Saraの人生右往左往

『人生は長い旅路である』
Saraの“あっちふらふら、こっちふらふら”な由無しごと

もう立春

2010-02-04 20:22:56 | Everyday Life
2010年が明けて、既に1ヶ月以上が経った。
今日は立春。
旧暦の元旦は2月14日なので、年内立春となる。
年内立春の年は寒い。
と、今までの経験上、なんとなくそう思う。
ただ、今年は寒い日とそうでない日の差が激しい気がする。
数年ぶりに都心で氷点下を記録したかと思えば、
大寒の日は4月並みの暖かさだったり。
地球が、「もういい加減にしてくれ~」って言っているのかも知れない…
なんて思ったりする今年の冬。

今年の年頭に引いたマナカードは「'I'o」だった。
一番目のカードの'I'oのメッセージは、
「人生の本質はミステリー。起こることを楽しもう」というもの。
始まりのカードでもあるし、何だかワクワク。
それからも'I'oはたびたび姿を見せ、これからの展開を期待させる感じ。

今年新しく始めたことは、フラのクラスをコンペクラスに変えたこと。
今までハワイ文化かぶれのあたしは、
「フラを踊ることの本質は、コンペではない!コンペなんて邪道だ!」って思ってた。
でも、コンペに出るほど厳しい練習をしたこともなくて
そんなことを言うのはどうか…と思ったのだ。
やってみたらかなりキツイ!
筋肉痛は序の口、腰痛や筋肉の断裂など、体は既にボロボロ…
でも、やるしかないのだ!!

去年は停滞のエネルギーを感じていたけれど、
今年はもう何かが大きく動きそうな予感を感じている。
それが自分にとってどうなるかは分からないけれど、
きちんとビジュアライゼーションして向かっていこう。
そう、すべてはうまくいっている!のだ。


背中が痛い…

2009-12-11 23:36:30 | Everyday Life
久々に体が震えるほどの怒りを覚えた今日。
あたしがこういう怒りを覚えるときは、自分の誠意をないがしろにされたときだ。
分かっている。
誠意に見返りを求めているからそうなることは。
だから自分にも相手にもやり切れなさを感じてしまうのだ。

まだまだマザーテレサにはなれないなぁ…はぁ。
未熟だからこそ、この三次元に生まれてきた訳なのだしね。

今日はそれからずっとクリーニング。
セルフ・アイデンティティ=ホオポノポノのメソッドで、
自分をクリーニングし続けている。
これをしていないと、ついつい自分を正当化しがちだから、
思考をそこから引き離すためにもクリーニング。

ごめんなさい、愛してます、ありがとう、許して下さい。

そうこうしているうちに、背中が痛くなってきた。
ちょうど、ハートチャクラの裏側だ。
あぁ、まだまだ未熟なあたし。

なんでもっと心穏やかになれないんだろう。
なんで相手に光を送ってあげられないんだろう。
背中にホッカイロ貼って、背中を温めて、少し楽にすれば気持ちも収まるかな~

葛藤、葛藤、また葛藤…
ごめんなさい、ありがとう、愛してます、許して下さい。
こんな気持ちにさせてごめんね、あたし。


シンクロについて考える

2009-05-22 23:26:44 | Everyday Life
シンクロニシティ=共時性。
離れた場所で同時に同じ現象が起こること。
シンクロって言う方が多いかも知れない。

スピ系の人々の間ではよく使われる言葉。
スピリチュアルにハマっていない人は、聞いたことがないかも知れない。
あたしはどっぷりではないけれど、スピリチュアルなものが好きだから、
この言葉はよく聞く。
でも、自分ではあまり使わない。
何故かっていうと、単純に恥ずかしいからだ。
何となく、この言葉は恥ずかしいのだ…

虫の知らせなんかも、シンクロの一種なのかな。
でも、大概のシンクロは自分で作っているのではないかな~と思っている。
人はものを認識するとき、自分というフィルターを通して認識する。
だから自分がいま興味を持っていたりするものは、
情報として入ってきやすい。
一種のカクテルパーティー効果だろうと思う。
自分の興味のあるもの、聞き慣れた言葉というものは、
氾濫する情報の中からでも、耳に飛び込んでくるものなのだ。
90%くらいのシンクロの正体は、コレじゃないだろうか。

こういう風に思っているから、
シンクロと言う言葉を使うのが恥ずかしいのかもなぁ。



ぐるぐるな思考

2009-04-26 21:44:26 | Everyday Life
ほんのちょっとの出来事、きっかけは些細な言葉だったりするんだけど、
思考がぐるぐる出口のないスパイラルに入り込むことがある。
それは大抵の場合、良い思考ではない。
どちらかと言うと不快な思考。
例えば、「何であんなこと言っちゃったんだろ…(嘆)」とか、
逆に、「何であんなこと言われなきゃいけないの!(怒)」とか。
考え出すと止まらなくなる。

本当に些細なことだったりする。
ぐるぐる考えて、そこから離れられなくなってもぐるぐる…
イヤ~な気持ちのリフレイン。
分かっちゃいるけど止められない。

こんな時必要なのは、なぜその出来事が起こってきたか考えること。
思い当たったのは、手放すこと。
そうだ、感情を水のように流すことが今回の学びだろうな。

自分にとって嫌だって思うことはそこらじゅうに転がっている。
だって三次元だも~ん。
そこから学ぶために生きているんだもん。
人間だって2人以上集まったら、摩擦なんていくらでも起こる。
それをどう受け止めて、どう対処するか、それが与えられた学び。
学びのチャンスだと思うのだ。

あたしはやっぱり、「流すこと」を学ぶことが必要なんだろうな。
嫌なことに思考を持って行かれないように。
そのための言葉を今はたくさん持っている。

「ごめんなさい、ありがとう、許して下さい、愛してる」
これはセルフ・アイデンティティ=ホ・オポノポノの
イハレアカラ・ヒューレン博士の言葉。
最近のお気に入りは、「あたしはすべてを許します」。

日々晴れたり曇ったり。
まだまだ学びは続くのである。
とほほ。


驕りの心

2009-04-10 16:31:49 | Everyday Life
レイキなどのエネルギーワークを覚え始めたり、
何かスピリチュアルなものを始めたばっかりの人が陥りやすいのが、
【自分だけが特別な力を得た】と思いこむことだ。
最近読んだ【魔王(伊坂幸太郎 著)】の一節に、
【人は、自分だけが特別な力を得たと思いこむ】と
いうような感じの文章があった。

あたしはこの思い込みからは脱したと思っていたのに、
まだまだだった…っていうのを、今日不動明王様のお足下で思い知った。
やっぱりまだまだ未熟なのね~^-^;;
日々是精進!



実は、3月末にちょっとキツいセッションがあり、
それから肩が重かったり気分が晴れなかったり…
赤穂の塩温泉や塩サウナでだいぶ回復したものの色々外したいものもあり、
深川の不動堂へ護摩修行に出かけてきた。

般若心経を唱えながらハッと気がついたのは、自分の驕りの心。
多分ずっと気が付いてはいたのだ。
でも、自分の欠点を認めるのって、とっても苦しいし、勇気がいる。
だから見て見ぬふりをしていたのかも知れない。

不動明王は衆生の願いを叶えるために、
目にもとまらぬ速さで動き回っていらっしゃる。
そして、その衆生の願いについては、
きっと良いとか悪いとかの判断は下さないのだろうな~とぼんやり考えた。
自分は特別だと思いたいとき、周囲に対するジャッジが生まれる。
ジャッジは愛からは生まれない。
ジャッジはエゴから生まれるのだ。

ちょうど満月過ぎだったので、この驕りを手放せるように祈った。
自分も特別だけど、どんな人も特別。
ひとりひとりがすべて特別な存在である。
それを考える時間が持てたのは、とてもラッキーだなぁ。


義と、正義

2009-04-05 22:06:14 | Everyday Life
赤穂市の普門寺の花まつりに、観音楽と波フラの奉納に行ってきた。
普門寺は天台宗のお寺で、恵裕先生と言う女性住職がいらっしゃる。
恵裕先生はおいくつか分からないけれど、いつも朗らかで元気いっぱい、
そしてマリア様と観音様を足して2で割ったような観音様とコンタクトする。
とても素敵な女性住職だ。
4月4日の普門寺花まつりにて、
小嶋さちほさんが観音楽という曲を奉納するにあたり、
ご一緒させていただいた。
集まったのは観音楽シスターズ総勢19名。
とても素晴らしい奉納になった。


赤穂氏は赤穂浪士討ち入りの忠臣蔵でも有名な土地だ。
年末になると必ずどこかのTV局で放映される忠臣蔵。
この話は割と好きで、ついつい見てしまう。
史実とは異なるようだけれど、日本人の根幹を表していると思うからだ。
その赤穂に行けるのも今回楽しみだった。

忠臣蔵をTVで見るときに考えるのは、【義】についてだ。
義と正義って違うものだと思う。
うまく説明できないけれど、義っていうのは信念に近いと思う。
個人の行動の指針となる信念。

正義も定義するのは難しい。
正義学というのがあるくらいだもの。
イメージとしては、社会一般に通用する道理に適った正しいこと、
そんな感じにとらえている。

もちろん両方とも大切だけれど、
赤穂市に滞在中に考えていたのは、義の大切さだ。
これだけは譲れない、そんな信念。
自分の人生において、そんな信念を持つことって今まであっただろうか。
その時は「これだけは譲れない!」って思っていても、
意外とあっさり覆してしまうことが多かったように思う。
その時の環境や社会の雰囲気によって、
あっさり手放してしまえるのは信念ではない。

しかもその信念に対しては、意固地に執着してはいけないのだ。
他人からは見えなくても、心の中に燃え続ける炎のように、
大事に大事に守り続けるもの。
今は持っていなくても、いずれ見つかるのだろうか。
見つかったらとても幸せだろうな。
あたしにはまだ見つかっていない。

恵裕先生がお話し下さった不動明王様のお話。
不動明王様の衆生を救う動きがあまりに素早く、
動いていないようにさえ見えるから不動明王とおっしゃるのだけれど、
人間の心もこうあることを目指しなさいと。
生きているから嬉しいこともあれば悲しいこともあり、嫌だと思うこともある。
でも、素早く自分の軸に戻ってくればブレることはないのだと。
まさにセンタリングとグラウンディングだ。
その軸はきっと【義】なのだろう。

自分の軸を確立する。
探すのではなく、自分の中にあるものの筋を通す。
赤穂市滞在は、そんなことを考え直すきっかけをくれたのだった。



花まつりの採燈大護摩。
護摩焚きが始まったとたんに本降りの雨。
きっと護摩の煙が天に届いて、不動明王様のお返事として雨が降ったのだろう。

思い出した!

2009-03-21 22:22:48 | Everyday Life
昨日は春分の日。
日の出から日の入りまでがちょうど1日の半分。
昼の時間が半分、夜の時間が半分。
今日はもう昼が長くなっている。

昨年の春分の日は沖縄の伊平屋島にいた。
和歌山の正覚院の和尚、立石光正さんに法螺貝の吹き方を教わっていたんだった。
ついさっきまで忘れていた。
光正さんはエネルギッシュでパワフルな修験僧である。
修験僧ってみんなこんな感じで型破りなのだろうか。

光正さんとあたしは前世で会ったことがある(と思う)。
南城市の八角堂(正式名称:どんと院)のキッチンで(笑)、
一緒に酒を飲んでいる時にお互い思い出した。
「いや~、前世でもこうやって酒を飲んでたな~!」
それから和歌山の山学林で酒を飲んでた時も、「思い出すな~、前世」。
そんなアホな会話をしていた。
多分、一緒に修行していた。
ってことは、あたしも型破りな修験の経験があるのか?!
ありそうな気はするけれど。

光正さんに昨年の春分に教わったことがある。
今の今まで忘れてた!!
朝起きたらまずやること。
それは感謝である。

まず朝起きて自分が生きていることを確認したら、起き上がる前に、

「私は生かされている」
(名前と年齢を言う)
「私は神仏に愛されている」
「私には役目がある」
「えいえいおー」

と言うのだ。
心の中で言っても良いらしい。
年齢は数え年で言うのが正式らしい。
例えば、今年30歳になる人なら31歳が数え年だ。

生きているってことは、何かしらの役割を背負っているってことなんだって。
大きな役割を背負っている人もいるだろうし、小さい役割かも知れない。
でも、まだ生きているってことは、それを果たしていないってこと。
そして、まだ生きているってことは、それを果たすチャンスがあるってこと。
神様や仏さまのご加護で、役割を果たすために生かされているってこと。
最後の「えいえいおー」は光正さんの口癖だ。

そうだ、これこれ。
春分から3ヶ月くらいやっていたんだけど、すっかりご無沙汰。
でも、春分の日がアンカリングとなって、春分の日が来るたびに思い出す。
そして感謝することを思い出す。

生きているって凄いことだ!!
えいえいおー!!

さぁ、三次元で何をしよう?!

2009-03-19 23:29:02 | Everyday Life
ニューエイジャーやスピリチュアルな生活を目指す人の間の定説、
【環境は自分の学びのために、自分で選んで生まれてくる。】
あたしはこの考え方が本当かどうかは知らないけれど、結構好きだ。
よく子供は親を選べないなんて言うけれど、
子供も親を選んでいるし、親も子供を選んでいる。
学びのためだから、かなりキツイ関係になることもあると思うけれど…

そう思うと、出会う人にもすべて意味があることになる。

出会う人は自分の鏡。
この考え方も、最近少しずつ腑に落ちてきた気がする。
少し前までは頭では理解できていても、心では理解できなかった。
だって、目の前に嫌だと思う人がいたとして、それが自分だなんて辛すぎる…
自分はもっとまし、って思いたいもの。
しかし、気がついてしまった。
その人の嫌だと思うところは、しっかり自分の中にもあることに。
その時出てきた感情は、感謝だった。
気づかせてくれて、ありがとう。
あたしを、独りよがりのダメ人間にしないでくれて、ありがとう。
偽善じゃなく、気づいたふりでもなく、こう思えたのは初めてかも…

今までのあたしだったら、そんな風には考えなかったなぁ。

人には、三次元での年齢(肉体年齢かな?)と、精神年齢、
魂の年齢があるような気がする。
肉体の年齢は見た目のまんま、だいたい生まれてからの年数と一致する。

精神年齢は考え方や行動に現れる。
魂の年齢は、過去生を含めた今までの総括の年齢。
どれだけ学んできたかを表す気がする。
子供でも、魂の年齢が高いなぁって思う子供がいる。
大人でも、悪い意味で子供っぽい人もいる。

人間は三次元の肉体を持っている時しか学べないと聞いたことがある。
それならば、自分はこんな家庭に生まれて不幸だとか、
時代が悪いとか嘆くよりも、どれだけ魂の年齢を高められるか、
がむしゃらに行動していった方が良いはず。
だって自分で選んだんだもの、その環境で学ぶことがあったはず。
あたしも時代が悪いとか、女性だから認められないとか、
すべて周囲のせいにして恨み節を言ったこともあったし、
たまに今でも言ってしまうこともある。
言ったからって何も変わらなかった。

三次元にいられる時間って、1回でせいぜい80年くらい。
だったらどれだけ成長できるか、行動した方が良いかも。
この成長した分は、死んだあとも無にならない。
やっぱり世の中で認められる人って、その分努力しているし。
白鳥のように、水面下の努力ってカッコいいと思う。

最近心に残った言葉。
【今は今までの自分の結果。明日は今が作る。】
そうなのだ。
結局自分がどう行動してきたか。
これに尽きる。
他人じゃなくて自分。
自由もあるけど責任もある。
どうせなら、カッコイイって思える生き方がしたいなぁ。

人を恨んで愚痴ばっかり言ってるのは、全然カッコよくないよね。


アレルギーについて考察する

2009-03-10 22:17:26 | Everyday Life
アレルギー。
色々な原因や症状があると思うが、基本的に免疫機能の異常により、
外部からの侵入に対して過剰に反応する状態…っていう認識をしている。
体にとって害のないものに対しても免疫機能が反応してしまい、
それにより様々な不快な症状を引き起こしているのだろう。

今の季節、国民病とも言えるのは【花粉症】だろう。

そんな花粉症、どうも今年から発症してしまったようだ。
病院で正式に診断されたわけではないが、
この止まらないくしゃみと鼻水はまさに花粉症の代表的な症状。
まだ目が痒くならないのが救いかも。
子供の頃から泥だらけで遊んでいたので、
自分は大丈夫と高を括っていたんだけどねぇ…

きっとこのアレルギーから学べってことなのだろう。
という訳で、花粉症について考察してみた。
本当は害ではない外部からの刺激に対する過剰反応、
この部分が鍵かも知れない。
例えば、誰かが何気なく言った言葉に対し、
「責められてる?!」と思いこみ、過剰に防衛反応を起こすとか。
これはあり得るかも。

こう言うのを、きっと【自意識過剰】と言うんだろうな。
あまり認めたくはないけれどね

人の言葉に過剰に反応してしまうときって、
他人と自分の境界線がうまく認識できていないのかも知れない。
他人は他人、自分は自分ってちゃんと思えていたら、
過剰反応はしないんじゃないかと思う。
まず、自分をしっかり守ること。
他人とのエネルギーの交換ってとても大事だけれど、
境界線が引けていないときは引きずられたり、持って行かれたり。
マナカードの中にも、自分と他人の境界線をはっきりしたからって
冷たい人間だってことにはならないと書いてある。

今日、友人に勧められて、
別の友人のサイト【Angel's Garden】からあるフラワーエッセンスを購入した。
免疫力と書いてあるエッセンスだが、エーテル体の強化にも効くらしい。
昨年からフラワーエッセンスは常に手元にあり、
色々な症状を緩和してくれている。

そう言えば、12年前にも花粉症じゃないけれど、
春先にひどいアレルギーに悩まされたことがあったなぁ。
大学を出て初めて勤めた会社を辞めた時だった。
よっぽどほっとしたのだろうか?
生活が大きく変わる時、どうもアレルギーが出やすいのかも知れない。
運勢のサイクルも12年周期であることが多いので、
今もまた変容の大きな時期なのかも知れない。

さてさて、このエッセンスの効能やいかに?!


七福神めぐり - その1. 深川編覚書

2009-01-25 08:14:37 | Everyday Life
1月11日(日)
111の縁起の良い日、富岡八幡宮から深川七福神めぐりをスタート。
1月1日~15日までは御朱印用の色紙の販売もあり、
七福神も御開帳されている。

①富岡八幡宮(恵比寿神)
1627年建立。
東京23区内では最大規模の八幡様である。
伊能忠敬が測量に旅立つ時は、必ずここにお参りしたと言われている。
あたしの住む地域の氏神様でもあり、ちょくちょく寄っている。



②冬木弁天堂
1705年、竹生島の弁天様を移したのが始まりのようだ。
ここは銭洗いのための池もあって、小さいながら人出が多かった。



③円珠院(大黒天)
享保の頃の起立だそう。
境内に可愛いお坊さんの石像と、破顔の大黒天の石像が安置されている。
お坊さんの石像は、海外からのツーリストにも人気だった。



④龍光院(毘沙門天)
1611年起立。
あぁ、あんまり印象に残っていない…
書くのをさぼったからなぁ…



⑤深川稲荷神社(布袋尊)
1630年創立。
住宅地の真ん中にこじんまりと鎮座するお稲荷様。
きっと近所の方がお手伝いに来ているのだろう。
社務所の中からおじ様方の楽しそうな声が聞こえた。



⑥深川神明宮(寿老神)
深川発祥の地とされている。
深川の地名の命名者は徳川家康だそう。
その一帯の鎮守さまがここ、深川神明宮。
鳥居をくぐって右奥に寿老神を祀るお社がある。



⑦心行寺(福禄寿)
1616年、京橋八丁堀に創立された。
深川に移ったのは1633年。
境内が広く閑静な名刹といった趣き。
門を入って左手に福禄寿を祀った六角堂がある。
福禄寿は南十字星の化身であり、福と財と長寿の神様だそうだ。



御朱印をコンプリートして帰宅。
ちょうど満月が東の空から登り始めたところだった。
111という始まりの日と七福神、そして満月。
こいつは春から縁起がえぇわい。
なんちゃって。


七福神めぐり - その1. 日本橋編覚書

2009-01-14 23:18:47 | Everyday Life
2008年12月31日に巡った、日本橋七福神の覚書。
日本橋には弁財天を2つ入れて、『日本橋八福神』と書いたのぼりもあった。
スタートは、その弁財天の1つが祀らている【水天宮】から。

①水天宮(弁財天)
この人形町の水天宮は、福岡県久留米市にある水天宮の分社だそうだ。
現在の位置に祀られたのは明治5年(1872年)。
ご祭神は天御中主大神(あめのみなかぬしのおおみかみ)、
安徳天皇、二位の尼、建礼門院。
その境内に弁財天も祀られている。



②茶の木神社(布袋尊)
マンションの一角にあるような、小さなお稲荷様。
かつては周囲に見事な茶の木が取り囲んでいたため、茶の木神社。
その茶の木のために火事の延焼を防ぎ、火伏の神様とも言われている。



③小網神社(福禄寿・弁財天)
1466年鎮座。
とっても雰囲気の良い神社だった。
毎年11月28日はどぶろく祭が催され、奇祭と言われているとか。
一度来てみたいなぁ。



④寶田恵比寿神社(恵比寿神)
もともとは皇居の前にあったらしい。
10月19日20日には商売繁盛を願う恵比寿講とべったら市が開かれる。
小さい神社だけれど、地元の人が数人立ち寄っていった。
氏神様として定着しているのだろう。



⑤椙森神社(恵比寿神)
江戸城下三森の、烏森・柳森・椙森のひとつ。
富くじ発祥の地として有名らしい。
富くじ=宝くじ???
江戸庶民のささやかな楽しみだったんだろうなぁ。
ここも恵比寿神をお祀りしている。



⑥笠間稲荷神社(寿老人)
茨城県笠間市にある笠間稲荷神社の東京別院。
新年の参拝客をお迎えする準備をなさっている方がいた。



⑦末廣神社(毘沙門天)
毘沙門天をお祀りしている割には、おだやかな雰囲気の神社だった。
周囲を民家に囲まれていて、のんびりした感じ。



⑧松島神社(大黒天)
完全にビルの1階。
日本橋のお酉さま。



以上八社、歩いてだいたい1時間20分くらい。
大晦日だったこともあり、年神さまをお迎えする準備に追われていた。
日本橋の下町の雰囲気を味わいながら巡れるちょっとした散歩コースだ。

New Year's Resolution

2009-01-08 23:37:05 | Everyday Life
今日、瞑想中に浮かんだ今年の目標。

【執着を捨てる】

自己に対する執着を捨てる。
結果への期待に対する執着を捨てる。
他人からの評価に対する執着を捨てる。
こうあるべきという思い込みに対する執着を捨てる。
自分が正しいという思い込みに対する執着を捨てる。

自分の中を浄化して浄化して浄化して浄化しつくす。
セルフ・アイデンティティ=ホ・オポノポノのように、
徹底的に執着をクリーニングする。

これが、今年の目標かな。


Hau'oli Makahiki Hou !

2009-01-01 23:32:55 | Everyday Life
2009年、新しい年の初めの日。
昨年は本当にいろいろな変化があり、
1年という月日が長かったのか短かったのか、何とも感慨深い。

今年は昨年以上にジェットコースターな年になるのかな。
いずれにしても、どんなことも受け入れ、そして楽しめますように。
今年もまた、あっちいったりこっち行ったりしながら、
新しい1歩を踏み出して自分の思う方向へ進んでいこう。


東京砂漠…なのか?

2008-12-16 23:48:40 | Everyday Life
最近、地方出身で東京に住んでいる数名の知り合いから言われたのは、
【東京は○○だから…】。
この○○には、ちょっとネガティブなニュアンスの言葉が入る。
これを聞くと、とっても不思議に思う。
じゃあ、なぜ東京にいるの?

あたし自身、東京出身ではない。
両親は寒い地方の出身で、幼い頃は父の転勤が多く全国を転々とした。
その後両親は東京近郊に家を建て、そこを終の棲家とした。
あたしはその家を出て、現在は都内にいる。

幼い頃から引っ越しが多かったせいか、
どこに行ってもその土地に順応するのが早い方だと思う。
以前の土地を恋うこともないし、
今の土地を蔑むこともない。
かと言って、東京最高!!という気持ちもない。

その土地にはそれぞれ良さがあり、それを見つけた方が住みやすい。
相手を途絶すれば、相手にも拒絶されるのは、土地も同じ。

故郷に誇りを持つのは素晴らしいのだけど、
他方を蔑むことで他方の素晴らしさを強調するのは、
いかがなものかな~
と、今、東京都民のあたしは思うのである。


月夜

2008-12-13 23:17:14 | Everyday Life
今日は月と地球の距離が、一年のうちで一番短くなる日だった。
その距離は35万6567km。
満月の日はいつもなんとなくウキウキと、上がった状態になる。
だからこそ、ヨガを行じることが禁止されてしまうんだろうな。
月の人間にもたらす影響力は大きい。

その影響は昨日大きく感じていた。
満月時刻が深夜1時38分だったということも関係しているのか、
午後からなんとなくウキウキ。
そのウキウキ状態で深川不動尊に護摩修行に行って帰ってきたら、
目の前に東の空に昇り始めた大きな月が見えた。



満月時刻の9時間前くらい。
肉眼ではほとんど満月に見える。
振り返ると夕暮れの空。



家に帰ってから天気予報を調べたら、今日の午後は曇りの予想。
満月を見るためには、深夜起きて見るしかなさそうだった。

そして、13日午前2時。
窓から空を見上げたら、本当に明るい。
確かに月と地球が近いのを感じる。
師走の金曜日の深夜2時。
忘年会帰りらしい人たちが、結構タクシーで帰ってくる。
あまりの月の美しさに、思わず外に出て1時間くらい散歩してみた。
夜中にうろつく髪の長い女性…
タクシーの運転手さんは怖かったかも。



深夜3時ごろまで散歩して家に帰り、再び横になった。
たくさん浴びた月の光が、家の中に入っても感じられる。
目をつぶると白い光が体中に降り注いでいるのを感じる。
今までの満月では、ここまでパワフルな体験はなかった。
やっぱり距離が近いと、体に感じる月のエネルギーも大きいようだ。
月の光を感じていたら、一昨日くらいから強く出ていた腰痛の症状が消えた。
力強い癒しの光。



こうやっていると、人間も宇宙の一部であることを思い出す。
何か大きな力があることを感じられる。
美しい月の光。
今年最後のギフトをいただいたみたいだ。