ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

4月からが憂鬱だ

2009年03月20日 | グレ耶蘇生活
…4月から、日曜日のことを思うと、ちょっと悩みのどつぼにはまっている。

平日、子供たちも私たちも、時間でひーひー言いながら、言いたくなくても「はよせんかい!」「時間だぞ!」と、怒号の中で出かける日も多くなろう。
だから、週末ぐらいはゆっくりしたい、「●●せねばならぬ」「●●時までにこうせねばならぬ」から解放されたい。子供たちだってきっとそうだろう。

だけど、日曜日がある。
世間の人が午前中、まったりーと過ごす日曜日、しかし礼拝は11時から始まる。

ゆったり出かけたくば平日並みの早起きをしないと、溜めた家事をし終えてから礼拝に行くことは難しい、けれど大抵…疲れていて、そう早くは起きられないだろう。
そして、子供たちも、日曜まで、時間だからとせかされたり、親たちがせかせかいらいらした姿をみたいだろうか。

礼拝は、行きたい。したい。
でも、それのために、いらいらしたり、ひいては平日の暮らしも疲れ果てるようなことになったら意味はないと思っている。神様が休ませてくれて、元気づけて、平日へ派遣される、それが礼拝だと思う。

私もつい時間ということではイライラせかせかしがちだし、パパガスに至っては、予定の変更、時間の遅れなどがとても苦手。今日、何時にこうする、と決めたら、その通りにならないと、すごく機嫌が悪くなるのを何度も経験している。

いっそ、パパガスだけ、時間に間に合うように、好きなように、礼拝に出かけてもらおうか。
いや、じゃあ私はどうなる?日曜も、家事と育児の果てに、ボロボロになって、12時ごろに子供二人を引き連れて、ドローンと(礼拝が半ば終わりに近づいた)教会にたどりつく、というパターンになるのが落ちだ。

さて、どうしたものだろう。
いっそ教会なんか、礼拝なんか、なければいいのに…などと言ってはいけないのだろうけど、今はそんな気持ちになってきた。

だんだん少しずつ見えてきそう

2009年03月20日 | その他もろもろ
自分がやりたいことが、ライフワークの中身が、今一つまとまらなかったのだけれど、少しずつ少しずつだけ、見えてきそうな気がしている。

やはり自分の経験をベースにするしかないのだ、という、開き直りにも似た確信が湧いてきたから。

周産期の母子の心身の健康について、そして、子供の育ちについて、特に、障害を持つ子供の育ちや、その育児をする親の心理について……というキーワードが湧いてきた。

18歳のあの時、教育学部の心理学専修に進んだことを、その後何度も何度も何度も後悔して、好きな文学でもやってりゃ良かったとグチグチしていたけれど、やはり…道は少しずつ、備えられていたのだろうと思えるようになった。若い日の学びは、あまり実らなかったけれど、それでもはじめの土壌を耕す作業ぐらいにはなっているはずだ。

もう中年の桜泉だけど、この先どうか、何かいいチャンスが与えられるよう、祈りながら、少しずつ少しずつ、備えていこう。

…思えば、日本じゅうのあまたの分野の雑誌の、しかも中身まで、毎日毎日すごい勢いで自分の前を通り過ぎていくという数年間を過ごすこともできた。これもきっとなんかの役に立つだろう。(ちなみに、あと数週間もすれば、またまたあまたの分野の雑誌が、中身までは詳しくなくても、毎日毎日私の前に流れてくる生活が待っている。これってすごい有難いこと…。)

その時はわからなくても、いろいろ役に立つことが与えられていることって、あるんだなぁと思った。