ベツレヘムの家畜小屋発

グレグレ耶蘇・桜泉のブログです。

それは隠すことなのでしょうか

2009年03月19日 | 哺乳類なる桜泉(母乳育児)
だいぶ前から気になっていること。

それは、授乳は、その行為自体が、隠さねばならないものだと考えている人がいる、ということ。
あたかも、排泄か何かのように、もしくは、性的な行為のように。

食事であり育児であるのにもかかわらず。

それは、やはり、乳房という、一種の性器を露出しなければならないから、そういう風に考える人がいるのだろう。

しかし、桜泉は、だから、周りの人も困らないように、常時授乳服を着けて、露出のない授乳生活を送ってきた。

デパートのベンチ、教会、カフェ、電車、病院、自宅、どこでもどこでも…。
授乳室は要らない、私には要らない、こんなフリーですがすがしいことはない。
あわてて探すことはないのだ。探すのは、椅子だけ。

もちろん、露出のない授乳でも、よく見れば授乳中ということは、子供の口の動きでわかるし、くわえさせるときの仕草ですぐわかるから、周りの人に気づかれるけど、みんなニコニコ見ていたり、母乳なんだねえと声をかけてくださったり。

ところが、意外にも、意外な反応を見せる職種の人たちがいる。
保育士。保母さんだ。

地域の支援センター(赤ちゃんの児童館みたいの)の、ふつーのベンチで授乳してたら、授乳コーナーを案内された。
保育園の乳児クラスのベンチで授乳していいか、先生に尋ねたら、「パパさんたちもお迎えに来るから」と、ちょっと否定的だった。

だから、桜泉の、中身はグランデでもカップはショートなパイは、見せとらんっつーの!!!!
もう、授乳という行為をすること自体が、授乳という行為を見えるところですること自体が、はばからねばならないことだと思っているのか……?としか思えない。

なぜ、食事を隠さねばならないのか…。
男の人は、その行為を見ること自体恥しいのか?

パパガスに聞いてみたけど、彼にとって授乳シーンと言えば桜泉がスタンダードだからわからないようだった。実際、ほかにこんな授乳服を着てどこでもあげている人はめったにお目にかかれないかもしれない。

それにしても、やはり、食事を隠さねばならないという意識は変じゃないか。

授乳は赤ちゃんの当たり前な飯(メシ)であり、当然当たり前な、自然なことだということ、そしてどこでも必要だということが広まらねば、これは仕方ないのかもしれない。それには、良い授乳服がもっともっと、広まってもらうしかない。

モーハウスをはじめとする、良質な授乳服を作るメーカーさんたちに、栄えあれ!
そして、哺乳類の自然の権利が、自然に根ざした育児が、もっともっと、みんなにいきわたってほしい…。


半ば聖地巡礼…かな?!

2009年03月19日 | その他もろもろ
今日また、先週の福祉作業所の見学に行きました。

名前を出せば、あれか!という人も多いであろう、精神保健福祉分野では有名なところです。

こちらと、北海道のこれまた有名な某団体を巡礼?したい、まずそこから始めたかった桜泉でした。
(北海道のは一体いつ実現するかなぁ…。)

4月からはまずなかなか訪ねられないでしょう。でも繋がりを持ちたいので、賛助会員になりました!

とにかく通常のイメージを突き崩す、柔らかな開かれた雰囲気の作業所です。
実際地域に開かれ地域に根ざしていることが、自然な雰囲気から分かりました。

私が何かする何かできるのではなく、私が長くゆっくり学ばせてもらえたらこの上ない喜ばしいことです。

今日もまだまだ、障害のある当事者さんにドギマギしてしまう弱い桜泉です。
当事者さんたちの過酷な体験に息を呑む弱い桜泉です。
できれば自分や家族は同じ体験したくないと思って恐れてしまう弱い桜泉です。
幾つかの悲しい思い出が甦って苦しい桜泉です。

でも今日もなぜか、その弱さが恥ずかしくはなく、つらくもない、明るい帰り道なのでした。