さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

久保田城址

2016年07月05日 | 東北シリーズ



久保田城は1880年の大火でほとんどが失われましたが、こちらの門は残ったようです。



お城があったあたりには、藩主・佐竹義堯の銅像が立っておりました。



城内には8つの御隅櫓があったそうですが、ひとつだけ復元されたそうです。



内部には佐竹氏の歴史をたどる展示品がありました。そこでひとり、お決まりの
ビデオを見たりする^^;




参勤交代の模型がありました。ここ久保田から江戸は遠く、多くの人数を往復させる
のは経済的にも大変だったようです。

秋田藩の財政の内訳(1676年)が表示されておりました。やはり借金は重く、
その支払いに収入の約15%を回さなければなりませんでした。でも現在の日本の
約25%よりはずっとましか?

そして驚いたのが大名の使う江戸屋敷費用に40%、参勤交代費用に23.4%!
国元費用にはたったの13.4%ときたもんだ。つまり外様大名の力をそぐために、
江戸幕府に使わされている費用が藩の財政の約3分の2にも及んでいたのである。

なんと壮大な無駄使いだったのだろう。しかしね、その参勤交代があるおかげで、
街道は整備され、宿場町は潤い、経済は回っていた面もあるのです。こんな昔から
同じようなアホなことしてたんですねー。

ちなみに川反のバーで聞いたのですが、80年代頃には繁華街に黒塗りの公用車が
ずらりと並び、役人が公金で遊んでいたそうです。それが問題となって禁止されて
からは、料亭などがバタバタとつぶれて夜の街は寂しくなったそうです。おそらくは
明治になって参勤交代がなくなったとき、街道沿いの宿場町は一気に衰退したので
しょうねェ。



櫓の展望台から見た秋田の様子です。天気がよければ、男鹿半島の方面などが
見渡せたようです。


イザベラ・バードと警察官

 バードが宿屋で寝ていたら、夜中に襖が音もなくはずされて、白人女性を見たいと集まってきた何十人もの野次馬たちに囲まれていた、というエピソードはご紹介しました。このほか、彼女をひと目でも見ようと宿屋の隣の家の屋根に何十人も登り、その重さで屋根が崩れ落ちたという事件もありました。

 久保田にいたときも、とある店の中に座っていたら、群衆がワンサカ集まってきて、彼女は窒息させられそうになります。どれだけ距離が近いんだろう!そこで突然、野次馬たちが距離を開けました。警察官がやってきたのである。警官がジロッと見たり、片手を挙げたりするだけで
民衆はさっと引いたとか。怖かったのですねェ。

 のちに彼女は警察署を訪れます。警察官たちの顔つき、ふるまいの尊大さには、はっきりとした階級の違いが見て取れます。彼らはつい10年前までは侍だったからです。彼らは知的で教養があり、とても頼りになります。役所で無意味な書類ばかり書いているようですが。

 そうです。江戸末期の侍たちは、戦国時代と違ってほとんど役人のような仕事ばかりをしていたのです。それでも平民とはきっちり隔絶された階級でしたから、気位が高く、学があり、立ち振る舞いには威厳があったのでしょう。

 面白いことに、バードが青森への道のりを聞いても、何の情報も得られませんでした。お巡りさんなら、道を聞かれたら答えられないとねェ。他の場所でもそうですが、隣の町への道を聞いても、何も答えられないことが多かったのです。これは人々の行き来がとても少なかったこと、参勤交代に使うような街道を除いて、道路のインフラが全く不十分であったことを示しています。おそらくは、国ごとに隔絶されていた江戸時代の閉じられた社会が、明治に入って10年経っても続いていたのでしょう。



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