黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

天巽禅師の隨身に神童中峰あり(迦葉山紀行 4 )

2020-07-11 21:15:59 | 北毛紀行

ひめちゃんは、恋の季節真っ盛りを、無事に過ぎたようです

今日の夕方は、小次郎パパと諏訪神社にお散歩してきました。

パパの怪しい行動もなく、草むらに一緒に首を突っ込んでも大丈夫でした。

だだ、鳥居をくぐった途端に雨が降り出し、濡れながら帰りました

 

ひめちゃんの恋の季節は終わりそうですけど、七海ママの恋の季節は終わりそうもありません。

前回も今回も長く続いています。

パパは、ママにラブラブです

恋するパパの真剣なまなざしを受け止めるには、ママは年を取り過ぎました。

 

 

参道に回って、中峰堂の方に行きます

気になる掲示板が後ろ向きです。

 

参道に降りると、「迦葉山縁起・その他」でした。

「迦葉山縁起」に関する部分だけ、拡大します。

降って康正二年天巽慶順禅師により曹洞宗となる。天巽禅師の隨身に神童中峰あり。神通力を有し広く衆生の抜苦与楽の請願を立て昇天された。その後に天狗面が残され、鎮守中峰大菩薩として祭られ迦葉山信仰の中心となっている。

康正二年は1456年、室町時代・応仁の乱(1467)の少し前ですね。

天巽禅師は、「てんそんぜんじ」でいいのかな?

HPによると、

天巽禅師が二世大盛禅師に譲られるや、「吾、迦葉尊者(かしょうそんじゃ)の化身にて已に権化化業は終わった。よって今後は長くこの山に霊し末世の衆生の抜苦与楽せん。」と請願して案山峰より昇天され、その後に天狗の面が残されていたという。

 

神童中峰は、迦葉尊者の化身だったのです

迦葉尊者は、ウィキペディアによれば、

釈迦十大弟子の一人。仏教教団における釈迦の後継(仏教第二祖)とされ、釈迦の死後、初めての結集(第1結集、経典の編纂事業)の座長を務めた。頭陀第一といわれ、衣食住にとらわれず、清貧の修行を行った。

 

参道を入り直します。

なぜか、右が大天狗、左が小天狗です

 

失礼します。

中峰尊の額は、子爵源長生書とあります。

新田岩松家の源さんではありませんね。

確か岩松家は男爵でしたね。

 

さらに、失礼します。

わあ、コロナウイルス撲滅感染収束祈願中」です

心を込めて、合掌

 

さて、もう少し散策です。

 

鐘楼堂です。

どんな音色かな?

 

おや、千手面観音です

現代感覚の素敵な千手観音菩薩です。

合掌

 

こちらは聖観音の坐像のようにみえますけど。

雪の下です。

雪の下は、やっぱい水を好むのですね。

昔、実家の井戸端にありました。

地味だけど、懐かしい花とぱっぱです

今はもうない実家を思いながら、合掌

 

心と体と命の洗濯ができました

ありがとうございます

また、紅葉の季節にでもお邪魔できればいいなあ

 

コメント
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