Saraの人生右往左往

『人生は長い旅路である』
Saraの“あっちふらふら、こっちふらふら”な由無しごと

シンクロについて考える

2009-05-22 23:26:44 | Everyday Life
シンクロニシティ=共時性。
離れた場所で同時に同じ現象が起こること。
シンクロって言う方が多いかも知れない。

スピ系の人々の間ではよく使われる言葉。
スピリチュアルにハマっていない人は、聞いたことがないかも知れない。
あたしはどっぷりではないけれど、スピリチュアルなものが好きだから、
この言葉はよく聞く。
でも、自分ではあまり使わない。
何故かっていうと、単純に恥ずかしいからだ。
何となく、この言葉は恥ずかしいのだ…

虫の知らせなんかも、シンクロの一種なのかな。
でも、大概のシンクロは自分で作っているのではないかな~と思っている。
人はものを認識するとき、自分というフィルターを通して認識する。
だから自分がいま興味を持っていたりするものは、
情報として入ってきやすい。
一種のカクテルパーティー効果だろうと思う。
自分の興味のあるもの、聞き慣れた言葉というものは、
氾濫する情報の中からでも、耳に飛び込んでくるものなのだ。
90%くらいのシンクロの正体は、コレじゃないだろうか。

こういう風に思っているから、
シンクロと言う言葉を使うのが恥ずかしいのかもなぁ。



楽しむことって?

2009-05-10 21:37:56 | つぶやき
最近のスピリチュアルな人々の間の流行。
それは、『楽しむために生まれてきた』っていう文言だと思う。
でもこれって、悩みを抱えている人からしたら”なんのこっちゃ”だと思う。
そして逆に、それがストレスになりかねないという危うさを持っている。

悩んでどうしようもなくなった時に、人はセラピーを受けに来る。
毎日楽しくて楽しくて仕方がないってときは来ないのだ。
何かを相談しに来ることも、恐らくないだろう。
だから、悩んでいる人に【あなたは楽しむために生まれてきた】って言うのは、
ビミョーな気もするし、助けになるのかどうか不明。

そもそも、悩むってことはそこにその人の学びがあるはず。
そこを乗り越えるのはその人しかできないし、やらないとならないこと。
そして、【楽しむ】って簡単に言うけれど、一体何を楽しむのだろう?
どうやって楽しむのだろう?
諸事情で、すぐに好きなことに着手できない人にとっては、
却ってストレスを増大させることにならないのだろうか?

何を、どうやって楽しむのか。
楽しむために、何を乗り越えなくてはならないのか。
楽しむことだけが善なのか。
苦しむことは悪なのか。
今苦しんでいる人は悪人なのか。
たくさん考えることは悪なのか。
直感だけが善なのか。

あたしだったら、そこをはっきりさせてくれないセラピストには、
何も相談しないだろうな~


力強いハワイアン・ミュージック

2009-05-02 23:10:01 | No music, No life!
フラとハワイアン・ミュージックは誤解されている。
フラのイメージって、くねくね踊っているっていう感じらしい。
すごーく楽そうに見えるようだけれど、実は大変(苦笑)。
ずっと中腰だから太ももはパンパンなのだ。
フラを始めてから、1サイズは太くなったしなぁ…まさに太い腿。
カヒコをやっているから仕方ないけれどね。

ハワイアン・ミュージックも誤解されているんじゃないかな。
南国のリゾートミュージック。
そんな感じに思われていると思う。
これは、恐らくエルビス・プレスリーのせいだろうなぁ。
ブルーハワイのイメージが強すぎだんだと思う。
もともとのハワイアンは、打楽器とメレ(歌)のシンプルなもの。
歌う内容も自然の美しさ、人々の愛、神々への賛歌が多いけれど、
いかんせんハワイ語だから、理解するのが大変なのだ。

本当のハワイアン・ミュージックは力強い。
それを再確認させてくれたのが、Sons of Hawaiiだった。
ギャビー・パヒヌイ率いるSons of Hawaiiは、
ハワイアンの純朴なスピリットを体現しているような音楽だ。
あのライ・クーダーもギャビーの影響を受けたと公言している。
ライ・クーダーの【Chicken Skin Music】は、
ハワイアンをライ・クーダーがうまく消化していて、大好きな1枚だ。

ギャビーは写真でしか見たことがないけれど、
顔立ちから見ても純血に近いハワイアンなのだろうな~と思う。
ハワイは自分たちの文化に本当に誇りを持っていて、
それを伝承しようとする姿勢が清々しい。
そして彼のスラック・キー・ギターと歌声は、
ハワイアンの力強さを表していて、本当に素晴らしいのだ!!
こういう音楽でワヒネ(女性)ではなく、カネ(男性)が踊るのを見たいな~