Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

回想の古伊万里 130(白磁陽刻竹鳥文七寸皿)

2021-05-30 22:45:49 | 古伊万里
回想の古伊万里も130回目ですが、傷物や変テコな品が多いとはいえ、随分と集めたもんだと思うところもあります
それはさておき、ワタシが伊万里に惹かれたのは文様の多様性だったように思います。そんなこともあって、ウチの貧乏コレクションには
文様の描かれていないいわゆる白磁は一つしかありません。
その貴重な(?)一つが、今回紹介する品です
「白磁陽刻竹鳥文七寸皿」

多くの業者さんが「柿右衛門白磁」として販売するであろう、輪花形の七寸皿です
生地は確か乳白色のいわゆる「濁し手」のようですので、そういった点では中期の柿右衛門白磁と呼んでもさしつかえなさそうです。
古九谷の陽刻と違いそれほど鋭くないこともあって、画像ではなかなか上手く表現できない面はありますが
一応、竹とそれに止まった鳥と思われる文様が陽刻されています
落款はなく、目跡が五か所にあります
このシャープな成形はさすがに柿右衛門というべきでしょうか
この品をお世話してくれた関西のベテラン業者さんは、「白磁が好きな人は美意識が高い」と言っておりました。
やはり白磁といえば伊万里ではなく、李朝や定窯白磁が魅力的なのは間違いありません。

旧青山本邸へ行く

2021-05-28 19:16:59 | 散歩
ウチから車で15分ほどのところにある、国指定重要文化財の「旧青山本邸」へ行ってきました。
通称「ニシン御殿」として知られる邸宅で、明治期に北海道のニシン漁で財を築いた遊佐町出身の青山留吉が明治20年代に建てた邸宅です。
展示品も含め紹介するのは大変なので、とりあえず母屋について紹介します

入口へ向かう道
横はこんな感じです
まるで武家屋敷みたいな入口
案内板

母屋
母屋の側面
館内には五月人形が飾られていました
少し後に建てられた離れの横にある、「神庭」
なぜか気になった、通称「鉄砲風呂」、豪華ですね
トイレの横の手洗い場にありました
豪勢な座敷

この凄い戸をご覧ください

ちなみに柱や鴨居、長押は春慶塗りだそうです

一見ただの襖のように見えますが、引手の部分を拡大してみます
なんと、この引手は「七宝」(明治時代には極めて高価だったとか)で出来ています
ここはトイレから続く廊下の突き当りですが、注目は右のガラスです
拡大するとこんな感じになります
これは障子やカーテンの模様ではありません、明治期に長崎で作られた、「絵入り砂摺りガラス」です。大変に高価なものだったようです。
大きな真空管ラジオも展示されておりました。




回想の古伊万里 129(染付 牡丹雲龍文皿)

2021-05-23 21:39:23 | 古伊万里
 前回も書いたように、ウチのコレクション(と言う程のものではないが)も残り少なくなっており、良い品が残っていません
それでもなんとか時代のある品をということで探したら、なんとか江戸前期の七寸皿を発見しました。
「染付 牡丹雲龍文皿」

柴コレ7-222と同手の思われる20cmほどの染付皿です
見込みに描かれているのはいかにも寛文期の特長を持った大胆な牡丹文で
延宝期の古伊万里とは違い、かなり力強く描かれています。
しかし、この品にとって重要なのは縁の部分でありまして、なんと龍文が陽刻されています。
このタイプの品は文様違いで数種類あるようで、この牡丹文が最も一般的な品であるようには思われます
柴コレにはいくつか同タイプの品が掲載されており、1660~80年代の制作であると記載されています。
落款は二重角福で裏文様はなく、この点でも寛文期の特長を示していますね
このような縁に龍文が陽刻された品はさほど多くないようで、恐らくは特定の窯で一時期だけ焼成されたという可能性があるようには思います。
この品を最初に目にしたときは、「何じゃこりゃ?、こんな藍九谷あるんかいな」と思ってしまい入手しませんでしたが
その後、柴コレの図録等で同手を見つけ、何とか購入できた品です。


回想の古伊万里 128(染付菊花文深皿)

2021-05-20 20:46:33 | 古伊万里
ウチの古伊万里もだんだんショボい品だけになってきましたが、古伊万里の師匠であるDr.kさんが「染付菊花文小鉢」が紹介されており
勝手に便乗する形でウチの似たような深皿を紹介することにしました。
「染付菊花文深皿」
八角形に成形された16cmほどの深皿で、器面を天明期に登場する「茄子紺」と呼ばれる濃い呉須で塗りつぶし
その中に墨弾きの技法を使って菊文を散らし、さらに地紋として唐草文が描かれています。
倉石梓氏の「古伊万里染付図譜」ではこのタイプを「白抜様式」、さらにその中でも「墨弾き併用グループ」と分類しています。

時代的には18世紀後半(天明~寛政期)と考えられ、落款が入らず、蛇の目高台ではない点からも、この時代の特長が見て取れます。
ワタシがこの品を入手したのは十数年前で、当時はまだ生活骨董のブームが残っていた時代で
業者さんもまだもっともらしい値段を付けて売っていたものでした。
白抜様式はこの時代を代表する様式の一つではありますが、あくまでも生活骨董であり
現在では本来の骨董としての価値は失われてしまったんでありましょうか。
(幕末の雑器として扱われていた時代に戻った!?)

初めて買った陶磁器(九谷焼花鳥文瓢形徳利一対)

2021-05-16 21:33:39 | 日記
今から25~6年前、地元のデパートで開催されていた骨董市で初めて購入した「陶磁器」です
「九谷焼花鳥文瓢形徳利」

扱っていたのは酒田のお隣、庄内町(当時は余目町)のベテラン業者さんで、当時の私は骨董に興味を持ち始めたばかりでした
当然、九谷も有田も瀬戸もよくワカラン訳でありまして、ただなんとなく「綺麗な徳利だな」というだけで購入した覚えがあります。

捻じりの入った瓢形徳利で、胴の部分には二羽の鳥と桃、そして紅葉が典型的な九谷焼の色使いで絵付けされています
首の部分にもなにやら地紋が描かれています
落款は緑地に角福という、古九谷に倣ったものですね
時代ははっきりしないものの、恐らくは昭和に入ってからの品(業者さんは大正とか言ってましたが)
いわゆる工芸品というか土産物のような品ではないかと思われますが、物の善し悪しは別として
私にとっては陶磁器収集の出発点となった品なのは確かです。
(今なら間違っても買わないと思いますが・・・)