Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

回想の古伊万里 64(色絵魚波文七寸皿)

2020-05-30 23:14:41 | 古伊万里
ワタシにとって古伊万里収集の大師匠であるDr.kさんがブログで、素晴らしい色絵古九谷大皿が紹介されています
ウチにはそんな立派な品は当然のように存在しませんが、とりあえず極めて個性的な品を紹介したいと思います。

「色絵魚波文七寸皿」

明らかに中国磁器の影響を感じさせる絵柄の品ですが、まるで青手古九谷の如く余白を残さず文様が描かれています
伊万里でこのタイプの品が登場するのは江戸中期の宝暦~寛政あたりまでのようで、柴コレにも同タイプの品がいくつか収蔵されています

さて、この品ですが、表は特徴的ではあるものの類品はそこそこ存在すると思われます、しかし、一番の見どころは裏面だったりします


この裏面こそが、ワタシがこの品を入手したいと強く思った最大の理由です
高台内を除く裏面が総模様になっている品は、享保あたりを中心に見かけますが、この品の場合は高台内まで濃厚な色絵で絵付けされています
↓は高台内だけを切り取った画像ですが、かなり厚塗りであることが伝わるでしょうか。


柴コレの5-299にほぼ同じ絵柄の茶碗が収蔵されており、同タイプの品が何種類か作られたであろうことが想像されますね

この品は今から7~8年前にヤフオクで入手した品で、初期や古九谷のように時代のある品ではないものの
極めて独自の魅力を感じさせる品という点では、ウチの伊万里の中でもナンバー1かも知れません。



回想の古伊万里 63(平戸枇杷文五寸皿)

2020-05-24 23:03:09 | 古伊万里
平戸焼は広い意味では伊万里の仲間であるとは言えますが、白く美しい土を生かした細工物などに優品が多いように感じます
研究によると、平戸焼きは享保期まで遡るらしいですが、イメージとしては江戸後期の藩御用品の精緻な品や、明治あたりと推測される
墨弾きや薄瑠璃の技法を生かしたお皿が思いだされます。
そんな訳で今回は恐らくは明治期と想像される平戸の、「染付枇杷文五寸皿)です

長崎県はビワの一大産地のようで、当然のように平戸もビワの産地です
そういって意味では、ご当地文様(?)ではありますが、このデザインはどっかで見たような気がします。

↑の画像は借り物ですが、後期鍋島の「藍鍋島栗文七寸皿」です
葉の半分を濃い染付にしている点、さらには全体の構図には共通点を感じますが、鍋島の方はお約束通りに
葉の先端部分を捻じった形で描かれています。ただし、どちらの品も器形的には明治期に見られる(業者さんは江戸後期と言うが)、鍋島写しの木盃形をしています
やはり鍋島から流れた職人さんが作った(あるいは指導した)ということなんでしょうか。
この品、実は表よりも裏が個性的でありまして、↓の画像から判るように、高台の中まで絵付けして法螺貝が描かれています


平戸は結構好きなんですが、恐らく裏文様が普通の鍋島写し(七宝繋ぎ等)だったら、購入しなかったかも知れません。

回想の古伊万里 62(染付武字五寸皿)

2020-05-22 08:21:52 | 古伊万里
ウチの古伊万里で一番多いのは(と言ってもたいした数ではないが)、いわゆる藍九谷皿だったりします
何故そうなったかと考えると、まずもって同時代の色絵よりもはるかに安かったこと、さらには同じ染付でも
藍柿などよりは随分と安く入手できたことがあるように感じます。(結局のところ予算次第・・・)

そんな訳で、今日紹介するのは藍九谷の時代に特徴的な文字を主文様にした品です
「染付武字五寸皿」


寛文期あたりと思われる品で、同じ文字が登場する品はそこそこ種類があるようです(是武字とか呼ばれることも)
この品も他の武字文様の品と同様に、見込み中央に文字を描いていますが、周囲の文様は他の品とちょっと変わっていて
稲束、分銅、さらには梅花といった一見すると何の関連性もなさそうな文様が細かく散らされています。


↑は分銅文様のUPなんですが、正直なところ判然とはしないものの、墨弾きで何かが描かれてるようです

裏文様もちょっと変わったもので、藍九谷様式では後期(たぶん)に登場するタイプのもので、延宝に近い時代の様式でありましょうか。

正直なところ、見込みには複数のフリモノが見られ、手のかかった品のわりには上手に見えないという残念物ではありますが
その分、安く購入できたんで、貧乏コレクターとしては大いに満足した品ではあります。

酒田山王祭

2020-05-20 21:09:34 | 日記
例年通りであれば、今日は1609年から続く、「酒田山王祭」の本祭の日なんであります
ところが今年はコロナウィルスの関係で早々に中止が決定、しかも宵祭りの昨日は強風と雨
今日は最高気温が15度程で雨も降るという状況でした。(祭りが中止で良かったなんて言う声も・・・)

とりあえず祭り気分だけでも思い、山王祭の映像を紹介します

上の画像は言わずと知れた日枝神社の随身門ですが、なんと昭和10年のものです
実は、酒田市中心部にあった旧家に保存されていた16ミリフィルムに、昭和10年の山王祭と、翌年の花まつりの様子が記録されていたんであります。
コチラがその動画です)
映像には当時の日枝神社の様子や、日和山界隈と思われる映像が記録されています。ウチの会社の会長さん(96歳)なら
この映像を見たら何か覚えているのではと思われますが、聴く機会に恵まれません。
それにしても、この時代に16ミリの撮影カメラを持っていたというのは、ものすごく裕福なお宅であったのは間違いありませんね。

上の画像は昨年の山王祭の日枝神社の様子ですが、コチラの動画に山車行列の様子が記録されています。

来年は無事に山王祭が開催されることを祈りたいですね。



酒田をちょっと散歩 24(寺町を行く)

2020-05-17 19:22:04 | 散歩
以前にも紹介したように、酒田市の中心部には東西に延びた寺院の密集(と言ってもお寺のお屋敷はえらく広い)地帯があり、「寺町」と呼ばれています
散歩シリーズでもいくつか紹介してきましたが、今回は旧羽州浜街道より東側のお寺をいくつか紹介します。
まずはお寺を紹介する前に、寺町の近くにある老舗の漬物店を紹介します。
まずは、天保5年創業の「今井漬物店」、庄内地方特産の「民田なす」の辛子漬がおすすめです

続いては幕末の安政二年創業の「梨屋」、こちらは小茄子のからし漬や温海かぶの漬物がおすすめでしょうか。


さていよいよお寺の紹介です。とりあえず東へ向かいながら順に紹介していきます
まずは浄土宗のお寺、「浄徳寺」です


このお寺には酒田市の保存樹に指定されているイチョウの木があります


浄徳寺を出て東へ向かうと、真言宗智山派のお寺、「龍厳寺」があります。

このお寺は酒田では珍しい(たぶん唯一の)仁王門があり、現在の仁王さんは大正時代に寄進されたものだとか


スロープになっているお寺もちょっと珍しいでしょうか


龍厳寺を出て少し坂を上ると、酒田で最も檀家が多いと言われる曹洞宗のお寺、「海晏寺」があります

このお寺のシンボルは三重塔ですが、古いものではなく平成11年に建立されたものです(高さは30m)


赤瓦の本堂は酒田では珍しいですね

海晏寺の隣にあるのが、同じく曹洞宗のお寺、「正徳寺」です



このお寺はウチの母親の実家の菩提寺でもあります

大きな通り(浜町通り)を越えてさらに東へ行くと、「旧天正寺町」の表示があり、その名の通りに曹洞宗の「天正寺」があります



このお寺を出て、さらに東へ向かうと、左手に以前に紹介した、「清亀園」があります

さらに進むと新井田川(酒田大火はこの川で止まった)に突き当たります


もし酒田市の中心部に広大な面積を誇る寺屋敷がなかったら、酒田大火はもっと大きな被害がでたかも知れませんね。