黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

高野長英を匿った木暮足翁の墓(威徳山真光寺・その2)

2020-07-27 21:12:00 | 北毛紀行

晴れるでもなく、でも一応雨の心配のない朝でした。

堀之内を北に出ようとしましたけど、ひめちゃんはどうしても西に行くと主張します。

案の定、黄色い帽子の集団と遭遇です

小学校は本来ならば、もう夏休みのはずですけど、コロナの影響で今年はまだのようです。

震えながら、通り過ぎるのを待ちます

結局、南に下り庚申塚古墳を通って帰ります。

赤城山は、その姿を雲の間から覗かせているという感じです。

ひめちゃんは、双体道祖神の前で、道草を食います。

ひめちゃんの願いは、早く夏休みになって

 

 

 

紫陽花の寺・真光寺、奥に進みます

石造物がいっぱいです。

その中に、説明板のあるお地蔵様がありました。

一つの石でできたお地蔵様です。

全体の高さは150センチとあります。

そういわれれば、そのくらいかな。

ここは、万日堂北側墓地というのですね。

 

 

万日堂北側墓地にもう一基説明板付きの石がありました。

木暮足翁(こぐれそくおう)の墓です。

説明板をみてビックリです。

医学は、あの華岡青洲(はなおかせいしゅう)に学んだんですか

『華岡青洲の妻』、読みました

華岡青洲は、日本で(世界で)最初に全身麻酔を用いた手術を成功させた人ですね。

紀州まで行ってきたんですね

天然痘の予防接種までしていたんですか

 

高野長英に蘭学を学んだのですね

いろいろ検索していると、足翁は脱獄後の高野長英を匿ったとも伝えられているそうです

高野長英は、水沢藩(岩手県水沢市)の人で、水沢にいる母を頼って落ちていくときに寄ったとか、寄らなかったとか。

大学時代の友人に水沢の人がいました。

とても誇り高い人でした。

何となく彼女の人格に今納得です

説明板の向きが正面だと思うのですけど?

反対側に、お供え物がありました

仰々しくない人柄の表れた墓石なのでしょう

 

 

それでは、万日堂に参拝です。

県内でも有数の古い寺院建築ですか

確かに装飾性豊かな建造物ですね。

個性豊かな霊獣たちです

来世の極楽往生を願う民衆の信仰を集めたんですね

 

 

万日堂の隣は洪鐘(梵鐘)堂です。

第二次大戦中に、供出を免れたんですね。

音色を聞きたいものです。

 

更に奥は墓地だけなので、東の石造物や堂宇の方に向かいます。

 

 

現代的な、でも美しい聖観音です

おや、お隣のお地蔵様も変わった表情の方です

 

 

その後ろは、石灯籠のようです。

でもよく見ると、中腹にお地蔵様がいます

朱の後が残ってます。

真っ赤に塗られていたのかな

 

 

後ろを向くと、こちらにもお堂があります。

失礼します。

閻魔大王がおいででした。

閻魔堂だったんですね、合掌

 

(つづく)

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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