Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

ツツジが一輪

2024-11-01 20:51:57 | 日記
今日の酒田は曇りがちな天気でしたが、最高気温は20度を超え、11月とは思えない陽気でした
そんな陽気のせいなのか、ウチの庭のツツジが一輪だけ咲いていました(五月に咲くんですが・・・)

↓の画像を見るとピラカンサスの実がなっていますので、今どきであることが判ります

一輪だけというのが風情がある感じもしますが、どうなってるんでありましょうか・・・。
ついでながら、↓は先日、牛渡川で撮った画像なんですが、杉木立が水に映り込んでいるのに気づいた次第です。

酒田も来週にはちょっと寒くなるようです




酒田大火の日

2024-10-29 23:16:28 | 日記
思えば今日は今から48年前に酒田大火の発生した日でありました
当時のワタシは高校三年生で、朝から風が強く、先日紹介した下藤塚のケヤキ並木の前の道を
いつになく風が強いな~、などと思いながら自転車で通学した記憶があります。
その日の夕方のこと、TVでローカルニュース番組を見ていると「酒田のグリーンハウスから出火」という第一報が流れました。
やがて中心商店街である中町方向を見ると空が真っ赤、そしてあの未曾有の大火になってしまった訳です。
↓の画像は当時ワタシが編集に関わった生徒会誌に掲載されたものですが
右側の高い建物が大沼デパートで、地上6階の鉄筋コンクリートのビルだったんですが
ここの窓から炎が噴き出し、北側にあった商店街へと延焼したようです。
出火当時の風速は14mを超えており、さらに9時25分には瞬間最大風速26.7mを記録しており
商店街に何軒かあった耐火建築でも持ちこたえることが出来ず、あのような大火となったということのようです。
ワタシの同級生も二人が被災、さらに担任の先生も被災しました
翌日は登校すると全校集会で大火に関する話があり、授業は中止となりました。
被災した同級生は親しい友人だったので、まだあちこち煙の残る中、数人で家のあったあたりまで行ってみたものでした
↑の写真は、大火の翌日あたりに焼け跡で勉強道具を探している子供を写したもののようです。
その後、中心商店街は復興したものの、時代の流れの中でシャッターの閉まった店ばかりの場所になってしまいました。


珍しく濃い霧が・・・

2024-10-17 21:06:02 | 日記
今日はスーパームーンだそうですが、ウチには撮影できそうな機材がないので
せっかく月が綺麗に見えていてもどうしようもありません。
それはともかく、今朝の酒田は滅多にないような濃い霧に覆われていました
まずは今日の朝の様子です(ドラレコ映像なのでイマイチですが)
同じ場所の数日前の映像です

市街地で信号がかなり近づかないと見えないような霧は酒田ではとても珍しかったりします
朝7時前なので東へ向かうと太陽が真っすぐに見えますが・・・

天気が良い同じ時間帯だと
霧は8時半頃には晴れましたが、赤木圭一郎の「霧笛が俺を呼んでいる」とか
山田真二の「哀愁の街に霧が降る」なんていう懐メロを思い出してしまいました。



遊佐町杉沢地区へ

2024-09-20 20:45:11 | 日記
今日の酒田は一日中雨模様で、朝は結構激しく降っておりました。(雷も凄かったですが)
そんな中、午後から雨が小降りになったので、7月の大雨で暫く道路が寸断されていた、遊佐町の杉沢地区へ行ってみました
いつも通る道路は土砂崩れで一か月半近く通行止めでしたが、つい先日片側交互通行ができるようになりました

雨の中、車から撮影していますので画像は良くありませんが、この場所で大規模な土砂崩れがあったようです
ちなみに、交通量がそれ程多くない道路ということもあり、AIを利用した片側交互通行システムでした。

↑の画像は4年ほど前にこの道を通った時のもので、ほぼ同じ場所の映像です
これだけの山がが崩れ、ずっと道路を塞いでいたわけですから、復旧の労力は多大であったことが判ります。
酒田では今日も大雨警戒レベル3という状況ですので(現在は雨は降っていませんが)
これ以上降らないことを祈りたいです。


墓掃除

2024-08-11 22:26:35 | 日記
東北地方は明日から台風が接近(通過?)することで荒れた天気になるということなので
例年は13日の早朝に行っている墓掃除を早めに済ませてきました。
我が家のお墓は歩いて5分もかからない場所にあるんですが、墓地へ向かう道の途中のお宅に百日紅が咲いていました。

こちらは夾竹桃でしょうか(良く知らない・・・)

さて、墓地へ向かう坂道の横にあるこの木が重要です

これはエノキらしいですが、この木には↓のような小さな実がなります(画像は借り物です)

この木が何故重要かというと、ワタシが子供の頃、この実を細い竹に詰めて飛ばす「いのみ鉄砲」というのを作って遊んだんであります
ネットで調べると、どうやら「えのみ鉄砲」というのが正式な名前のようで
恐らくある時代までは全国的に行われていた遊びと推測されます。
ワタシの子供時代は、年長の子供が年下の子供に作り方を教えるというスタイルで伝承されておりましたが
子供の少ない今の時代には忘れ去られてしまったのかも知れません。