過去にも同じようなことを書いたが、日本映画がサブカルチャーであるのに対して、インド映画はメインカルチャーである。日本映画が、日本の政治や社会、人びとの意識や生活に影響を及ぼすことはまずないが、インド映画は良くも悪くもインドの現実を大きく動かす。
だからこそ、インドの政治や司法、近現代史や社会問題への理解なくして、インド映画のレビューや批評はまともにできないというのが、私の持論だ。
公開中のテルグ語映画『RRR』(2022)について、日本のインド報道の水準からして期待できないまでも、少しはマシなものが出るかと待ってみたが、絶賛必須という報道協定でも結ばれているのか(!?)、惨憺たるありさまである。
私は Einthusan.tv が『RRR』をアップした7月、ヒンディ語吹替版のほうで見始めたが、そのときは20分ぐらいで挫折してしまった。
英国植民地政府に仕える警察官ラーマ・ラージュ(カースト最上位のバラモン)と、アディヴァシ(adivasi;先住民族)のゴンド族に属するコムラム・ビーム。2人の主人公が出揃ったところで、展開におおむね予想がついた。その先を見たいと思うほど面白く感じなかったということでもある。
ついでに、私は寅年生まれのせいか(?)『ナショナルジオグラフィック』が特集でもしようものなら、鋭意熟読するほどベンガルトラが好きである。
だから、ビームが森の中で遭遇するトラがブサイクで、いかにも切り貼りしました的な CG であることにもゲンナリした。
先にも触れたが、CGI や VFX の多用に私は批判的である。その出来が悪い場合、映画の世界に没入するどころか、現実に引き戻されて興ざめしてしまう。
そうでなくても、それらを多用する映画は「腐りやすい」。最先端の技術を使うといっても、その「最先端」が「昔日」になり変わるスピードは速いからだ。
さらに、テクノロジー方面に凝りすぎて肝心の脚本がお粗末では何をかいわんや。
今年のボリウッドで、興収的にはかろうじて成功の『Brahmāstra: Part One – Shiva』〈ブラフマーストラ:パート1ーシヴァの章〉などは VFX こそ、それなりの水準かもしれない。だが、プロットの押しつけがましさ、軽薄なロマンス、展開の鈍重ぶり、登場人物の魅力のなさで、私は文字どおり胃が痛くなった。
ひと昔前までは、ソング&ダンスシーンに注ぎこむ情熱をもっと脚本に向けろ、本末転倒をするなとよく思ったものだが、こんにちでは VFX やアクションについて、同じことを言わなければならない。
話を戻すと、ビーム初登場シークエンスを見たとき、ここから全編にわたるゴンド族の描写は妥当なのかという強い疑問が湧いた。
それで、ゴンド族自身の見解を聴きたいと思ったところ、たいへん参考になる批評に行き当たった。
月刊誌『Caravan』のアシスタントエディター、ゴンド族のアカーシュ・ポイアム(Akash Poyam)による「Identity Theft」(アイデンティティの略奪者)という記事である(2022年5月1日付)。
『Caravan』は、米誌でいえば『Vanity Fair』や『Atlantic Monthly』を連想させる、ジャーナリズム重視の伝統ある高級誌だ。「Identity Theft」の切れ味もさすがで、よくまとまっているうえ、非常にわかりやすい。
この記事で指摘されているように、私も『RRR』監督の前作『バーフバリシリーズ』(2015、2017)にしてから、アディヴァシの描写が引っかかっていた。
ちなみに『WIRE』の映画批評家タヌール・タクル(Tanul Thakur)も、両作品の描き方を批判している(2022年3月25日付)。
だからこそ、インドの政治や司法、近現代史や社会問題への理解なくして、インド映画のレビューや批評はまともにできないというのが、私の持論だ。
公開中のテルグ語映画『RRR』(2022)について、日本のインド報道の水準からして期待できないまでも、少しはマシなものが出るかと待ってみたが、絶賛必須という報道協定でも結ばれているのか(!?)、惨憺たるありさまである。
私は Einthusan.tv が『RRR』をアップした7月、ヒンディ語吹替版のほうで見始めたが、そのときは20分ぐらいで挫折してしまった。
英国植民地政府に仕える警察官ラーマ・ラージュ(カースト最上位のバラモン)と、アディヴァシ(adivasi;先住民族)のゴンド族に属するコムラム・ビーム。2人の主人公が出揃ったところで、展開におおむね予想がついた。その先を見たいと思うほど面白く感じなかったということでもある。
ついでに、私は寅年生まれのせいか(?)『ナショナルジオグラフィック』が特集でもしようものなら、鋭意熟読するほどベンガルトラが好きである。
だから、ビームが森の中で遭遇するトラがブサイクで、いかにも切り貼りしました的な CG であることにもゲンナリした。
先にも触れたが、CGI や VFX の多用に私は批判的である。その出来が悪い場合、映画の世界に没入するどころか、現実に引き戻されて興ざめしてしまう。
そうでなくても、それらを多用する映画は「腐りやすい」。最先端の技術を使うといっても、その「最先端」が「昔日」になり変わるスピードは速いからだ。
さらに、テクノロジー方面に凝りすぎて肝心の脚本がお粗末では何をかいわんや。
今年のボリウッドで、興収的にはかろうじて成功の『Brahmāstra: Part One – Shiva』〈ブラフマーストラ:パート1ーシヴァの章〉などは VFX こそ、それなりの水準かもしれない。だが、プロットの押しつけがましさ、軽薄なロマンス、展開の鈍重ぶり、登場人物の魅力のなさで、私は文字どおり胃が痛くなった。
ひと昔前までは、ソング&ダンスシーンに注ぎこむ情熱をもっと脚本に向けろ、本末転倒をするなとよく思ったものだが、こんにちでは VFX やアクションについて、同じことを言わなければならない。
話を戻すと、ビーム初登場シークエンスを見たとき、ここから全編にわたるゴンド族の描写は妥当なのかという強い疑問が湧いた。
それで、ゴンド族自身の見解を聴きたいと思ったところ、たいへん参考になる批評に行き当たった。
月刊誌『Caravan』のアシスタントエディター、ゴンド族のアカーシュ・ポイアム(Akash Poyam)による「Identity Theft」(アイデンティティの略奪者)という記事である(2022年5月1日付)。
『Caravan』は、米誌でいえば『Vanity Fair』や『Atlantic Monthly』を連想させる、ジャーナリズム重視の伝統ある高級誌だ。「Identity Theft」の切れ味もさすがで、よくまとまっているうえ、非常にわかりやすい。
この記事で指摘されているように、私も『RRR』監督の前作『バーフバリシリーズ』(2015、2017)にしてから、アディヴァシの描写が引っかかっていた。
ちなみに『WIRE』の映画批評家タヌール・タクル(Tanul Thakur)も、両作品の描き方を批判している(2022年3月25日付)。