テルグ語映画『RRR』の観客リアクションをチェックしていると、感知能力というか鑑賞センスの良さに感心するものが散見される。
それらの発信者は、インドについてほとんど知らない、インド映画もあまり見たことがないのが明らかなのだが、本編の主要な裏メッセージのひとつを察知し、違和感や抵抗感を覚えている。
何に対してかというと、ラーマの真の目的とその遂行に対してである。
たとえば、ビームが公開鞭打 . . . 本文を読む
WHEN THE HINDU RIGHT CAME FOR BOLLYWOOD
(ヒンドゥ右翼、ボリウッド襲来)
『New Yorker』2022年10月10日付、タイトルはオンライン版
本記事の表題「ヒンドゥ右翼によるインド映画界封じ込め工作」は、数年前から書かねばならないと考えていた問題だ。
この『New Yorker』の記事に、私が摘出しようとしている要素はあまり含まれず、論旨の展開と . . . 本文を読む
先に Einthusan.tv で『RRR』を見始めて20分で挫折した、展開に予想がついたからだと書いた。具体的には、オリジナルのストーリーでも何でもない、古代叙事詩『ラーマーヤナ』の、インドに腐るほどある翻案にすぎないと感じたからである。
こちらにまとめてある『ラーマーヤナ』サビの部分を参照してもらいたい。
警察官ラーマはラーマ王子、ゴンド族のビームが王子の従者である半神ハヌマン、魔王に . . . 本文を読む
先に紹介したヒンディ語映画『Sardar Udham』〈殉士ウッダム、2021〉もそうだが、英国植民地支配と闘うフリーダムファイター(独立運動の闘士)を描くインド映画は、過去にたくさんつくられてきた。ここで念頭に置くのは商業娯楽映画をもちろん含めた劇映画で、便宜的に「独立運動映画」と呼ぶ。
それらを熱心に追ってきた立場からすると、テルグ語映画『RRR』は、凡庸で退屈な作品である。というより、 . . . 本文を読む
過去にも同じようなことを書いたが、日本映画がサブカルチャーであるのに対して、インド映画はメインカルチャーである。日本映画が、日本の政治や社会、人びとの意識や生活に影響を及ぼすことはまずないが、インド映画は良くも悪くもインドの現実を大きく動かす。
だからこそ、インドの政治や司法、近現代史や社会問題への理解なくして、インド映画のレビューや批評はまともにできないというのが、私の持論だ。
公開中の . . . 本文を読む