Saraの人生右往左往

『人生は長い旅路である』
Saraの“あっちふらふら、こっちふらふら”な由無しごと

インドばたばた紀行-結婚式の当日編

2006-12-31 20:29:57 | 
【12月15日(金)】

しつこいようだけれど、今回の旅の最終目的は、
【妹の結婚式に出席すること】である。

とうとう式の当日がやってきた。
インド人の結婚式って、どうも【踊るマハラジャ】のイメージが強い。
しかし、まさか一般の人々が、あんなに歌って踊る訳はなかろう。
しかも、インドは飲酒が割とご法度なので、酒も飲まずにあれは無理かと…

しかも、ここまでの旅路でかなり疲れている日本人ご一行様。
インディアンタイムに全然慣れることができないあたし

式の当日、朝7時に妹のダンナさんの友人が、ミニバスで迎えに来た。
宿泊しているAakash Family ClubからMaduraiの中心部を抜け、
ダンナさんの実家までは1時間半ほど。
しかーし!
ミニバスの中は蚊がてんこ盛りで、眠いけど一睡もできず…

ダンナさんの親族と一通り挨拶を終えた後、朝ごはんをいただいた。



インドでの食事は'わんこそば'スタイル。
残量が少なくなると、自動的におかわりをよそられてしまう。
要らない場合は、明確に『いらない』という意思表示をしなくてはならない。
これは食堂で定食(Thali)を食べるときもそうだ。
お櫃を持ったライスマン(勝手に命名)がテーブルを巡回している。

その後、ダンナさんの妹にサリーを着付けてもらった。
青いサリーがあたし、赤いのが妹。
真ん中は、着付けてくれた妹のダンナさんの妹(ややこしい…)



実はこの時点で、教会への出発時間が過ぎていた…
うーん、インディアンタイムだぁー

親族ご一同様&友人ご一同様、計20名ほどでミニバスに乗り教会へ。
祈りをささげた後、記念撮影でまたバタバタ。
インドの方々は、日本人以上に記念撮影がお好きなようだ。



いったんダンナさんの実家に戻り、休憩&食事。
そうこうしている間にも、人がどんどん増え続け、家中人だらけ。
インド人は、ホントウにイベント好きらしい。

その後、披露宴会場に向けてバス3台ほどに分乗して出発
向かう途中でも知り合いらしき人を拾い、人数はさらに膨れ上がる。

披露宴は午後5時からスタート予定だったけど、
会場に着いたのは既に5時半近く。
だけど慌てるふうでもなく、『とにかく一息入れよう』というノリ。
実際は7時頃からスタートした。

まず、会場に牧師さんをよんで誓いの儀式。



神妙な雰囲気の中で無事終了。

その後ガーデンパーティへ。

新郎新婦はホテルの庭に作られた壇上で、ずっーーと来客たちと記念撮影。

インドの方々は、イベントのみならず記念撮影も好きなのだ。

今回は新婦側の来客はあたしと父、あたしのダンナの3名だけど、
通常は新婦の招待客がたくさんいるので、
この宴は2日間続くのだそうだ…

ここでも日本人は珍しいらしく、
たくさんの人に声をかけられ、なぜか一緒に記念撮影。

こうして丸々1日がかりのこの旅の最大のイベントは、終了
全然【踊るマハラジャ】ではなかったけれど、面白かったなぁ

翌日、来るときと同じようにKuala Lumpurを経由して日本へ帰国。
途中すごく疲れてしまったけど、まさに未知との遭遇を体感した旅。
海外は行き慣れたつもりだったけど、
まだまだカルチャーショックな出来事ってあるものなのだ

また、呼ばれるかな、インド。
今度はもっと余裕を持って、出来事を受け止められそうだ。



今年も、
1月のオアフ島、
4月のミネアポリス~ナイアガラ~シカゴ(これは仕事がらみ)
5月のバンコク、12月のインド。
国内は6月の沖縄本島、10月の小笠原と、
色々な場所を旅してきた。
来年もまた素晴らしい旅ができますように

インドばたばた紀行-結婚式準備編

2006-12-30 00:09:20 | 
【12月13日(水)~14日(木)】

今回の旅の最大目的は、観光ではなくて妹の結婚式に出席すること。
ダンナさんはMaduraiの出身。
だから、Maduraiまではるばる来たのだった。

Maduraiは今まで立ち寄ったDelhiやChennaiに比べてのんびりしている。
いわゆる、地方の都市という感じ。

13日は、妹のダンナさんのお母さんと妹さんとサリーを買いに行った。
もちろん妹がメインな訳であるが、遠く日本からやってきたあたしにも、
是非着なさいと勧めてくれた。

インドの人は、買い物の際、たくさん見るけど気に入ったものしか買わない。
日本人のあたしは、『試着しちゃったし…店員さんに悪いし…』と思って、
着ないものを買ってしまうことが多々(というほどでもないけど)ある。
しかーし
インド人は、『100着見たって、気に入らなければそこでは買わない』のだ。

サリーを選び終えたあたしは、暇になって店の前から街角の写真をパチリ。



ゴミゴミごちゃごちゃ
まさにNo Rule。

お母さんと妹さんがまだまだ選び終えていない。
インド人は基本的にせっかちだが、人を待たせることは平気なのだ。

お腹がすいたので、妹のダンナさんにお願いして近所の食堂へ。



インド滞在中は、このバナナの皮にとってもお世話になりました。
しかも、手で食べるっていうのは、病み付きになるわぁ
手で食べるって、すごく楽しい。

結局、この日はサリーを選ぶのに8時間くらいかかり、
夕方6時にあたしのダンナの腹痛により、解放…



翌日は、
まず、あたしのダンナのクルタ(インドの伝統的な服)を買いに洋品店へ。
日本人が来るのが珍しいらしく、店員さんがみんな見物に来てしまった。
うーん、ちょっとした芸能人気分
その後、ハヌマーンを祀っているヒンドゥーの寺院へ。
寺院の名前は聞き取れなかった…

寺院の横の小屋で象を飼っていた。
飼育係が手招きして「見においで」と言ってくれたのでそばに行った。


しかも、『背中に乗っても良いよ』とな

喜び勇んで背中に乗ったあたし。
毛が短くて、相当剛毛。
足に擦り傷がたくさんできたけど、嬉しくて気にならない。

お礼を言って帰ろうとすると…
「100ルピー(約330円)」と手を差し出す飼育員さん。
あぁ、ここでもか…
なぜ最初に言わないの~
象さんの餌代になるなら…と、100ルピーを渡した。

その後、手にヘナでボディーペイントするためにビューティパーラーへ。


蚊の飛び回る店内で2時間。


できあがりはこんな感じ。

この後妹は両手両足にペイントしたため、4時間かかった。
きつーー

夕方、妹が終わるのを待っている間、Maduraiで一番有名な、
Sri Meenakshi Templeへ。
ここは魚の目を持つミーナークシ女神を祀っている。

異教徒は、神殿の一番奥まで入れないけれど、ものすごくパワーを感じた。
屋内でも石畳が暖かく、手の先がビリビリする感じ。
あたしは今までそうした感覚を受けたことがあまりないのだけれど、
ここは明らかにパワーがすごい。
異世界に迷い込んだような感じ。



人々の祈りのパワーなのだろうか。

余談だけれど、インドでは街中のいたるところに動物が転がっている。
一番多いのは、牛とヤギ。
でも、らくだも普通にいる。
すごいなー、インド。



インドばたばた紀行-Chennai編

2006-12-26 21:51:27 | 
【12月12日(火)】
Chennaiでは、2日連続の寝不足によりほとんど観光できなかった…

それでも少しは歩いてみようと、
正午頃から夕方のMadurai行きの飛行機まで、ちょっと市内をぶらぶら。


まず、San Thome Cathedral。
キリスト教の12使徒の、聖トーマスのお墓の上に建てられたと言われている。

ここで車を降りたとたん、1人の青年が寄ってきて、
礼拝堂はこっちだから、と手招きしてろうそくをくれた。

導かれるままに青年の後ろをついて行き、礼拝堂の中を通り、
聖母マリアとキリストの像が飾ってある小さい建物の中へ。
ろうそくに火を点して燭台に立てたところで、ドネイションを要求された。
インディアンルピーで出そうとしたところ、

「US Dollar, Please」


やられた

どうも無宗教の日本人は、教会等に悪い人間がいるはずないと
信じてしまうようだ。

その青年は、そのまま無言で小走りに立ち去った…
あたしの差し出したドネイションを持って。
そんなに大きな額ではないけれど、ちょっとショック…

きっとキリストは、彼の神ではないのだろう。うーん


その後、ベンガル湾を望むMarina Beachをぶらぶら。


この日のChennaiの日中の気温は30℃くらい。
日本人なら、こんな海岸では水着のはず…
でも、インド人で泳いでいる人は少なかったなぁ。

そして、空港へ。
相変わらず飛行機はDelay。
乗客が係員に詰め寄っていた。
おーい、Air Deccanさんよー。
いい加減にして欲しいな
と思っていたら、40分ほどのDelayで飛ぶことになり、一安心。


空港の窓から夕日を望む。
キレイに見えるが、スモッグでかなり空気は汚い

Madurai空港に着いたら、妹のダンナとそのご一行様がお出迎え。
インド人ってホントウにイベント好きだよな…

その後、ひとしきりウェルカムパーティー。
おーい、眠いんですけど…

インドでの最大の記憶は寝不足である。

インドばたばた紀行-飛行機は常にDelay編

2006-12-21 22:12:24 | 
【12月11日(月)】

本日はのんびりDelhi観光。


とりあえずホテルで普通のBuffet形式の朝食をモリモリ食べてから、Indian Gateへ。


ここは第1次世界大戦の戦死者13,500人を祀ってあるところ。

そして、フマユーン廟へ。




ここにはムガール帝国第2代の皇帝フマユーンを始め、約150人ほどの人々が
眠っているんだそう。

それから、クトゥブ・ミナールへ。


この塔は、奴隷王朝時代のスルタンが、
ヒンドゥー教に勝利したことを記念して建てられたとか。
もともと高さは100mあったけど、飛行機事故で現在の72.5mになったらしい。





そして夜7時半の飛行機で、10時にはChennai着…
の予定だったのだが。

まず、空港で30分遅れるアナウンス。
まぁ、30分なら…と思っていたら、ボーディングのアナウンスがあり、
飛行機に乗り込んだ。



一向に飛行機は飛ばない。
1時間ほど機内でイライラしながら過ごした。

そして、散々待たされた挙句聞こえてきたのは…
「飛行機にエンジントラブルが見つかったため、降りてください」という
アナウンス

はい
エンジントラブル
散々遅れている間に、なぜ機体のチェックをしておかなかったのさ

で、仕方なく降りて待合室までのシャトルに乗る。
なぜか、ArraivalのBaggage Claimで降ろされた。
他の乗客が、航空会社係員にこれからどうなるんだと聞くが、
分からないの一点張り。
だんだん声が荒くなる乗客たち。
もう、すっちゃかめっちゃか。
しかも、Arrivalで降ろしてしまったため、
もう一度Departureに行くには航空券の発券が必要だと言われ、
再度カウンターへ。

「2歳のコドモがいるんだ
「どうなっているか説明しなさいよ」
と騒ぐ乗客たち…
一向に代替機が見つかった気配はなし

疲れもピークに達した11時、代替機が見つかりChennaiへ。
結局、Chennai着は4時間遅れの深夜2時。
ホテルへは深夜3時着…

今夜も結局夜ご飯は食べられず。

そして、この旅行期間中に計3回国内線に乗ったのだが、
1回として時間通りに飛んだことがなかった。
恐るべしインド。


インドばたばた紀行-Agura編

2006-12-20 21:49:04 | 
【12月10日(日)】

この日は、妹の結婚式以上に行ってみたかったTaj Mahalへ、いざ

朝6時にガイドさんに連れられ、ホテルを出発。
New DelhiからTaj MahalのあるAguraまでは、車で5時間かかる。

朝6時…
まだ日の出前。
寒い…まじで寒い…この時期、Delhiは最低気温7℃くらい。
吐く息が白い。
前日あまり寝てないから車で寝ようと思ったけど、寒すぎて眠れない。

途中で朝食をはさみ、11時頃Taj Mahalのそばへ到着。

Taj Mahalはムガール帝国第5代皇帝のシャー・ジャハーンが
愛妃ムムターズ・マハルのために作ったお墓である。
2万人の人足を使い、22年の歳月をかけて作られた。
作った後、技術が他へ流出しないように、
2万人の人足の両手首を切り落としたという話が残されている。

Taj Mahalに着いたは良いけど、
あたし達のガイドさんがさらに知り合いのガイドさんから聞いた話によると、
「これから外国の要人がTaj Mahalに来るから、一般人は入れない」

えぇーっっ

「後で入れると思うから、先にAgura城へ行こう」

ホントかよ…と疑いつつAgura城へ。
Agura城はTaj Mahalからヤムナー川を挟んだ反対岸にある。
代々のムガール帝国の王が住んだ城。

実は、Agura城の中には、
Taj Mahalを作ったために国を傾かせてしまったシャー・ジャハーンを、
その息子が捕えて幽閉した塔がある。


これが『囚われの塔』。
ここに幽閉されてから7年後、シャー・ジャハーンは亡くなったそう。
この塔から向こう岸には、Taj Mahalが見えるのであるが、
この日はスモッグがひどくて見えず。



外から見ると、まるで要塞のよう。

Taj Mahalが開くのを待ちつつ、昼食。
その後、変な大理石細工の店に連れて行かれつつ、時を過ごす。

とうとう、Taj Mahalが開いたとの連絡

世界遺産のTaj Mahalは入り口で厳重なボディチェックをされる。
そのため、入り口からは長蛇の列…
すると、ガイドさんが入り口の警察官に袖の下を渡しているのを目撃。
そして、簡単に列に横入り…
うわー
これがインドのやり方かーー



門から入ると、水面に映るTaj Mahalが見える。
4本の塔は、直立ではなく微妙に外側に傾いている。
地震などがあったとき、お墓の上に倒れないようになっているらしい。


大きな窓の周りには、アラビア文字でイスラムのコーランが書いてある。

Taj Mahalは完全なシンメトリーと言われているけれど、
1箇所だけシンメトリーではない場所がある。
それは、ムムターズ・マハルの棺がある場所。
シャー・ジャハーンは、自分のお墓には『黒いTaj Mahal』を作る予定だったらしい。
しかし、幽閉されて建造されることはなかったのである。
そのため、予定外の場所に安置され、一番肝心なところがシンメトリーでは
なくなってしまったのである。
ちなみに、その棺は撮影禁止だった…



Taj Mahalの両脇には、これまたシンメトリーなモスクがある。

Taj Mahalで感じたこと。
それは、『執着することの悲しさ』。


結局、シャー・ジャハーンは、自分の夢を達成することができなかった。



そんなことを考えつつ、Taj Mahalを後にした。

帰りはなんと渋滞に巻き込まれ、New Delhiまで8時間…
着いたのは夜中の2時。

渋滞の原因は、街中のインド人の群れ。
インド人の99%は基本的に【自己主張&仕切りたがり】でできているらしい…
しかし、事故も何もないのに渋滞とは…
トホホ。

結局、夜ご飯も食い逃して就寝。




インドばたばた紀行-Delhi編

2006-12-19 22:16:48 | 
『インドは呼ばれたものしか行けない』らしい。
横尾忠則の本で、そう書いてあった。
幼少のころからオリエンタルなものが好きだったのだけれど、
なかなか呼ばれず、早ン10年。

とうとうインドからお呼びがかかった!
理由は妹の結婚式に参列するためである。
最終目的地をMaduraiとし、Delhiから縦断の旅となった。

【12月9日(土)】
10:30am成田発のマレーシア航空で、まずKuala Lumpurへ。
そこでトランジットして、Delhiへ。
Delhiにはほぼ定刻どおりの10:30pm頃着いた。

ホテルのスタッフが迎えに来てくれていた。
駐車場に向かい車に荷物を積もうとした瞬間、
まるで最初からスタッフとしていたかのような3人組。
荷物を車に載せてくれたが、ここで気がついた。
あ、これが勝手に作業して賃金をねだる人か
「マダーム!」と手を出されたが、とりあえず無視。
東南アジアの国はいくつか旅したけれど、こういうのは初めてだ。

空港の駐車場から出るためにホテルスタッフが駐車料金を払おうとすると…

「何で、いつも料金が違うんだ!」

と、駐車場スタッフとホテルスタッフが喧嘩
うーん、スタンダードのない国、India。

駐車場を出て走り始めると、ひっきりなしにクラクションを鳴らす。
どうもインドでは、クラクションは他人の注意を喚起するためじゃなく、
「ここにいまっせ!!」という主張のために鳴らすらしい。
トラックの荷台の後ろには【Blow Horn】という注意書きが。

他人に気を配ることはしないので、
自分から主張して来いやということらしい。

ずっとクラクションが響き渡る道を1時間ほど走り、New Delhiへ着き、
ホテルへチェックイン。
夜中12時過ぎてもホテルのBall Roomでは、宴会が繰り広げられている模様。

翌日はAguraへ行く予定だったし疲れていたので、とりあえず寝ることにした。



ホテルのロビーに鎮座まします仏様。
仏教徒は、現在インドの人口の0.7%程度だけれど、
どうも観光客むけには、こういうのがインドらしいということか。


Pass it on

2006-12-06 11:46:31 | Everyday Life
多分、8年位前のナイキのCMで使われていた言葉。

Pass it on

『伝承する』という意味。
ある人が次世代へ伝えていく、ということ。
この言葉、大好きです。

忘れちゃいけない大事なことを、次の世代へ。
ハワイアンは、大事なことはHULAに託して次の世代へ伝えていた。

つい最近、職場で2人辞めた人がいた。
逆にあたしは入社したばかり。
ほとんどすれ違い。

その2人から同じ言葉を聞いた。
「俺たちが入社したとき、全然面倒を見てもらえなかった。
だから、俺たちの経験値も残していかない」

悲しい…

自分がイヤナコトされたから、人にも同じことしてやるって、
まるで嫁姑の終わりのない戦争みたい。
だから、あたしは言ったのだ。

「自分がされてイヤナコトだったら、
尚更人に同じ思いを味あわせないようにするのが『人』じゃないの?」
でも、この言葉は彼らには届かなかったと思う。

最近、いじめで自殺する子供たちのニュースが多い。
いやな連鎖は断ち切らないといけないのに、
断ち切る術をあたしたちは知らない。

大事なこと、生き抜くための知恵をPass it onしていきたいなぁ、と
最近強く思う。