桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

雪に思う

2015年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム
1月8日(木)

明るい日差しだけど、雪国の人達は大変だな。
足腰が不安定な自分には住めない土地だと、つくづく思う。

まだ、滋賀県に住んでいた頃、汽車で米原から彦根まで通っていた。
自宅のある場所から次の村まで行くのには田んぼの間の道を使わなければならない。途中には電信柱があって畷と称される。
隣村から米原までは線路の沿った細い道で、上の方に中山道が通っている。
東海道線の列車を見ながら、この汽車に間に合わせるために一生懸命に走る。走る!
発車ベルを聞きながら、列車に乗る事もあった。

そんな若~い通学生活だった。
食料も不足の時代だったから、体力的にも大変だったが、こうして、わざわざ彦根の学校まで通わせてくれた両親には、今でも感謝している。
父の村だったこの村で、わざわざ、町の学校へ行かせてもらっているのは私と弟と近所の下級生の女の子だけだったのだ。
しかし、私は学校へ通うのは当然の事だと思っていたらしい。思えば、随分、呑気なものだった。

満員列車の東海道線が通ると、時々、思わぬ落し物がある。経済警察の目を盗んで窓から野菜などを投げて行くことがあった。世知辛い終戦後の世の中だったのだ。
しかし、帰りには、それらの物はもうなかった。

米原機関庫あたりにへ近づくと、左手の陸橋の下を北陸本線が走ってくる。列車は米原駅が終点となり、先程の東海道本線へつながるのだ。
古いけれど、国鉄の大事な幹線が集まる駅として、当時から米原の存在は大きかった。

汽車通学のために一時間の徒歩をする私達にとって、この二つの列車の運行は時計の役割をしていた。
現在は、私たちが住んでいた田舎の家近くを東海道新幹線が通っている。
今でも、この線路を通るたびに、目を皿のようにして眺めるが、どうしても分からない。


ただ、学生の頃に描いた伊吹山だけが印象に残っている。この山を過ぎると岐阜県大垣は直ぐだ。


なんと言っても、村と村を結ぶ畷(なわて)の道の思い出が大きい。
ここは日頃でも、風邪や日差しや雨降りなどで厳しい道だった。通り過ぎると、ほっとしたものだ。

特に思い出で忘れられないのは、電柱で高下駄の雪を払い落とせなくて、とうとう、通学を諦めたことだ。
とても、残念だった。
それほど、学校へ行く事をを真面目に考えていたのだな。真面目な私だった。

今でも、雪を見ると思い出す。


* 東京は良い天気だ









補聴器ねぇ

2015年01月08日 | 日記・エッセイ・コラム
1月7日(水)七草の日

今年になって一週間というのに、もう、大分、日が経っているように思える。七草の日なんだって!
ついつい、一日ぐらい先を読んでしまうなんて、どうしてそんなに急いでいるの?

今、ブログを書き始めようとしたら、ちょうど0:00と表示が出た。つまり、もう1月8日なんですよ。
最近の私のパソコンに向かう時間が遅すぎるのだ。

今日、1月7日は以前から考えていた補聴器の店へ行くことにした。
毎日、行こう行こうと思っていたが、つい、行きそびれていたのだ。

迷っているうちに、益々、耳の聞こえが悪くなりそうだ。

「あ、この歌手の声は悪いね。この人、なんて下手になったんだろう!」
最近の私は歌番組を聞くと、文句ばかりを言っている。
特に、男性歌手たちの声はダミ声に聞こえるから、下手だと批評する。
女性の高い声は変わらないが、低い声で歌う人はみんな下手!とまで言う。

考えてみれば、歌手たちがこんなに酷評されるなんて気の毒なのだ。
私の耳が、つまり聴力が衰えている所為で、彼らの歌がみんな下手に聞こえるのだ。

最初のうちは、まだ、私の耳は大丈夫だと思っていた。
しかし、気になるので、先日、お茶の水へ行った時、耳鼻科へ寄ってみた。
聴力検査の結果、未だ56デシベルの境界だから補聴器は必要ないと診断された。
でも、紹介状だけ書いてあげましょうかと、言われる。

その紹介状はそのまま、しまわれていたが、考えると、良くなるどころか悪くなるような気がしてきた。

まず、会話が上手く通じない。

「聞いているの?」生返事の私は、遂には怒られてばかり。
「その声では聞こえないから、もっと、大きい声で」と言うと、繰り返してはくれるけど、結局は曖昧な状態になる。
これでは折角の心地よい雰囲気もめちゃめちゃになる。


と、いうわけで、意を決して地元のJR駅近くにある店へ出かけた。
足が痛いので、タクシーで行く。この辺だろうと停めてもらった場所のまん前が店だった。

店員は男性、女性一名ずつの店だが、大手補聴器専門の出店である。
紹介されたのは新宿だが、そこまで行く気はなかったから、助かった。

補聴器って、高価な物だと分かる。歳をとると、いろいろと、かかるものだ。ああー!
長い時間をかけて、補聴器をつけながら話し合った。

改めて、違う補聴器も試してみることにした。かなりの時間をかけたが、相手も慎重に調べてくれる。
高価な物だから当然な事だが…

すっかり、疲れ果てた。店を出るときは、もう、夕暮れが迫っていた。


帰って直ぐに、夕飯の支度をする。やり過ぎだなぁ!
ブログにとりかかる暇がない。










暖かな小寒でした

2015年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム
1月7日(火)

小寒だと言っていた。『言っていた』と言うところはテレビのアナウンサーの言葉である。
昨日、2013年のブログが送られてきたので、開いてみたら『今日は小寒だ』と触れていた。
昨年と違って、今日は小春日和と言った方が良い程の日差しだ。
しかし、天気予報通りに午後になると、雨が降り出した。(当たったね!予報士さん)

今日で、年賀状書きは終わりにしたいものと、痛い足を正座させながら書き始める。
やはり、いつも通りに12月中に書いておけばよかったと、今更のように思う。
昨年は『寒中見舞い』で新年の挨拶が出来なかったことをお知らせとしたが、なかなか、難しいものである。

年末に葉書を買う時も、何枚買うか迷ってしまった。いっその事、買わなければ良い、つまりは一切出さなければ良いのであれば、悩む必要はない。
しかし、そうした思い切りの良さを実行するには相当な覚悟が必要である。
結局、葉書は予想より残ってしまった。全部、印刷したから勿体無いことをしてしまった。

私は、人付き合いの良い方ではないから、人気もないと思っている。
しかし、長い人生の間には、思わぬつながりが様々な形で現れて、それらまでを断ち切ることは出来ない。いや、そうした相手の方々のお心を有難く頂戴しなければならないと思う。
年賀状を見ながら、私のような付き合いの悪い人間にだって、たまには人生のご褒美ががあるのだと有難く嬉しく思うのだ。

特に、去年のように三ヶ月余りの入院生活を余儀なくした時に、その後の安否を心配して下さる方々がいらっしゃって、その優しさにほろりとすることもある。
そして「そんなにひねくれてはダメだよ」と、自分に言い聞かせている。


ところで、自分がパソコン狂いになって困ったことは、手書きが上手く出来なくなった事だ。
最近までは毛筆で書いていた。筆圧が少ないからである。

しかし、今回のハガキ書きからボールペンにした。
乱れに乱れ、しかも、文字が真っ直ぐに書けていないが、枚数を重ねる程に、可なり抵抗が無くなってきた様に思う。
「いや、相変わらず乱れていて、乱暴だよ」と、人は言うかもしれない。
何枚も書いている内に乱雑になってしまうのだ。
だから、もっと、一字一字に真心を込めなければならないといけない。

いずれにしろ、落ち着いた生活のリズムを保つようにしなければいけないと、反省する。

「今晩は何を作る?」
私は無性に『鮭粕汁』が食べたかったが、先日も作ったばかりである。しかし、寒いと、つい、食べたくなるのだ。

出来上がった鮭の粕汁に生唾が出る思いだったが、先日と違ったものを感じた。なんとなく、味が寂しいのだ。
「あなたの作ったものは塩辛い」と言われているので、塩加減は殆どしない事にしている。
難しい!つまり『塩梅』の難しさだ。

まだまだ、修行が足りないのだ。
人生、幾つになっても足りない事が多すぎる。
付き合いの悪さも直さなくては、女がすたるよ!今年は『年女』で『年バアさん』だものね。
今からでも、遅くは無い。



* 病院の待合室にあるコーヒーは美味しいですよ。(無料)



去年の今日はどうだった?(2014年)

2015年01月05日 | 一年前
今、やる事がある!
1月5日(日)小寒の日である。何となく、部屋が冷え冷え。今年の正月は暖かだったが、いよいよ、冬か。この冬は、まだエアコンを入れていない。面倒だと言うのが一番の理由。そ...


最初が肝心です

2015年01月05日 | 日記・エッセイ・コラム
1月5日(月)

分かりきった事だが、何事も最初が肝心。

今年の年末年始の休日は7日間。例年よりも長いとの事だ。
昨日は帰省中の車が、あちこちの高速道路で渋滞発生。
帰省する実家もないし、もう、その様な年齢でもないから、休み中は家でぶらぶら、いろいろな食物を食べてはゴロゴロなんていう日を送った上に、箱根駅伝に夢中になった。

しかし、正月のお返しに、昨年中は絶対に年賀状は書かない、年賀状は新年に書くものと宣言した身に降りかかったのは、どっさりと配達された賀状の束だった。
これでは、相当時間をかけても、賀状を書ききれないとため息をつくしかない。
心を込めて、年賀状を早めに送ってくださった方々に申し訳のないことをした。

昨年中に年賀状の印刷は済ませているので、ほぼ、大部分は出来上がっていると思っていた。
しかし、私は、細いボールペンを使って細かに文を書くのだから、思った以上に時間がかかってしまう。
そこが私の弱点だ。つい、長々と書いてしまうのである。
一年に一回の便りともなれば、つい、近況報告も兼ねる事になる。ましてや、相手の年賀状に細かく最近の様子や心のこもった言葉が書かれていると嬉しくなって、返事も長くなる。

やっと、今日で最後の返事を書き上げたとポストまで葉書を入れに行った。ついでにスーパーへ寄ってから、おそるおそる家の郵便受けを見た。
「あ、入っている!」二枚の年賀状、それも私宛のものだ。
さあ!早速、明日書いて出さなくてはならない。この時期に下さった人も、私の考えと同じく『正月初めに書く年賀状派』なのかな?

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今日は今年最初のリハビリがあった。
先週から続くのであっても、年が新しく変わると言うのは、気持ちも変わることになる。

いつも通りに院長先生の問診があった。
新年の挨拶をする。先生も丁寧に挨拶をして下さった。
私はこの病院はリハビリを続けていただけるので有難いと話すと「いや、これは国の方針で…」とおっしゃる。 
「いえいえ、この病院は院長先生を始め先生方が良い方で、リハビリの治療をする人たちや看護師さんたちが熱心に患者に対応して下さっています。だから、私はこの病院が好きです。でも、もう一度、入院はしたくありませんがね」と答えた。
先生は嬉しそうに笑って頷かれた。

リハビリが終わって、リハビリ担当のEiさんに話したら「有難うございます」と言われた。
私は心から話しているのだから、病院関係の皆さんはよく理解して下さっていると思う。

ここ数日、年賀状書きで机の前に座ったきりだったから、ますます、足が腫れてしまった。
やはり運動不足が大きな原因だろう。それに腰椎も原因している。

無茶な事はしてはいけないが、日頃の生活態度の乱れが大きな原因となるのは確かだ。
心しなければいけない。
初心忘るべからずである。(出来もしない自分に呆れながら…)


* 同系統の病院の案内や広報などの印刷物が置かれた書架です。参考になる良いことが満載されています。








今日は今年最初の回収日ですよ

2015年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム
1月4日(日)

今日は日曜日だが、ゴミ収集の日になっている。
こうなると、うっかり寝正月は決められない。

今置いている生ゴミ類は12月27日以来の物だから、今日、出し忘れたり、回収時刻に間に合わなかったら大変だ。
寒いけれど、仕方がないから、まとめて、ゴミ袋を表に出した。

いつもは、姉が出すのだが、まだ、起きてこない。ドアをノックして処理済みと報告する。


そう言えば、確か、フランスでは夜のうちに街角にあるゴミの缶に捨てたと記憶している。緑色の大きな入れ物だった。
日本と違って夜のうちにというところが、羨ましく思え、皆で話題になった。


平成6年だったと思う。
『』女性の海外視察団』が日本全国から募集して団を組み、訪問国へ派遣された。つまり、女性の地位向上のために、問題意識を持って視察と学習をすることが目的になっている。

たまたま、区の広報紙に参加者募集の概要が載っていた。私は、それまで自分の住まいがある区からは何の恩恵も受けていなかったと思い、早速、応募した。
「あなたは、随分、あちこちに出かけているから、もう、いいでしょう?」と面接で聞かれた。
「いえ、いえ、それは私的なものが殆どです。ぜひ、参加して勉強をしたいのです」と答える。

選ばれた三人は其々訪問する国が違っていて、私はフランス、スイスの二カ国を15日に亘って訪問することになった。
都道府県の代表として様々な女性団体の代表者が集まり、班に分けらた。
私の班には愛媛、広島、和歌山、東京、福島などの人が集まり、班長は私が務めることとになった。

ところで、この海外派遣の目的は訪問地の女性の向上だけでなく、国によって異なる生活や家庭の状況、教育、自然と産業のつながり等など、様々な問題が山積されていた。
15日間の訪問はその為であって、観光は皆無と言って良い程だった。

今でも忘れられないのは、マルセイユで見たゴミ処理場である。驚くように広い土地一杯面にゴミの山が貨物列車やトラックで運ばれてくる。真っ白なカモメがそれらをついばんでいると言った光景には、皆が息をのんだ。物凄いゴミの集積場飛び交う真っ白なカモメの姿は、あまりにもそぐわなかったからだ。

ゴミと言えば、スイスでは小さな工場で機械仕掛けの処理をする工場を見た。マルセイユとは規模の大きさが余りにも違う。
また、
チューリッヒの公園では麻薬患者が国外からも集まって薬を飲むと聞いて、あの美しい樹木の下で、そのような行為が行われているとはと、ショックを受けたものだ。


ごみと言えば、パリの夕方に見かけた緑色のギャベージ缶の存在が未だに印象的であることを考えると、現在の東京都のゴミ収集はよく検討されているとは言え、年末年始の対応など、まだまだ問題がるなと考える。


今日も、半日、年賀状書きで日が暮れた。まだ、残っている。返事が遅れて申し訳ないなと、年末に書かなかったことを反省する。
今日は日曜日なのに、郵便受けを見たら、また、賀状が入っていた。大変だ!







箱根駅伝第2日

2015年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム
1月3日(土)

思い出した。箱根駅伝だわ。
例年なら、箱根をスタートする時はテレビを見ていたのに、今回は忘れていた。

テレビをつけると、既に最初の選手は麓まで来ていた。
速い、速い。最近は箱根へは行っていないので、懐かしいような気がする。

「テレビ見るんでしょう?」「うん」「変えていいわよ」
ドラマを見ていた姉はチャンネルを変えるように勧める。

正月料理はもういいと、私はフライパンを出した。
ベーコンエッグにするよ。それにキンピラを作ろうっと。

二人とも、カリカリベーコンが好きだ。
でも、やり過ぎた。一部分が焦げてせんべいのようにカリカリ。
姉は文句も言わずに食べている。
「どう?」「美味しいよ」

最近の私の料理の味は塩辛いと言われる。でも、人が作ったものは文句を言わずに食べるのが、私たちの常である。

何れにしろ、二日経つと、もう、おせち料理は飽きた。まだ、作っていないものもあるけれど、誰も来ないのだから省略する。

そういうわけで、炊事に集中して、駅伝の実況放送はワーワー聞こえるだけで、なんだか分からない。
先頭の学校が青山学院大学だと言うだけで、あとは聞き流し。


応援したいと思う学校は我が家の家族に関係のある二大学だけで、まあ、10位以内に入っている事を確認した。
天気が良いので、今日は近所の大手スーパーへ行こうと話し合っている。


その前に年賀状書きを始めたが、郵便番号を探したり、住所の表記がはっきりしないので調べるなど、手間がかかってしまった。
お願い!せめて郵便番号くらい、きちんとかいてほしいなぁ!


やはり、青山が総合第一位だった。底力を感じた。
しかし、どこの大学を見ても、選手たちの顔の可愛いことに驚く。


年賀状書きの方は一向に進まない。まあ、焦らずに書くことにした。

そいうわけで、出来た年賀状を持って外出する。
今日は初売りだから、スーパーでも福袋が出るそうだ。買う気はないが、何と無しに、未だ残っている福袋の中身をそっと覗いてみた。
既に全開になった袋もあった。やはり、若し買って帰ったら、使われないで、そこら辺や戸棚の片隅に置かれたままになるに違いない物もあるようだ。

結局、冷凍物を中心に多くのものは買わなかった。野菜、果物は通常より高いと見た。
この店へ行くと、帰りは歩いて帰る。今日は、足の具合が良くないが歩くことにした。
二本杖は姿勢をピンとさせ、足取りもはやくなる。
疲れたけれど、まあ、いい運動になった。

いい天気で、夕方の月が美しかったが、ピリリと寒い。









箱根駅伝第1日

2015年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム
1月2日(金)

毎年、正月2日と3日は落ち着かない。
なぜって、大学箱根駅伝競争が開催されるからである。

今から3年ぐらい前までは、わざわざ、レースを観戦しに京浜急行『平和島駅』の角まで出かけたものである。
家から歩いて7~8分、しかし、大抵は時間に遅れた。私が歩くより、選手の走りの方が速いのだ。

読売新聞の小旗をもらって、10区を走る選手たちを応援したものだ。
結局、1位の選手の姿は既に無かったが、続く選手たちの姿を見て応援をすることが多かった。

駅伝応援の始まりは昭和56年だったと思う。
当時、入院中の私はベッドの枕元に置いたラジオから聞こえる実況放送を聞きながら、回復したら絶対に応援に行くと決めた。
当時はまだ、高速道路が完成していなかった時代で、時々、出かける箱根への国道が駅伝競走のコースと同じだったから、実況放送の景色が手に取るように分かったのだ。


懸命に走る駅伝は、度重なる手術に耐えていた私の気持を救ってくれた。選手たちの苦しさが自分の事の様に思われるほどだったのだ。これは、今でも忘れられない。


そう言う訳で、始めのうちは往路と復路の二日間を応援に出かけたものだ。また、追っかけをやって、ゴールまで駆けつけたこともある。
応援をする人も、年々増えてきた。それぞれが、自分たちに縁のある学校を応援する。
私が出た学校は参加していなかったが、家族の卒業した学校を応援したりした。

今では、そんな事は、どうだっていいように思える。とにかく、どこの学校でも、選手が母校の期待を担って、懸命に走る姿に感動する。
それにしても、この駅伝は、年々、多くの大学に影響を及ぼしている。
既に高校駅伝などで優秀な成績をおさめた選手を入学させるなど、勝つための方策を練っているが、それは留学生招致につながっている。

このことが良い事かどうなのかは、今でも、私には理解出来ない。
学校のイメージを高めるためなのかな?と思ったりもするが、バカ正直な私には肌に合わないなぁ!と思ったりもする。
しかし、これもまた、今年になって考えが変わってきた。「どうだっていいや!」といささか、投げやりな感想だ。

今回は青山学院が往路優勝をした。
早速、卒業したmaさんにメールを送った。まあ、私って、子供みたいだわ!でも、喜ぶって言うのはいいものだ!
箱根は雪が降った後だった。寒かっただろうなぁ!


やっと、年賀状書きを始めた。でも、今日は、たった26枚切りで中止。くたびれた。
あーあ!去年のうちに書いておけばよかった。
でも、今年は大幅に数が減った。たくさん、印刷をしたのに……である。

一度『寒中見舞』なるものを出すと、途端に減るのかしら?と思う。
そう言う時に、何時もと変わらず、年賀状を忘れずに送ってくださる人は、大事にしなければならないなんて思ったりする。

(本当はいっそのこと、全部、おしまいになると良いのかしら?)

明日はまた、年賀状書きが待っている。今度は時間をかけて書かないと大変だぞ!


* 私のいたずら描きの富士山です。ちょこちょこっと描きました。










































































































































































































































































































新年おめでとうございます。今年は羊!私の年

2015年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム
1月1日(木)

新年おめでとうございます。
今年は未年。私も未年生まれです。だから、おとなしくて優しいんです?
ニュースによると、全国で未年の人間は約一千百万人で、干支では9番目の人数だそうだ。
いやぁ!少ないじゃないの!
さて、今年、生まれる子供はどのくらいかな?
なぁんて、のんきなことを考えた。

いや、そうじゃないんです。
昨夜は(本当は今日のこと)パソコン周りを片付け(元に戻すだけ)ているうちに、えらい夜更かしをしてしまった。
寝たのは3時過ぎ、いや、4時近かったなぁ。

明日は(今日のこと)ゆっくり寝ようっと!(これでは元の黙阿弥になってしまう。いけない、いけない!)

と、いうわけで、朝は結構早く目が覚めたけれど、布団の中で、ぐずぐずしてしまった。
正直に言うと、足が冷えて、背中が痛くて、起きるのが辛かったのだ。
相当、ゴロゴロしていた。
 
階下へ降りて行ったら「何をやっているの?随分待ったわ」と姉の声。
「ゴメンナサイ」と丁重に謝るのみ。
今年も謝りの連続か?
ああ、足も腰もどうなるのだろう?


本当は、昨日か、今朝のうちには『大根なます』を作りたかったのだ。
そのために、干し柿も用意しているのだけど、チャンスを逃してしまう。
今晩、絶対に作ろう。


昼近く、ワインを汲み(やっと、先日開けた白ワインは終わり)新年の挨拶をする。
先日開けた白ワインが終わった。珍しい。
姉は酔うからと言って、飲みたがらないのに、今回で、すっかりワインが気に入ったそうだ。

ドアを叩く音がして、甥一家が顔を出した。
1年ぶりの子供達は大きくなっていた。お年玉をあげる。

年賀状が届けられた。
わお!大変だ!これから返事を書くことになる。
年末に無精したものね。

ところで、午前中に雪がちらほら降っていたが、何時の間にか止んでいた。
寒そうだな!今年の初雪。

『グリーンベルト』という映画を見た。3時間余りの長編作で、やっと午後6時に終わった。
いい映画だとは思うが、後味はあまり良くない。憂鬱になる作品だった。
元日早々にこの映画とは‥…と、言って、途中で見るのを止められない魅力のある作品だった。


ぼうっとしながら、大根に人参、干し柿、柚子を用意する。
私はこの『大根なます』がとても好きだ。だから、毎年、作る。これに『酢蓮』や『酢牛蒡』があれば、ご機嫌だ。
沢山出来たと思ったが、結構、今晩のうちに消費出来た。
後の二つは、明日にでも作ろうかな?

今晩は『早く寝よう』と決心する。
今年の『決意』の第一号ににするか!






大晦日?何もやらないよ!(その2)

2015年01月01日 | 日記・エッセイ・コラム
平成27年1月1日(木)大晦日について書く。

何もやらないよ!と宣言したのに、世間並みな事をしてしまった。
いや、それ以上にやってしまった。

先ず、食べること。
年越し蕎麦。これは、もともと、やるつもりだった。先日、パーキングエリアで買っておいた『忍野蕎麦』

そして、明日(今日)食べる正月の品々も皿に盛り分けて、今日(大晦日)に食べる。
やはり、出来上がった物は早く食べた方がいい。

面白くもないと文句を言いながら見た紅白歌合戦には、番組の流れもいい加減に聞いて、結局は『行く年くる年』まで見てしまった。
「なんだかこれだけでは寂しいね」と言いながら、側に置いてあるワイングラスを見る。
二人とも、急に酒飲みになったみたいにワインにこだわっている。

「そうだわ。私、飲みたかったのよ」
今まで、少し飲むと顔が赤くなるからと、用心していた姉までが飲むようになった。
「2014年に乾杯!」
グラス一杯の白ワインに二人とも、いい気持ちだ。

寝坊をしても、誰も来ない元日だから、ゆっくり寝よう!


午後11時49分、地震があった。テーブルの上のグラスがカタカタと音を立てていた。
千葉北西部とのこと。今年最後の地震だ。