Saraの人生右往左往

『人生は長い旅路である』
Saraの“あっちふらふら、こっちふらふら”な由無しごと

8月最後の日

2008-08-31 22:41:00 | Hawai'ian Mana Card
今日は8月最後の日。
今年の勢いを象徴するかのように、盛りだくさんだった8月。
高野山に行ったり熊野に行って沢登りをしたり、
熊野で魂の故郷の仲間たちに再会したり、
見えない大学で法螺を吹いたり、
フラ・カヒコだけでなくフラ・アウアナを始めて5曲を1か月で覚えたり…

サロンも少しずつお客様に来ていただけるようになった。
ロミロミするのが大好きだー!ということをはっきり認識した。
始める前は、人にマッサージを提供するなんて苦痛かも…って思ったけど、
実際やってみると、カウアイ島で感じたALOHAが甦ってきて、
とても幸せな気持ちになれることに気がついた。

今月は心惹かれるものに惜しみなく手を出してみた月。
会社員だった去年の鬱々とした8月とは、ずいぶん対象的だった。
とにかくワクワクしながらいろんなことをこなしていった。

気候もそれに合わせたのかアップダウンの激しい月だった…
昨日までは傘を手放せなかったけれど、
今日はダンナと区民プールまで行けるくらいの青空が広がった。
夏休み最後の日って感じ。

そんな8月に何を得たのか、マナカードに聞いてみた。
出たのはHUNAとPOLI'AHUだった。
8月1日に引いた8月のテーマカードは、Ka Wai A Ka Pililikoだった。
どれもダイナミックな動きよりも、静かなエネルギーを感じるカードだ。
8月にあたしが感じていた大きな動き、その中でも、
しっかりグラウンディングできていたのかな。
動きに目を奪われることなく、自分自身のエネルギーを向ける方向、
それをしっかり見ていることができたのかも知れない。

腹を括ることと自分に課してしまった制限を取り払うこと。
それができたのだとしたら素晴らしいことだ。

そう言えば、パシフィックエッセンスの【22Day Abundance Program】も、
今月の半ば過ぎに無事終了した。
この期間中、自分の心の中をしっかり見つめ、不思議なシンクロも体験した。
8月のマンスリーカードはMamalahoeだった。
自分が進もうと思っている方向への通行はすべて許可され、
安全も保障されていた感じの8月。
物理的なものも精神的なものも、自分の進みたい方向に進んだ月。
Mamalahoeは寂しい感じの絵柄のカードだけれど、
心は軽やかにいて良いんだ。

Yes, Butの法則

2008-08-28 15:32:06 | Everyday Life
束の間の晴れ。
四国は深刻な水不足とか。
東京に降る雨を、持って行ってあげたい。



午前中は晴れたから大急ぎで洗濯、午後は突然の雷と大粒の雨
山の天気より変わりやすい最近の関東地方。

昨夜、お友達のMeiちゃんに、
紫微斗数占星術のリーディングをお願いした。
東洋占星術の一種と言って良いのかな。
生まれた時間と場所から誕生時の星の配置を割り出し、
それぞれの意味を読み取っていく。
そして面白いことに、運勢の流れも分かるのだ。

いろいろ説明を聞いているうちに、
知らず知らず星の導くままに生きてきたんだぁってことが分かった。
Meiちゃんも、いろんな人をリーディングしたけれど、
みんな星の導く方へ知らず知らず進んでいると言っていた。
面白い。

今は、自分がどんな人かというよりも、大きな流れに関心がある。
この先どんな使命が待ち受けているのか、それに関心がある。

そして、Meiちゃんとしばらくおしゃべり。
あたしもカウンセリングやリーディングをやるので、
共通の関心事は『いかにクロージングをうまくうまくやるか』だった。
カウンセリングに来る方は、自分のことを聞いて欲しい方が多い。
もちろん、聞くことがあたし達の役割だ。
でも、締めるところを締めとかないと、こっちが苦しくなってしまう。
そして、最終的に進む道を決めるのはクライアントさん自身。
それをサポートするのがあたし達の仕事だ。

Meiちゃんの師匠いわく、カウンセリングを引っ張る人は決まっていて、
そういう方法を『Yes, Butの法則』と言うらしい。
『はい、分かりました。でも…』という感じで話が戻るのだ。
あぁ、なるほど。

そう言えば以前営業をやっていた時、上司から言われたのは、
『とにかくお得先の話を聞け。
商品の説明なんてしなくて良いから話を聞け』ってことだった。
友人の中にも自分の話ばっかりする人もいるし、
みんなそれだけ自分を理解して欲しいという欲求があるのだろう。
ちょっと寂しい世の中だ。

でも、これで悩んでいる人、多いんだなぁ。
あたしだけかと思ったけど
自分の気持ちと、人の役に立ちたいと言う気持ちのジレンマに陥るってことかな。
なかなか難しいものである。


思いの強さが、現実を作る

2008-08-25 21:43:57 | Everyday Life
昨日、話題の映画?!【崖の上のポニョ】を見てきた。
最初は見るつもりはなかったのだけれど、
公開前にTVでやってたメイキングやポスターを見て、一発KO。
かわいすぎる…
真ん丸でつぶらな瞳。
こういうものに弱い。
そして、海の世界。
【ファインディング・ニモ】も大好きだった。

前売りチケットを買っておいたのだけれど、
ブームが少し下火になってから見ようと思って、
8月も終わりに近づいた昨日見に行った。

見ている間中色んな思いが頭を駆け巡り、最後の方でもうウルウル。
号泣ではなく、ウルウル

思いの強さ、これが自分の人生を作る上で大事なのだ。
人間になりたいさかなの子のポニョ。
その一途な思いが世界を変えた。
そして、自分が思い描く通りに生きていくには責任が伴う。
それを5歳のソウスケが引き受ける。
なんて強いのだろう…

この子たちは、決して『もう駄目だ』とか『できない』とか言わない。
いつも自分の進む方向へ真っ直ぐ進んでいる。
ただそれだけなのだ。
そして、さかなの子が人間になるという不思議な話を、
自然なまま受け入れるソウスケの母、リサ。
まさに、今のスピリチュアルブームそのままの話だ。
失敗しても良いじゃないという母なる海、グランマンマーレ。
失敗しても元に戻るだけだと言う。

現実は自分で作るもの。
自分がエネルギーを向けるものが現実となる。
とってもエネルギッシュな話だった。

映画が終わって、観客席の子供たちが【ポーニョポーニョ】と歌っていた。
今は映画の話が理解できなくても、潜在意識に刻み込まれているだろう。
いつか大きくなって現実と向き合った時、勇気を持って進むのだろう。

もうひとつ思ったこと。
やっぱり体を使った仕事って良いなぁ
体を使って自然や人と向き合う。
株や投資がブームとなり、働かずして儲ける人がもてはやされる時代。
本当にそれで良いのだろうか?
これからは農業や漁業などを保護していく時代であって欲しい。
そんなこともリサやコウイチの姿を見ながら考えた。

それにしても、これが手描きのアニメとは…
この絵の美しさもさすが!
あぁ、良い映画だったなぁ


熊野は再生の地 -その3-

2008-08-24 22:44:44 | 
【8月14日(木)】
朝の2時半起床。
午前2時半って、朝と言うよりまだ夜中。
丑三つ時である。

顔を洗って3時過ぎには出発の予定だったが、和尚様が来ない…
電話してみたら、どうもまだ寝てた様子。
すぐ行くと言うので待つことにした。
熊野の山間部は星がきれい。
天の川や昴、たくさんの流れ星も見える。
みんなで道に仰向けに寝転がって、星空の観察。
と、またUFOらしき飛行物体が…
熊野とUFO、不思議な関係が?!

みんな揃って熊野本宮大社の奥の院である玉置神社へ。
ここの山頂から朝日を見るのだ。
熊野から奥の院まで、車で約2時間。
なんともスケールが大きい。

沈みゆくオリオン座を右手に見ながら、車は走ってゆく。
だんだん明けてゆく空。
明け方のこの空の色が好きだ。

玉置山の駐車場から山頂まで、
砂利が敷いてある道を登るだけかと思っていたが、甘かった…
最初は楽だった道も、10分も進むと本格的な山道になった。
昨日の滝行より、心の準備がなかった分だけ辛く感じた。

ようやく山頂へ。
見事な雲海が眼下に広がる。
左手に朝日。





神様が見る風景…それをほんのひと時でも見られるなんて、感謝。
朝日に祈りを捧げ、鐘を撞いてから法螺の練習。



音が出なかった人たちも、最後には音が出るようになった。
玉置山頂に響き渡る法螺の音。
とても神聖なひととき。
それから、朝食用に持ってきたおにぎりをいただいた。
まじ、うまい!
言葉にできないようなエネルギーをいただいている気がする。


玉置山中腹にある玉石神社。
真ん中の石がご神体だが、これは隕石とも言われている。
ご神体の真ん中に、白い光が写り込んでいた。

それから玉置神社へ寄り、お守りや護符などをいただいた。
宮司さんに、『以前もいらっしゃいましたよね?』と言われたが、
玉置神社は初めて…
なんだか御縁を感じる。

本宮大社に寄り、それから大斎原で波フラを踊った。
やっぱり大斎原はすごいエネルギーだ。
そして山学林に戻り護摩を焚いた。
朝2時半から活動しているので、般若心経を読みながらもウトウト…
般若心経がとても心地よい子守唄だった

護摩焚き後、お堂の中の写真を撮ったらたくさんのたまゆらが。

美しい気に充ちていたのだろう。

山学林で昼食をいただいた後、それぞれの予定に合わせて解散。
あたしはほとけ画師のあやちゃんの車に乗せてもらって中部方面へ。


途中で寄った花の屈神社。
この大きな岩がご神体だが、強い女性性を感じる場所だった。
母の胎内というのは、こう言う感じだろうか?
守られているという安心感があった。

別れがたくいろんな話をしていたら、
最終の新幹線に間に合わないような時間になってしまった
あやちゃんが車をすっ飛ばしてくれて、なんとか間に合った。
車を走らせている間中、不動明王のご真言を唱えてくれた麗子ちゃん、
いろいろ時間を画策してくれたまりこちゃん。
彼女たちのお陰で何とか間に合った。
こういう時間を共有する仲間って、過去から縁があるのだろう。
新幹線滑り込みセーフでゼィゼィ言いつつも、感謝。

こうして無事高野山~熊野の旅が終わった。
不思議に高野山を気に入ったダンナや法螺の仲間たち。
いろいろなエネルギーをありがとう。
そして、今回のワークは、まさに【嬉し愉し】だった。
これからの時代、嬉し愉しで過ごすのが大事なのだとか。
今までのワークでは、どうしても自分の課題を見ることが多くて
辛い気分で過ごすことも多かった。
でも、今回は、楽しい楽しい!それだけだった。
こういうのって良いかも~

これがあるから、旅は止められないのだ

熊野は再生の地 -その2-

2008-08-23 14:27:17 | 
【8月13日(水)】
朝5時起床。
ここ数日、これくらいの時間に起きているので、
まぁ慣れていると言えば慣れている…
朝早く起きると活動時間が長いので、三文の徳と言えるのかも知れない。

7時半頃、行場へ向けて出発!
最初は宝龍の滝へ。



滝壺のところが大きな一枚岩でできていて、
とっても女性エネルギーを感じる滝だ。
ハワイでも、滝は女性性と男性性の融合と見做され、性的な意味も持つ。
この滝のそばで、水を司る弁財天に捧げる真言を奉納したら、
とたんに雨が…
きっと、弁財天様に聞こえたのだろう。
和尚が、ここは舞や演奏を奉納するのにうってつけの場所だと言った。
フラも奉納して良いって
ふふふ。

いよいよ行場へ入る。
一応ザイルなども持ってきているが、とにかく入ってみた。
けもの道みたいな道なき道を行くようなところもあり、
沢をじゃぶじゃぶ渡って行くような道もあり、
間伐材で橋を渡してあるところもあり…
こういう橋も、誰かが作ったものだ。
歩く人が少しでも楽なようにと作ってくれたもの。
そう思うと、感謝の念が湧いてくる。

途中、本当にロープを離したら谷底へ…という道があった。
集中力が切れたら終わりだ。
みんな無言で登ってゆく。

無事全員クリア。



途中、4つの滝を通り過ぎ、無事最終目的地である【再生の滝】へ。
正式な名前は聞いたのか忘れたのか…
ここの滝壺は母の胎内であり、ここに一度戻ることによって新たに生まれ直す。
そういう滝なのだそうだ。



この滝は傾斜がついていて、この滝の上から滝壺に滑り落ち、再生する。
無事滑り終わった人にはみんなで「おめでとう!」と声をかけ、
躊躇する人には、「早くおいでー!」と声を掛け合った。
仲間の中でひとり、本当に足がすくんで動けない人がいた。
みんなが励ます。
意を決してダイブ!
和尚がすかさず浮き輪を持って水に飛び込んだ。

岸で彼女をひっぱりあげると、彼女は泣いていた。
「生まれてくる時って、みんなが待っててくれるんだね」
あたしもその言葉を聞いて初めて思った。
小さい頃、自分が望まれて生まれてきたことを忘れてしまった時があった。
生まれて来なければ良かったと思ったこともあった。
でも、覚えていないだけで、きっと周囲の精霊や魂たちが、
「早くおいで」と手招きし、
無事生を受けた時は「おめでとう」と言ってくれたに違いない。
でも、忘れちゃうのだ、いつの間にか。
そんなことを思い出させてもくれたのだ。

まさに、再生の滝だ。
空模様も何だか変で、晴れているのに雨が降ったりしていた。
でも、それがまた神聖な雰囲気を醸し出していた。

無事みんな下山し、田舎の商店でアイスを食べたりしつつ童心に帰る。
近所の子供たちが泳いでいる川に入る。
年齢なんて関係ないのだ。
自分の行動に制限をかけるのは自分自身。
その枠を外せたとき、新しい一歩が始まる。

夜は酒好きな和尚や参加者たちと、ちょっとビール
ち~こさん主催のワークでアルコールって、かなり珍しい。
しかし、明日は玉置山でご来光を拝むという予定になっているので深酒は禁物。
なんたって、朝2時半起きだもの
2時半って朝じゃないよね、夜中だよねー
さてさてどんな日になるのやら…

熊野は再生の地 -その1-

2008-08-22 19:07:15 | 
【8月12日(火)】
今日は紀伊田辺を後にして、紀伊勝浦へ向かう。
春分の日に沖縄でお世話になった立石光正和尚とち~こさんが熊野で行う
ワークショップに参加するためだ。
ワークショップと言うと軽く聞こえるが、要するに山岳修行だ。
修験僧がやるような本格的なものではないものの、
修行僧が入る行場に入っていくのだ。
ワクワクドキドキ。

紀伊勝浦駅でお久しぶりの和尚様やち~こさん、
お久しぶりの顔も初めましての顔も無事揃った。
3台の車に分乗して、まずは飛龍大社へ。
ここは那智大社として知られる神社で、ご神体は那智の滝だ。





参道で和尚様が法螺を吹くと、観光客が一斉に写真を撮る。
無理もない、普通だったら何かのイベントに見えるよなぁ…
那智の滝は落差133mの大きな迫力ある滝だったが、最近水量が少ないらしい。
地球温暖化の影響か?!

それから熊野速玉大社を経由し、ゴトビキ岩をご神体として祭る神倉神社へ。
速玉大社の境内には、大きな梛の木がある。
この梛の木は【凪ぎ】にも通ずると言うことで、
人生が平穏無事であるようにという願いが込められているとか。
以前は、波瀾万丈の人生とかって文言に惹かれたこともあったけれど、
みんなそれぞれの人生を生きていること、
ふたりと同じ人間はいないということが何となく理解でき始めてから、
平穏無事な人生というものの有難みが分かるようになってきた。

そして、神倉神社は今年の旧暦正月2日にも来たところ。
冬は500段の階段を登るとちょうど体が温まったけれど、
さすがに真夏はきつい…
汗だらだら。



参加者の6歳の男の子や和尚様の4歳の男の子は、元気に登ってゆく。
ご神体の前でしばらく暮れゆく空を眺めたり、法螺を練習したり。
しばらく過ごしてから、さつき温泉へ。



暮れゆく雲が美しい模様を描いていた。
この温泉の帰り、UFOらしき飛行物体を見たのだが、果たしてあれは…??
明日はいよいよ行場へ入るのだ!

真言とは、マコトの言葉なりー! -その3-

2008-08-21 13:38:44 | 
【8月11日(月)】
今日は高野山最後の日。
ダンナは午前9時40分頃のバスで帰京、
あたしは10時15分のバスで紀伊田辺方面へ出て、翌日熊野へ向かう。
高野山の朝は早い。
いつもなら何も活動せずバスに乗るところだけれど、
再度、奥の院まで行ってみることにした。



この日の太陽はとても力強くて、昇り龍のような雲を連れていた。
ダンナの頭上にもたまゆらが。



奥の院の参道は、迎え盆の人で賑わっていた。
水かけ地蔵に水をかけて、今回の高野山詣では終わり。
ダンナと別れて一路紀伊田辺へ。
ダンナは思いがけず高野山が気に入ったようで、
今でも日々あの風景を思い出すと言っている。
来年は久度山からの22kmを歩くとか…ふぇぇぇ~

紀伊田辺へは、護摩壇山で一度バスを乗り換える。
護摩壇山まで1時間、さらに護摩壇山から約2時間。
なのに来たのは普通の路線バス…
トイレとかどうするんだろ…

平維盛が護摩を焚いて平家の行く末を占ったとされる護摩壇山。

風光明媚な美しいところだけれど、悲しい歴史が残っているんだなぁ。

路線バスのシートでは熟睡もできず、着いた紀伊田辺は暑かった…
海風と容赦ない太陽にじりじり焼かれながら、せっかくだから街を散策。



紀伊田辺は武蔵坊弁慶の生誕の地として、
また南方熊楠の永住の地として有名だ。
熊野古道の中辺路の玄関口でもあるし、それなにりに見どころはあるようだ
が、熊楠の記念館はお休みだった…

蟻通(ありとお)神社は空気の凛とした、小さいけれど素敵な神社だった。



海水浴場になっている扇が浜で、足を海につけて浄化。
夏休みの海水浴場は、たくさんの人人人…
それでも江の島の10分の1もいないかも。
良いな~



弁慶の父が、平家につくか源氏につくかを闘鶏で占った場所とされる闘鶏神社。
弁慶が使った産湯の釜が保管されているらしい。
1500年の歴史を持つ神社だそうだ。



あまりの暑さにぐったりし、いったんホテルに戻ってビールを
それから、高野山では雷雨のために拝めなかった夕陽を見に、再度扇が浜へ。
高野山は朝日夕日100選に選ばれた土地がたくさんあったのに、
それを拝めずじまいだったのだ…



石塀にはたくさんのひとが座って夕陽を見ていた。
刻々と表情が変わる空。
まるで神様の贈り物のようだ。
さて、明日からは修験僧の行場に入って山岳修行!
さてさてどんな体験が待っているのやら。

真言とは、マコトの言葉なりー! -その2-

2008-08-20 13:24:17 | 
【8月10日(日)】
昼間は東京と同じくらい暑くても、朝晩はとっても涼しい。
半袖では寒いくらいの高野山。
午前5時起床。
そして午前6時から勤行を行い、7時から朝食。
いつもなら早起きできないダンナも、文句も言わずに起きてきた。

勤行後の説法で、真言宗の真言の意味を教えていただいた。
真言とは真(まこと)の言葉なり。
言葉には力があるということが真言の意味だそうだ。
いわゆる言霊と同じと思って良いのかな。
良い言葉、力のある言葉を発せばその通りとなり、
悪い言葉、力のない言葉もまた然り、みたいな感じ。
これを聞いてからダンナは、「無理」とか「できない」とか言わなくなった。

シンプルでおいしい朝食をいただき、外高野を巡るトレッキングへ。
出発地点は奥の院の脇の小道。
この先諸般の事情により、奥の院へ合計5回も来ることになるのだった…



それにしても、前日に御廟にて手を合わせたときに感じたのは、
空海=弘法大師様は、まだこの世にいるということだ。
まだここにいらして、この地を守っていらっしゃる。
それくらいパワフルな空気を感じた。

さて、出発。
女人堂を巡る全長8kmちょっとの山歩き。
所要時間3時間半程度。



めちゃくちゃきついわけではないけれど、それなりにきつい。
前日の大雨でぬかるんだ道は滑りやすいし。
湧水が道に流れ込んでいる個所もあり、慎重に歩を進めた。



女人堂とは、高野山が女人禁制だった時代に、
ここに女性はとどまって、祈りを捧げた場所のようだ。
昨日の雨とは打って変わった晴天、めちゃくちゃ暑い。

そして、高野山の山には蛇が多い。
この日も3回蛇を見た。
1回は向こうも逃げずこっちも逃げずでにらみ合い。
結局蛇が根負けしてくれて、山歩き続行。

途中で道をどうやら間違えたらしく、結局踏破ならず…
道といっても道なき道のような場所も多いので、
どこで間違えたのかも定かではないけれど、
出発から2時間後、振り出しの奥の院に戻ってしまったのだ…
ホント、衝撃的。
狐につままれたとはまさにこのこと。

時間も時間だったので、街中でお昼ご飯を食べることに。
この頃からまたしても空模様があやしくなり始めた。
食堂に入ったら、本降りの雨が降ってきた。

雨は降ったり止んだりで、止んでいるときは夏の空。
晴れ間を見計らって金剛峯寺へ。



それから、踏破できなかった女人道を逆から回ってみようということになり、
坂口女人堂へ向かった。
ここは女人堂が現存するところだ。
ここについたとたんにまた本降りの雨。
しかし、日は出ているので狐の嫁入りだ。



小雨になったところを見計らい、また山道へ入った。
結構きつい坂を登ったり降りたり。
30分程度で大門まで出た。
途中、素晴らしい景色を眺めたりしつつ、踏破していないのに満足感。

汗みどろになったので、夕飯前にお風呂に入りたくなり宿坊へ戻った。
朝5時から活動していたので、午後4時でも十分動いた充足感があった。
これが早起きは三文の得っていうことなのかな?

真言とは、マコトの言葉なりー! -その1-

2008-08-19 20:57:41 | 
大人の夏休み in 高野山。
1か月ほど前、ダンナと熊野に行く計画を立てていたのだけれど、
突然高野山のガイドブックが目にとまり、高野山へ行くことにした。
行ってみたら、なんだか凄いぞ、高野山!
ダンナはすっかり虜。
高野山はとってもパワフルな聖地だった。

【8月9日(土)】
2泊3日高野山の旅、初日。
朝8時20分の羽田発のJALで関空へ。
関空から南海鉄道を乗り継いで、最後はケーブルカーで高野山へ。
ケーブルカーの中は、半分くらいが海外からの旅行者だ。
海外の人にも興味深く映る、仏教の真髄って感じなのかな。
とは言え、あたしも高野山も真言宗についても、ほとんど何も知らない。

高野山は、約1200年前に空海が開いた仏教の聖地だ。
空海がここを開くときに一番最初にしたことは、
ここに結界を張ることだったそうだ。
その結界は今も有効なのか、高野山内に入る時に空気の感じが変わる。

高野山は、日本人なら一度は耳にしたことがある地名だけれど、
ガイドブックの情報量も少なく、なかなか計画が立てにくい。
しかし、行ってみてしまえば何とかなるものだなぁ。
行きたいと思った場所は、何らかの縁があるところ。
その御縁が確かなら、案外スムーズにたどり着けるものなのだ。

朝4時からお米3合炊いて作ったスパムむすびを食べつつ、
宿泊する宿坊の【大圓院】に着いたのは午後1時半ごろ。
チェックイン時間前なので荷物だけ預かってもらおうと思ったら、
お部屋の用意ができているので、そのままチェックインしてくださいとのこと。
ありがたい



部屋に通され、ダンナは大好物のスパムむすびの続きにぱくつく。
そして、高野山の入口の大門から空海の御廟である奥の院まで、
約4kmの道のりを歩こうということになった。

まず、大門へ。
大門は、高野山の西の端だ。



この頃から、ちょっと雲が出始めた。
ネットで調べた気温よりずいぶん蒸し暑い。
高野山で避暑のつもりだったけど、歩いていると汗がだらだらと…

それから来た道を戻り、壇上伽藍へ。
ここは何故かとっても惹かれ、行かなくちゃーという気持ちが強かった。



空海が、真言宗の根本となる場所を探していた時、
唐から三鈷を投げて落ちた場所がここだったと言う。
そのため、ここに空海は根本大塔を建立したのだそうだ。

金堂では8月7日~13日まで不断経を奉納していて、
朝8時頃~夕方まで、高野山内の寺院の僧たちが代わる代わる経を唱えていた。
お堂の入口に、身を清めるために塗香が置いてあった。
それにしても、壇上伽藍の何とも言えない空気!
素晴らしく、静謐な感じ。

それからミャンマーの寺院などを巡りつつ、奥の院を目指した。
奥の院の参道の入り口である一の橋から大師様の御廟まで約2km。
参道の両脇には約40万基とも言われるお墓があり、
戦国時代の大名や、現代の名家の墓も多い。
武田信玄、上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉…など。
それを見ながら、大きな杉の木の間を歩いて行った。


上杉謙信の霊廟。

ここらで本格的に雷が鳴り出した。
結構近い。
御廟の手前50mくらいで、ぽちぽち大粒の雨が…
御廟の入口で本格的な大雨になった

空を暴れまわる龍神達。
この時点で午後4時過ぎ。
宿坊の夕飯は午後5時半。
止むかな~と思っていたけど、龍神さまの祝福は治まらず。

午後5時過ぎ、奥の院の僧侶が貸し傘をたくさん抱えてやってきた。
それを借りて帰ったものの、3km近く歩くうちにびしょ濡れに…
夕飯の時間に間に合わなかったことを詫びたら、
『天気のことは、人間にはコントロールできませんから』と宿坊のお坊さん。



着替えて一息ついて、精進料理の夕飯。
宿坊ではビールも注文できるので、ビールを飲みつつゆったり。
お肉を使わなくても、ここまでお腹いっぱいでおいしいものができるんだなぁ。
うちに帰ったら、ちょっと見習ってみよう。
それにしても、高野豆腐がおいしかった。

食後にお風呂に入ってから、濡れた服を洗いにコインランドリーへ。
高野山内に1軒あると言うそのコインランドリーは、
小坊主さんでいっぱいだった…
中学生くらいの坊主頭の小坊主さんたちが詰まったコインランドリー。
結局洗濯は諦めたけど、あのコインランドリーを思い出すと今でも笑える。

盂蘭盆と終戦記念日

2008-08-15 21:59:38 | Everyday Life
今日は旧暦の盂蘭盆で終戦記念日だ。
63年前の今日、日本は太平洋戦争で降伏した。
たくさんの命が奪われた太平洋戦争。
一番の供養は、戦争を繰り返さないことだ。

高野山~熊野修験のたくさんの神様に囲まれた1週間の旅から、
昨夜遅く帰ってきた。
そして今日は、深川不動尊~富岡八幡宮へ。
ダンナのご先祖さまの供養と、
この1週間守っていただいた不動明王へのお礼のためだ。



朝晩は秋の空気が濃くなってきたと言えども、まだまだ日中は猛暑が続く。
また汗みずくになりながら自転車を漕いで行った。
途中でいくつかお神酒所があった。





何故かと言えば、今日から富岡八幡宮の例大祭なのだ。
しかも3年に1回の例大祭。
例祭は毎年あるけれど、例大祭は3年に1回。
江戸っ子じゃなくても血が騒ぐ。

盂蘭盆会に出席後、富岡八幡宮へ。
ちょうど子供神輿が御渡の時間だった。



神輿を担ぐのも、やってみたいもののひとつ。
子どもたちは元気に鳥居から出て行った。

日本が昔から育んできたものにたくさん触れている今日この頃。
日本はつまらないと言う人も多いし、
実際あたしも20年くらい前はそう思ったこともあった。
でも、今は日本に生まれたことを感謝する。
日本は世界の縮図。
日本が目覚めれば、世界が目覚めると言う。

日本の役割は、大きいなぁ。


08年08月08日

2008-08-08 19:18:53 | Everyday Life
末広がり!!
日本人も中国人も好きな数字。
なんだか8月6日~9日にかけて、とても強いエネルギーを感じる。
人がたくさん移動するからなのかな?

今日は北京オリンピックの開会式だ。
様々な問題に対し、まるで【臭いものに蓋】をするようにして、
とりあえず取り繕って準備した感のあるオリンピック。
オリンピックをこんなに複雑な気持ちで眺めるのは始めてだ。

スポーツ観戦は面白いから好き。
予測できない様々な出来事もあるっていうのもあるけど、
単純に鍛え上げられた美しい肉体がパフォーマンスするのを見るのが好き。
同じように、音楽のステージやダンスパフォーマンスも好き。
だから、今までのオリンピックはワクワクしながら見ていた。

今年はちょっと複雑…
急激な経済成長を遂げた国は、あちこち歪みが出ているようだ。
家を追われた胡同の住人たちはどうしたのだろう。
体勢を取り繕うために迫害されたチベットの人々は、今どうしているだろう。
新疆地区の人々は?

お祭り騒ぎの裏で何が起こっているのか、
しっかり見ることを求められているオリンピック。
これはひとつのきっかけなのだろう。
嫌な問題からは目をそらしたいけれどそらしちゃいけない。
これは中国だけの問題ではなくて、地球に暮らすみんなの問題だから。


63年前

2008-08-06 22:51:45 | Everyday Life
朝起きたら、空気の中に秋の気配が潜んでいた。
日中はまだまだ信じられないくらい暑いけど、
空がちょっとだけ高くなった。
明日は立秋。
ちょうど夏至と秋分の中間地点。
昨日の豪雨が、夏を少し洗い流してしまったのかも知れない。

63年前の今日8月6日、広島に原爆が落ちた日。
朝のNHKの中継とともに黙想。

人は、自分の生き方、そして死ぬ時期まで決めてから生まれてくるという。
原爆で犠牲になった方々は、その崇高な精神によって、
世界に平和とはいったい何か?という重い疑問を、
問いかけるために生まれてきたのかも知れない。
それでもこれだけ大勢の人が問いかけをしなければならないほど、
世界は自分勝手な方向へ進んでいたのだろう。

原爆ドームのそばにある、
【安らかにお眠り下さい。過ちは繰り返しませぬから。】
と書かれた石碑が映った。
そうだ、この犠牲になった方々の欲していることは、
供養してほしいとか憐れんでほしいとかではない。
過ちを繰り返さないという決意、そして祈りなのだ。

この方たちの魂に、愛と感謝を捧げなければ。
そんなことを考えていたら、涙が出てきてしまった。

ありがとう。

そして、この世界を、人間の勝手な都合で壊したりしないから。
これは決意です。


The card of August

2008-08-04 23:03:20 | Hawai'ian Mana Card
8月のマンスリーカードを引いた。
って言っても、4日前のはなしだったりして…えへへ。

8月は【Mamalahoe】。
これは法律の名前で、折れた櫂の法律を指す。
法律は、ハワイ語でKanawai(カナヴァイ)。
これは、老人、女性、子供を含むすべての人に対して、
通行の安全を保証するという法律だ。

あたしは、7月のKa wai a ka pililikoも、このMamalahoeも、
良く引くカードのうちの1枚である。
7月は内観、その内観後の進む道は正しいというメッセージと受け取れる。

迷いは常に生じる。
自分にとってこの道は最善の道なのだろうかと迷う。
あたしも会社員を辞めて脱サラしたのは、正しかったのかと迷っていた。
でも、正しい道なんて、実は誰も教えてくれない。

自分で選んだ道だけれど、迷うことはある。
その迷いさえも実は学びなのだ。
自分を信じること、他人のせいにしないこと。
簡単そうに見えて、相当難しいことだと思う。

8月のMamalahoe、通行は許可された。
あとは自分の胸先三寸ってことかな。


心の水面の奥をじっと見つめる

2008-08-03 23:31:12 | Hawai'ian Mana Card
以前の仕事では英語を使うことが多かったので、
割とカッコイイ言い回しなど、会話にちょっと混ぜたりできた。
しかし、英語に触れることが少なくなってから、
英語の文章を組み立てることがちょっと苦手。
読んで訳すのはまだできる。

きっとエエカッコしいなあたしの性格が邪魔して、
「素人英語」とか思われたくないがために、喋れなくなってるんだろうな…

そういう時に限って、【彼】からメールが来る。
【彼】とは、デンマーク人の友人で前世で深い縁があった人だ。
多分、あたしの修道院時代の上司か、お兄さんだったはず。
いっつもそんなタイミングでメールが来る。

今回は、今あたしがやろうとしていることについて質問だった。
1回目のメールで相当おざなりな返事をしてしまったのが運のつき、
詳細な説明を求められた。

日本でブームの整体やリラクゼーションがらみの産業は、
ヨーロッパでは医療の分野に入るので、物凄く説明が難しい。
でも、なんとかかんとか説明のメールを送った。
しかも、10年前の自分の決意なんかも思い出したりして。
なぜ、こういうことに興味を持ったのかまで説明した。
こちらの誠意が伝わったのか、ようやく納得してくれた。

ありがとう、Peter。
いっつもあたしが投げやりになると、喝を入れてくれて

人に何かを説明しようとし、それを真剣に理解してもらおうとするとき、
それは自分の心と向き合うチャンスでもあるのだ。
日常生活では照れくさくて冗談でごまかしてしまうことも多いけれど、
その癖がつくと自分の心が見えにくくなる。
たまには真剣に文章を書くことも必要なんだなぁ。

7月のマンスリーカードは、【Ka wai a ka pililiko】。
心の目で真実を見つめること。
月末にそんな大きな課題を達成させてくれた前世の友に感謝。

余談だけど、英語で文章を書くとき、
なるべく「I」から始まる文章は避けるようにしている。
これはアメリカ人もヨーロッパ人もそうなのだ。
自己主張が激しいと言われる欧米人だけど、
「I~~」という文章は、
自分のことだけしか考えていないみたいに見えるから避けるらしいのだ。

日本人は逆に最近「私は~~だから」という言い方をよくする気がする。
自分自身を枠にはめてしまうと、自分の世界が狭くなる。
個性や自己主張の時代と言われるけれど、
自分の存在は人との関係性の中で育まれていく。
そんなことも再認識した【英語の授業】だった