Saraの人生右往左往

『人生は長い旅路である』
Saraの“あっちふらふら、こっちふらふら”な由無しごと

手放す

2008-02-29 17:23:58 | Hawai'ian Mana Card
昨日も無事にセッションが終わった。
昨年から友人が場所を提供してくれて、
マナカードリーディングを行うことができている。
本当にありがたいことだ。

面白いことに、1日に数人の方のリーディングをすると、
同じカードが出てくることがよくある。
生活環境も年齢も様々なのに、1枚ずっと姿を現し続けるカードがある。
どのカードかっていうのは、その日によって違うのだけれど。
きっと、同じ日には同じエネルギーを持った方が集まるのかも。
類は友を呼ぶ、とは少し違うけれど。

昨日は【手放す】ことがテーマのカードが数回姿を見せた。
たくさんのものを背負い込んでしまった方が多いのかな。

帰り際、あたし自身が【手放す】ことをしなければならないことに気がついた。
あたしは何故か、リーディングが盛況でたくさんの方を見たとき、
罪悪感にさいなまれることがある。
カードが出したメッセージは、すぐに届く人と届かない人がいる。
色んなものを鎧のように纏っていると、メッセージは届きにくい。
そういう時、人はどんな顔をするか。

そう、怪訝な表情だ。
あたしはその顔が苦手なのだ。
その表情を見ると、自分の能力を疑う。
そして、その人から金銭を受け取ることに罪悪感を感じる。

昨日の帰り、再び罪悪感が頭をもたげてきた。
正直、気が重くなる。
そして、リーディングが楽しくなくなっていく。

でも、昨日はふっと【手放しなさい】というメッセージが降りてきた。
罪悪感は怖れの裏返し。
怒りと罪悪感は性格の違う兄弟みたいなもの。
罪悪感を手放して、ただ感謝しなさいと何かが言った。
その瞬間、罪悪感は消えた。

そうだ、必要なのは感謝だ。

だから昨日の帰り道は、
昨日会った人みんなのハイアーセルフにお礼を言いながら帰った。
リーディングするスペースを提供してくれた友人とそのパートナーはもちろん、
お店にいた他のお客様、リーディングを受けにわざわざ来てくれた方、
あたしと会話を交わしてくれた方。
もちろん、怪訝な表情をした方も。
だって、その方と出会わなければ、罪悪感を捨てる作業はできなかった。

ほんとうにありがとう。

感謝の念ってとても強いみたいで、今朝もまだ続いている。
そしたら、今朝自分のために引いたカードは【LEI】。
愛に溢れているのかしら、うふふ

手放す作業ってとても難しい。
例えば怒りなどの場合、それが性格の一部になっていることがあるから。
まさにあたしもそうだった。
っていうか、今でもそうかも。
でも、この作業を経ないといつまでたっても自分がつらい。
そろそろ色んなものを手放して、自分を楽にさせてあげよう

久しぶりの花だよー

2008-02-28 16:52:33 | Green Fingerになりたい
カレンデュラの花が咲いたのだ

1月にいくつかハイビスカスが咲いた後、どの草木も冬眠状態…
そんな中、カレンデュラは着々と蕾を付けていた。
実は、咲いたのを確認したのは2~3日前なので、
ハイビスカスみたいに1日で終わる花ではないらしい。



ちょっと暖かくなって、また寒くなってを繰り返しつつ、
春が近づいてくるんだなぁ。

カレンデュラと同時に種まきしたメドウセージ。
こちらは、何故か葉っぱは大きくなるものの、草丈が伸びない…
1mくらいになるって書かれていたのに。
葉っぱばっかり大きくなるから、わさっと密集。



暖かくなったら上に伸びてくれるかなぁ。
うーん、不思議。

空も荒れ模様だ

2008-02-26 18:13:49 | つぶやき
先週の土曜日、春一番が吹いた。
春一番が吹いた後は強い冬型の気圧配置になるため、天気は大荒れになる。
富山では高潮の被害があったようで、自然の力に改めて慄く。
父方の祖父の家は福井県の沿岸にあるけれど、
能登半島が自然の堤防になってくれているみたいだ。

そして今日も大荒れ…
南風のおかげで気温は高めだけど、風速1m増すごとに体感気温は1℃下がる。
真夏の沖縄でダイビング後、強風に吹かれてハイポサーミアってこともある。
人間ごときが、なかなか自然に太刀打ちできないのだ。

会社勤めを辞めても、なかなか1日空いていることはないのだけれど、
空いたら空いたで不安になる。
この先あたし、どうなるのかなぁ…なんて。
思い込みの枠を外せないクライアントは多い。
あたしもそのひとりなんだけれどね。

心が荒れ模様になりそうなとき、そういうときは家にいてはいけない。
とにかく外に出てみる。
近所を散歩するだけで、気分は晴れるから。

ってことで、今日もぶらぶら。

強風の時の空は、見ていて飽きない。
次から次へと雲が形を変えていく。
クジラ、龍、鳳凰。
この中にメッセージが潜んでいることもある。





今日もまた太陽の周りに虹が出ていた。
気がついたのはあたしひとり。
もったいない。
なんでみんな空を見上げないのだろう。

今日は、東京湾のさらに入江の近所の海岸も波が高かった。
きったない海だけど、水のそばは心が落ち着く。
雲と海を見ていると全然飽きないけれど、さすがにまだちょっと寒い。





心の枠を外すのって、本当に難しい。
でも、枠があることが分かったからこそ外れたことが分かる。
不自由な状態が分かってこそ、自由な状態の有り難味が分かるってもの。
まぁ、ものは考えようだ。

陽の射さない日を知っているからこそ、太陽がありがたいのだ。

Born to be "Deep"

2008-02-24 16:35:47 | つぶやき
このブログは、【放言ブログ】という位置づけで書いている。
その時思ったことや自分の趣味の世界についてなど、
基本的に人に読んでもらうことを前提とせず、自分勝手に書いている。

文章を書くという行為が大好きなのだ。
表現したいわけではなく、文章を書きたい。
以前勤めていた会社で文章を大量に書くことがあり、気がついた欲求。
そのために、このブログを書いているようなものだ。

でも、まったく読まれないのも寂しいという我儘な感情もあり、
人間って大変な生き物だなぁと思う。

先日、マナカード仲間たちと勉強会後に飲んでいたときに、
『Saraさんのブログって深いよねって○○さんが言っているよ』と、
モモさんに言われたときは、びっくり。
まさか目を通してくれてるなんて思ってもみなかった。

深いっていうのは、あたしにとって褒め言葉だ。
物事に興味を持つと、突き詰めないと気が済まない。
だから、書き出すと話がどんどんDeepになってしまうのだ

ダイビングも、最短の期間でインストラクターになってしまったし、
バイクも、最終的には大型自動二輪免許を取った。
旅行好きだから、一般旅行業務取扱主任者資格も取った。
瞑想が大好きで、1日15分~30分の瞑想は欠かさない。
フラはカヒコのみ。

深いと言うか、何でも【とことん】な性格なのだ。

さらに言うなら、あてどなく考えること自体が大好きである。
だから考えることを止められる瞑想の時間は欠かせないのだ。

瞑想と言えばYogaも好き。
最初は体重を落とすことが目的で始めたけれど、見事にハマった。
それは、Anusaraに出会ったからだ。
手首を痛めてからしばらく行っていなかったけれど、
昨日、久しぶりにAnusara Yogaのクラスに行ってみた。
やっぱり、これはあたしに向いている!

Anusaraとは、【流れるままに】という意味のサンスクリット語で、
体の本来のアライメントに重点を置いてポーズをとる。
そのため、ひとつひとつのポーズが長くなる。
体の関節、筋肉の動きとじっくり向き合いながらポーズをとるのだ。

でも、ハンドスタンドが多いのが難点。
普段は平気だけど、今はまた手首の捻挫を悪化させてしまったみたいだ…

昨日のクラスのときに、インストラクターの方がある言葉を紹介した。
『成長のために必要なもの、それは自由である』。
これはあるYogaのマスタークラスの方の言葉らしいのだが、すごい言葉だなぁ。

関節の付き方って、人によってかなり違う。
『このポーズはこうでなくてはならない!』って思いこんでいると、
自分の本来のアライメントを見逃してしまう。
これがダメだったらこっちからアプローチしてみようという柔軟性が必須。
到達する先が一緒ならよいのだから、道は無限にあるのだ。

うん。

こうでなければという思い込みを捨てること、
基本をしっかり押さえること。
そうすれば、どんなに深い世界だって入っていける。
自分のアンテナに引っかかってきたものを信頼すること。

もっともっとDeepに生きていきたいなぁ。

the Bad Moon Rising

2008-02-22 23:49:57 | Everyday Life
昨日の夕方、ヨガスタジオに行く準備をしつつベランダから外を眺めたら、
オレンジ色の大きな半円が、向かいの団地の屋上から覗いていた。

『あれ?!あんなところに観覧車、あったっけ??』

ちょっと方角が違うけれど、葛西臨海公園の観覧車はある。
でも、うちのベランダからは見えないはず…

あまりに鮮やかなオレンジ色だったので、しばらく気がつかなかったけれど、
なんとそれは、昇り始めた満月だった。





昔の人は赤い月を見て、天変地異の前触れだと言ったらしい。
それもうなづけるような、赤い色。
まるでお日さまがまた昇ってきたかのような、月。

昨日の昼間は月食があったし、昨日のおとめ座での満月はいつもより強力。
あたしが生まれた時も、月はおとめ座に位置していた。
残念ながら、満月ではなかったけれど。

満月からだんだん小さくなる月の時期は、いろんなものを浄化する時期。
乾燥、固定を司る。
傷の治りも早いし、出血も少なくて済むらしい。
月のリズムに従って生活するのもなかなか良いかも。

ヨガが終わっての帰り道、月はすでに高い所にあり、
いつもの黄色がかった白になっていた。
お財布も振ったし、何が入って来るかな??

Communication Break Down

2008-02-21 16:27:11 | つぶやき
Communiation Break Downは、
Led Zeppelinのデビューアルバムに収められていた曲のタイトル。
意味は通信不能とか、コミュニケーションの機能停止とか、
意思疎通がうまくいかないという意味だ。

何故、急にこの言葉を思い出したのかというと、
2月18日まで水星が逆行していたためである。
水星はコミュニケーションとスピードの星。
1月下旬から始まった逆行の期間は、
物事が遅々として進まなかったり、意思疎通がうまくいかなかったり、
そんな出来事が多かったらしい。

確かに、そうだ。

義父が入院したのだって、周囲との意思疎通がうまくいかなかった結果だし、
元々周囲の意見を聞かない性格をさらに助長した結果だ。

熊野行きも、最後まで詳細な情報は入ってこなかった。

それ以外でも風邪をぶり返したりとか、手首の捻挫が長引いたりとか、
なんだかうまくいかないことが多かった。
今週から少しずつ前進していくらしい。

今日は、職安の初認定日。
何を認定するのかと言うと、失業状態を認定するのだ。
失業状態と認められると、失業手当がおりるのだ。

職安の帰り、深川八幡様に寄ってみた。
お正月の大混雑ではないときに来るのは初めて。
今まで人ごみで見られなかったところもゆっくり参拝。







その後、お隣の深川不動尊へ。
ここはいろんな拾ってきちゃったものを外すのに最適だから、
たまに行きなさいとmさんに言われていた。
お正月以来だけれど、こちらもゆっくり内殿を参拝した。

本殿の4階に大日如来様の像と天井画のあるお部屋がある。
ここに足を踏み入れたら、急に第6チャクラのあたりがむずむずした。
眉間の奥、頭の中をむにゅっと押されているみたいな感覚。

その後下に降りたらちょうど護摩を焚くところだったので、座って一緒に合掌。
法螺貝や大きな和太鼓を鳴らすと、体にびんびん響く。
音を使って場を浄化するのはよく行われるが、
大きな太鼓は第4チャクラのあたりに響くことを発見。

水星の逆行が終わったとたん、季節も進んだかのような天気。
春は三寒四温と言うし、こればかりは水星とは関係ないかな。
それでも、ようやく重苦しい雰囲気からは解放されそうでほっとする。



さて、ヨガスタジオにも行ってみるかな。

Scrap & Build

2008-02-20 23:47:05 | Everyday Life
今をときめく(のか??)東京ベイエリアに住んでいる。
Down TownとUp Townの境目にある我が家。
あたしもこの街に引っ越してきて日は浅いが、どんどん変わっていく。

今日の一段と春を感じる日差しの中、近所をぶらぶら散歩してみた。
今まで昼間は会社にいたから気がつかなかったけれど、
海沿いの公園は、子どもとそのママたちの巣窟だった…
知らなかった…
そう言えば、このあたりに住むマダムを『○○ネーゼ』って呼ぶらしい。
マヨネーズみたいだから止めて欲しいんだけどな。



日々変わり続ける風景と海岸線。
ちょっとだけ空しくなる。

美しい遊歩道の向こう岸には、スクラップになった建物たち。



この街の変貌を見ていると、
便利さや、表面の美しさだけを思い求めているような気がしてくる。

この国では、【老い】と【死】は旅立ちではなく忌み嫌うものとなり、
感謝を込めて終焉を見守ることがなくなった。
最後に姥捨て山に捨てられるのは、自分たちなのに。

明るい日差しの中、この国の向かうところを憂う。
未来は、どこに向かっているのか。
あたし達はどこに向かいたいのか。


15年

2008-02-19 23:16:18 | No music, No life!
15年。
実に、発売から15年の時を経て、手元に来たアルバム。

それは、4 NON BLONDESの【Bigger, Better, Faster, More!】だ。
クレジットには1992年発売と記されている。

しかもこのアルバムに収録されている【What's Up】を初めて聞いたのは、
ヒットしていた頃よりいく分遅れていたように記憶している。
だからメロディーが頭に残っていても、誰の何と言う歌か分らなかったのだ。

でも、この歌がもう一度聞きたい。

そんな試行錯誤の中、何故かk.d.Langだと思いこみ、
当時発売された【Ingenue】を買ったけど、違っていた。

そして一昨年のGoodyearのCMで奇跡の再会を果たした。
ネットというのは便利なものである。
TVで耳にしたCM曲をいとも簡単に調べられる。
そして、4 Non Blondesというバンド名と、What's Upというタイトルを知った。

しかし、知ってから買うまでにさらに1年…
ようやく手元に来た。
国内盤はすでに廃番のようだ。

Linda Perryという女性ヴォーカルが歌っている。
音域の広いハスキーヴォイス。
この、裏声と地声を自在に使い分けるのは、
沖縄や奄美の島唄でよく聞く歌唱法だが、日本人には少ない。
きっと喉が強いのだろう。

そう言えば、水星の逆行が終わったらしい。
水星の逆行は様々な遅延を引き起こし、
特にコミュニケーションの分野において遅延が起こりやすくなるとか。
このアルバムが手元に届いたのを境に、物事がスムーズに進み始めるのかな、
なんて思ってみたりして。


春の兆し

2008-02-18 21:42:12 | Everyday Life
毎日寒いなぁ!
でも、旧暦では正月は明けたばかり。
まだまだ冬なのかも知れない。

冬至から約3ヶ月経ち、日没はだんだん遅くなっている。
今日は18時くらいまで明るさが残っていた。
お日さまも強さが増してきている。

春だなぁと思うものはたくさんあれど、
あたしが春を感じるものは、夕暮れの空にかかる月だ。
日が暮れきる前に東の空に昇る月。
これを見ると春だなぁと思う。



空気の中に、春の粒子が漂い始める。
そろそろ縮んだ背中を伸ばせる日々が始まる。



長い冬の後は、春の匂いが本当にありがたい。

大地の子

2008-02-17 22:47:34 | つぶやき
ようやく【中原の虹】の第3巻まで読み終わった。
蒼穹の昴もそうだったけれど、読んでいると心は狭い日本を飛び出し、
広い大陸の空を駆け巡るようだ。



この第3巻、P.330の12行目に、
「おのれを生み育んだ風や大地を愛し、常にともにあること、それが正義だ」
という一節がある。

これを読んだ時に、溜息とともに何とも言えない感情に見舞われた。
あたし達はこの大地から生まれてきたのだ。
血の繋がりや戸籍などというものは、たぶん幻想に過ぎない。
大地から生まれて大地に還る。
このシンプルで深遠な事実が心に沁みた。

ハワイでは、その土地で生まれた人間のことをKama 'ainaと言う。
Kamaは子供、'ainaは大地。
つまり大地の子供だ。
ハワイ語で家族はOhanaというが、
これは血の繋がった家族だけを指すわけではない。
例えば同じHula Halau(フラの学校)に所属すれば、Ohanaだ。

もともと日本の戸籍制度に何かしらの違和感を感じているあたしにとって、
この【中原の虹】の一節は、すとーんと心に収まった。
自分の血を残すとか、自分の子供が欲しいとか、
もちろん気持ちは分らないでもない。
でも、自分の持ち物にこだわる限り、
本当の平和ってなかなかつかめないのではないかと思う。

この命はいただきもの。
この大地、この地球から生まれて生きて、そこの土に還る。
こんなシンプルな生き方、そして死に方ができたらとても幸せかも知れないなぁ。



こんにちは!

2008-02-14 23:36:28 | Green Fingerになりたい
昨年の11月に種を植えたカレンデュラ。
アメリカのオハイオ州からオーガニックのものを取り寄せたのである。
寒さが厳しくなり始める11月に植えて戸外に置いておいたのだが、
なんとも健気なことに、蕾を付けた。



半耐寒性だとは知っていたけど、今年のこの寒さの中戸外で放置気味…
しかも、寒くなった12月に入ってから植え替えをするなど、
カレンデュラちゃんにとっては最悪の条件だったのに、
春が近づいたらちゃんと蕾を付けてくれた
かわいいなぁ。

カレンデュラは、花をオイルに漬けてエキスを抽出する。
このエキスは傷などの外傷に効き、またお肌を健やかにする。
うちにはエキスを抽出するほどのお花は採れないけれど、
可愛い花を見ているだけで楽しめそうだ。

植物のパワーはやっぱり凄いと思う

先日お友達のてるちゃんにブレンドしてもらったフラワーエッセンス。
オーストラリアのブッシュフラワーから作られているもの。
頭痛とグラウンディングなどに効くものをブレンドしてもらったのだ。



Red Lily、Black Eyed Susan、Sturt Desert Peaのブレンド。
2週間くらいで効果が出てくるそうだ。

頭痛と言えば、これも愛用。
リリーオイルだ。



これは、母が香港に行ったときに頼んで買って来てもらったもの。
Wintergreen Oil、Peppermint Oil、Lavender Oil、Eucalyptus Oilに
メントールやカンフルをブレンドしてある。
人ごみで頭痛を発症しやすいので、こめかみに塗ってマッサージしている。

これが手に入らないときは、これで代用。
Originsの【Peace of Mind】。



これはジェル状美容液なので、メイクの上からでも使いやすい。
こめかみやサードアイのあたりに使用。

ハーブはもともと生命力が強いものが多い。
さてさて、その生命力を見習って、寒い中でも元気に過ごそう

型破り、万歳!

2008-02-12 16:52:03 | No music, No life!
今年もグラミー賞の発表が終わった。
一時期は迷走していた感のあるグラミー賞も、今ではずいぶんまとも。

最優秀新人賞はAmy Winehouseだったらしい。
あぁ、やっぱり…と言うしかない才能。

Amyのヒット曲【Rehab】を初めて聞いたのは、ベストヒットUSA2007でだった。
やけに貫禄のある女性シンガーのPVが流された。
一回聴いて、ノックアウト。

曲もまんまあたしの好みだけれど、【声】にやられたのは久しぶりかも…

イギリスのファンクバンド【M People】の女性シンガー、
Heather Smallの声以来かも知れない。
今までも、存在そのものにノックアウトされたミュージシャンは数々いれど、
声にビッと来たのは本当に久しぶり。

そのAmy Winehouse、行動も型破り。
受賞の中継はイギリスからだったけど、
何と薬物中毒患者の施設から一時退院のような形で出てきて、
中継が終わったら、また施設に戻ったとか。

もう、拍手喝采
日本では、『悪ぶっていても、あの人結構良い人みたいよ』とか、
軟弱応援ソング(お好きな方、失礼!)がもてはやされるけど、
そんなのどうでも良いのである。
品行方正なだけでは、世の中動かせないことも多々あるのだから。

ねちっこい曲調も、いかにもイギリスのブルースロックだ。

グラミー賞受賞から全世界で500万枚のバックオーダーが来たらしいけど、
実は、あたしもそのひとり。
やっぱり、じっくり聞いてみなくちゃと思ったのだ。

ミック・ジャガーやブライアン・アダムスも大絶賛らしいけど、
なかなか時代に逆行するようなシンガーって残りにくい。
でも、今までの売れなかった素晴らしいミュージシャン達の怨念を引き継いで、
是非、彼女には残って欲しいな。

まだまだ弱冠24歳。
でも、貫禄はすでに大スターみたいだ。



【Back to Black】 By Amy Winehouse

新年、神々の国へ - 3が日が明けて

2008-02-10 23:28:49 | 
【2008年2月10日(日) 旧暦1月4日】
朝5時半に起き、ひと風呂浴びに。
誰もいない広い風呂で、なんとなく波フラを踊った。
誰かに見られたら、ただの頭のおかしい人なんだろうけど。

だんだん明けていく空はうす曇り。
masamichiさんの言うとおり、昨日は土地の禊の雪だったのか。

本日は旅の最終日。
朝ごはんをいただいた後、JR福井駅へ向かう。
途中、父の実家に寄り、再度祖父にあいさつ。

父の実家のそばに、小さい頃に遊んだ神社がある。
あの頃はもっと大きかったように思っていたけれど、
自分が大きくなったからか、意外と小さいことに驚く。
ここの神社の大きな木はご神木として祀られているのだが、
このご神木の存在感は、小さい頃感じたよりも大きくなった。



木は気に通じるためか、大きな木のそばは何となく落ち着く。

JR福井駅に到着後、観光タクシーで永平寺に向かう。
永平寺は厳しい座禅修行を行うことで有名なお寺で、
年末の【ゆく年くる年】では必ず除夜の鐘のシーンが放映される。
小さい頃に何度か来たが、迫りくる静けさが怖かったことしか覚えていない。



たくさんの参拝者がいるのに、内部は気の統制がしっかりしていて、
背筋が伸びる雰囲気に包まれている。
若い雲水(修行僧)たちが毎日手入れしている廊下はツルツルに磨きあげられて、
塵一つ落ちていないという表現がぴったり。



ここの雲水はほとんどがよそのお寺の住職のご子息で、
3年の修行の後、自分のお寺に帰って行くのだとか。

ダンナは永平寺見学の後、ひとり仕事のため大阪へ旅立って行った。
残り5人で福井が発祥だというソースかつ丼を食べに行った。



小さなお店に長い行列。
人気があるんだなー。

食後、JR福井駅近くの柴田神社へ。
ここは戦国大名の柴田勝家をご神体として祀っているのだが、
最近客寄せのためか勝家の妻のお市の方を前面に出している。
そして、3人の娘をもうけたことから家内安全を呼び物にしているが、
戦国を生き抜いたお市の方の壮絶な生き様、
さらには淀君の数奇な運命からは家内安全は想像できない…



特に何も感じず、柴田神社を後にした。

夕方、JR福井駅から北陸本線しらさぎ号に乗り、名古屋へ。
そこから乗り換えて東京へ。

毎晩宿が変わり移動距離が長かったためか、なんだか4日間の旅以上の気分。
人生も長い旅のようなもの。
沢山のものを見て様々なものを感じながら過ぎていくのだろう。

新年、神々の国へ - おじいちゃんとたまゆら

2008-02-09 22:45:54 | 
【2008年2月9日(土) 旧暦1月3日】
昨日までの麗らかな天気はどこへやら、名古屋はどんより曇り空。
中央線特別快速で米原へ向かう。
ここで、あたしの両親、ダンナ、妹夫婦と合流し、
福井は越前に住む、御歳93歳の父方の祖父に会いに行くのだ。

10時20分ごろ米原着。
結構な雪が舞っている。
今日は東京も雪だと天気予報で言っていた。

12時少し前、武生着。
かなりの雪。
ダンナが【冬のソナタ】ごっこ。



お蕎麦を食べて、越前海岸方面へのバスに乗り込む。
路線バスだけれど、このまま1時間半くらい揺られて宿に着く。
宿の窓からは冬の日本海。



祖父が住む越前市は、元々は織田町と言った。
これは織田信長にちなんだ名前で、
信長が剣を突き立てた土地には剱(つるぎ)神社が建立された。
しかし、最近流行りの合併で地名が消えてしまった。
古来からの地名がどんどんなくなって行く寂しさ。

蟹が売りである寂れた温泉街に立つ、【越前ガニミュージアム】。
これは町興しで行政が建てたものらしいが、なんともお粗末な内容。



宿の女将さんは『町民の血税を使ってるのに…』と苦笑いしていた。

夜は蟹尽くしの晩御飯。
3年分くらいの蟹をいただいてしまった…



食後、祖父が伯父に連れられて宿に来た。
緑内障を患っているため目が弱っているものの、頭と耳はしっかりしている。
御歳93歳とは思えない。
まだ自力で歩くことも苦ではなさそうだ。

先日、とあるチャネラーさんが、
『死を受け入れられない人や死を恐怖している人、
人に面倒を見て欲しい人は認知症を発症する人が多い。』と言っていた。
祖父は祖母にも先立たれたが、意外と冷静に死を見つめているのだろうか。
まったくボケておらず、可愛らしい穏やかな顔をしている。

祖父と一緒に撮った写真には、どれもこれも沢山のたまゆらが写っている。



戦争を生き延び、様々な思いをしながら生きてきた祖父。
穏やかな人柄がそのまま顔に出ている祖父。
久しぶりに会えて、ほんわかあったかい気持ちになった。

あたしも、精一杯生きて、悔いのないように死んでいきたい。
生きることとは学びの場。
しっかり学びを得て、次の世界に行きたいと思った祖父との再会だった。

新年、神々の国へ - 神が降りた場所

2008-02-08 22:09:30 | 
【2008年2月8日(金) 旧暦1月2日】
昨晩は早々に眠ってしまったため、朝6時起床して温泉へ。
ひと風呂浴びて朝ごはんをいただき、山間部の遅い朝日を部屋から眺める。
贅沢なひととき。



昨日行けなかった本宮大社そばの大斎原(おおゆのはら)へ行ってみようと、
急に思い立った。
熊野本宮大社は、元々ここにあったようだ。
しかし、300年ほど前に水害に遭い、今の場所へ遷されたそうなのだ。

美しい音無川の流れに別れを告げ、山間部を走るバスに乗り込む。



川湯温泉から湯の峰、渡良瀬温泉を走るバスから見る風景は、
ハワイ島のワイピオ渓谷を思い出させる。
木々のエネルギーの強さのためか、その地に流れる霊気のためか。

空もすっかり晴れ渡り、大斎原の鳥居を眺める。
長閑な空気が流れる、風光明媚な場所。







日が昇れば暖かくなるが、手洗い所に氷が張っていた。
夜間の冷え込みを実感できる光景だ。

鳥居をくぐり、内部へ進む。
今は建物もない更地だけれど、
ここに元々本宮大社があったことが十分納得できるエネルギーの強さだ。
本殿があったであろう場所に立つと、頭がくらくらする。
クラウンチャクラが全開になってしまうようなエネルギーだ。

周囲で工事を行っていたので、いつまでこのエネルギーが保たれるのか。
もう一度ゆっくり訪れてみたい。

さらにバスに乗って1時間ほどの新宮市へ向かう。
ここは熊野三山の2つ目の場所、熊野速玉神社があるところだ。

JR新宮駅で地図を入手し、熊野速玉神社へ。



ご神木である梛の大樹が美しい。



それから、熊野速玉大社の本宮である神倉(かんのくら)神社へトコトコ歩く。
神倉神社のご神体であるゴトビキ岩は、
 家都御子大神(ケツミコノオオカミ=スサノオノミコト)、
 熊野速玉大神(クマノハヤタマノオオカミ)、
 熊野夫須美大神(クマノフスミノオオカミ)
これらのご三神が初めて降り立った場所として祀られている。
538段の石段を登って息を切らしながら辿り着く場所なのだ。





肩で息をしながら、海のようにも見える熊野川下流を眺める。
熊野速玉神社より、凛とした空気が流れる。
やはりここは神様のための場所なのだろう。
そこにちょっとお邪魔させていただいた。





さらに阿須賀神社から浜王子、王子ヶ浜へと足を延ばして、
ほんの少しだけ、熊野古道気分を味わう。



阿須賀神社は、熊野速玉神社より古い歴史を持つ。
熊野の神社は、スサノオノミコトをお祀りしている所が多い。
木の国=紀の国(紀州)の守り神は、やはり木の神であるのだろう。





熊野灘を望む王子ヶ浜。
ここでしばらくお休み。



春を感じさせる麗らかな日、神様の存在を身近に感じながら歩く古の道。
それにしても、ここの人たちはとても人懐こい。
お昼御飯の時も、バスを待っている時も、旅人を心配して声を掛けてくれる。
古くから巡礼者を見守ってきた土地柄なのかなぁ。

JR新宮駅から特急に乗り名古屋方面へ。
名古屋についたとたん都会の雑踏にやられ、少々へこんだ。
明日は御歳93歳の祖父に会いに、福井へ北上する旅に出る。