Saraの人生右往左往

『人生は長い旅路である』
Saraの“あっちふらふら、こっちふらふら”な由無しごと

ぐるぐるな思考

2009-04-26 21:44:26 | Everyday Life
ほんのちょっとの出来事、きっかけは些細な言葉だったりするんだけど、
思考がぐるぐる出口のないスパイラルに入り込むことがある。
それは大抵の場合、良い思考ではない。
どちらかと言うと不快な思考。
例えば、「何であんなこと言っちゃったんだろ…(嘆)」とか、
逆に、「何であんなこと言われなきゃいけないの!(怒)」とか。
考え出すと止まらなくなる。

本当に些細なことだったりする。
ぐるぐる考えて、そこから離れられなくなってもぐるぐる…
イヤ~な気持ちのリフレイン。
分かっちゃいるけど止められない。

こんな時必要なのは、なぜその出来事が起こってきたか考えること。
思い当たったのは、手放すこと。
そうだ、感情を水のように流すことが今回の学びだろうな。

自分にとって嫌だって思うことはそこらじゅうに転がっている。
だって三次元だも~ん。
そこから学ぶために生きているんだもん。
人間だって2人以上集まったら、摩擦なんていくらでも起こる。
それをどう受け止めて、どう対処するか、それが与えられた学び。
学びのチャンスだと思うのだ。

あたしはやっぱり、「流すこと」を学ぶことが必要なんだろうな。
嫌なことに思考を持って行かれないように。
そのための言葉を今はたくさん持っている。

「ごめんなさい、ありがとう、許して下さい、愛してる」
これはセルフ・アイデンティティ=ホ・オポノポノの
イハレアカラ・ヒューレン博士の言葉。
最近のお気に入りは、「あたしはすべてを許します」。

日々晴れたり曇ったり。
まだまだ学びは続くのである。
とほほ。


39歳の誕生日

2009-04-21 22:26:55 | Hawai'ian Mana Card
39歳の誕生日を過ぎて3日…
去年流行語になった【アラフォー】だ。
来年40歳。
介護保険の支払いが始まるけれど、それ以外には大きく変わらないのだろう。
29歳から30歳になる時も、世間で言われるほど焦りなんて感じなかった。
時間は瞬間瞬間の積み重ねである。
時の連続、繋がり。
それだけなのだから。

時間は主観で測るものだと思う。
楽しければ短く感じるし、つまらなければ長い。

さてさて…
誕生日には恒例のバースデー・カードをマナカードで引いた。
出てきたのは、【OLE】だ。
OLEのメインテーマは物語り。
OLEは法螺貝のことだ。
法螺…去年熊野在住の修験僧、立石光正氏に習った。
それから妙に縁がある法螺貝。
ハワイでは儀式の前に吹く習慣がある。
日本では場の清めのために、儀式の前に吹く。
法螺を吹くことを、「法螺を立てる」と言う。

マナカードのOLEには、自分の人生の脚本は自分で描くこと、
というメッセージが込められている。
言葉は口にすれば現実化する。
ポジティブなことを口にすれば、ポジティブな結果がついてくる。
日本の言霊も同じことだろう。

意識の向かうところに、エネルギーは流れると言われる。
自分の心の中に描いたものが、外の世界で現実となる。
逆に言うと、心に思ってもいないことは現実にはならない。

最近お気に入りの言葉は、「私はすべてを許します」だ。
何か嫌だな~と思うことがあったとき、これを呟いている。
その何か嫌なことも、それを嫌だと思ってしまう自分もすべて許す。
よく言われることだけど、ネガティブなことを言うことが悪いのではなく、
ネガティブなことを言ってしまった自分を責めることが良くないのだ。
だから、ネガティブな思いを抱いてしまった自分を許す。
そうすると不思議と心がすっと楽になるのだ。

これからの1年はできる限り美しい言葉、美しい言霊を心がけよう。



驕りの心

2009-04-10 16:31:49 | Everyday Life
レイキなどのエネルギーワークを覚え始めたり、
何かスピリチュアルなものを始めたばっかりの人が陥りやすいのが、
【自分だけが特別な力を得た】と思いこむことだ。
最近読んだ【魔王(伊坂幸太郎 著)】の一節に、
【人は、自分だけが特別な力を得たと思いこむ】と
いうような感じの文章があった。

あたしはこの思い込みからは脱したと思っていたのに、
まだまだだった…っていうのを、今日不動明王様のお足下で思い知った。
やっぱりまだまだ未熟なのね~^-^;;
日々是精進!



実は、3月末にちょっとキツいセッションがあり、
それから肩が重かったり気分が晴れなかったり…
赤穂の塩温泉や塩サウナでだいぶ回復したものの色々外したいものもあり、
深川の不動堂へ護摩修行に出かけてきた。

般若心経を唱えながらハッと気がついたのは、自分の驕りの心。
多分ずっと気が付いてはいたのだ。
でも、自分の欠点を認めるのって、とっても苦しいし、勇気がいる。
だから見て見ぬふりをしていたのかも知れない。

不動明王は衆生の願いを叶えるために、
目にもとまらぬ速さで動き回っていらっしゃる。
そして、その衆生の願いについては、
きっと良いとか悪いとかの判断は下さないのだろうな~とぼんやり考えた。
自分は特別だと思いたいとき、周囲に対するジャッジが生まれる。
ジャッジは愛からは生まれない。
ジャッジはエゴから生まれるのだ。

ちょうど満月過ぎだったので、この驕りを手放せるように祈った。
自分も特別だけど、どんな人も特別。
ひとりひとりがすべて特別な存在である。
それを考える時間が持てたのは、とてもラッキーだなぁ。


義と、正義

2009-04-05 22:06:14 | Everyday Life
赤穂市の普門寺の花まつりに、観音楽と波フラの奉納に行ってきた。
普門寺は天台宗のお寺で、恵裕先生と言う女性住職がいらっしゃる。
恵裕先生はおいくつか分からないけれど、いつも朗らかで元気いっぱい、
そしてマリア様と観音様を足して2で割ったような観音様とコンタクトする。
とても素敵な女性住職だ。
4月4日の普門寺花まつりにて、
小嶋さちほさんが観音楽という曲を奉納するにあたり、
ご一緒させていただいた。
集まったのは観音楽シスターズ総勢19名。
とても素晴らしい奉納になった。


赤穂氏は赤穂浪士討ち入りの忠臣蔵でも有名な土地だ。
年末になると必ずどこかのTV局で放映される忠臣蔵。
この話は割と好きで、ついつい見てしまう。
史実とは異なるようだけれど、日本人の根幹を表していると思うからだ。
その赤穂に行けるのも今回楽しみだった。

忠臣蔵をTVで見るときに考えるのは、【義】についてだ。
義と正義って違うものだと思う。
うまく説明できないけれど、義っていうのは信念に近いと思う。
個人の行動の指針となる信念。

正義も定義するのは難しい。
正義学というのがあるくらいだもの。
イメージとしては、社会一般に通用する道理に適った正しいこと、
そんな感じにとらえている。

もちろん両方とも大切だけれど、
赤穂市に滞在中に考えていたのは、義の大切さだ。
これだけは譲れない、そんな信念。
自分の人生において、そんな信念を持つことって今まであっただろうか。
その時は「これだけは譲れない!」って思っていても、
意外とあっさり覆してしまうことが多かったように思う。
その時の環境や社会の雰囲気によって、
あっさり手放してしまえるのは信念ではない。

しかもその信念に対しては、意固地に執着してはいけないのだ。
他人からは見えなくても、心の中に燃え続ける炎のように、
大事に大事に守り続けるもの。
今は持っていなくても、いずれ見つかるのだろうか。
見つかったらとても幸せだろうな。
あたしにはまだ見つかっていない。

恵裕先生がお話し下さった不動明王様のお話。
不動明王様の衆生を救う動きがあまりに素早く、
動いていないようにさえ見えるから不動明王とおっしゃるのだけれど、
人間の心もこうあることを目指しなさいと。
生きているから嬉しいこともあれば悲しいこともあり、嫌だと思うこともある。
でも、素早く自分の軸に戻ってくればブレることはないのだと。
まさにセンタリングとグラウンディングだ。
その軸はきっと【義】なのだろう。

自分の軸を確立する。
探すのではなく、自分の中にあるものの筋を通す。
赤穂市滞在は、そんなことを考え直すきっかけをくれたのだった。



花まつりの採燈大護摩。
護摩焚きが始まったとたんに本降りの雨。
きっと護摩の煙が天に届いて、不動明王様のお返事として雨が降ったのだろう。