1986年に大学を卒業し、社会人になってからほどなくして、自分ではまったく予想外だったが、レヴューやミュージカルの1ファンであるところから脱却しなければならない機会がやってきた。
『松竹歌劇団60周年記念写真集 SKD REVUE』(松竹歌劇団 1987年)の編集に携わることになったのである(関口千恵名義)。フリーランスとして手がけた初仕事だった。
ネガ・ポジ・スチールなどの舞台写真だけで . . . 本文を読む
インド映画に挿入される歌と踊り、ていねいに表現すれば「ソング and/or ダンス シークエンス」。それが、高評価ヒット中の『ダンガル きっと、つよくなる』にはない。観客の反応を見ると、「良い」か「物足りない/良くない」かの正反対に分かれている。
ひるがえってみれば、「インド映画の主流は、歌と踊りのミュージカル」と説明されることが、ボリウッドの定型フォーミュラが緩んで久しいこんにちでもなお少な . . . 本文を読む
東アジア圏で、前回に書いた「ボリウッドの真髄=インド映画の平和力」を、最初に評価した慧眼の国は韓国だ。釜山国際映画祭で、どういう作品が紹介されてきたかをたどるだけでも端的にうかがえる。
その韓国と北朝鮮の間で南北首脳会談がもたれ、朝鮮半島完全非核化を目指す共同宣言が出された4月27日。
中国大陸では、もうひとつの重要な首脳会談が開かれていた。インドのナレンドラ・モディ首相と中国の習近平国家主 . . . 本文を読む
インド映画に関心をもって以来、私にとっての5月3日は、日本国憲法とともにインド映画生誕を祝う日である。
1913年のこの日、インド映画第1号(無声映画)『Raja Harishchandra〈ハリシュチャンドラ王〉』がボンベイ(現ムンバイ)で公開された。製作・監督・脚本は、「インド映画の父」と呼ばれ、その名を冠した映画賞でも知られるダーダーサーへブ・ファールケーだ。
ファールケーが、映画 . . . 本文を読む
――ヒンディ語とベンガル語のタイトルナンバーに対して、英語とベンガル語のバラードバージョン『エクラ・チョロ・レ』がエンドロール。コルカタ最大の祝祭の主役ドゥルガ女神と、地名の由来でもある、ドゥルガ女神の化身ことカーリー女神。バロナーム(本名)とダークナーム(愛称)を使いわけるベンガル人特有の慣習。
そうしたディテールに加えてさらに連想すれば、警部補ラナを演じたパランブラタ・チャテルジーは、レイ監 . . . 本文を読む