Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

回想の古伊万里 36(色絵草花図五寸皿)

2019-12-28 23:25:23 | 古伊万里
 ここ数回、「初期柿右衛門」、「初期赤絵」、「柿右衛門」といったカテゴリーの品を取り上げてきましたが
正直なところ、典型的な柿右衛門様式を除くと、どんな特徴が?と訊かれても答えられないことを再認識した次第です。
そこで今回はウチにある品の中から、図録で同手を紹介する際に書かれた文章を紹介したいと思います。

「伊萬里色絵草花図皿」


直径14.3cmほどの小皿で、やや深めに成形されています
デザイン的には芙蓉手であり、赤、青、黄、緑の四色が使われており、色絵の発色、厚塗りである点は
古九谷様式に近いものがあるように思いますし、柿右衛門様式の余白を生かしたデザインとは大きく違う特徴を持っています。


裏面は赤の圏線のみというのは、初期柿右衛門にも見られますので、古九谷から柿右衛門への移行期の一群というのは間違いなさそうです


さて、この品ですが、栗田美術館創設時の豪華図録(1000部限定で定価八万円!)に同手が掲載されており
そこの栗田館長による紹介文が掲載されています。

107ページに掲載されています(といっても、この図録を見ることはないと思われますが)


以下は栗田館長による紹介文です

八角の見込のなかに草花を描き口縁にそって草花と宝模様連続して配置する、この図様を芙蓉手と称している。
これは寛文時代オランダ貿易の最盛期に於ける輸出伊萬里の花形であった。
これらの皿類は当時大量に輸出されたもので筆者はこれをロンドンで求めたものである。これら一連の初期伊萬里赤絵を
柿右衛門と呼ぶものが多いがこれは将に噴飯ものであり、無名の陶工、画工に対する冒涜である。
これらは陶商がオランダ商館から注文を受け有田の陶工画工が製作したものであって、柿右衛門と何等の関係がないものである。
この皿は大量に生産されたものだけに筆致はさすがに早く練達である。

この図録が発行されたのは1975年ですので、すでに45年近くが経過していますので、その間、伊万里についての研究が
進んだことを考慮すると、この栗田館長による文章が総て正しいのかは私には判りませんが、栗田館長の強烈な個性が伝わる文章ではあります。



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4 コメント

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初期色絵自信作 (遅生)
2019-12-29 07:03:18
またいい皿が出ましたね。
この手の色絵は、なぜかなよなよと自信無げに色釉を置いているのが多いのですが、この品は、実に力強く堂々とした描き方です。作る側の自信作。古九谷に通じるものがありますね。
図録に載って当然の品です。栗田館長も鼻息荒いですね(笑)
高額図録を自分の手元においておこうと思った酒田の人さんの気持ちもビンビン伝わってきます。
陶工、館長、酒田の人さん、全部にとっての自信作(^.^)
返信する
酒田の人さんへ (Dr.K)
2019-12-29 20:07:08
またまた、良い物を登場させましたね。
豪華図録とともに紹介いただきありがとうございます。

私は、故栗田館長さんがまだご存命中に、何度か話を聞いております。
故栗田館長さんは、名工柿右衛門などはいなかったと強調していましたね。
名品を一人柿右衛門の手柄にするのは「無名の陶工、画工に対する冒涜である」として、栗田美術館の敷地内に立派な「無名陶工祈念聖堂」なるものを建立していますね。

その後、古伊万里の研究は進み、柿右衛門様式というものは、有田皿山全山を挙げて作った海外輸出向けのヒット商品だったということがわかってきましたね。柿右衛門が作ったものではないと、、、。
栗田説に一歩近づいたということでしょうか。

また、現在、一般に柿右衛門様式と言われているものは、どうやら、輸出が終わってからの国内向けの、いわば、余白を大きくとった弱弱しいスタイルの後期柿右衛門様式とでも言うようなものであることも分かってきましたね。

そうなると、いったい、柿右衛門様式というものは、どんなものなのということになりますよね。
昔は、古伊万里は古伊万里で、柿右衛門とは別物として扱われていましたから、それでもよかったのかもしれませんが、柿右衛門も古伊万里に含まれるとなると、それをどう区分するのかの問題が出てきますよね。
それに、更に、古九谷も古伊万里に含まれるということになりましたので、ますます混乱が増しましたよね。

そんなことで、だんだんと、それでは、様式区分は止めようというような方向になってきたのではないかと思います。
ますます栗田説に近づいてきたのかな~と思っています。
それで、私も、これからは、なるべく、様式区分は止めようと思っているんです。
特に柿右衛門様式には問題が多いですね。

ちょっと長くなりました。
最近、古伊万里の勉強をしていませんので、よくまとまらず、矛盾する点もあるかと思いますが、その点はご容赦ください。
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Dr.kさんへ (酒田の人)
2019-12-29 20:33:04
ドクターさんは栗田館長に直接お会いしてるんですよね~、個性の強い方だったようですが羨ましい限りです。
赤絵町の発掘調査より以前に「柿右衛門伝説」の解体を唱えていたというのは
並外れた慧眼の持ち主であったことが想像されます。
「柿右衛門」、「古九谷」、「初期伊万里」、「藍柿右衛門」、「藍九谷」・・・
古美術商にとっては実に都合の良い分類で、しまいには「柿右衛門手」なんていう表現もしますから
様式による分類には経済的な価値と切り離せない部分もあるように思います。
そのあたりが様式による分類の限界なのかも知れません。
返信する
遅生さんへ (酒田の人)
2019-12-29 20:34:46
昔はこの手こそが「初期赤絵」だと思っていましたが、「初期赤絵」自体が曖昧なカテゴリーであることを思うと
今となっては江戸前期の伊万里の色絵皿というシンプルな呼称が正しいのかも知れません。
ちなみにこの豪華図録はヤフオクで2500円でゲットした品で、45年の月日は伊万里の歴史を塗り替えている部分はあるものの、それなりの価値はあるように感じます。
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