Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

旧車は楽し

2020-09-30 21:23:46 | 旧車
 コロナ渦の影響で、9月~10月に開催される旧車ミーティングはすべて中止となり、秋の楽しみが無くなってしまいました
そこで、過去に地元で開催された旧車ミーティングの参加車両の中から、個人的に印象に残った車を数台紹介したいと思います。

まずはコロナ・ハードトップのボディに高性能エンジンを載せた「トヨタ1600GT」

年配のオーナーさんの愛情が伝わってきますね

続いてはレースで活躍した「プリンス・スカイラインGT-B」


日本を代表するスポーツカー、「フェアレディ240ZG」

今見てもこれ程かっこいい車はありませんね。

同じフェアレディZですが、スカイラインGT-Rと同じS20型エンジンを積んだ、「フェアレディZ432」

S20型エンジン

縦に二本並んだマフラーが特徴的ですね


これもフェアレディZですが1989~2000年まで生産されたされたZ32型です

大胆なカスタマイズがされており、ガルウィングドアに変更され、さらにロールケージが組んであります

フロントから見ると分かりますが、オーナーの通称「演歌Z」さんは徳島から自走で酒田入りしています

ちなみに翌年は別の32Zで参加されました


こちらはかなり希少なTE55型「カローラ・レビン」



こちらもなんと岐阜県は大垣市から自走で参加されました

憧れの最高級クーペ、「ソアラ2800GTリミテッド」

なんとも美しく風格がありますね

最後はピカピカにレストアされた、「オースチンA40サマーセット」

オースチンなのになぜ国産車かといえば、1952年~54年の間、英国から部品を輸入し、日産がノックダウン生産したからです
通称「だるまオースチン」と呼ばれたとか。

国産旧車は見ているだけで楽しいですね

回想の古伊万里 82(染付鷺文扇面皿)

2020-09-25 21:34:03 | 古伊万里
 前回はやたらと重い扇面皿を紹介しましたが、今回は江戸前期のわりとスタンダードな扇面皿です
「染付鷺文扇面皿」


横が16.5cm、縦が8cmほどの小皿で、見込み部分には鷺が二羽絵付けされています
鷺文は伊万里では人気のある文様だったようで、江戸前期から後期まで数多く見られますが
この品は寛文~延宝といった江戸前期の品であろうと思われます。


小皿ですので文様の描ける空間は少ない訳ですが、それでも生き生きとした鷺がえがかれていますので
やはり当時の陶工さんの技量は相当なものだったと言えるでしょうか。


高台部分には元禄あたりの伊万里に見られる文様が描かれていますが、正直なところ中期の同様の文様よりも
随分と雑な絵付けのように見えます。さらに、この角度から見ると良く分かりますが、単純な扇面形ではなく
若干角度を変えた成形になっています。


裏文様がこの時代に見られる折れ松葉とかではなく、なにやら花のようなものが描かれている点は
ちょっとだけ点数が高いように感じます。
以前にお世話になっていた神戸のベテラン業者さん曰く、「変形皿は丸皿よりずっと少ない」だそうで
思えばその言葉を鵜呑みにして変形皿を集めようと思った時代もありました。(ずっと前ですが)

回想の古伊万里 81(染付扇面皿)

2020-09-20 00:20:09 | 古伊万里
 いつも素晴らしい品を紹介していただいている、故玩舘のご主人、遅生さんのところで重量級のガラス花瓶が紹介されています
そこで、負けてはならじ(?)と、ウチで一番重い伊万里を引っ張り出してきました。
「染付扇面皿」


横が30cm程ある大きな扇面形のお皿で、なにやら中国風の意匠の絵付けがされています
こういった形の宿命なのか、分厚く成型されており、縁の部分は5mmほどの厚さですが、底の部分は1cmもの厚みがあり
まるで、初期~前期藍九谷のような厚底の成型になっています。どちらかと言うと、お皿というよりは水盤のごとき品のような印象ではあります。


見込みの人物は明らかに中国人のようで、清朝磁器の影響が見られることから、江戸中期末~後期の品の可能性が高いように感じます
(業者さんは元禄伊万里や!、と言っていましたが・・・)



側面には中期古伊万里に見られる連続文様が施されており、そこそこ手の掛かった品であることが判ります。


裏面はいわゆる「ベタ底」で、座りは悪くありませんが、側面は若干の歪みが見られるようです。
この品が単独で作られた品か、あるいは組皿で全部揃うと丸くなる品(ちょっと大きすぎますが)なのかは
判りませんが、以前にこれと同じ位のサイズで見込みが牡丹唐草になっている品を見たことがあります。
コチラのサイトにも似たような品が掲載されていますが、こちらはウチの品より一回り大きなサイズのようです。

今から10数年前に滋賀の業者さんから購入した品ですが、意外に珍品なんでありましょうか。

回想の古伊万里 80(染付鹿文深皿)

2020-09-14 21:42:27 | 古伊万里
 今日の酒田は結構な量の雨が降り、最高気温も23度そこらということで、急に秋がやって来たような感じです。

秋ということで、前回、鹿紅葉文の六寸皿を紹介しましたが、ウチにもう一枚鹿文の品があったのを思い出し
とりあえず、引っ張り出してきました。
「染付鹿文深皿」


見込み中央に鹿文を描き、その周囲に七宝文を描いた四寸半ほどの深皿です
土も白く、染付も清麗な発色ですので、絵付けはそれ程ではないものの、一般的には「藍柿」として売られている品でしょうか。



この品のちょっと良い点は、裏面が全面花唐草である点で、この点は一般的な品より点数が高いように感じますが
この手の裏文様に手のかかった品は中期でも享保あたりに多く見られますので、元禄藍柿というには微妙な感じではあります。



落款は元禄を中心とする中期に見られるものでしょうか。
深皿の場合は普通の平皿と違い鑑賞用に飾るという点で一段劣ることもあって、安く購入できるケースがあるのは確かでしょうか。

酒田をちょっと散歩 28(今町界隈)

2020-09-09 21:27:21 | 散歩
 このところ9月とは思えない暑い日が続いており、散歩どころではないんですが
とりあえずちょっとだけ紹介したいと思います。

江戸後期、酒田には三カ所の遊廓街があり(茶屋と呼ばれた)、文化10年に今町に37軒、船場町に36軒が公認され、さらに文化4年には高野浜(現在の新町)にも何軒かが
公認されています。この三カ所の遊廓街は「酒田町三遊所」として諸国に名を知られていました。
その後、明治27年の庄内地震で今町と船場町の遊郭街が大きな被害を受けたことから、遊廓はすべて新町へ移転しています。
さて、そんな今町界隈をちょっとだけ歩いてみました。
まずは通称「今町の弁天さん」と呼ばれる厳島神社です

今町はその昔は酒田三遊所の筆頭だったようで、花柳界のあつい信仰をあつめたのがこの神社だったようです
↓は厳島神社の狛犬さんです

続いては子守地蔵尊の横にある共同井戸、現在はコンクリートで蓋がされています

その向かいにあるレトロな佇まいの「池田鶏肉店」

地持院横の細い小路

そこを抜けた所にある、これも恐らく共同井戸ですが、こちらはまだ木製の枠が残っています

ここをさらに進むと、御厄介になりたくない裁判所の横に出ます

今町の大きな交差点(変形五差路)の北側にある「善導寺」


ついでながら、時代ははっきりしないものの新町の遊廓の賑わいの判る画像です。

(画像は無断借用です、スミマセン・・・)

北前船で栄えた江戸時代、米商人が大きな財を得て繁栄した明治時代、当時の酒田は今では考えらえないほど繁栄していたことが判りますね。