Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

回想の古伊万里 156(初期青磁陽刻葉形皿)

2021-09-30 20:46:08 | 古伊万里
ウチには寛文期の染付皿は結構あるんですが、それよりも古い、いわゆる「初期伊万里」に属する品はほとんどありません
昔は「初期藍九谷」などと呼ばれていた品が、現在では初期伊万里として表記される場合もあり、どこから初期かというのは曖昧なものかも知れません。
そういった観点から言えば、今回の品は「ウチの古伊万里の中で一番古いと思われる品」というのが正しいかも知れません
「初期青磁陽刻葉形皿」
いかにも初期に近い感じの発色の冴えない青磁五寸皿です
文様はありませんが、葉を表現するべく葉脈のようなものが陽刻されています
こういった感じの青磁は古九谷様式にもありますので、初期というにはちょっと・・・、という感じがしますが
高台部分を見ると、寛永~正保くらいはイケるか?、という印象があります
いわゆる1/3高台でいかにも初期らしい(?)形をしています
とはいえ、伊万里の時代判定は素人には無理があるのは現実で、この品が本当に1630~40年代の品なのか
或いは技術革新の遅れた窯の寛文期の品なのかは、誰にも判らないのかも知れません。
傷物で特別な魅力のある品とは言えませんが、なんとなく好きな品ではあります。


回想の古伊万里 155(染付武字五寸皿)

2021-09-27 21:16:46 | 古伊万里
古伊万里も全部紹介し終わったし、もうブログのネタが無いな~、と思いながら古伊万里の仕舞ってある衣装ケースを漁っていたら
なんと、あといくつかブログで紹介していない品があることに気付きました。
その多くはさしたる見所のない品ですが、とりあえず紹介していきたいと思います。
「染付武字五寸皿」
寛文期に見られる見込み中央に大きく文字を描いた品で、この良く判らない文字は一般的「武字」と呼ばれているようです。
見込み部分に降りものが多く、イマイチな面はありますが、見込み周囲の文様がちょっと変わっています
古九谷様式で見られる分銅文に稲束、さらには梅花文、そして良く判らない葉のような文様が狂おしいばかりに散らしてあります
これらの文様の関連性や意味は判りませんが、あまり見かけないのは確かでしょうか。
さらに見所は裏面にもあります
落款は角福ですが、裏文様がこれも表の文様に呼応するようにびっしりと絵付けされています
寛文~延宝期の品には変わった裏文様の品を見かけますが、この品の裏文様は中でもかなり個性的なものであることは確かでしょうか。
見込みに降りものがなければ、ウチにはやって来なかった品だと思いますが、縁文様と裏文様だけで元が取れる品とも言えるでしょうか。

酒田をちょっと散歩 31(変わりゆくもの)

2021-09-26 20:38:30 | 散歩
涼しくなって散歩日和ですので、酒田の街中を散歩です
地方の市はどこでもそうですが、人口減少に歯止めがかからず、酒田も人口が10万人を切っています。
当然のごとく経済規模が縮小しますので、無くなっていくものや変わってしまうものがあります
今回はそんな「時代の流れで変わってしまったもの」をいくつか紹介したいと思います。
まずは市役所の斜め向かいに改築された「酒田産業会館」が見えますが、その奥に「清水屋」という青い看板が見えます
ここは山形県内で唯一残っていた百貨店(厳密には百貨店協会に加盟していないので百貨店ではないとか)だったんですが
今年の7月に閉店してしまいました。清水屋デパートは大火前はもっと北の方の通りにあり
酒田における中心商店街の中心となったお店でした。
続いての画像は、お馴染みの日和山公園へ向かう坂道なんですが、左の一番奥に見慣れない白い建物が出来ています
この建物はなにかというと、「おくりびと」のロケで使われた旧割烹小幡の建物が改装されたものなんです。
元の建物はこんな感じで、映画が公開されてしばらくは観光名所でした
その後、旧割烹小幡は競売にかけられ、地元の有力者が落札、下の画像のように「日和亭」(夜だけ営業しているようです)になりました
ちなみに割烹小幡もこんな感じに改装されました
以前の割烹小幡
現在はこんな感じになりました
あくまでも商売ですんで、建物が残ることに意味があるとは言えますが・・・
以前にこの散歩シリーズでちょっとだけ紹介した江戸期から続く老舗の和菓子屋「小松屋」も昨年閉店してしまいました。
下のアパートの建物が、旧小松屋のところに建設中です
方向は反対ですが、以前はこんな黒い板塀が続いていました
酒田出身の歌手、白崎映美さんを中心としたクラウドファンディングで復活したグランドキャバレー「白ばら」ですが
支配人が病気療養中のためお休み中です
ここから先は日和山界隈で紹介していなかった画像です
まずは日和山公園の入り口にあるお休み処の「日和山関所」
居酒屋「狼煙」、バー「酒田倶楽部」、「さら」、その奥には寿司割烹「鈴政」、残念ながらどれも入ったことがありません・・・
こちらは以前に紹介した「割烹治郎兵衛」ですが、ネコが散歩中でした

地方は都会のように変化は速くありませんが、それでも歴史の中で消えたり変化していくものが多くなっているのかも知れませんね。

善宝寺へ行く

2021-09-24 20:17:58 | 散歩
ある程度涼しくなりましたので、とりあえず近場ということで、お隣の鶴岡市にある「善宝寺」へ行ってきました。
ここはとても大きなお寺で、見どころは沢山ありますので、順を追ってい紹介して行きたいと思います
まずは最初にくぐる「総門」です
ここに来たのは30数年ぶりですが、総門の上の方には象の彫り物がありました

総門をくぐると、左手に五重塔と弥勒堂があります

弥勒堂

ここを過ぎると「山門」です
通常だと山門の中にあるのは仁王像ですが、このお寺は違っています
「毘沙門天」
こちらななんと「韋駄天」です
この山門の彫り物もなかなか立派です
山門をくぐると百段ほどの階段です
階段を登りきると、「感應殿」があり、右奥が本堂で、さらに奥には「龍王殿」があるんですが、今回はパスしました
さて、平成の初期、善宝寺には一日一万人もの観光客が押し寄せました
そのブームを作り出したのが「人面魚」です(知っている人も多いのでは)
人面魚はこの寺の奥の院の池に住んでおり、とりあえず本堂の前からスタートです。
右手を見るとなかなか絵になる景色が

こんな道をちょっとだけ行きます
山道を降りるとあと少しです
この階段を上っていきます
するとこんな案内板があります
さらに進むと「貝喰みの池」が見えてきます。ここの人面魚が住んでるんですね
池のほとりを進むと、一番奥には「龍神堂」があります

さて肝心の「人面魚」なんですが、居たようないないような・・・
この池には亀も沢山住んでいて、こちらの亀は甲羅干し中です

こちらの建物は善宝寺の道路を挟んで反対側にある、現在は閉館してしまった「善宝寺鉄道記念館 」です
この建物は昔「庄内交通湯の浜線」の駅の建物でした(40数年前に廃線)
コロナ渦で平日ということもあって、観光客はまばらでしたが、ちゃんと「お食事処も寺の向かい側にあります
30数年ぶりに行った感想は、「随分と見どころのある場所だったんだな~」というものでした。

回想の古伊万里 154(陽刻葉文変形皿)

2021-09-23 23:34:56 | 古伊万里
 ウチの伊万里もお終いかと思ったら、まだありました
とは言え、今回の品は伊万里かどうかすら判然としない品で、ある意味では「番外編」とでも言いたいような品です。
「陽刻葉文変形皿」
江戸期の伊万里でないのは誰でも判る、横18cmX縦12cmほどの洋風の形をした変形皿で
左右に葉の形の陽刻があり、その上を淡い染付で塗っています。
左側の陽刻はこんな感じです

右側はこんな感じ
この品の素性ははっきりしませんが、この形から判断すると、明治後期~昭和期の輸出手ではないのか?、という想像はできます
さて、この品はどこの焼物でしょうか?
あくまでも素人判断でしかないのですが、土の手触り、白磁の釉薬感、陽刻の感じから判断して、「平戸(三川内)」の可能性が強いのではと考えています
値段が安かったので購入したという記憶がありますが、今思うと、「なんでこれを買ったかな?」という思いはあります。