Saraの人生右往左往

『人生は長い旅路である』
Saraの“あっちふらふら、こっちふらふら”な由無しごと

東京砂漠…なのか?

2008-12-16 23:48:40 | Everyday Life
最近、地方出身で東京に住んでいる数名の知り合いから言われたのは、
【東京は○○だから…】。
この○○には、ちょっとネガティブなニュアンスの言葉が入る。
これを聞くと、とっても不思議に思う。
じゃあ、なぜ東京にいるの?

あたし自身、東京出身ではない。
両親は寒い地方の出身で、幼い頃は父の転勤が多く全国を転々とした。
その後両親は東京近郊に家を建て、そこを終の棲家とした。
あたしはその家を出て、現在は都内にいる。

幼い頃から引っ越しが多かったせいか、
どこに行ってもその土地に順応するのが早い方だと思う。
以前の土地を恋うこともないし、
今の土地を蔑むこともない。
かと言って、東京最高!!という気持ちもない。

その土地にはそれぞれ良さがあり、それを見つけた方が住みやすい。
相手を途絶すれば、相手にも拒絶されるのは、土地も同じ。

故郷に誇りを持つのは素晴らしいのだけど、
他方を蔑むことで他方の素晴らしさを強調するのは、
いかがなものかな~
と、今、東京都民のあたしは思うのである。


月夜

2008-12-13 23:17:14 | Everyday Life
今日は月と地球の距離が、一年のうちで一番短くなる日だった。
その距離は35万6567km。
満月の日はいつもなんとなくウキウキと、上がった状態になる。
だからこそ、ヨガを行じることが禁止されてしまうんだろうな。
月の人間にもたらす影響力は大きい。

その影響は昨日大きく感じていた。
満月時刻が深夜1時38分だったということも関係しているのか、
午後からなんとなくウキウキ。
そのウキウキ状態で深川不動尊に護摩修行に行って帰ってきたら、
目の前に東の空に昇り始めた大きな月が見えた。



満月時刻の9時間前くらい。
肉眼ではほとんど満月に見える。
振り返ると夕暮れの空。



家に帰ってから天気予報を調べたら、今日の午後は曇りの予想。
満月を見るためには、深夜起きて見るしかなさそうだった。

そして、13日午前2時。
窓から空を見上げたら、本当に明るい。
確かに月と地球が近いのを感じる。
師走の金曜日の深夜2時。
忘年会帰りらしい人たちが、結構タクシーで帰ってくる。
あまりの月の美しさに、思わず外に出て1時間くらい散歩してみた。
夜中にうろつく髪の長い女性…
タクシーの運転手さんは怖かったかも。



深夜3時ごろまで散歩して家に帰り、再び横になった。
たくさん浴びた月の光が、家の中に入っても感じられる。
目をつぶると白い光が体中に降り注いでいるのを感じる。
今までの満月では、ここまでパワフルな体験はなかった。
やっぱり距離が近いと、体に感じる月のエネルギーも大きいようだ。
月の光を感じていたら、一昨日くらいから強く出ていた腰痛の症状が消えた。
力強い癒しの光。



こうやっていると、人間も宇宙の一部であることを思い出す。
何か大きな力があることを感じられる。
美しい月の光。
今年最後のギフトをいただいたみたいだ。

2008-12-12 22:35:26 | No music, No life!
♪波に抱かれて潮の歌を歌えば、
涙がほろほろこぼれて落ちる♪

最近何かあるとこの歌を聞いている。
そして踊っている。

これは、元Bo Gumbosのヴォーカルだったどんとさんが作った【波】。
人間がどんなに海を汚したって、人間の世の中が終わったって、
海はずっとそこにあるって歌っている。
あたしは、この曲は永遠の名曲だと思っている。

どんとさんが亡くなってから、パートナーのち~こさんが歌っている。
ち~こさんは元ZELDAのベーシスト。
この歌にフラの振付をしたのは、サンディ&ザ・サンセッツのサンディさん。
日本人では初めてクムフラのウニキを終えられた方だ。



この歌にも歌われているように、
そしてヨットマンの白石康次郎さんも言っていたように、
人間が自然破壊と恐れているものは、人間にとって都合の良い自然。
どんなに破壊したって人間が滅びるだけであり、
地球にとっては痛くも痒くもないのだ、残念ながら。

今の自然を破壊したらどうなるか。
人間が滅びるだけ。
じゃあ、地球は?
きっと人間がいなくなればなったで、また新しい環境を作り出すはず。

だから人間は必死にならなければ、ならない。
自分たちを守るため、自分たちが美しいと思う景色を残すため。

♪この世が朽ちても終わりはしない♪
そうなのだ。
人間の世が朽ちたって、地球は終わらない。
それを理解したのはこの歌に出会ってからだ。

この歌のスピリットは、今はち~こさんが引き継いでいる。
彼女の歌う【波】は女神のような愛に溢れている。
彼女の歌う波を聞いていると、まだまだやれるじゃん!って思える。
まだ人間の世は地球上にある。
手遅れになる前に、必死になろう。


平和記念日

2008-12-09 23:18:00 | Everyday Life
12月8日。
67年前の1941年の12月8日は太平洋戦争開戦の日。
オアフ島の真珠湾攻撃によって、この戦争は始まった。

12月8日。
28年前の1980年の12月8日に、ジョン・レノンが凶弾に倒れた。
反戦歌やピースについての歌を多く残したジョン・レノン。

毎年12月8日は、なぜだかとても敬虔な気持ちになる。
戦争と平和について、何とはなしに考えてしまう。
12月8日は、あたしにとって何となく特別な日だ。
とっても単純な問いだけど、答えの見つからない問いを問うてみる。
【なぜ、戦争はなくならないの?】

宗教問題。
領土の問題。
経済問題。
民族間の問題。
食料問題。
いろいろ原因は挙げられるけれど、どれも決定的ではないように思う。
人間の業と言って片づけてしまうのは、単純すぎるし悲しい。

世界が平和でありますように。
なかなかできているとは自分でも言い難いけれど、
すべてのものに感謝の念が持てますように。
足るを知ることができますように。
May peace prevail on earth.


沖縄からハワイへの流れ - その4

2008-12-06 17:25:08 | 
【11月23日(日)】

この日の朝、ヤハラヅカサに行ってから朝食をとり、
それから受水走水(ウキンジュハインジュ)へ参拝した。
今回の参加者の中に、08年10月初旬に吉野の笙の窟(しょうのいわや)にて、
ここに行くようにというメッセージを受けた方がいたからだ。

受水走水は、沖縄の稲作の発祥地なのだそうだ。
今では経済作物のサトウキビ畑が一面に広がるけれど、
かつては稲穂の海だったのかも知れない。
ここに稲作を復活させるのが、ち~こさんの夢だそうだ。

きれいな水で作ったお米は美味しい。
そして、きれいな水は人間の生活に欠かせない。
だから、きれいな湧水のあるところは、
今でも聖地として人々の信仰を集めるのだろう。





それからいったん八角堂へ戻った。
YOGA講師のしかぼんの具合が悪いらしく、寝込んでいる。
いろいろみんなで話を聞いていたら、
どうも体よりも心に引っかかることがあるようだ。

そんなしかぼんを置いて、また参加者で垣花樋川(キノハナヒージャー)へ。
ここは日本名水100選にも選ばれている名水所だ。
高い所にあるのがイナグンカーと言って女性用、
その左下がイキガンガーと言って男性用だが、
観光客は気にせず両方に来てしまう…むーん。

ここでみんなで禊をしてから八角堂に戻ったが、
まだしかぼんの具合が悪そう。
ち~こさんの【ロミロミ受けたら?】の提案により、
夕方からテンプル式ロミロミのセッションを開始した。

終了後…
いきなりしかぼん復活。
本当に体と心は繋がっている!
YOGA講師だからその繋がりの回復が早いのだろうか?
そして、ロミロミを受けた感想が嬉しかった。
「他のボディワークとエネルギーの感じが違うな~」
そして、突然「やっぱり、1月にハワイ行ってくるわ」。

ここで、突然沖縄からハワイの流れがやってきた。
あぁ、そういうことか。
今回、なぜあたしが沖縄に来ることになったのか、納得。
沖縄は好きだからいつでも来たいけれど、
なぜ様々な支障を乗り越えてまで、今回来ることになったのか。
そう言うことなのですねぇ。

ホント、人にはそれぞれのお役目がある!
とっても実感した日だった。
それから、このワークは後半に向けて、だんだんハワイ色が強くなっていった。

沖縄からハワイへの流れ - その3

2008-12-04 22:32:29 | 
【11月23日(日)&27日(金)】

八角堂のそばにある聖地、ヤハラヅカサ。
ここは沖縄の祖神であるアマミキヨが、ニライカナイより上陸した場所とされる。
ニライカナイは沖縄から辰巳の方にある理想郷だ。
ちょうど朝日が昇るところが見える場所なので、 日拝に行くことも多い。
今回の沖縄滞在中も、23日の晴れた日に日拝に行った。
その後、27日にもう一度行くこととなったのだが…

27日に再度ヤハラヅカサを訪れることになった流れは凄かった。
今回一緒に沖縄に滞在した「岩塩のお母さん」が、
前回の沖縄滞在で受け取った、戦争で亡くなった子供たちからのメッセージ、
「おむすびが食べたい」がちょっとしたご神事となった。
岩塩のお母さんはご自分だけでおむすびを奉納するつもりだったようだが、
その話を聞いたち~こさんが普門寺の尼僧である叡脩先生に連絡をとり、
27日の12時~13時の「現しの大御神さま」のエネルギーが降り注ぐ中、
観音経と般若心経、諸仏のご真言を唱えて供養を行うこととなったのだ。

そしてまた凄いことに、その日の朝、
来る予定ではなかったウチナンチュのKりんが突然やってきた。
そして、その供養に一緒に参加した。

ヤマトの人間だけでもだめ、ウチナンチュだけでもだめ。
両方の人間が揃ってこその供養。
そう思った時に鳥肌が立った。
叡脩先生はこうおっしゃったと聞いた。
「供養なんて辛気臭いのはだめ。歌と舞を奉納しなさい」
その言葉に従って、ち~こさんのライアで
「ティンサグぬ花」と「童神(わらびがみ)」を歌った。
両方とも沖縄を代表する歌だ。

【てぃんさぐぬ花】
1.
てぃんさぐぬ花や
爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ
親(うや)ぬゆし言(ぐとぅ)や
肝(ちむ)にすみり

2.
夜走(ゆるは)らす船(ふに)や
にぬふぁ星(ぶし)目当(みあ)てぃ
我(わ)ん生(な)ちぇる親(うや)や
我(わ)んどぅ目当(みあ)てぃ

3.
天(てぃん)ぬぶり星(ぶし)や
ゆみばゆまりゆい
親(うや)ぬゆし言(ぐとぅ)や
ゆみんならん

4.
言(い)ち足らん事(くとう)や
一人たれいだれい
互(たげ)に補(うじ)なてぃる
年(とうし)や老(ゆ)ゆる

5.
誰(たる)が上(いい)になてぃん
し情(なさき)どぅ頼(たぬ)む
なさきねん浮世(うきゆ)
渡い苦(ぐり)さ

歌い終わったときに、
『いつも聞いていた歌、ありがとう』って言葉がどこからか聞こえた。
その言葉を聞いた時、涙が溢れた。
それからみんなで再びヤハラヅカサに赴き、おむすびを海に流した。
戦争で身を持ってあたし達にその無念さを示してくれた子どもたち。
どうか安らかに眠って下さい。


沖縄からハワイへの流れ - その2

2008-12-02 17:16:07 | 
【11月22日(土)】
11と22という、強い数字の並んだ日に行ってきた聖地、【ガンガラーの谷】。
ここは、名前を聞いた瞬間に「行ってみたい!!」と思ったところだ。
運よく旅の道連れもゲットできて、いざ出発。

那覇市の旭橋駅そばにあるバスターミナルから、バスで約40分。
土曜日の朝は道が空いていて、スムーズに到着。
天気も良好!
既にウォーキング・ツアーの申し込みもしてあり、
芝生の広場で日向ぼっこ。

玉泉洞という聖地の横に36年前に整備された場所。
しかし、それから敷地内を通る川の汚染のためクローズされていたらしい。
それが08年8月8日にオープンした。
888という数字は、「ひとつの区切り」を表すらしい。
何だか深~い意味がありそう。

ガイドの女性に従って中に入る。
いろいろ説明を聞きながらやってきたのは、イナグ洞。
ここは母神を祀ったところで、今でも沖縄の人が拝みに来るそうだ。



残念ながら、観光客は立ち入り禁止。
さらに進むと、今度はイキガ洞。
男性の神様を祀ったところで、子宝の祈願をする場所だとか。



そしてさらに進むと、この谷の名前の由来の場所に出る。
今はコンクリートで固められているけれど、
以前は自然の洞窟だったという場所で、
石が落ちてくると【ガンガラー】と響くので、
ガンガラーの谷と呼ばれているとか。



手をたたくと、鳴き龍のように反響する。
良い音の場所には、たまゆらちゃんが写るんだよね^-^

尾の先には、この谷の主という風格の大主(ウフシュ)ガジュマル。
とっても力強い気を放つ木で、そのそばにいると安心感がある。
きっとキジムナーもここに住んでいるに違いない。





この木漏れ日の力強さ!
本当に素晴らしい!!

さらに進んでいくと、発掘現場に行きあたる。
このあたりは1万8千年前に住んでいたと言われる、
港川原人の骨が発掘された場所なんだそうだ。
今発掘作業をしているのは、約3千年前の弥生時代の骨だそうだ。



あたしもこのあたりに生きていたことがあったのかな?

1時間20分のツアーを満喫し、ガンガラーの谷を後にした。
そして八角堂へ。
3月以来だから、約半年振り。
昨年ち~こさんと御縁ができるまでは、
沖縄南部に足を踏み入れることがなかった。
南部は激戦地だったところ。
なまじっかな決意ではこられなかった。
しかし、最近は南部オンリーだ。
今、本土と沖縄を分断していたこだわりを捨てて、
きっと手に手をとって平和を作り上げる時が来たのだろう。

さてさて、これからYOGAリトリートの始まり始まり。
どんな学びがまっているのやら。

沖縄からハワイへの流れ - その1

2008-12-01 17:17:42 | 
11月21日から29日までを沖縄で過ごしてきた。
11月22日~28日まで、小嶋さちほさんプレゼンツのYOGAリトリートに参加し、
その傍らでテンプル式ロミロミのセッションを行った。
今回の滞在場所も、沖縄の聖地が点在する本島南部の南城市の八角堂。
正式名称:どんと院。

いやぁ~、今回も濃かった。
どんどん濃くなっていく気がする。
そして、今回の口癖は【三次元】。
スピリチュアルな人は舞いあがってグラウンディングが苦手な人が多いけど、
やっぱり三次元の細々としたことってグラウンディングに役に立つ。
料理したり、洗濯したり、食事作ったり…

そんな沖縄滞在を振り返ってみた。

【2008年11月21日(金)】
15時半頃、那覇空港着。
那覇は晴れていて空気がぬるい感じ。
でも、うちなんちゅに言わせると、とっても寒いらしい。

この日の宿であるゲストハウス【Camcam】へチェックイン。
ドミトリー形式なのだけど、これは…うーむ、という感じ。
ハワイ島ヒロのユースホステルが素晴らしかっただけに、ちょっと微妙…
気を取り直して、まず波の上宮に向かった。
3月に波の上宮でお受けしたお守りを3日前に失くしたのだ。
身代りになってくださったのだろう。

17時半頃、波の上宮到着。
お守りの授与所はもう閉まっているかも…と思いきや、まだ空いていた。
さすが、沖縄。



残念なことに、3月にお受けした金運守りは
お正月にならないと授与しないらしく、今回は干支守りをお受けしてきた。
そして、この旅の無事を祈願し、留守宅の無事を祈念した。



波の上宮は、那覇市の東シナ海に面した海辺の岩の上に立つ。
まさに波の上なのだ。
熊野信仰のこの神社は琉球八社の一の宮で、
海や海外に向かうエネルギーが伸びやかな、明るい神社である。
大好きな場所のひとつだ。

参拝後、国際通りでダンナへのお土産のTシャツをゲット。
それから現地のお友達や、リトリート参加者と合流し夕食。
1年ぶりのKちゃん、半年振りのRちゃんなど、懐かしい顔ぶれ。
本当に不思議な御縁で結ばれた姉妹たちだ。

いろいろ話は尽きないけれど、またの再会を誓いつつ別れを告げた。
そして、ドミトリーの蚕の部屋みたいな寝床にもぐりこんだ。
明日はいよいよガンガラーの谷を経由して、八角堂だ。