Diary Of 酒田の人

田舎住まいの60代サラリーマンの趣味の日々

40数年前に乗ってみたかった車

2024-01-30 23:52:31 | 旧車
ネタがないので車ネタとなっております
これから紹介する車は今から40数年前、ワタシが18~19歳頃に現役で販売されていた車で(何年か古い車と新しい車もありますが)
当時、そのカッコ良さに憧れ、いつの日か乗ってみたと思いながら、未だに乗る機会を得ない国産車です。

まず最初は、ジウジアーロの繊細なデザインが美しい、「いすず117クーペ」です

初期モデルはプレスで作れず、職人さんがボディを叩き出しで作っていたとか
続いては日本を代表するスポーツカー、「日産フェアレディZ」(画像は240ZG)です。

会社の先輩がこれと同タイプの赤のフェアレディZに乗っておりました
次も日産車で、当時大人気でスカイライン史上最も多くい売れた通称「ケンメリ」です

当時は随分と大きな車に見えたんですが、今時の車と比べると小さいことに驚かされます。
次は当時、一番カッコいいと思っていた、「セリカ・リフトバック」です

この車も会社の先輩が、「弟の車だ」と言って会社に乗って来たのを覚えています
続いては三菱の車で「ランサー・セレステ」です

この車も会社の先輩がウィンドウをミラー・コーティングして乗っておりました
次は上記の車より10年程遡りますが、その美しいスタイルが忘れられない「日野コンテッサ・クーペ」です

この車は若い頃に止まっているのを見たことがあったんですが、遊佐町のイベントで再会したのは40年後でありました
最後に登場するのは、国産の高級クーペという市場を切りひらいた「ソアラ」(初代)です

この車は当時かなり高かったんですが、会社の先輩が発売された途端に購入したのには驚いたものでした。
旧車は魅力的ですが、購入できたとしても維持するのが大変なのは当然で、骨董と同様にお金のかかる道楽なのは確かです。
最後に、ワタシが19歳の頃に一度だけ見た車で、なんとしてももう一度見たいと思っている車を紹介します
画像は当然借り物なんですが、「いすずベレット・ファストバック」です。

ワタシが一度だけ見たのは黄色の個体でしたが、この丸い6コのテールランプが今でも目に焼き付いています
ちなみにこの車は受注生産で349台しか生産されていない希少車のようです。



伝説の蝶を求めて

2024-01-28 19:56:26 | 
ずっと読みたいと思っていた本を入手しました
「伝説の蝶を求めて 女帝ポンテンモンキチョウ」です。

1999年の刊行された書籍で、作者は原弘という方です
この本で取り上げられている「ポンテンモンキチョウ」(Colias ponteni)というのは世界に8頭しか標本が存在せず
しかも160年以上(場合によっては250年以上)採集された記録がないというまさに幻の蝶です。
世界にある8頭の標本のうち5頭は大英博物館に、残り3頭のうち2頭はスウェーデン自然史博物館、1頭はルンド動物学研究所にあります
↓はこの書籍の裏表紙ですが、上から5頭は大英博物館、下の3頭はスウェーデンにある標本のようです。

大英博物館の標本は以前から知られていたようで、1768年~1771年かけてキャプテン・クックがエンデバー号で行った
世界一周の航海の時に一緒に乗船していたジョセフ・バンクス(表紙の人物)がアルゼンチンのフエゴ島で収集したと伝わっていました。
一方スウェーデンの残されていた標本は、1852年頃にスウェーデンのユージェニー号の世界一周時にハワイのオアフ島で採集されたことになっています
ポンテンモンキチョウの標本はずっと大英博物館にしか存在しないと思われていましたが、1997年にスウェーデンに3頭存在することが知られました。
この本の著者である原弘さんは、スウェーデンの研究者の論文、さらに数多くの資料を精査することで
矛盾点を探し、さらに想像力を働かせて仮説を立て可能性を厳しく追及することで
謎となっているポンテンモンキチョウの生息地を特定しようとしています。
ちなみに、ハワイのオアフ島にはモンキチョウ(Colias)は生息していないようです。
謎は謎を呼び、決定的な確証は得られないものの、作者の原弘氏は会社を辞めて、自分の仮説を証明するべく決意することろで終わっていますが
その後の原氏の成果については不明で、ポンテンモンキチョウを捕獲したというビッグニュースもありません。
それにしても、著者の並々ならぬ情熱と研究心が伝わってくるのは確かです。
今から20数年前には「幻の蝶」といえば、ブータンシボリアゲハ、オナシカラスアゲハ、モエルネリマネシアゲハだったようですが
そのいずれもが今世紀に入って再発見されており、そういった意味では、発見できれば「世紀の大発見」となるのがポンテンモンキチョウですが
たぶん、絶滅してしまったのかも知れません。




伊万里百趣

2024-01-24 22:56:31 | 古伊万里
「伊万里百趣」というのは平成五年(1993年)に里文出版から刊行された伊万里の書籍で
骨董雑誌「目の眼」の創刊200号記念して刊行された書籍です。
ワタシが入手したのは平成12年頃で、確か八重洲ブックセンターで購入した記憶があります。

この書籍に収録されている古伊万里は、読者が愛蔵品を応募した中から選ばれた品で、一般的な名品を集めた図録と違い
蒐集した人の好みや美意識が色濃く出ているのが特徴だと思われます。
(中には金銘の有名な品や色鍋島、松ヶ谷、初期の名品も収録してありますが)
当時はまだ伊万里に興味を持ち始めたばかりの頃で、「いつの日かこの図録に載っているような品を入手できれば」と思ったものでしたが
その日はこの書籍を購入した数年後にやって来ました。
その品が↓の「兎文小皿」です

すでに何度か購入していた神戸の業者さんが、この品をヤフオクに出品したのを発見
平戸の小皿としては結構なお値段でしたが、なんとか落札することができました。
落札できたのには理由があり、たまたまオークションの最終日の昼にパチンコで五万円ほど勝ったことで
予算に余裕があったという、ま~あまり自慢できない理由だったりします。
とは言え、この小皿はしばらくの間、ウチのしょぼい蒐集品の中ではまともな品の代表格でありました。
(東京ドーム骨董祭の時に持参して、先輩コレクターに見てもらったのも良い思い出です)

その後この書籍に収録されている品に出会うことはなかったんですが、「兎文小皿」を入手してから10年以上経ったある日
↓の「花と花唐草文皿」がまたしてもヤフオクに出品されているのを発見しました

花唐草は大好きなので、是非欲しいと思っていた品ですが、以前ほどではないにしても「そこそこの値段になるのでは」
と思いながら入札しましたが、なんと「兎文小皿」の半部以下の値段で落札と相成りました。
確かに中期とは言え、盛期伊万里ではないですし、花唐草もかつての神通力が無くなったのは確かですが
実際に入手した感想としては、「いい品なのに安くなったもんだ」というものでした。
六寸半サイズであまり見かけない文様の組み合わせ、個人的にはとても好きな品ではあります。


土門拳 骨董の美学

2024-01-21 23:36:02 | 古伊万里
「土門拳 骨董の美学」というのは1999年に平凡社から出版された書籍です
良く知られているように、土門拳は酒田市の出身(と言っても7歳頃に東京に移住しているが)で、酒田には土門拳記念館があります
土門拳は骨董収集家でもあり、伊万里でも初期伊万里や色絵古九谷を収集していたようです。
そんな土門拳自身が書いた文章の中に「まぼろしの古九谷」という部分がありますので、ちょっとだけ紹介したいと思います。

 日本色絵磁器の王者古九谷は、加賀百万石の支藩大聖寺藩で焼かれた。
その窯址と目されるものは。大聖寺川の上流、石川県江沼郡九谷村の谷間に、こんもりとした杉林におおわれてある。(中略)
写真は失敗だったし、陶片も拾えなかったけれども、古九谷窯址をこの目で見ただけで、僕の気はすんだと云えなくもない。
なぜなら、古九谷窯址は大聖寺川の氾濫によって洗いざらい流されてしまったであろうという説を何かで読んだことがあるが
厳として遺存していることがわかった。(中略)
古九谷すなわち伊万里説がある。全面説はともかくとして、古九谷とされるものの一部には有田で焼かれた素地に加賀で絵付けしたものが
混じっているという一部移入説は相当広く信じられているようである。
ぼくは全面説はもとより一部移入説にも絶対反対である。古伊万里は泉山の磁土であり、古九谷は九谷村の磁土であって
素地の味わいが全く異質である。(中略)
古九谷は大体明暦年間に焼きはじめられたと認められているが、それもあくまで一説の中の一説にすぎない
産業奨励の藩窯であるはずなのに、大聖寺藩にも、加賀藩にも一行の記録もない
元禄年間に廃窯になったと認められているが、それも記録にあるわけではない。(中略)
日本の古陶磁の中で一番近世に位置するものでありながら、しかも名もない民窯ならばいざしらず、百万石の雄藩に近縁の藩窯でありながら
すべては黒い霧につつまれているのである。
日本色絵磁器の王者古九谷は、ついにまぼろしの古九谷と云うほかないのだろうか。

この文章がいつ頃に書かれたのかは判りませんが、ワタシが古九谷論争について初めて知ったのは、土門拳氏のこの文章だったように思います。







ランボルギーニ・アヴェンタドール

2024-01-19 22:55:08 | 自動車
地元のモーターショーやクラッシックカー・ミーティングも開催されなくなって久しいですが
遊佐町で開催されていたクラシックカー・ミーティングの中で最も強烈に印象に残っている
「ランボルギーニ・アヴェンタドール・ロードスター」の画像をちょっとだけ貼って残しておこうと思います。
この車は2018年・19年と同イベントに参加しており、田舎ではまずもって見かけないそのド迫力に驚いたものでした
まずは2018年の時の画像です
真横からですが、車高を一番下まで落としているので地面に付きそうな感じです
正面からですが、横に立っている人と比べるとその低さが判るでしょうか

斜め前から、隣のS30Zも大好きですが

同じく斜め前からですが、こちらは2019年の画像です

リヤの部分

リヤ部分の拡大ですが、ド迫力のホイールです
運転席の部分です

地元のイベントに参加した現行の車では恐らく一番高価な車だったと思いますが
旧車では地元オーナーのランボルギーニ・ミウラSVやフェラーリF40がいずれも億単位の値段が付く車でありました。
ランボルギーニ・ミウラSV

フェラーリF40

ワタシはスーパーカー世代ではありませんが、スーパーカーには現実離れした「夢」みたいなものが凝縮されているように思います。