意識の問題とかって言うけど、今の制度でだって
離婚したければする時代だ。
それよりも、新しい意識に基づいて世の中を変えて欲しい。

そして、銀行などではどんどん本人確認が厳しくなってきている。
婚姻姓で生活していたとき、名義変更しろと迫られた。
理由は『本人確認できないから』。
え~っ!目の前に本人がいるのに?
免許証は表が旧姓で、裏書で婚姻姓に訂正しているのに?
本人確認ができないって、戸籍謄本でも見せれば納得してくれるの?
本人が目の前にいるのに、旧姓だから本人ではないと否定される悲しさを
理解できないのか、したくないのか。
変な犯罪が多いからって理由も分かるよ。
でも…

アイデンティティを否定され、翼をもがれて転がされていた自分から
ようやく自分本来の名前に戻ることができ、ほっとしているのだ

ただし、マンションの名義変更などなど、色々やっかいごとが山積み。
これから少しずつ片付けなきゃね。

そして、一刻でも早く『夫婦別姓法案』が成立しますように

Gorgeous Gold!!

2006-10-17 22:33:45 | Cosmetixx Maniaxx
どこかの化粧品会社の、夏のテーマじゃありませんが…

最近身辺が落ち着かなくて、なかなか化粧品カウンターに足を運ぶ気にも
なれずにいたけれど、密かに愛するコスメが売り切れる前に行かなくちゃと、
BOBBI BROWNのカウンターに行ってきた。

お目当ては、シマーブリックのゴールド



ちょっと写真がぼけているなぁ



今年はなぜかゴールドに惹かれる。
去年まではシルバーに惹かれてたのにな。

カウンターでは、このシマーブリックの下から2番目のサンシャインを
アイシャドウとして使ってもらったのだけれど、結構発色が良いという印象。
そして目の際は、ロングウェアジェルライナーのブラウンシマーで〆た。

それにしても、BOBBIはMAさんはド派手メイクなのに、
お客さんにはナチュラルメイクを施すよなぁ

このシマーブリックは他のシマーブリックにもまして色が出ないので、
ハイライトとしても使えそう。

これからのパーティシーズンに重宝しそう

愚痴言えば、唇寒し…かな

2006-10-14 18:54:48 | つぶやき
昨日、久しぶりに元同僚達と飲みに行った。
その以前勤めた会社を、あたしは今年の6月に退職している。

確かにその会社は経営陣の思惑によって、
相当にひどい状態になっていた。
あたしも、コネ採用の取引先のお嬢さんがあたしのポジションを所望したため、
自分の身の先行きを悲観して辞めたのだ。
それが正しかったかどうかは、未だ分からないけれど。

まだその会社に在籍している元同僚達は、
いつも通り飲んで愚痴をこぼして…
といういわゆるサラリーマンの飲み方をしていた。

あたしも、4ヶ月前までは、あの中にいたんだなぁ…と、しみじみ思った。

愚痴って怖いものである。
愚痴はこぼしていると際限がなくなる。
だんだん自分の不幸に酔い始め、
世界中の不幸を自分が背負っているような気になってくる。
そして、すべてを周囲のせいにするのだ、自分は悪くないと。

あたしもかつてそうだったように。

でも、ある日ふっと思った。
今の自分は自分が作ったんじゃないか?と。
すべての責任を自分で引き受けるのはとても辛い。
でも、原因を解明しなきゃ、
いつまでたってもアカルイミライなんてあり得ないのだ。

今でも自分に向き合うのは怖いし、辛い。
でも、それを乗り越えなければ、
自分の生きる場所も見つけられないかも知れない。
『辛いことがあったから、良い事もあるよ』というエセポジティブが、
一番嫌いだ。
ついでに『頑張れ』って言葉も。

確かに、たまには愚痴も必要悪だし、言いたい気分の時もある。
人のも聞いてあげるけど、その後全部を周りのせいにしちゃいけないよね。

そろそろ、あのお嬢さんのことも許せるかも知れないなぁ…

そして、仕事を含めた自分の生きる術をきちんと見つけよう


Bonin Blue

2006-10-09 16:00:02 | 
とうとう小笠原滞在も最終日。
本日の午後2時発のフェリーで東京に帰る。

小笠原はフェリーなので、帰りの間際までダイビングできるのだ。
飛行機で帰る場合は、こうはいかないものね

朝、『KAIZIN』のスタッフのカオリさんが迎えに来てくれて、そのまま乗船。
1本目は『万作水玉湾』というポイントへ。
ここは-30mくらいのところにミズタマヤッコという固有種がいるらしい。

そこへ向かう途中、バンドウイルカに遭遇。
みんなで3点セットだけ持ってゆっくりエントリー!
でも、1頭だけだったので、すぐに海底深く潜ってしまった。
でも、昨日は見られなったイルカが見れるなんて!わぉ

万作水玉湾では結局ミズタマヤッコは見られなかったものの、
オニダルマオコゼときれいなハナゴイの群れを堪能。



2本目は『鯨崎』というポイント。
ここは透明度が戻ってきていて、Bonin Blueを堪能。
エントリー直後に、小さめのアオウミガメが上空を飛ぶように泳ぎ、
さらにマダラトビエイが滑るように泳いで行き、
岩の割れ目にはマダラエイがお昼寝。
沖の方に目をやれば、イソマグロが三々五々通り過ぎる。

そしてダイナミックな地形

あぁ、最後の最後に素晴らしい海を見てしまった!
また小笠原に戻って来なくては!

今回は新しく買ったデジカメのオリンパスμ750のハウジングの発売が
間に合わず、水中の写真はないけれど心の目に十分焼き付けました



ショップに帰って機材を軽く洗って干し、その間に自分もシャワー。
おがさわら丸にもシャワーはあるので、ホントにギリギリまで潜れる。

『KAIZIN』のスタッフが港まで送ってくれて、乗船手続き。

島の人たちはおがさわら丸の入出港予定で生活サイクルが決まるため、
港までたくさんの人たちがお見送りに来てくれる。

島HULAとでも言うような、HULAを披露してくれた方々。
カネダンサーが多いのでびっくり。


愛するハワイの空気を感じられて幸せ

桟橋でお見送りの島の人たち。



乗船するときにカオリさんが「左舷方向を見てね」と言うので、
看板に出て左舷方向に回ると、
何と各ショップのボートが防波堤を出るまでお見送り!
そして、最後にはみんな飛び込んで手を振ってくれる。



来るときはどうなることかとドキドキで、しかもフェリーではゲロゲロで
思えば大変だったけど、こういう最後の風景を見てしまうと離れ難くなる。
やっぱり来て良かった。

そして、また来よう。Bonin Blueの島へ。

イルカに会いに

2006-10-08 23:59:38 | 
8日は波は4mというニュースでの報道だったものの、
風がおさまったためようやくボートが出せる海況になった。
明日は既に帰途につくけれど、小笠原からはフェリーで帰るため、
ギリギリまでダイビングができるというメリットがある。
『KAIZIN』に電話を入れて、翌日の2ボートを申し込み、
この日は予約していたイルカ船『ピンクドルフィン』に乗船した。


本当は母島周りを巡るツアーの予定だったが、
さすがにまだ海が荒れていて母島までは行けないとのこと。
それでも、海に出れるだけで有難かった

まず、南島の方へ。



うわぁ
荒れて荒れて、南島上陸は無理だぁ
あの美しい扇池を見たかったのに、今回は無理だった。
写真でよく見るあの美しい扇池のある南島は、1日100人までという
入島制限を設けている。
夏のハイシーズンに行く場合は、上陸できない場合もあるようだ。

その後もCaptainのスタンリーさんは、イルカを探して
ポイントを巡ってくれたけれど、台風後の荒れ海にはイルカは近寄って来ない…

真ん中に見える赤い部分がハートに見えることから名づけられた、
『ハートロック』。

午後になると満月の大潮のせいでどんどん潮の流れが速くなり、
イルカがいても泳げない状況になってしまった。

諦めてお昼ご飯を食べ、
兄島の『海中公園』へ行って、魚の餌付け。
ピンクドルフィン号はグラスボートなので、餌付けの様子が見える。
もちろん、スノーケルで見てもOK


餌付け用のネットに引っかかったゴイシウミヘビ。

海蛇という名前が付いているが、実際はウナギの仲間。

海中公園は観光用に魚の餌付けを行っているため、
人間が海に入るとものすごい勢いで寄ってきます。
追い払っても逃げないので、かなり怖かった…

夜は、10月2日に生まれたアオウミガメの子供たちの放流を見に、宮の浜へ。
この日は83頭の子供たちを海に放したけれど、
生き残る確率は0.03%だそう。
自然というのはこうも厳しいものなのか。


カメは生まれてから2~3週間後の砂の温度によって、雄か雌か決まるのだそう。
29.5℃という温度が分岐点だそうです。
そして20年~30年で大人になり、また父島に帰ってくるのだそうだ。
自然の神秘。
人間にはどうしようもない、大きな力。

帰ってから、同じ宿の人たちと焼酎を飲みながら談笑。
いよいよ明日は念願のダイビング





そうだ、山へ行こう!-アカガシラカラスバト編

2006-10-07 22:46:33 | 
午後は、『ボニンブルー シマ』の島さんの案内で
『東平アカガシラカラスバト バードサンクチュアリ』へ。


このアカガシラカラスバトは小笠原固有の鳩で、頭が赤くて体が黒。
地上に巣を作り地上で生活するため、野生化した猫などにやられて、
現在は30固体くらいしかいない、絶滅危惧種。
残念ながら繁殖期にはまだ早く、見ることはできず…
繁殖期は11月~3月くらいで、その時期にこのエリアに戻ってくるのだとか。

小笠原諸島は、今までどことも陸続きになったことがなく、
海だけでなく山の動植物にも固有種が多いらしい。
実際、小笠原にはダイビング目的だけではなく、山歩きを目的にした
高齢者の方がたくさん訪れているよう。

島さんのお話によると、外来種の影響で固有種が減少しているという。
小笠原の自然の中で保たれていた食物連鎖が、外来種によって壊されていると。
固有種は、今までこの島の中だけでの秩序によって連鎖の輪の中にいたので、
外来種から身を守る術を知らないのです。
そのため、小笠原でしか見られない珍しい植物が、
絶滅の危機に瀕しているようです。

文化ならば、異文化と交じり合って新しいものが作られるけど、
動植物は簡単に他との交配ができるものではない。
人間が、人間の都合によって持ち込んだものが島の環境を破壊する。
なんて悲しいことでしょう。

これはマルハチという島固有のシダ。
シダにしては珍しく、3mくらいの高さまで育つとか。



島の木として定められているタコノキ。
これも、外来種のネズミに種を食い荒らされ、
同じく外来種のヤギに若芽を食われ、年々減少しているそう。


テリハハマボウ。
ハイビスカスの原生種の1つで固有種。
ハイビスカスは赤が標準かと思ったら、原生は黄色なのね。


シマホルトノキ。
アカガシラカラスバトの好物だそう。
2週間前の台風でかなり実が落ちてしまったので、今年はアカガシラカラスバトが
繁殖できるか不安だそうです。



これも固有種のコバトベラ。
小笠原に生息するトベラ科のうちの1つ。
実をネットで覆って、守っている。



これも固有種のウラジロコムラサキ。
ヤギに食われないようにネットをかけている。



固有種をすべて見たわけではないのだけれど、
人間が手をかけすぎても生態系を壊してしまうし、
かといって手をかけないと絶滅してしまう。
自然保護って口で言うほど簡単ではないのだ
だけど、守っていかないとこの小笠原の自然はどんどん失われてしまう。

元を糺せば、外来種は人間の都合で持ち込まれたものが大半なのだから。

サンクチュアリから初寝浦方面を望む景色。
ここはサーフィンの穴場なのだそうです。



この日の月は十六夜。
月の光を浴びながら明日の好天を祈りつつ、ぷらぷらお散歩。
月の光がこんなに明るいこと、普段は忘れているなぁと思いながら。



そうだ、山へ行こう!-Weather Station編

2006-10-07 12:38:09 | 
結局、この日も朝『KAIZIN』スタッフから電話があり、
「今日もダイビングは無理です」ということだった。
ニュースでも小笠原近海の波は5mと報じられている。
これでは透明度がまったく期待できないし、
それよりもこの状態で海に行くのは自殺行為。
仕方ないのです、自然は人間の都合によって動いている訳ではない。

気を取り直して小笠原海運でいただいたパンフレットを見ながら、
「そうだ、山へ行ってみよう!」と思い立ち、
早速、山のガイド『ボニンブルー シマ』さんへ電話をしてみた。
午後からならトレッキングガイドを受けてくれるとのお返事。
それにしても、のんびりしている島である。
朝電話しても午後のガイドOKなんて
その日の気分で決められるって、実はとっても贅沢なことなのかも。

午後は予定が決まったので、
午前は『ウェザーステーション』へ行ってみることにした。
標高200m弱、お宿からの道のりは1800mくらいの気象観測所。
冬はザトウクジラの観測所にもなるらしい。

実は小笠原は9月下旬にも台風14号の直撃を受けており、
島全体が潮をかぶったらしい。
そのため、木々の葉っぱが落ちてしまい、ちょっと寂しい感じになっていた



普段はもっと青々とした葉っぱばかりだそう。

45分くらいかけて、
ゆっくり登ってたどり着いたウェザーステーションからの眺め。
うん、絶景



でも、これじゃぁ確かにこれでは潜れる海況じゃなさそうだぁ

ウェザーステーションからの帰り道、
2週間前の台風から復活してきている花たちを見つけ、
ちょっと嬉しくなりました。



2週間で新芽もちらほら。



宿に戻る途中の教会の前で、島の女の子が佇んでいた。
ここはアメリカに支配されていた時代もあるので、
今でもクリスチャンが数多くいるのでしょう。
彼女の胸に去来する思いは一体なんだろう



そして、ほんの少しだけサーフィンができるビーチもある。



サーフィンも面白そうだわ
できないのだけど…
そのうちチャレンジしたいものの1つです。


父島へ無事上陸したのは良いけれど

2006-10-06 20:30:49 | 
入港予定を4時間ほどオーバーし、父島へ無事入港。
6日は午前11時半に入港予定だったので、着日の午後2ダイブする予定だったのに、
実際に入港したのは午後3時。

ふらふらしながら下船。
ダイビングのガイドをお願いしていたダイビングショップ『KAIZIN』の
スタッフが港まで迎えに来てくれていたけど、
本日はもちろんのこと明日も潜るのは難しいとご無体な宣言。
仕方ない。お天気のことだものね…
すごく当たり前だけど、人間の都合通りに自然は動いてくれないものなの。

父島のメインストリートはびゅうびゅう。



雨は降っていないけれど、雲の流れがめちゃ速い。
そして雨が降っていないのに、桟橋はびしょびしょ。



お世話になったお宿は『サンシャイン小笠原』。



お宿の無愛想な『本多勘助』くん。



ここで夜、珍しいものを夕食にいただきました。
何と、アオウミガメの卵。
この島にはカメを獲っても良いと認定されている人が2人いて、
一定数までならカメを捕獲しても良いという決まりがあるんだって。



右奥の四角いお皿の一番右端、黄色い球状のものがカメの卵。
お味は…まぁ、話のネタ程度に食べるものかな、と。
小笠原は昔から『アオウミガメ漁』の習慣があったらしく、
現在は保護のために、取る数が決まっているよう。
昔は貴重なタンパク源だったのでしょう。
が、姿を知っているだけに、少々罪悪感が…

丸一日以上何も入らなかった胃を満たし、
この日は明日の良い天気を祈りながらとっとと寝ました。
陸に上がっても陸酔いが続き、
横になってもふぅわふぅわと体が揺れているようでした。

嵐の出航

2006-10-05 23:05:47 | 
あたしはめちゃくちゃ雨オンナである。
そんなあたしが、今日から5泊6日で小笠原は父島へ旅に出る。
目的は、昨今のバタバタを癒すため、そしてダイビング。
ダイバーはどんどん僻地へ向かうようになるのである。

普通に行ける訳はないと思っていたけど その悪い予感は的中し、
昨日から台風16号と17号が日本の南海を北上中。
小笠原行きのフェリーを運航する小笠原海運のHPでは、
通常出航との告知だったので午前9時に竹芝桟橋へ。

だけど、天気予報では小笠原近海は波高が4m。
よしんば父島に渡れても現地で遊べるのか?ダイビングできるのか?!
いっそのことキャンセルして、日時を改めた方が良いのではと悶々としつつ、
待合室で乗船を待った。
気象条件によっては帰りの便が変更になるかも知れないと、
繰り返しアナウンスが入り、嫌な予感は募るばかり。
とりあえず乗船。



乗船した直後は雨が止んでいたので、このまま晴れてくれる?と、
楽観的な予測もしたのだけれど…
そんなに甘くはなかった
東京湾を出る前から海面には既に白波が立っていて、
先行き荒れるぞ~という予感がぷんぷん。



とりあえずデッキに戻り、2等客室の自分の場所に横になったらもうアウト。
この先25時間の記憶はゴザイマセン…
起き上がると生唾がわいてきて、戻しそうになって、の繰り返し。
結局4回戻し(汚くてごめんなさい!)、何も食べられず寝ているだけ。
ちなみにこのフェリー『おがさわら丸』には女性専用部屋があるのだけれど、
嫌がらせかと思うくらいとっても狭い。
男女混載部屋の方が開放感がありますので、
船酔いしやすい人には女性専用部屋はお薦めしません。

自分の足跡を記してみたくなりました

2006-10-04 22:24:47 | Everyday Life
どなたの言葉だったか忘れましたが、
『人は、旅に持って行ったもの以上のものを、旅から持って帰ることはできない』
という言葉にとっても感銘を受けたのが数年前。

あたしの小さな器でも、いくばくかのものは持って帰れているのだろうか?
小さな疑問が浮かんだのです。

そんなこんなで小さな記録を残してみたくなりました。