堺北民主商工会

堺北民商ホームページはこちら

差別

2008年06月20日 09時26分25秒 | 世間の話
 日本で初めての人権宣言とも言うべきものは、恐らく「宣言」であろう。この宣言は1922年(大正11年)3月3日、京都の岡崎公会堂において全国に発せられた。
 1895年、西光万吉は奈良県の被差別に生まれた。民は「汚らわしい奴」「一緒に居ると血が汚れる」等と蔑み、罵られた。東京に上京した彼は只管、民である事を隠し続けた。しかし、彼は「自らの存在(身分)を隠し通し続ける事」で良いのだろうか?と悩み始める。
 ご承知のように民とは「士農工商」の階級制度によって国民を統治していた江戸時代に、それらの階級の下に「…,…」と呼ばれ、限られた職業(獣の皮の鞣しや処刑場での用足し)しか与えられず、一定の地に限って定住させられた。時代が移り変わり、明治になっても、その名残は引きずり、民は極貧の生活を送った。だから、栄養失調や発育不全のため、民には年少(3~4歳まで)の死亡記録が多いと言われる。
 悩み続けた西光は一筋の光明をやっと見出す。…「民」である事実を公然と世間に宣言する事を!
その事によって人間を人間として証明する事が出来る。彼の呼び掛けに賛同し、全国から多くの仲間が京都に集まった。しかし、中には身分を世間に曝け出すのに躊躇する者も大勢、居たと言う。
 全国に向けて発せられた「宣言」の真髄は「人間を尊敬する」と言う人権宣言、そのものであった。
 現代社会における差別は形を変えて、至る所に存在している。勿論、それらの「差別」は階級差別と言ったものではないが、人を蔑んだり、見下したり、日常生活の中でどんな場面でも起こり得る(イジメも差別の一種と言って良い)。
 そんな状況を考える時、西光万吉が遺した「宣言」の精神は今なお、現代に息づいている。