さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

青函トンネル記念館

2023年03月24日 | 北海道シリーズ


千代の富士記念館からバス停ひとつぶんを歩いて青函トンネル記念館へ向かいます。
福島は蝦夷地開拓初期の古い町ですが、いまはもうそういう風情はほとんど残って
いないようです。


記念館は長いトンネルの形をしていました。


まずは蝦夷地の歴史から展示は始まります。「徳川脱走軍兵士」なんて写真が残されて
おりますが、この頃はどっちが正義だかわかりません。「官軍」だとか「逆賊」だとか
見る方向によって反対になりますからね。ただ、初期の松前藩はどうやらアイヌを
だいぶ虐待していたようですが。。。


内部はこんな感じです。


トンネル開通前は、こんな感じで連絡船が往復していました。左上の船のように、
貨物列車をそのまま運んだりしていました。

1954年に洞爺丸が台風の影響で沈没し、1155人もの人が亡くなりました。その悲劇
のために、青函トンネルの開通が強く求められるようになったのです。


そりゃあものすごく大変な工事でした。その苦労話、「トンネルマン物語」がなかなか
面白かった。

調査の測量では、海上から200mごとに火薬を落としたそうですが、津軽海峡は潮の
流れが速いため、正確な位置に火薬を落とすのが大変だった。竜飛岬の灯台から1800m、
水深80mの地点は潮の流れが速くてなかなか調査ができなかった。潮のデータを調べる
と、1年間である日の30分間だけ調査ができるとわかり、その時間をめがけて船を出し、
「今だ!」と火薬を落としたら大成功。大喜びしたそうです。その火薬の衝撃で、
見たことがないくらいたくさんの鯛が浮かんできて(禁止されてる漁法ですな)、
夢中で拾ったとか。

トンネル内は通気が悪くて蒸し暑く、40度にもなったとか。長靴も汗でじゃぶじゃぶに
なり、ふんどし一丁で(当時はパンツじゃなかったのか)水をかぶりながら働いたそう
です。出水はあるし、壮絶な環境のなか、ずっと24時間体制で掘り進めたのです。
ご苦労様でした。ありがとうございます。


海底に2つ駅があります。降りる人は普通ありえないけれど、こんなふうに表示は
あるのです。


トンネルが開通したときにはお祝いでした。


船で海を越えて行き来していたのに、新幹線がビューンとあっという間に通過できる
ようになったと。


ゴリゴリ削っていく機械。いろんな岩盤があり、掘れないところは火薬で爆破して
進んでいきました。よくまあやれたものです。


外には水中調査の潜水艇が置いてありました。これに乗って深い海に潜るのも
大変だったでしょう。