Saraの人生右往左往

『人生は長い旅路である』
Saraの“あっちふらふら、こっちふらふら”な由無しごと

3ヶ月!

2010-08-25 14:44:29 | つぶやき
気がついたら、3ヶ月もブログを放置してました…
あらら。

以前も一度、数ヶ月に渡って放置したことがある。
その時は理由がはっきりしていた。
今回はただ、気が向かなかったというか、
書くことがなかったというか、
ただそんな感じ。

ムリに搾り出すこともないな~、と。

前回の日記を見たら、ハラウを辞めたことを書いていた。
あれからいくつかのハラウを見学に行き、
あるハラウでは2ヶ月のベーシックステップのクラスを受講。
それでも、まだ新しいハラウには入っていない。

前のハラウを辞めたときは、
とにかく焦りやら怒りやら、様々なネガティブ思考に支配され、
とにかく早く次を決めよう!と思っていた。
3ヶ月経って、それも薄れてきた。
ゆっくりで良いから、自分に合ったところを探そう。
美しいフラを踊れるようになろう。
オリをしっかり詠唱できるようになろう。

そして、長くフラと付き合っていこう。
そんなことを考えている。

結局あたしはそこそこせっかちで、
そこそこ不精で、そこそこネガティブであり、
それなりにポジティブなのだ。
もちろん傷ついたりすることもあるし、落ち込んだりもする。
ありがたいことに、それがあまり持続しない。

今は、そんな感じだ。

愚痴を思わず口にせず

2010-04-29 21:37:08 | つぶやき
愚痴って怖い。
なぜなら、愚痴って癖になるのだ。
愚痴っているうちに、止まらなくなる。
愚痴っているうちに悲劇のヒロインになってしまい、
そして、ついには愚痴しか出てこなくなる。
こんな境遇のあたしって、なんて不幸なんだろうって。

愚痴で繋がった人間関係は脆い。
例えば会社の同僚とか、同じ境遇にいる人間同士は、
その状況が手に取るように分かるだけあって、愚痴が言いやすい。
でもどちらかがその境遇から抜け出すと、人間関係は終わる。
不幸の傷口を舐め合っているときだけうまくいく人間関係。

これらはあたしの実体験。
だから愚痴を言わないように心掛けることにしてきた。
もし今いる境遇が不幸だとしたら、それは自分が作り出したと知ったから。
その環境を選んだのは自分だと知ったから。
そして、その向こうに見えるものをしっかり見て、
そこに到達したときに達成する自分をしっかり見れば、
不幸に浸ってばかりいられないことが分かる。

愚痴りたくなる時もある。
落ち込む時もある。
でも、そこに執着しないこと。
そこから自分を客観的に切り離すこと。
愚痴を思わず口にせず。
すべては自分の成長のために。


縁がなかったことを認める

2010-04-08 10:57:23 | つぶやき
「大丈夫!、すべてはうまくいっている」
これは最近の口癖。
どちらかと言えば、口癖にしたという感じ。

「ご縁がありませんでした」
これは、最近の厳しい雇用情勢の中で、よく使われるフレーズだろう。
この言葉を言われた時、本当にご縁がなかったと捕える人は少ない。
多くの人が、「自分に何かが足りなかった」と思う。
そう思って自分に磨きをかけて行くことは大切なこと。
だけど、そこから動けなくなる人もいる。

あたしの年代は大学卒業から就職氷河期で、就職浪人なんて言葉も流行った。
何社も何社も受けて、それでも駄目。
女子学生はそもそも採用していないなんてところもざらだった。
バブル期に就職した先輩が本当に羨ましかった。
何度もダメだしされているうちに、自分の存在理由が分からなくなった。
大声で泣きながら、「自分なんていらないんだ…」と思ったりした。

あれから17年。
今は、「ご縁がなかった」というのを素直に信じられる。
誰かが自分が離れて行く時、まず自分に非があるのではないかと思わない。
あの人に出会ったのも学び、離れるのも学び。
ただ、そのサイクルが終わっただけ。
何かを待たなければならないとしたら、それも今必要なこと。
そして、自分がどのように生きて行きたいのかを明確にする。
17年間の間に出会ったたくさんの方々から学んだことだ。

自分でひと時代を築きあげた経営者の方々の考え方と、
スピリチュアルな考え方は共通点が多い。
自分が何を欲しているのか、それを明確にすることがスタートだ。
そして、自分だけのことを考えない。
自分と周囲、世の中のために何ができるかを常に考えて行動すること。

何かがうまくいかなかった時、自分に非があったと後悔するのではなく、
そこから何かをつかみ取って立ちあがってゆく。
長い年月をかけて、このことを学んだのかなぁと思う。
またそれをな学ぶために、それだけ長い年月があたしには必要だったのだ。


いろんな気付き

2009-12-26 22:08:30 | つぶやき
12月の初め、いろんなことが重なって憤っていた。
あれは、気付きの中のワンステップだったのだと、今になって思う。
渦中にいるときはなかなか気付けないけれど。

大好きな作家のひとりである浅田次郎氏の小説の中で、
いつも感動を呼ぶ登場人物は、一言でいうなら誠実な人である。
その誠実さゆえにいろいろな災害に見舞われ、損をする。
でも、誠実であり続けるのである。
そうなりたいと願っていても、なかなかなれない自分。
エゴから出てくる感情を、正当化してしまうのである。

いろいろないらないものを振り落としていく時のイメージは、洗濯機である。
汚れを落とすために洗濯物を回したりこねたり、ぶんぶん振り回す。
人間も、いらないものを振り落とす時、ショック療法的に振り回される。
だから、辛い想いって言うのはたくさんした方が良いのかも知れない。

クリスマスも過ぎ、新年を迎える準備が本格化してきた。
来年こそ来年こそ…そんな思いでいつも新しい年を迎える。
本当になりたい自分はまだまだ遠く、心が波立つ日も数多く。
それでも歩みを止めてはいけない。
この小さな歩みが、いつか高い山の山頂に繋がっているはずだから。

さて、来年はどんな年になるのだろう。
どんな年にしよう。
希望を込めて。


コントロールを手放す

2009-12-05 23:07:06 | つぶやき
ある友人のブログを読んでいて、
自分が他人をコントロールしようとしていることに気が付いた。
その友人は、【二重言語】という言い方をしていたけれど、
あたしも他人のそれにとても敏感になるときがある。

例えば、世の中によくいる不思議ちゃん。
変わっているねって言ってもらいたいために、変な人のふりをしている人。
自分を褒めてもらいたいから、他人を褒める人。
自分が愛されたいから、必死に愛を説く人。
同情してもらいたいために、人に同情する人。

口から出る言葉と、本心がちぐはぐになっている人に敏感に反応する。
そして、それはおかしいということを伝えようと必死になっていた自分。
そんなことを繰り返して、最近へとへとになっていた。
自分は正しいと信じて…

でも、敏感に反応しちゃうなら、
それを受け入れて受け流すことが必要だったのだ!
心と言葉がちぐはぐですよ~ってことを伝えることが、
あたしの学びではなかったのだ。
あたしはたその、【何だかちぐはぐだな~、いやだな~】ってことを認めて、
そして受け入れて受け流すことを学ぶことが必要だったのだ。

おかしいよってことを必死に伝えて、
そして直させようとするのは、
ただ単に相手をコントロールしようとしているに過ぎない。
そんな大事なことに気がつかせてくれた友人のブログ。
コントロールに執着していた自分を手放すきっかけをくれたのだ。

長年の癖はなかなか抜けなくて、またコントロールに執着しちゃうかも。
でも、今は気が付くための物指しを持っているから、
今よりも楽に手放すことができそうだ。

ものの価値とは主観的なもの

2009-11-17 20:30:33 | つぶやき
ある知り合い(断じて友達ではない)がこう言った。
「友達が前世占いに行ったんだけど、4000円だって~!高いよね~!!」

あたしの返事はこうだった。
「きっとあなたの悩みは4000円より安いのね…」
もちろん、嫌味である。
だってこの彼女、いつもお金のことしか言わないのだ。

例えばもし、その時前世を知ることにより、
これからの人生がもの凄~く楽になったり豊かになったりするのであれば、
多分、10万円だって惜しくない人はいるだろう。
その時のアドバイスで心がとっても軽くなって、
人生を前向きに生きられたりするのであれば…
まず、金額よりもどう感じただと思うのだ。

この会話のときに思ったのは、
モノの価値って本当に主観的なものなんだ~ということ。
貨幣価値の中で生きていると、モノの値段は絶対的な気がしてしまうけれど、
本当は結構相対的。

そしてもうひとつ。
ケチな人は最後に損をするってこと。
自分で汗水たらして働いたお金で何かを買った場合、きっと大事にする。
それがユニクロのTシャツだって大事に着るはず。
だから、ギャンブルで得たお金とかは、泡のように消えてしまうのだ。

この知り合いの場合、買ったマンションの自慢の部分は【いくら値切ったか】。
だからその後の話を聞くと、ぜんぜん大事にしていない…
家は生き物だから、そのうちへそを曲げそう。
そして口癖は「お金がない」。
ん~、まさに言霊だわね~。

この一件で、本当にお金について考えさせられた。
お金を持つことを恐れちゃいけないし、嫌ってもいけない。
羨んでもいけないし、執着してもいけないし、卑下してもいけない。
お金はお金、人生を豊かにするけれどそれ以上でもそれ以下でもない。
そしてお金は天下の回りもの。
エネルギーなのだ。
だからまわしていかないと、決して戻ってこないのだ。

これからは、何でもかんでも「高い!」というのは止めようっと!!

不安に付け込む

2009-06-03 23:10:41 | つぶやき
最近、ある知り合いと話していてふっと思ったことがある。
それは、『騙されやすい人は、心に大きな不安を抱えている』ということ。
なぜそう思ったか。

その知り合いは最近150万円(!!)で健康器具を買い、
さらに浄水器も買いそうになったらしいのだ。
その健康器具は医療機器の承認を取っているので、
あながち悪いものを売りつけられたという訳ではない。
ま、値段にびっくりしたけれど…
浄水器だって別に悪いものじゃない。
買った後のメーカーの対応と、買った理由が悪かった。

心に大きな不安を抱えている人って、
「これを買わないと、コレコレこういう悪いことが起きますよ」っていう、
まるで宗教のような勧誘文句に引っかかるんだな~って、
話を聞いていて思ったのだ。
自分自身の感覚を信じられれば、そんなもの買わなかっただろうな。

残念ながら、この世には人の不安をあおってモノを売りつける商売が存在する。
保険商品も、もしかしたらそうなのかも知れない。
あたしは生命保険は恩恵にあずかったことがあるから、
保険が一概に悪いと言えないけれど、
クレジットカードに付帯する、買ったものにかける保険などは、
不安商法(?)なのかも知れない。

意識を向けた方にエネルギーは流れる。
不安な方に気持ちを向ければ、それが現実になる。
それを肝に銘じて、自分の不安を増大させないようにしようっと。

楽しむことって?

2009-05-10 21:37:56 | つぶやき
最近のスピリチュアルな人々の間の流行。
それは、『楽しむために生まれてきた』っていう文言だと思う。
でもこれって、悩みを抱えている人からしたら”なんのこっちゃ”だと思う。
そして逆に、それがストレスになりかねないという危うさを持っている。

悩んでどうしようもなくなった時に、人はセラピーを受けに来る。
毎日楽しくて楽しくて仕方がないってときは来ないのだ。
何かを相談しに来ることも、恐らくないだろう。
だから、悩んでいる人に【あなたは楽しむために生まれてきた】って言うのは、
ビミョーな気もするし、助けになるのかどうか不明。

そもそも、悩むってことはそこにその人の学びがあるはず。
そこを乗り越えるのはその人しかできないし、やらないとならないこと。
そして、【楽しむ】って簡単に言うけれど、一体何を楽しむのだろう?
どうやって楽しむのだろう?
諸事情で、すぐに好きなことに着手できない人にとっては、
却ってストレスを増大させることにならないのだろうか?

何を、どうやって楽しむのか。
楽しむために、何を乗り越えなくてはならないのか。
楽しむことだけが善なのか。
苦しむことは悪なのか。
今苦しんでいる人は悪人なのか。
たくさん考えることは悪なのか。
直感だけが善なのか。

あたしだったら、そこをはっきりさせてくれないセラピストには、
何も相談しないだろうな~


選択の自由 アハハ~ン♪

2009-03-06 19:59:24 | つぶやき
かつて、求人雑誌のCMで、
『職業選択の自由 アハハ~ン♪』って歌があったなぁ。

自由。
自由であることに憧れる人は多い。
【○○さんって自由に何でもやってるよね~】って人に言われると嬉しくなる。
かく言うあたしもそうである(笑)

でも、あたし達はみんな自由である。
その一番根源的な自由は、選択の自由である。
人生なんて大げさなものでなくても、日々の生活は選択の連続だ。
朝何時に起きるか、起きたら歯を先に磨くか顔を先に洗うか、
朝ごはんに何を食べるか、何を着るか…
毎日毎日選択を繰り返している。
そして、何を選ぶか、どっちを選ぶかは自由なのである。
人はそれぞれ、膨大な選択肢を持っている。
そう考えると、生きるために選択するのか、選択するために生きるのか、
な~んて大げさに思ってしまう。

そして、自由と表裏一体なのは、『責任』だと思う。
その自由を手に入れるためには、その自由に対する責任を負うことになる。
そして、責任をきちんと負っている人を見ると、
しっかりグラウンディングできているな~と感じることが多い。
グラウンディングできている人は見ていて安心するし、
一緒にいて心地よい。
ヨガのポーズもそうだ。
しっかり下半身が大地に根付いていると、上に上にと伸びていく。
ハートが開いてアロハな気持になる。
そうなるためには、しっかり足を大地につけることが根本にくるのだ。

自由と責任。
この三次元を選択して生まれてきて、
三次元を楽しむためにはとっても大切なことだと思う。


最近ちょこっと気になること

2008-11-20 14:55:04 | つぶやき
最近、気になっていること。
それは、子供の金切り声。
高周波の音って言うのは警告音であることが多いため、
金切り声ってだけでもかなり耳障りなのは確かなのだが、それだけではない。
その子供の金切り声が30分も続いたりする。
これはちょっと異常だと思う。

そして、スーパーマーケットなどに買い物に行ったりした時にも、
金切り声を発する子供を目にすることが増えた気がする。
2~3才くらいの子供がベビーカーに乗せられて、
無表情のまま金切り声を発している。
そして、それに対するお母さんは無反応…
なだめるでも叱るでもなく、まして注意すら向けていないようなのだ。
こんな親子を数組見ることもある。

思うに、子供が金切り声をあげるのは、
身近な人の注意を引きたいためなのだろう。
その身近な人はお母さんであることが多いのだろう。
でも、お母さんは育児に疲れているのか、もう子供が叫んでも注意を向けない。
それで子供はさらに叫ぶ。
まるで無間地獄…

様々な女性誌が、『子育ては幸せな仕事』であるような特集を組んでいる。
本屋さんの女性誌売り場に行けば、毎月そんな特集を目にする。
なのに、なぜ世間のお母さん達は幸せじゃないのだろう?
何とも不思議だ。
そして、この金切り声をあげても振り向いてもらえなかった子供は、
大きくなったらどんな人物になるのだろう?

人生は、すべて自分で選んでいる。
最近それをとっても実感する。
子供を持つことの中にも学びがあり、持たないことの中にも学びがある。
全部自分で選んでいるのだ。
もっと言えば、子供も親を選んで生まれてきている。
今生で学ぶべきことがあるからだ。

自分で選択したのだと責任を負うのはつらいし苦しいこともある。
でも、そう思えばこそ結構【えいやっ!】と思えることもあると思うのだ。


またまた大浄化の季節

2008-11-16 21:43:57 | つぶやき
11月13日の満月以来、なんとなく大浄化の季節に突入した気がする。
新月から満月に向かう時期は吸収する時期で、
満月から新月に向かう時期は浄化の時期、いらないものを吐き出す時期である。

まず、体調がおかしくなった。
滅多に痛くなんてならない丈夫な胃腸の持主であるあたし。
それが、昨日ものすごい胃痛に襲われた。
滅多に胃が痛くなることがないので、胃薬がない。
何とか凌いで、現在は楽になった。

胃痛が始まると同時に、片頭痛も。
実は、片頭痛の方は昔からの持病。
でも、チャネラーのmasamichiさんに片頭痛の原因が、
『発達し過ぎた第三の目』であることを指摘されてから、
この片頭痛は治まっていた。
それが胃痛と同時に再発。
こちらは頭痛薬常備なのでまだましだが、薬がまったく効かない。
ダンナにも、『頭痛は最近治まってたのにね』って言われた。
さっきから吐き気までしてきた…

以前から、秋という季節はあたしにとっていろいろ変容の季節だ。
転職したりするのは秋が多かった。
マナカードを始めたのも数年前の晩秋。

そして、ここ数日のククイドローで出てくるマナカードも、
解放を表す【PU'OLO】だったり、浄化を表す【TI】だったり。
変容の途中のイニシエーションの時期は、心も体もつらい。
様々ないらないものを吐き出させられるから。
すっきり身軽になって、新しいステップに進むためだとは言え、
かなり辛いのは事実。

今週末から沖縄入りし、28日の新月に集結するWSがある。
このWSに向かって、いらないものは全部捨てろと言うことか。
そう言えば、人間関係もだいぶ様変わりしそうな予感がする。
以前から付き合いのあった友人たちの輪を抜けて、
新しい関係の中に進んでいきそうな気がする。
人間関係も、自分のレベルが変われば変わらざるを得ない。
古い関係にしがみついていることはできない。
それがたとえどんなに好きな友人たちであろうとも。

それにしても、早くこの浄化の渦が過ぎ去ってくれるのを祈るばかりである。


暦の上では、もう冬なのです

2008-11-08 00:10:27 | つぶやき
今日は、二十四節季の立冬。
暦の上では、すでに冬だ。
うーん、いつもながら時の過ぎるのは早い。

Time is money、時は金なりと言うけれど、
モモを書いたミヒャエル・エンデは、1970年代にその危うさを書いた。
この『時は金なり』という言葉は、資本主義を端的に表しているらしい。
経済は常に拡大し、預金には利息がついていくという考え方。
でもここ最近、これがどうなるのか分からなくなってきた。

あたしだったら、あたしにとっての時は何だろう?

時は育むもの。
時間が経つと草木は大きくなっていく。
こんな感じかな。

これからどんどん寒くなっていく。
これから世間は慌ただしくなるけれど、グラウンディングとセンタリング、
この心構えを忘れずにゆったり過ごしていこう。


それぞれの役割

2008-10-07 23:05:57 | つぶやき
外に出ると、金木犀の香りが空気に充満している。
今年は遅いかなぁって思っていたけど、いつもと同じ時期に咲いた。
だんなの誕生日はいつも金木犀の香りがする。

異常気象で桜が秋に咲いたり、ツツジが秋に咲いたり。
そんな中でも毎年同じサイクルを繰り返す金木犀。
ほっとする。
まるで、深まる秋の入口を案内するのが、自分の役割だと言うかのようだ。



自分の役割と言えば、最近印象に残ったセリフがある。
今年のNHK大河ドラマ【天障院 篤姫】の中で、
井伊直弼が言ったセリフだ。
安政の大獄を執行する井伊直弼に、篤姫はなぜそんなことをするのかと問うた。
その答えは、『それが己の役割にございます』。
このセリフだ。

己の役割。
井伊直弼は、ただ単にそれが自分の仕事だと言ったわけではなく、
世の中に嫌われるような役割も、自分がやることなのだと言ったのだ。
安政の大獄という政策を実行するだけでなく、
それを行い嫌われることによって、世の中が進むと信じていたのだ。

これを聞いて、はっとした。

好き好んで嫌われたいと思う人はいないと思う。
でも、嫌われることを承知で物事を断行しなければ、
にっちもさっちもいかない世情だったのだ。
だから、嫌われることをわざわざ選んだということなのだ。

自分だったら、できるだろうか?

時々、『あ、この人合わないな』とか、
『あ、この人嫌だな』とか思う人と出会うことがある。
出会う人は自分の鏡映し。
あたしに自分を正す機会を与えるために、出会ってくれたのだ。

そんな個人的なレベルではなく、社会に嫌われる。
まさにPublic Enemy。
それほど大きな役割を、井伊大老は負っていたのだ。
そして暗殺されて、社会は一気に動いて行った。

ひとりひとり請け負っている役割は違う。
あたしはその役割を、しっかり遂行できているのだろうか?

言霊のちから

2008-06-27 22:48:49 | つぶやき
キラウエア火山でお会いした、
ハワイのカフナであるイカイカ・ドンブリーゲスさんは、こう言った。
【言葉は慎重に発されなくてはならない。
どんな言葉であれ、口から出た言葉は現実になるからだ。】
日本にも同じような考え方がある。

言霊だ。
言葉はそれ自体に力があり、発された言葉は現実となる。
普段から弱音ばかり吐いていればそれが現実となり、
夢を語れば夢が現実となる。

あたしは周囲を笑わせるために、自分をネタにする癖がある。
先日あまねさんのご自宅に行ったとき、つい、
『kin230で白い太陽の犬だし、戌年だし、嫌なんですよー。
犬って忠犬ハチ公みたいなイメージがあるじゃないですかー。』
なんて冗談を言ったら、あまねさんの旦那様に、
『言霊ってあるからね。
嫌なことを言うんじゃなく、
白い太陽の犬だったら、自分に忠実であることを誇らなきゃ。』
と言われた。

この瞬間、あっと思った。
そうだ、この間、言霊のちからをいやというほど見たばかりだったのに。
先日、あたしはオープンに接しているつもりだった人が、
あたしに向かって【ブロックしてる】と言ったのだ。
彼女は、自分を守るためにあたしにその言葉を投げつけた。

そうしたら、実際にブロックができてしまったのだ。
ブロックしているなんて思ってもいなかったのに、
その言葉を聞いた瞬間に、心の中にブロックが出来上がった。

良いことも悪いことも含め、言霊って本当なのだ。
だったら自分にとって良いと思える現実を引き寄せたい。
kin230の白い太陽の犬は、ハートからの愛の人で、自分に忠実なのだ!
うふふ。

教えるということ、その資質

2008-05-25 23:54:17 | つぶやき
最近【人に教えるということ】がブームのような気がする。
そしてなぜか、【リーダーシップのある人】がもてはやされる。
しかし、船頭多くして船山に登るという言葉が示すとおり、
リーダーばかりでは世の中成り立たない。
技術に長けた人、裏方仕事が得意な人、様々な人がいてこそ世の中は成り立つ。
そんなことを、一昨日友人と話した後から考えている。

スピリチュアルブームの昨今、スピリチュアルな仕事で稼ぐためには、
色々ワークショップをやるのが手っ取り早いのだろうか?

本当のリーダーだと、あたしが思う人が2人いる。
小嶋さちほさんと、フラを教えるmさんだ。
あたしはこの方たちが人をジャッジしているのを聞いたことがない。
すべての人に好意的なのに対し、誰かに迎合することもない。
何か問題が持ち込まれたとき解決策を示すのではなく、本人に解決を促す。
これは実際やってみるとなかなか難しい…

世の中様々なスクールがあり、教える立場の人がたくさんいる。
しかし、自分にとって教師と思えない人の下についてしまった場合、
これは学びと思うのが一番だろうなぁ
まさに反面教師ってヤツかもね



だから、いつも目を曇らせないようにして、
自分の直感を信じられるようにしておかなければ。
結局、反面教師を選ぶのだって自分自身だしね。