Saraの人生右往左往

『人生は長い旅路である』
Saraの“あっちふらふら、こっちふらふら”な由無しごと

3ヶ月!

2010-08-25 14:44:29 | つぶやき
気がついたら、3ヶ月もブログを放置してました…
あらら。

以前も一度、数ヶ月に渡って放置したことがある。
その時は理由がはっきりしていた。
今回はただ、気が向かなかったというか、
書くことがなかったというか、
ただそんな感じ。

ムリに搾り出すこともないな~、と。

前回の日記を見たら、ハラウを辞めたことを書いていた。
あれからいくつかのハラウを見学に行き、
あるハラウでは2ヶ月のベーシックステップのクラスを受講。
それでも、まだ新しいハラウには入っていない。

前のハラウを辞めたときは、
とにかく焦りやら怒りやら、様々なネガティブ思考に支配され、
とにかく早く次を決めよう!と思っていた。
3ヶ月経って、それも薄れてきた。
ゆっくりで良いから、自分に合ったところを探そう。
美しいフラを踊れるようになろう。
オリをしっかり詠唱できるようになろう。

そして、長くフラと付き合っていこう。
そんなことを考えている。

結局あたしはそこそこせっかちで、
そこそこ不精で、そこそこネガティブであり、
それなりにポジティブなのだ。
もちろん傷ついたりすることもあるし、落ち込んだりもする。
ありがたいことに、それがあまり持続しない。

今は、そんな感じだ。

マウイ島へ続く道??

2010-05-30 20:34:15 | Hawai'ian Mana Card
先週の水曜日、ハラウを辞めた。
ハラウとは、ハワイ語で学校のこと。
フラ・ハラウとはフラの学校。

この半年、コンペティション出場を目指して頑張ってきた。
クムの考え方や教え方も、好き。
周囲のハウマナ達も好き。
でも、集団とは、それ自身が意志を持ってしまう。
歴史が、その時代を生きる人の意志とは別の意志を持つように。
もう、ハラウに行くのが辛くて仕方なかった。

あたしが学びたかったハワイの文化はこんなことなのか??
自問自答の日々。
ついに決着を着けた。

コンペティション用にしようと思っていた費用は、
マウイ島旅行に回そうっと!
そういえば、今年の初めにマウイ島に行こうって決心したのだ。
その通りになっちゃってる?

今年のイヤーカードは【'I'o】。
このカードには、マウイ島のイアオニードルが描かれている。

そして、新しいハラウを探している時、
マウイ島在住のクムフラ、
チャールズ・カウプ師のホオパアが主宰するハラウのHPも発見!
3年前には見つけられなかったのに…
すべてがマウイ島に向かっている??


それにしても、3年前とは日本のフラの世界もだいぶ様変わりしたみたい。
ハワイ島のクムフラの教えが受けられるハラウが増えた!!
これはハワイが好きでフラを踊っている身としては嬉しい限り。
じっくりゆっくり選択しながら、次のハラウを探そう。

そして、マウイ島へ行こう!!

愚痴を思わず口にせず

2010-04-29 21:37:08 | つぶやき
愚痴って怖い。
なぜなら、愚痴って癖になるのだ。
愚痴っているうちに、止まらなくなる。
愚痴っているうちに悲劇のヒロインになってしまい、
そして、ついには愚痴しか出てこなくなる。
こんな境遇のあたしって、なんて不幸なんだろうって。

愚痴で繋がった人間関係は脆い。
例えば会社の同僚とか、同じ境遇にいる人間同士は、
その状況が手に取るように分かるだけあって、愚痴が言いやすい。
でもどちらかがその境遇から抜け出すと、人間関係は終わる。
不幸の傷口を舐め合っているときだけうまくいく人間関係。

これらはあたしの実体験。
だから愚痴を言わないように心掛けることにしてきた。
もし今いる境遇が不幸だとしたら、それは自分が作り出したと知ったから。
その環境を選んだのは自分だと知ったから。
そして、その向こうに見えるものをしっかり見て、
そこに到達したときに達成する自分をしっかり見れば、
不幸に浸ってばかりいられないことが分かる。

愚痴りたくなる時もある。
落ち込む時もある。
でも、そこに執着しないこと。
そこから自分を客観的に切り離すこと。
愚痴を思わず口にせず。
すべては自分の成長のために。


縁がなかったことを認める

2010-04-08 10:57:23 | つぶやき
「大丈夫!、すべてはうまくいっている」
これは最近の口癖。
どちらかと言えば、口癖にしたという感じ。

「ご縁がありませんでした」
これは、最近の厳しい雇用情勢の中で、よく使われるフレーズだろう。
この言葉を言われた時、本当にご縁がなかったと捕える人は少ない。
多くの人が、「自分に何かが足りなかった」と思う。
そう思って自分に磨きをかけて行くことは大切なこと。
だけど、そこから動けなくなる人もいる。

あたしの年代は大学卒業から就職氷河期で、就職浪人なんて言葉も流行った。
何社も何社も受けて、それでも駄目。
女子学生はそもそも採用していないなんてところもざらだった。
バブル期に就職した先輩が本当に羨ましかった。
何度もダメだしされているうちに、自分の存在理由が分からなくなった。
大声で泣きながら、「自分なんていらないんだ…」と思ったりした。

あれから17年。
今は、「ご縁がなかった」というのを素直に信じられる。
誰かが自分が離れて行く時、まず自分に非があるのではないかと思わない。
あの人に出会ったのも学び、離れるのも学び。
ただ、そのサイクルが終わっただけ。
何かを待たなければならないとしたら、それも今必要なこと。
そして、自分がどのように生きて行きたいのかを明確にする。
17年間の間に出会ったたくさんの方々から学んだことだ。

自分でひと時代を築きあげた経営者の方々の考え方と、
スピリチュアルな考え方は共通点が多い。
自分が何を欲しているのか、それを明確にすることがスタートだ。
そして、自分だけのことを考えない。
自分と周囲、世の中のために何ができるかを常に考えて行動すること。

何かがうまくいかなかった時、自分に非があったと後悔するのではなく、
そこから何かをつかみ取って立ちあがってゆく。
長い年月をかけて、このことを学んだのかなぁと思う。
またそれをな学ぶために、それだけ長い年月があたしには必要だったのだ。


自分開き、岩戸開き その3

2010-03-18 22:50:18 | 
【2010年2月22日(月)】

222の記念すべき日。
今日も戸隠連峰が綺麗に見えている。



戸隠の朝は本当に寒い。
身も心もピッと引き締まる気がする。
たまにだから良いのかな。
毎日だとさすがに生活するのも大変だろうな。

今日も豪勢な朝食をいただいたが、
昨日の夕食がまだ消化しきれていないようで、今朝も食べきれず…
ありがたくももったいないなぁ。

中谷旅館の中庭に朝日が映えて美しい。



朝食を済ませた後、旅館をチェックアウト。
ここは本当にホスピタリティ溢れる良いお宿だった。
中社前からバスに乗り、約1時間で善光寺前に到着。
ここはまったく雪もなく、この日はジャケットがいらないくらい暑かった。
大きな荷物をどこか預けられないか寺務所で聞いてみると、
そこで預かってくれるとのこと。
ありがたい。

入場券を購入し、お戒壇巡りへ。
ちょうど年配の方々の集団と一緒になり、にぎやかにお戒壇巡り。
ダンナの後ろにいたご婦人は、ダンナを柱と勘違いして触っていたらしい…
出てきてからその話を聞いて、思い切り大笑い。
それからゆっくり善光寺境内を見物し、おそばを食べた。

お礼お言って荷物を受け取り、善光寺そばの東山魁夷美術館へ。
平日だからか普段からこれくらいなのか、人も少なくゆっくり見られた。
時代によって絵の感じが変わっていくのが面白い。
中国の水墨で書かれた風景画は「物凄い迫力」の一言。
本当に素晴らしい。

他の展示品やコンテンポラリーアートなども巡った後、バスに乗って長野駅へ。
おやきを買って帰ろうと駅のそばの「おやき工房」へ行ったら、
保冷バッグは別売りで、店員さんも何だか冷たい…
結局そこでは買わずに、道の向かい側にあったおみやげ物屋さんで購入。
ここのおばさんはとっても親切で、保冷用にと新聞紙でくるんでくれた。
やっぱり人に親切にされると、心がほっこりする。
あたしもこれからはなるべく親切を心がけようっと!

時間が来て、新宿行きのバスに乗車。
帰りは本当に時間通りに新宿に着いた。
久しぶりの長野。
今度は緑の美しい季節の戸隠が見たいな。


自分開き、岩戸開き その2

2010-03-08 22:34:25 | 
【2010年2月21日(日)】

朝起きて外を見ると、ものすごい晴天!
窓から見える戸隠連峰がとっても威風堂々としていて思わず手を合わせたくなる。
窓を開けると冷え切った空気が入ってきて、すぐ閉めた…
最低気温はマイナス6度くらい。

今日はまず宝光社から火の御子社、奥社を回って鏡池へ行く予定。
夕方間に合えば、再度中社へご挨拶に行こうっと。

またまた豪勢な朝食をいただき、取りあえず腹ごしらえ。
中谷旅館内にある祭壇に手を合わせ、宿で長靴を借りて出発!
ここのお宿のみなさんは本当に親切で気持ちの良い滞在ができた。
奥社は晴れると雪崩の危険性があるので、慎重に行ってくださいねと助言を受ける。

舗装道路は除雪されているものの、その両側には場所によって2m以上の雪が積っている。
久しぶりの長靴で、歩くスピードがのろい…
両側の雪を触ったりしつつ、のんびり坂を下ってゆく。
歩いて30分くらいで宝光社の鳥居に到着。
拝殿までの階段が雪に覆われて、つるつるの坂道になっている!!



しかもかなり急な坂道だ。
手すりにしがみつくようにしてゆっくり登ってみた。
宝光社も冬期はご神体は中社に移しているとのことだが、
その場のエネルギーを感じたくてえっちら登った。
こじんまりとして清々しい。



そして、怖いのは登りより下り…
しゃがんで少しずつ滑りながら降りて行った。
ダンナは骨折が完治していないのに、よく頑張ったことよ…

鳥居を出て、先ほど下ってきた舗装路を戻って火の御子社へ。



ここは拝殿までは急な階段などはなく、楽に行けた。
ここもご神体は、冬期は中社に移すようだ。

さらに戻って川中島バス戸隠営業所へ。
ここでフリーチケットでバスに乗り奥社まで行ってしまおうという魂胆。
しかし、いざバスに乗ってみたら、「奥社は行かないよ」。
がーん!
冬期は奥社は回らないらしい…
たった2つ先の停留所の中社宮前で下車。
そこから歩いて奥社を目指した。

どれくらいか忘れたけれど、結構な時間歩いて奥社の鳥居前に着いた。



さて、これから取りあえず随神門まで行ってみる。
踏み固められているとはいえ、奥社はさらに気温が低く、雪がサラサラで歩きにくい。
おそらく距離的にはそんなにないけれど、慣れない雪歩きは時間がかかる。
クロスカントリースキーを履いた集団に、どんどん追い抜かれる…とほほ。



そうこうするうちに随神門前に着いた。
狛犬ちゃんが綿帽子をかぶっていて可愛い!!



随神門からは無理に侵入するなと書いてある。
ここから先は自己責任だ。
もし、無理だと判断したらすぐ引き返そうと心に決め、中に入った。

普段は階段になっているらしい道も、雪に埋もれてただの坂道だ。
そこをえっちら登っていく。
パウダースノーは歩きにくい。

とうとう奥社本殿に着いた!
本殿前の鳥居は雪に埋もれてくぐれないので、脇を抜けて本殿前へ。
その鳥居を過ぎたあたりで、「よく来たね」という声が頭の中で聞こえた。
空耳かもしれないけれど、奥社へは来るようになっていたんだな~。



本殿前でおにぎりを食べていたスキーヤー達に挨拶。
なぜ山ですれ違う人には気軽に挨拶ができるのだろう?
それにしても本殿の屋根近くまで雪が積もっている。
屋根と同じ高さを歩くなんて、普段ではできない体験に大興奮!
そして本当に清々しい空気だ。
戸隠はもっと重苦しい空気の場所かと思っていたら、とっても明るくて開けている。
歌を歌ってスキップしたい気分。
本殿の裏は巨大な磐座という話だけれど、すべて雪に埋もれて確認できず…

戻りは滑り降りるようにして、行きより楽に鳥居へ到着!
鏡池に向かう途中の「そばの実」で、念願の戸隠そばを堪能!!
美味しかったぁ!

腹ごしらえ後、「そばの実」の裏手から鏡池に向かう。
ここも凄い雪!!
カーブミラーが埋まりそう。



歩きにくいパウダースノーを踏みしめて、ようやく鏡池に到着…
と思ったら、池がない!!!



池は凍って雪が積もり、どこが池だかなんだか…
それでも遠くに見える戸隠連峰は相変わらず雄大でした。

日が暮れ始めて再び気温が下がり始めた道をえっちら戻り、中社に参拝。
そこでダンナが「大人向けみくじ」を見つけて引いてみた。
年齢を聞かれて祝詞をあげていただき。受け取ってみたら中吉。
仕事上では驕ってはならぬとのお言葉。

宿に帰ってお土産を買い、早速お風呂へ。
風呂上りの夕飯は、昨日にも増して凄いボリュームで、
さすがに全部食べきれず…
しかも胃に血が集まって、頭がふらふらして座っていられない。
まだモリモリ食べ続けるダンナを残し、部屋に撤収。
横になってごろごろして就寝。

…続く


自分開き、岩戸開き

2010-02-27 23:09:20 | 
2年くらい前だったか忘れたけれど、
突然気になりだして行ってみたかった戸隠。
長野県の北部にあり、雪深い土地らしい。
戸隠神社を中心として開けた神聖な土地、そんなイメージだった。

行きたいと思ったらとにかく行く!というのがあたし流。
なんてかっこつけてみたけれど、まぁ我慢がきかないというだけのこと。
2年の憧れを現実にするべく、2月20日~22日まで行ってきた。
なぜこの季節を選んだかというと、なぜか雪が見たくなったから。
スキーもやらず、今まで深い雪には縁のなかったあたしだけれど、
なぜか雪の戸隠を歩いてみたくなったのだ。

【2010年2月20日】
新宿から出ている中央高速バスのお得なチケットで、新宿からバスで戸隠に向かった。
新宿から長野駅まで所要時間3時間40分。
そこからさらに路線バスで1時間。
でも許容範囲だろうということでバスを利用。

3分の2程度しか埋まっていないバスの指定座席に座ったら、
前の席は中国から来たらしい若者3人組。
英語がペラペラなところをみると、香港辺りから来たのだろうか。
英語の喋れるバス会社の従業員の女性と話していた。
内容を後ろで聞いてみたところ、
「花園インター辺りで事故があり渋滞している。
長野駅まで8時間かかるけれど大丈夫か?」
若者3人組は、「ノー・プロブレム」。

でもあたしは、
えぇ~~~!!
8時間?!?!
いやだ~~~!!
と心の中で叫んだ。

しかし、まぁもう後の祭り…
とにかく寝るしかない。
8時間寝たおしてやる!!
同行のダンナはゆったり座れそうな他の席に移って行った。

バスに揺られながら、宇宙にお願い。
夕方6時には宿で一服着いてご飯が食べられていますように…

バスは関越自動車道にのって快調に走ってゆく。
花園インター通過。
あれれ、渋滞は???
どうもあたし達がそこにたどり着く前に改称したようだった。
宇宙はあたしのお願いを聞いてくれて、通常の時間通りに長野駅へ。
そこから順調に戸隠行きのバスに乗り、4時過ぎにはお宿へ。

宿泊する宿は、元宿坊の中谷旅館。
経営するのは神職さんで、お宿の中に祭壇があるのだ。
着いてすぐに取りあえずお宿から歩いて1分の中社へご挨拶。
スキー客向けのボリューム満点の夕食をいただき、
明日に備えてさっさと就寝。

続く…

もう立春

2010-02-04 20:22:56 | Everyday Life
2010年が明けて、既に1ヶ月以上が経った。
今日は立春。
旧暦の元旦は2月14日なので、年内立春となる。
年内立春の年は寒い。
と、今までの経験上、なんとなくそう思う。
ただ、今年は寒い日とそうでない日の差が激しい気がする。
数年ぶりに都心で氷点下を記録したかと思えば、
大寒の日は4月並みの暖かさだったり。
地球が、「もういい加減にしてくれ~」って言っているのかも知れない…
なんて思ったりする今年の冬。

今年の年頭に引いたマナカードは「'I'o」だった。
一番目のカードの'I'oのメッセージは、
「人生の本質はミステリー。起こることを楽しもう」というもの。
始まりのカードでもあるし、何だかワクワク。
それからも'I'oはたびたび姿を見せ、これからの展開を期待させる感じ。

今年新しく始めたことは、フラのクラスをコンペクラスに変えたこと。
今までハワイ文化かぶれのあたしは、
「フラを踊ることの本質は、コンペではない!コンペなんて邪道だ!」って思ってた。
でも、コンペに出るほど厳しい練習をしたこともなくて
そんなことを言うのはどうか…と思ったのだ。
やってみたらかなりキツイ!
筋肉痛は序の口、腰痛や筋肉の断裂など、体は既にボロボロ…
でも、やるしかないのだ!!

去年は停滞のエネルギーを感じていたけれど、
今年はもう何かが大きく動きそうな予感を感じている。
それが自分にとってどうなるかは分からないけれど、
きちんとビジュアライゼーションして向かっていこう。
そう、すべてはうまくいっている!のだ。


いろんな気付き

2009-12-26 22:08:30 | つぶやき
12月の初め、いろんなことが重なって憤っていた。
あれは、気付きの中のワンステップだったのだと、今になって思う。
渦中にいるときはなかなか気付けないけれど。

大好きな作家のひとりである浅田次郎氏の小説の中で、
いつも感動を呼ぶ登場人物は、一言でいうなら誠実な人である。
その誠実さゆえにいろいろな災害に見舞われ、損をする。
でも、誠実であり続けるのである。
そうなりたいと願っていても、なかなかなれない自分。
エゴから出てくる感情を、正当化してしまうのである。

いろいろないらないものを振り落としていく時のイメージは、洗濯機である。
汚れを落とすために洗濯物を回したりこねたり、ぶんぶん振り回す。
人間も、いらないものを振り落とす時、ショック療法的に振り回される。
だから、辛い想いって言うのはたくさんした方が良いのかも知れない。

クリスマスも過ぎ、新年を迎える準備が本格化してきた。
来年こそ来年こそ…そんな思いでいつも新しい年を迎える。
本当になりたい自分はまだまだ遠く、心が波立つ日も数多く。
それでも歩みを止めてはいけない。
この小さな歩みが、いつか高い山の山頂に繋がっているはずだから。

さて、来年はどんな年になるのだろう。
どんな年にしよう。
希望を込めて。


背中が痛い…

2009-12-11 23:36:30 | Everyday Life
久々に体が震えるほどの怒りを覚えた今日。
あたしがこういう怒りを覚えるときは、自分の誠意をないがしろにされたときだ。
分かっている。
誠意に見返りを求めているからそうなることは。
だから自分にも相手にもやり切れなさを感じてしまうのだ。

まだまだマザーテレサにはなれないなぁ…はぁ。
未熟だからこそ、この三次元に生まれてきた訳なのだしね。

今日はそれからずっとクリーニング。
セルフ・アイデンティティ=ホオポノポノのメソッドで、
自分をクリーニングし続けている。
これをしていないと、ついつい自分を正当化しがちだから、
思考をそこから引き離すためにもクリーニング。

ごめんなさい、愛してます、ありがとう、許して下さい。

そうこうしているうちに、背中が痛くなってきた。
ちょうど、ハートチャクラの裏側だ。
あぁ、まだまだ未熟なあたし。

なんでもっと心穏やかになれないんだろう。
なんで相手に光を送ってあげられないんだろう。
背中にホッカイロ貼って、背中を温めて、少し楽にすれば気持ちも収まるかな~

葛藤、葛藤、また葛藤…
ごめんなさい、ありがとう、愛してます、許して下さい。
こんな気持ちにさせてごめんね、あたし。


コントロールを手放す

2009-12-05 23:07:06 | つぶやき
ある友人のブログを読んでいて、
自分が他人をコントロールしようとしていることに気が付いた。
その友人は、【二重言語】という言い方をしていたけれど、
あたしも他人のそれにとても敏感になるときがある。

例えば、世の中によくいる不思議ちゃん。
変わっているねって言ってもらいたいために、変な人のふりをしている人。
自分を褒めてもらいたいから、他人を褒める人。
自分が愛されたいから、必死に愛を説く人。
同情してもらいたいために、人に同情する人。

口から出る言葉と、本心がちぐはぐになっている人に敏感に反応する。
そして、それはおかしいということを伝えようと必死になっていた自分。
そんなことを繰り返して、最近へとへとになっていた。
自分は正しいと信じて…

でも、敏感に反応しちゃうなら、
それを受け入れて受け流すことが必要だったのだ!
心と言葉がちぐはぐですよ~ってことを伝えることが、
あたしの学びではなかったのだ。
あたしはたその、【何だかちぐはぐだな~、いやだな~】ってことを認めて、
そして受け入れて受け流すことを学ぶことが必要だったのだ。

おかしいよってことを必死に伝えて、
そして直させようとするのは、
ただ単に相手をコントロールしようとしているに過ぎない。
そんな大事なことに気がつかせてくれた友人のブログ。
コントロールに執着していた自分を手放すきっかけをくれたのだ。

長年の癖はなかなか抜けなくて、またコントロールに執着しちゃうかも。
でも、今は気が付くための物指しを持っているから、
今よりも楽に手放すことができそうだ。

ものの価値とは主観的なもの

2009-11-17 20:30:33 | つぶやき
ある知り合い(断じて友達ではない)がこう言った。
「友達が前世占いに行ったんだけど、4000円だって~!高いよね~!!」

あたしの返事はこうだった。
「きっとあなたの悩みは4000円より安いのね…」
もちろん、嫌味である。
だってこの彼女、いつもお金のことしか言わないのだ。

例えばもし、その時前世を知ることにより、
これからの人生がもの凄~く楽になったり豊かになったりするのであれば、
多分、10万円だって惜しくない人はいるだろう。
その時のアドバイスで心がとっても軽くなって、
人生を前向きに生きられたりするのであれば…
まず、金額よりもどう感じただと思うのだ。

この会話のときに思ったのは、
モノの価値って本当に主観的なものなんだ~ということ。
貨幣価値の中で生きていると、モノの値段は絶対的な気がしてしまうけれど、
本当は結構相対的。

そしてもうひとつ。
ケチな人は最後に損をするってこと。
自分で汗水たらして働いたお金で何かを買った場合、きっと大事にする。
それがユニクロのTシャツだって大事に着るはず。
だから、ギャンブルで得たお金とかは、泡のように消えてしまうのだ。

この知り合いの場合、買ったマンションの自慢の部分は【いくら値切ったか】。
だからその後の話を聞くと、ぜんぜん大事にしていない…
家は生き物だから、そのうちへそを曲げそう。
そして口癖は「お金がない」。
ん~、まさに言霊だわね~。

この一件で、本当にお金について考えさせられた。
お金を持つことを恐れちゃいけないし、嫌ってもいけない。
羨んでもいけないし、執着してもいけないし、卑下してもいけない。
お金はお金、人生を豊かにするけれどそれ以上でもそれ以下でもない。
そしてお金は天下の回りもの。
エネルギーなのだ。
だからまわしていかないと、決して戻ってこないのだ。

これからは、何でもかんでも「高い!」というのは止めようっと!!

高野へんろ路 Vol.2

2009-10-14 18:07:27 | 
【9月21日(月)】

高野山滞在2日目。
昨日部屋を変えてもらったが、今日は戻らなくてはならない。
朝の勤行後朝食を摂り、荷物をまとめて元の部屋へ。
まだあのテレビの音のうるさかった家族はいた。
しかも、入口のふすまを開けっぱなし…
いや、人の勝手ではあるけれど、敷きっぱなしの蒲団は丸見えで、
その上に寝転んでいるお父さん。
荷物も散らかり放題。
元々宿坊は修行の場であるので、プライバシーなど考えられていない。
そこに様々な現代機器を持ち込んだものだから、色々ややこしい。

取りあえず、九度山目指して出発。
8時半ちょい過ぎのケーブルカーで山を下った。
こんな時間のケーブルカーには、さすがに乗客は少ない。

極楽橋で南海鉄道高野線に乗り換える。
九度山まで約20分。
また、その途中で突然深い眠りに一瞬落ちた!
これは…一体なんだろう?

九度山駅で降りると、「真田の里」という赤い幟がたくさん立っている。
去年もこの赤い幟は見たけれど、まさかここから登ることになるとは…
地図に従い、手始めに真田庵に向かう。
真田庵は真田親子が暮らした場所。
ここには今真田大権現が祀られている。
そして、小さな真田博物館も併設されている。
そして、結構人がいた。
やっぱり歴史ブームなんだな~
寺務所兼社務所をお手伝いに来ていたおばちゃん2名としばし談笑。
商売繁盛のお守りに(なるかどうか知らないけれど)、真田紐を購入。
真田紐は、真田親子が再起のための軍資金を集めるために売っていたもの。
これで資金が集まったんだから、きっと商売繁盛のお守りになるに違いない。



途中裏道に入ると、真田に関するアンテナショップが!
幸村、大人気なのね。
電柱には真田十勇士のキャラが描かれているし。
真田で町興しなのかしら…

さらに進んで慈尊院へ。
ここはお大師様のご母堂を祀ったお寺で、子育て・安産のご利益があるとか。
絵馬じゃなくて、布でできたおっぱいがたくさん奉納されている。
そこから階段を登る途中に町石の180番目があり、
更に登ると丹生省官符神社がある。



真田庵で予定時間より遊びすぎたため、スピードアップ!
勝利寺に参拝し、展望台を目指した。
まだまだ舗装道路。

展望台に着いたところ、年配のご夫婦に行きあった。
さっき途中で抜かしてきた人たちだ。
「若い人は早いわね~」などと会話を交わす。
展望台から先に進み、ちょっと道に迷った。
でも、去年の二の舞はご免だから、展望台に戻り再度道を確認し、
慎重に進むと町石が見えてきて、ちょっとほっとした。
昔の人はこの町石を頼りに歩いて行ったんだよねぇ。
これを作ってくれた人に感謝しきり。

いよいよ山道に入った。
晴れていたけれどそれほど気温の高くもなく、乾燥して爽やかな天気。
でも、山道に入ったらやっぱり汗が滝のように流れる。
ペースを上げなくては、大門から見る夕日に間に合わない。
まだ午前中だけど、地図を見つつペース配分を考えた。

六本杉に到着。
ここから少し回り道して、丹生都比売神社を巡る。
丹生や丹という言葉は、水銀を表すそうである。
水銀は金を生成するのに欠かせなかったということだから、
丹という言葉のつく地名は、かつてそこで金が産出されたことを意味する。
高野山一帯は金が出たため、金銭的にも豊かだったに違いない。

歩いて行くと舗装された道路に出た。
そして丹生都比売神社。
丹生都比売は天照大神の妹君と伝えられており、
空海が高野山を開くにあたって力を貸してくれた女神とのこと。
神社のエネルギー自体が開けてとても明るい。
そして神職さんたちがみんな気さく…(笑)
この境内のベンチをお借りして、昼食に持ってきたパンを食べた。
しかし、疲れで食欲があまりない。



丹生都比売神社の周囲には大小様々なかえるがたくさんいた。

さらに進んでいくと、また山道に入った。
ここでダンナがペースダウン。
とっても疲れた顔で無言で歩いて行く。
しかし、こんな山道でギブアップしても、誰も助けてくれないのだ(苦笑)

二つ鳥居の手前の、「金剛童子の杖の跡」で写真を撮ろうとしたら、
ファインダーに白い影が横切るのが見えた。
でも写真には何も写っていない。
この土地の精霊だろうか?

取りあえず二つ鳥居に到着!



でも、まだまだ先は長い!

どんどん進んでいくと、国道と交差する地点に出てきて、残り少し。
ここには自販機があったので、コーラを買って飲んで、ひと心地。
食欲はないけれどしょっぱいものは食べたい。
持ってきたお煎餅を二人でつまんだ。

最後のラストスパート。
ここからはお大師様の結界に入って行くのだ。
袈裟掛石というのが結界の境界線だ。



南海鉄道で急に眠くなる辺りの標高が、ちょうどこの辺り。
結界を出たり入ったりするのって、体力がいるんだな~と納得。
ここからは登りもきつくなってくる。
ペースを落とすと日没に間に合わない!
二人で無言でちゃかちゃか登る。

最後のきつい登りを超え、なんとか大門へ!



なんとか間に合った!

夕日を堪能し、更に壇上伽藍へ。
ここに町石の1番目があるのだ。
その前で記念撮影。

宿に戻る途中で商店によりアイスを買って食べた。
おいしかった~!!
宿坊に着き、着替える間もなく夕食。
昨夜のうるさかった親子はチェックアウトしたらしく、ほっと安心。
代わりに入っていた親子はとてもお行儀が良かったので、
こちらも気を使い、テレビなどの音は控えめにした。

それにしても、ものすごい達成感である。
昔の人はこれを登って参拝したんだよな~
昔は本当に様々なことが自分の思い通りにならなかったと思う。
栄養状態も悪い中で参拝し、
高野山に無事着いたらきっとそれだけでご利益があると思ったのだろう。
自分の意思で歩く。
そんな昔の人に思いを馳せた一日だった…

続く…

高野へんろ路 Vol.1

2009-10-04 12:59:18 | 
今年初めての試みだというシルバーウィーク。
ただし、次回の9月の大型連休は5年後だとか6年後だとか…

そのシルバーウィークは、昨年お盆に訪れた高野山に再び。
昨年は狐に化かされ(?)、女人道を踏破できなかったのだけれど、
今年はさらに距離を延ばして、九度山から高野山へ登るという、
23kmの高野へんろ路に挑戦した。

【9月20日(日)】
世の中はシルバーウィーク2日目。
東名高速道路55km渋滞という狂乱のさなか、新幹線で新大阪へ。
連休なのに新幹線が割と混んでいなかったのは、
やっぱり高速道路1000円という政策のせいなのだろうか。
これにはいろいろ物申したいところだけれど…(苦笑)

新大阪から難波に出て、南海鉄道高野線に乗り極楽橋まで。
天空にも乗ってみたかったけれど、1日2往復しか出ていないのだそうだ。
朝作ったスパムむすびやらスナック菓子など食べながら、
1時間20分弱で極楽橋に到着。
ここからケーブルカーで高野山へ入った。
勾配45度はありそうなケーブルカーだ。

まず、今日から2日間のお宿となる「蓮華定院」へ。
ここは真田昌幸、幸村親子が高野山に流されたときに仮の宿としたお寺。
真田所縁の品々が所蔵されているという。
宿のあちこちに真田の旗印である六文銭や、家紋である結び雁が見える。

歴女の影響か、はたまたお彼岸だからか、お盆より混んでいる高野山。
通された部屋は元々茶室だったらしく、天井がめちゃくちゃ低い。
身長182cmのダンナがさっそく頭をぶつけた。
以前チャネラーのmasamichiさんに聞いた話によると、
引っ越しや旅行などの節目となるときに怪我をするのは、
そこに至るまでの間に、その変容に見合う対価を払っていないからだとか…
その後ダンナは足もしたたかにぶつけ、涙目でその禊を受け入れていた(笑)

標高900m近い高野山では、午後3時では既に夕方の日差し。
午後5時に閉門となる奥の院には最初にご挨拶しなくては!
奥の院には、弘法大師空海が入定なさっている。
その結界はいまだ有効であることを感じられる場所だ。

ぶらぶら歩きながら奥の院に向かうと、前回以上の人ヒトひと…
若い女性のグループが、「謙信公よ!!!」と言いながら、
上杉謙信のお墓に群がっていた。
これが噂の歴女か~!!

午後4時半、奥の院の最奥の御廟の前に到着。
ツアーの団体客が群がっていた…
前回感じたお大師様の強いエネルギーは、今日は感じられない。
人が多くてざわざわしすぎているからだろう。
般若心経のひとつでも唱えたかったけれど、人に流されてそれもできず(涙)

一通り奥の院を回り、宿へ帰ることにした。
午後5時半から、夕方の勤行である瞑想があるからだ。
前回の大円院では夕方の勤行はなかったから、出てみることにした。
本堂に入ってみると、相変わらずフランス人が多い。
フランス人は仏教に興味がある人が多いようだ。

住職の説明を聞き、それから瞑想に入る。
40分くらい瞑想した後、瞑想の効能について住職から説明があった。
心だけでなく体にも良いということだ。
狭い中で瞑想し、足が痺れてそれどころじゃなかったけれど(苦笑)
それからいったん部屋に戻ると、隣のお部屋の親子連れが騒いでいた。
これも修行と思おうかとしたが、テレビの音がうるさいのには閉口。
子供の声ならまだ我慢できるけれど…
というより、1歳の子供を連れて高野山って…
ま、物見遊山というところだろうか。
宿坊のおかみさんにお願いすると、今夜は他の部屋が空いているということで、
ワンランク上の部屋へ移動させてくださった。

ダンナが真田幸村好きなのでここに決めたけれど、
正直言って、大円院のほうが良かったかも。
なんて思いつつ、明日に備えて早く寝ることにした。
あしたは23kmの山登りだ。

翌朝聞いた話だけれど、霊感の強いうちのダンナ、
夜中に奇妙な音を聞いたらしい。
シンバルの音と水の音だそうだ。
シンバルの音は、鳴り始めると周りの音がすべて消え、
水の音は部屋の周りをまわっていたとか…
恐怖は感じなかったけれどね~と言っていたけれど。
高野山の長い歴史の中では、色々血なまぐさいこともあったのだろう。
ま、あたしは爆睡していたけれどね~(笑)



続く…

Bonin Blue Again ! Vol. 5

2009-09-13 21:47:48 | 
2度目の小笠原滞在から早1ヶ月半…
ようやく帰りのフェリーの記事を。

【7月24日(金)】
小笠原滞在最終日。
今日の14時に出港するフェリーで東京に戻るのだ。
行きは800名強だった乗船人数が、帰りは1000名になるという情報を得て、
なるべく早めに乗船手続きをすることにした。

まず、朝9時に桟橋の宅急便営業所へ荷物を持ち込んだ。
乗船数が少なければ船室に置いておけるけれど、
多くなるとダイビング器材などの大きなものは、置くのも運ぶのも大変。
1000円でチッキにするよりも、東京都内なら1680円で自宅まで配送してくれる。
それなら宅急便のほうがお得^-^

宅急便に預けた後は、昨日聞いたハカラメの自生地を探しに大神山へ。
連日の快晴続き、今日もピーカン。
汗をかきかき大神山へ。
途中でハカラメの自生地も見つけ、何枚かゲット。

大神山神社でお守りを分けていただき、そのまま山頂へ。



二見港が一望できる、Sceanic Pointだ。

それからウェザーステーションへ。
とっても暑い日で、持ってきた500mlの麦茶は途中で飲みほしてしまった。
でも、汗は止まらないし喉は乾く…
生まれて初めて熱射病になるかと思った…

暑い炎天下をふらふらになりながら歩き、ウェザーステーションに到着。
この目の前の開けた視界!
何度来ても見とれてしまう。
しばらく海を眺めてから下山。
出港前に前回食べ損ねた島寿司を食べるのだ!!
サンシャイン小笠原の従業員の方に聞いた丸丈へ。
ポットで出してくれた冷たい麦茶をあっという間に飲み干してしまった…
ごめんなさい!
でも、本当に喉が渇いていたんだよ~!!
小笠原の島寿司は、カジキを漬にしたものを握りにしてある。
そして特徴は辛子。
ワサビじゃなくて西洋辛子を挟むのだ。
カジキがとろっとしていて美味しかった!

14時出航なので、13時より前に桟橋へ。
もう既に相当の人が並んでいた。
13時から乗船が始り、番号札を受け取って船室へ。
帰りも混雑している中ではよい場所をゲット!
これで安心して眠れる^-^

荷物を置いて甲板へ。
これから小笠原名物のお見送りが始まる。
まず、南洋踊り。
フラと盆踊りを合わせたような踊り。
小学生くらいの男の子が一生懸命踊ってくれて、あったかい気持ちになる。
それから和太鼓。
リーダーっぽい女性がいかにも「姉御」という感じで、粋な感じ。
そして、出港。
各ダイビングショップがボートで追いかけてきてくれる。
そして、最後にはスタッフが飛び込み!
これは何度見ても楽しいのだ!

お見送りを楽しんでから、甲板でお昼寝したり、ビール飲んだり…
乗船人数が多いので、早めにシャワーを使っておいた。
夕方以降は混み合いそうだから、そこら辺は臨機応変に。

夕日を見に甲板へ行くと、また目の前に大きな虹!
今回は虹がたくさん。
虹が消えたころ反対側に回ったら、きれいな夕日。
しばらく見とれていたら、フェリーの前方に大きな積乱雲。
見る見るうちにフェリーが積乱雲に突っ込んで、大粒の雨。
恵みの雨、禊の雨。
甲板に吹く強風に、ダンナが大喜び。
まるで犬みたいだ。

デッキでビールを飲みながら、買ってきたカップ麺とパンで夕食。
早めに就寝。

明けて25日(土)。
昨晩のうちに、売店横に掲示される日の出時刻を調べておいたので、
日の出を見に甲板へ。



「E ala e」を詠唱しながら日拝。
もちろん小声で。
今日は13の月の暦では時間を外した日、自由な日。
しばらく朝日なんて見ていなかったなぁ。
神々しい気持ちになる。



船室に戻り、もうひと眠り。
フェリーの中って、よく眠れる。
普段以上の睡眠時間だ。

寝たり起きたりを繰り返しつつ、お隣さんとおしゃべりしたり。
隣は偶然KAIZINで一緒に潜った人だったので、ダイビング談義したり。
あっという間に竹芝桟橋。

小笠原、やっぱり大好き!
ここはあたしにとって、本当にパワースポットだ。
いつか小笠原で出張ロミロミやりたいな~
きっと素晴らしいセッションになりそうだ。

ありがとう!小笠原

小笠原日記、終わり。