ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

そういう気持ちもあったしあるし

2010年01月09日 | 幼子は身も心も健やかに(育児)
今日の新聞のお悩み相談だったか、……病弱な女性が、自分のつらさは誰もわかってくれない、同じ症状でも、周りに労わってもらえる、妊娠出産できる女性が妬ましいという趣旨の投稿があった。

ガーンと思ったけど…あ、桜泉もそれに近い気持ちを抱いた時期があった…思い出した…。

詳細は書かないけど、人に分かってもらいづらい病気のつらさというものがある。比較して憎いとか妬ましいとまでは思わなかったけど、お産はおめでたいのだし、みんなに祝福されていいなあと、うらやましく思ったことはあった。自分は何も祝福されない、と悲しく思ったことはあった。
だから、心の奥底で、自分も子供を産んでみたいと思っていたのかもしれないとさえ、今日、思った。

しかし忘れていた。
これぞ、まさに、妊娠出産をした人の、思い上がりなのかもしれない。気をつけねば。(みんながみんなそういう風になるという意味じゃなくて、桜泉の自戒として。)

でもね……。
じゃあ、病弱な人がチャンスを得て妊娠出産をすると、これは実は、喜びと同時に、それなりに、苦難がやってきて付いて回るのですよ…とも言いたくなった。
妊娠時の体調不良は健康な人の比じゃない。ゆーくん妊娠時の苦難は思い出すのもいまだにつらい。家族も、医療従事者すら、有効な助けを提示してはくれなかった。一人でもがいた。ある医者の暴言などは、いまだに恨んでいる。
産めば当然休みなしの母業。
現に今も、正月疲れからきた風邪でボロボロな桜泉は、マジで今日明日なども、何もかもから逃げたい気さえしている。
しばらく逃げたい。
しかしそうは問屋が卸さない。
こういうときの切羽詰まった気持ちはたまったものではない。
どうしても逃げたくなったら…逃げねば自分の命が保たないとなったら……もちろん、それは、何か最善の方法を考えるしかないと思うけど――。

それでも…やはり、確かにその人の言い分、気持ちは、わかる。

桜泉は、心の底で自覚していた気がする。していた。
結構、妊娠出産育児で救われていると。
どうせ疲れやすくどうせ弱い体なら、妊娠出産育児の状況にある方が、何故か労わってもらいやすい…少なくとも、自分がそう感じられる、子供に救われている、と。

ああ、人は何で…人を労われないのだろう――。
なぜ人は人の不幸を労われないのだろう。

そんな事を思いながら今日は休むことにする。及ばずながら、知らないその人のことを少しお祈りさせていただこうと思う。

アヒルのパウロ君

2010年01月09日 | グレ耶蘇生活
今、我が家には、お風呂のアヒル君がいる。
風呂嫌いのゆーくんのために、祖父母からのプレゼントなのだが、もちろんJくんもご執心。
それでブログのテンプレートもしばらくアヒル君になった。

それはともかく、うちのアヒルは、なんと、お湯につかると顔が変わる。

子どもたちが、もろに水攻め、どぶんと沈めて引き上げると、にっこりした顔に変って出てくるのだ。
目のところに、お湯で色の変わる特殊塗料が付いているからなのだけど。

……受難にめげるどころか、ニコニコと絶えず喜んでいるアヒル君。
いや、彼は受難と思わず洗礼と思っているのかもしれない。

苦難は忍耐を忍耐は練達を練達は希望を、とか言いながら、たえず喜んでいる君に、今日、パウロ君の名前をあげよう、アヒル君にそう言い聞かせた桜泉であった…。

グレイトミッション?

2010年01月09日 | グレ耶蘇生活
子らとがっつり過ごした土曜日、疲労ピークで帰りのバスはもう乗り物酔い。コンビニでグラソー飲んで休む。このまましばらくどっか行ってしまいたい。

しかし家には二日分の洗濯片付けがある。家計簿もつけ溜めている。

他の誰がやるんだ。

私のグレイトミッションだ。

例のグレイトミッション※もいいんだけど、まず自分の頭のハエを追うミッションをおろそかにしたくない。
頭ハエミッションをバカにするなかれ。

※マタイ福音書ラストで、復活体のイエスが弟子たちに「教えを宣べ伝え洗礼授けよ」と言ったこと。←桜泉的にはこんなこと(!)よりその後の台詞、「世の終わりまであなたがたと共にいる」が好きだが。