桜子でーす

日々の感想や思いついた事柄を写真や文章に表しました。ビジュアルに表現出来ると嬉しいな!

箱根駅伝第1日

2015年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム
1月2日(金)

毎年、正月2日と3日は落ち着かない。
なぜって、大学箱根駅伝競争が開催されるからである。

今から3年ぐらい前までは、わざわざ、レースを観戦しに京浜急行『平和島駅』の角まで出かけたものである。
家から歩いて7~8分、しかし、大抵は時間に遅れた。私が歩くより、選手の走りの方が速いのだ。

読売新聞の小旗をもらって、10区を走る選手たちを応援したものだ。
結局、1位の選手の姿は既に無かったが、続く選手たちの姿を見て応援をすることが多かった。

駅伝応援の始まりは昭和56年だったと思う。
当時、入院中の私はベッドの枕元に置いたラジオから聞こえる実況放送を聞きながら、回復したら絶対に応援に行くと決めた。
当時はまだ、高速道路が完成していなかった時代で、時々、出かける箱根への国道が駅伝競走のコースと同じだったから、実況放送の景色が手に取るように分かったのだ。


懸命に走る駅伝は、度重なる手術に耐えていた私の気持を救ってくれた。選手たちの苦しさが自分の事の様に思われるほどだったのだ。これは、今でも忘れられない。


そう言う訳で、始めのうちは往路と復路の二日間を応援に出かけたものだ。また、追っかけをやって、ゴールまで駆けつけたこともある。
応援をする人も、年々増えてきた。それぞれが、自分たちに縁のある学校を応援する。
私が出た学校は参加していなかったが、家族の卒業した学校を応援したりした。

今では、そんな事は、どうだっていいように思える。とにかく、どこの学校でも、選手が母校の期待を担って、懸命に走る姿に感動する。
それにしても、この駅伝は、年々、多くの大学に影響を及ぼしている。
既に高校駅伝などで優秀な成績をおさめた選手を入学させるなど、勝つための方策を練っているが、それは留学生招致につながっている。

このことが良い事かどうなのかは、今でも、私には理解出来ない。
学校のイメージを高めるためなのかな?と思ったりもするが、バカ正直な私には肌に合わないなぁ!と思ったりもする。
しかし、これもまた、今年になって考えが変わってきた。「どうだっていいや!」といささか、投げやりな感想だ。

今回は青山学院が往路優勝をした。
早速、卒業したmaさんにメールを送った。まあ、私って、子供みたいだわ!でも、喜ぶって言うのはいいものだ!
箱根は雪が降った後だった。寒かっただろうなぁ!


やっと、年賀状書きを始めた。でも、今日は、たった26枚切りで中止。くたびれた。
あーあ!去年のうちに書いておけばよかった。
でも、今年は大幅に数が減った。たくさん、印刷をしたのに……である。

一度『寒中見舞』なるものを出すと、途端に減るのかしら?と思う。
そう言う時に、何時もと変わらず、年賀状を忘れずに送ってくださる人は、大事にしなければならないなんて思ったりする。

(本当はいっそのこと、全部、おしまいになると良いのかしら?)

明日はまた、年賀状書きが待っている。今度は時間をかけて書かないと大変だぞ!


* 私のいたずら描きの富士山です。ちょこちょこっと描きました。