意思の力を正しく用いる者は、有徳の人物として光を放ちます。
しかし、意志を誤った方向に用いるなら、邪悪な人間となります。
欲望を減らせば減らすほど、意志の力は強くなります。
過剰の欲望を持ち続けるならば意志の力は弱くなります。
喫煙、コーヒーを飲むなどのいくつかの習慣の内、その一つなりとも減らすことが出来るならば、意志の力は強くなり、知的な能力も増大します。7/4/93
ポニョ:この前、夢精の話をしてくれたけれど、夢精では霊力が失われ無いのに、どうして意図的な射精では失われるんやろか。
ヨシオ:ここで少しラーマクリシュナさんが弟子に秘密に言われた言葉を紹介しよか。
「神を覚るためには精液を出さないようにすることだ。十二年間出さないでいると特別な力が生まれてくる。体内にメダ神経という新しい神経ができて、あらゆることを思い出し、記憶し――また、あらゆることが理解できるようになる。精液を出すと、人間として最も重要な力が弱まるのだ。夢精は害がない。夢精で出したあと残った分で十分役に立つ。女と過す必要はない。
聖チャイタニヤがある人に、『あなたは信者たちにこんなに多くの教えを授けておやりになるのに、彼らがさっぱり進歩しないのはなぜでしょうか?』ときかれて、こう答えた。
『この連中は女と交わって精力をムダ使いするから進歩しないのだ。だから真理(神)を体得することができないのだ。穴のあいた壺に水を入れておくと、みんな流れ出してしまう』」(『不滅の言葉』田中嫺玉訳p. 140より)
ポニョ:結構ストレートに言われているんやな。面白い。という事は、夢精では霊力が出ないんか?
ヨシオ:それは意思の力、心の力が関わっているからなんや。それほど、俺たち一人ひとりが持っている意思の力、心の力ってパワフルなんや。以前記事にしたけれど覚えているかな?王族の息子さんが、ババの部屋の前に座りながら、王族の金を横領していた番頭を殴って懲らしめるイメージを頭の中でしていたら突然ババが部屋から出て来て、お前は頭の中で何回その男を殴って殺したら気が済むんや。この世界ではそれは想像の世界の話やけれど、神の世界ではそのお前が想像していることが本当になるんや。お前がそういう悪いことを想像するとそれは何倍にもなってお前に返って来るから気をつけなさい。と言われたやろ。
ポニョああ、思い出した。そのあと、ババはその人を部屋に連れて入ってその人にヴィジョンを見せたんやったな。あれは面白い話やった。ちょっと引用してみよか。
ここから過去記事です。
ヨシオ:このゴパール君はグジャラティというところにある王国の跡継なんやけど、悪い奴がいて、お婆ちゃんを騙して銀行口座から大金を引き出して横領したり、慈善事業に寄付した金を横取りしたりしてたんや。その事がばれて、ゴパール君は頭に来てたんや。家の人たちは全てババの帰依者でこの世に何の偶然もない。全てを神に捧げたと思えばええやんか。これはカルマを支払ってるんや。仕方のない話やと言って、受け入れていたんやけど、ゴパール君は受け入れられなかったんや。それで、サイの高校に十一年生から編入したんやけど、編入して三ヶ月程してベランダにいる時に、突然ババがインタビュールームから怒った顔をして出て来られて、ゴパールよ。ちょっと中に入れ。と言われたんや。そして、驚いて恐々インタビュールームに入ると、ババはいきなり、お前は一体何をしとるんじゃ。と言って叱られたんや。ゴパール君はベランダに座っていただけで、何も悪いことはしていないのに、どうして叱られているのかさっぱり分からないので困惑してたんや。それでババに、あの~僕が何かしましたか?ベランダに座っていただけなんですが。と答えるとババは、そこに三十分座っている間に三回も人を殴り殺しているやないか。と言われたんや。ゴパール君はベランダの座っている時にその男の事を思い出し、頭の中でその男を殴っているのをイメージして想像に耽っていたんや。
ポニョ:ババが怒って来られたのはゴパール君がそういうことを想像していたからか。頭の中で想像しただけで叱られるってボーッと出来ないな。
ヨシオ:だから、ババの近くにいつもいるって大変難しいことなんや。とても気を使って気を抜くことが出来ないんや。だから、いつも頭の中で良い事を思って、且つ、頭の中で思ったことと言葉と行為が自然に一つに出来る、子供の心を持ったような人でないと難しいんや。
ポニョ:おいらはそれが普通に出来ているな。逆に、何で人は頭の中で思ったことと違うことを言葉として言えるか理解出来ないし、それをやろうとしたら声が震えたり、言葉に詰まったりするからちょっと無理やな。
ヨシオ:ポニョのような人間はババのそばに居てても大丈夫やろな。それでゴパール君はババに、あなたは何でも知っておられるでしょう。あの男は僕の家のお金を盗んでいたんです。許すことなど出来ません。あなたがなんとかして下さいよ。と言うと、だからこうしてお前をここに呼んで殺される事から救っているんや。と言われたんや。ゴパール君は全然意味が理解出来なかったので、どうして僕が殺されるんですかと聞くと、ババは、このお前たちが住んでいる世界では気に入らない連中がいれば殺して消してしまえばそれで良い、と思っているんだろうけど、神の法則では違うんだ。神の法則では、頭の中でイメージした途端にそれが実現するのだよ。だから、良くないことを頭の中で想像すると七倍になってその人に戻って来るので気をつけなさい。お前の場合では、三回も人を殴り殺したので、その七倍だから21回も将来殺されそうになるんだ。でも、その男はお前の事を全然何とも思っていないので、お前のようなカルマを作っていないのだ。さあ、これでもまだその男のことを、嫌いか?と尋ねられたんやけど、ゴパール君はそんなの不公平です。まだ嫌いです。そんな簡単に許せないです。と言ったんや。
ポニョ:この前は十倍になって返って来るって言ってなかったか。状況に応じて違うんかな。でもこのゴパール君はやっぱり、おいらと反応が一緒やな。おいらも同じ事を言うやろな。ほんまに不公平やんか。なんでその男の事をボコボコにしてしまう事を想像しただけで、そんなカルマを作り、将来21回も殺されそうになるんや。絶対不公平やんか。受け入れることなんて出来ないぜよ。
ヨシオ:まあそれが普通やろな。それで、この後ババはゴパール君にヴィジョンを見せられたんや。突然ゴパール君がいたインタビュールームが断崖絶壁の上に変わって、その男が目の前にいたんや。ババの声がしてさあ、お前がやっつけたかった男がいるぞと言われたので、一発ぶち込んだんや。すると男は悲鳴をあげてゆっくりと後ろ向きに歩き、地面にある先のとんがった石につまづいて後ろに転び、崖から落ちそうになっているシーンやったんや。その時ババの声が何処からともなく聞こえて来て、ゴパールよ、何が見える?と聞かれたんや。ゴパール君は男が崖から落ちようとしています。と言ってその光景を冷たい目で見ていたんや。するとババは、その男は手に何か持っているだろう。と言われたので、よく見るとなんと、可愛い赤ちゃんを必死に一方の手に持っていたのが見えたんや。その赤ちゃんはゴパール君を無垢な目で笑いながら見つめていたんや。ゴパール君は男に恨みはあってもその赤ちゃんには何の恨みもないので、赤ちゃんを助けなければいけないと思い、とっさにその崖から半分落ちかけている男のところに行き、その男の身体を抱えたんや。そして渾身の力を込めて男を崖の上に引っ張り上げようとしていたんやけど、とても重くて、ババに助けてください、と大きな声を出してお願いしたんや。すると、なんとか男を引き上げることが出来、赤ちゃんも助かったんや。
そしてゆっくりと目を開けるとババが来てゴパール君の肩に手を置き、ゴパールよ。これでもまだその男のことを嫌っているのか?と聞かれたんや。ゴパール君は、いいえ彼に対する恨みは消えました。もう嫌いではなくなりました。と言ったんや。そして、これはお前の為に私が仕組んだ、恨んでいる人を恨まなくなるレッスンなのだ。これからの人生で、もし嫌いな人が出来たら、今日のようにお前の中にある愛の泉から愛の水を汲み出し、その者をお前の愛の水で溺れさすのだ。自分の愛が引き出せるものならなんでも良い。今回は赤ちゃんだったけれど、それが可愛い子犬でもなんでも良いのだ。とにかく、自分の愛の泉から愛を引き出せるものをイメージして、その自分が恨んだり嫌いだったりしている人の上に投影するのだよ。そうすれば、その者を今のように嫌いではなくなるようになるだろう。一番理想的なことは、その男もお前もお互いに愛を持つことなのだ。
でもそれが難しければ、お前だけでも、あの男を嫌いにならないようにイメージすれば良いのだ。でないとさっきも言ったように、もしこのまま放置したらあの男ではなく、お前が新しいカルマを作ってしまうのだ。あの男が何処か遠くにいてお前のことを嫌っているかどうか、そんな事は問題では無いのだ。大事な事は、お前がその男を愛しているかどうかなのだ。と言われたんや。
ポニョ:これは、すごいレッスンやぜよ。こんなレッスンをされたら誰でも、嫌いな人がいなくなってみんなを好きになれそうやな。
ヨシオ:ゴパール君も同じ事を言っていた。もういつでも、心を開いてその男と一緒にコーヒーを飲みながら談笑出来るって。恨みのうの字さえもう無くなったって言ってたな。
ちょっと、年取ったゴパール君です
過去記事終わり
ヨシオ:このように、意思の力、心の力ってとてもパワフルやから気を付けないといけないんや。最初の話に戻るけれど、性の営みをするという意思の力が射精時に入っていると、霊力も一緒に出てしまうんや。でも、夢精では覚醒時のような意思の力が働いていないやろ。
ポニョ:ババは君たちは実は途轍もない大きな神の力を有しているのです。何でも出来るのです。君達はまるで自分の巨大な力に気付かずに、自分よりはるかに小さな飼育人の命令に従っている大きな象のようや。と言っておられるけれど、その大きな力って意思の力、心の力の事なんか?
ヨシオ:心って本来何の力も無いんや。それが意思の力と結びついた時に大きな力となるんや。ババが心の力と言われる時、意思の力が心に作用している状態を指しているんや。分かりやすく言うと、この宇宙空間全体に鉄粉が充満しているとしよう。宇宙空間を膨大な量の鉄粉が隙間なく漂っているんや。そして、人の意思の力を磁力に例えるとどうなる?
ポニョ:そうやな。その大量の鉄粉を自分が出す意思の力、つまり磁力で自由な形に作り上げて行くことが出来るんや。
意思は至高神の本性です。
至高神はたんに意思するだけで、何事をも直ちにやり遂げます。
しかし人間は意思したことを、思いのままに成し遂げることは出来ません。
意思の力が決定的な要因です。
人間の意思は、一瞬にして物事を成就させる力を持ちません。
人が強い意思力を持つ事が出来れば、その時彼は至高神の力と等しい力を持つことになります。それを称して、神への帰融と言います。
瞑想によって、神へ帰融することが可能になります。
~内在のアートマの見地に立つことなしに意思と願望を培えば、揺れ動く心は、意思をしたり願望 をしたりする目的のものと交じり合ってしまいます。DVJp39
ポニョ:なるほど、心ってただの鉄粉でそれ自体動かず、あるというだけで何もしないけれど、一旦、磁力に例えられる人の意思が働くとその磁力によって鉄粉はどのような形や物になってしまうって事やな。
ヨシオ:説明する便宜上、心という言葉を使ったけれど、正確に言えばサットと呼ばれるのが鉄粉に当たり、チットと呼ばれるものが純粋意識でそのサットに意思の力を吹き込むんや。そしてそれらが全て至福アーナンダで包まれているのが創造主なんや。
「サット・チット・アーナンダ」〔実在・純粋意識・至福〕は神の基本的な特質です。
しかも、これらの基本的な特質は、生まれつき人間に備わっています。
ところが、人はこれら基本的な原理を実践に移すことができず、誤った認識のためにそれらを無駄にしています。
1972/7/8
ポニョ:あーなんだ、そーなんだ。チットも知らなんだ。
ヨシオ:何を言ってるんやポニョは?そのようにしてババは無からいろんな物を物質化されるんや。鉄粉に例えられる動かず、全てに充満しているサットが、神の意志によって姿形を取ったものが俺たちが住んでいるこの世界なんや。
ポニョ:なるへそ。今の例えは分かり易いしぜよ。すると、姿形の無い鉄粉に例えられるサットが、今自分たちの周りにある五代元素に姿を変えているんや。
ヨシオ:それをまやかし、迷妄、マーヤーと呼ぶんや。今回は分かりやすい様に鉄粉に置き換えたけれど、元々は実態を持っていないものが姿を現したんや。
ポニョ:その宇宙に充満している姿形が無いものが、意思を持ち、しかも至福に満ちているのがブラフマンつまり創造主なんや。その創造主と同じ意志の力を持ち。自由にその意思の力で宇宙に充満している鉄粉に例えられるものをコントロール出来る力を与えられているのが人間なんやな。だから、自分たちは象のように大きな力を持っているのにそれに気づかず、蟻のように小さな事に思い悩んで、自分の持っている大きな力を顕現せずに毎日をしょうもない事に時間を潰して過ごしているのがおいら達なんや。
ヨシオ:その通りや。意思の力を目の前の取るに足らないような小さな物に向けてそれを欲しがったり欲望を満たしたりしているのが人間なんや。そうではなく、もっと大きな神御自身を求めれば、人は神そのものとなり全てのものを自動的に手に入れることが出来るんや。人はその意思の力を欲望に向けて無駄にしているんや。欲望に向かう意思の力をどんどん減らして行くと、逆に意志の力が増えて行くんや。
ポニョ:欲望に向かう意思の力と神さんの方に向かう意思の力は反比例するんやな。それはおいらでも良く分かるぜよ。当たり前田のクラッカーや。
ヨシオ:クラッカー?また、食べもんが出て来た。だから今日の晩御飯のおかずはオクラの天ぷらやったらええなとか、世俗的な事ばっかり思ったらあかんって言っているんや。
ポニョ:でも、そんな小さい事や食べ物の事でおいらは幸せになれるんやぜよ。
ヨシオ:それはまた別の話や。
物体はどのようにして生じるのでしょうか?
物体は意志の力によって創られます。
(ここでスワミは黄金の鎖を物質化なさり、スワミがこれを意志したとおっしゃいました。)
この鎖は、私の意志から生じ、意志する前には存在していませんでした。
すべては神の意志によって生じます。
神はマーヤー〔幻影〕の原因です。
全創造物はマーヤーと神が結合したものです。
マーヤーがなければ創造はあり得ません。
それゆえ、マーヤーはすべての人に影のようにつきまといます。
人はマーヤーの影響のもとに人生を送ります。
マーヤーは影と同じように私たちから去ることはありません。
マーヤーはあらゆる迷妄の原因です。
太陽が昇るとき、影はとても長くなっています。
太陽が頭上にあるとき、影は足の真下にあります。
このように、影は長くなったり短くなったりします。
ですから、私たちは影を人生の基盤とするべきではありません。26/12/07
しかし、意志を誤った方向に用いるなら、邪悪な人間となります。
欲望を減らせば減らすほど、意志の力は強くなります。
過剰の欲望を持ち続けるならば意志の力は弱くなります。
喫煙、コーヒーを飲むなどのいくつかの習慣の内、その一つなりとも減らすことが出来るならば、意志の力は強くなり、知的な能力も増大します。7/4/93
ポニョ:この前、夢精の話をしてくれたけれど、夢精では霊力が失われ無いのに、どうして意図的な射精では失われるんやろか。
ヨシオ:ここで少しラーマクリシュナさんが弟子に秘密に言われた言葉を紹介しよか。
「神を覚るためには精液を出さないようにすることだ。十二年間出さないでいると特別な力が生まれてくる。体内にメダ神経という新しい神経ができて、あらゆることを思い出し、記憶し――また、あらゆることが理解できるようになる。精液を出すと、人間として最も重要な力が弱まるのだ。夢精は害がない。夢精で出したあと残った分で十分役に立つ。女と過す必要はない。
聖チャイタニヤがある人に、『あなたは信者たちにこんなに多くの教えを授けておやりになるのに、彼らがさっぱり進歩しないのはなぜでしょうか?』ときかれて、こう答えた。
『この連中は女と交わって精力をムダ使いするから進歩しないのだ。だから真理(神)を体得することができないのだ。穴のあいた壺に水を入れておくと、みんな流れ出してしまう』」(『不滅の言葉』田中嫺玉訳p. 140より)
ポニョ:結構ストレートに言われているんやな。面白い。という事は、夢精では霊力が出ないんか?
ヨシオ:それは意思の力、心の力が関わっているからなんや。それほど、俺たち一人ひとりが持っている意思の力、心の力ってパワフルなんや。以前記事にしたけれど覚えているかな?王族の息子さんが、ババの部屋の前に座りながら、王族の金を横領していた番頭を殴って懲らしめるイメージを頭の中でしていたら突然ババが部屋から出て来て、お前は頭の中で何回その男を殴って殺したら気が済むんや。この世界ではそれは想像の世界の話やけれど、神の世界ではそのお前が想像していることが本当になるんや。お前がそういう悪いことを想像するとそれは何倍にもなってお前に返って来るから気をつけなさい。と言われたやろ。
ポニョああ、思い出した。そのあと、ババはその人を部屋に連れて入ってその人にヴィジョンを見せたんやったな。あれは面白い話やった。ちょっと引用してみよか。
ここから過去記事です。
ヨシオ:このゴパール君はグジャラティというところにある王国の跡継なんやけど、悪い奴がいて、お婆ちゃんを騙して銀行口座から大金を引き出して横領したり、慈善事業に寄付した金を横取りしたりしてたんや。その事がばれて、ゴパール君は頭に来てたんや。家の人たちは全てババの帰依者でこの世に何の偶然もない。全てを神に捧げたと思えばええやんか。これはカルマを支払ってるんや。仕方のない話やと言って、受け入れていたんやけど、ゴパール君は受け入れられなかったんや。それで、サイの高校に十一年生から編入したんやけど、編入して三ヶ月程してベランダにいる時に、突然ババがインタビュールームから怒った顔をして出て来られて、ゴパールよ。ちょっと中に入れ。と言われたんや。そして、驚いて恐々インタビュールームに入ると、ババはいきなり、お前は一体何をしとるんじゃ。と言って叱られたんや。ゴパール君はベランダに座っていただけで、何も悪いことはしていないのに、どうして叱られているのかさっぱり分からないので困惑してたんや。それでババに、あの~僕が何かしましたか?ベランダに座っていただけなんですが。と答えるとババは、そこに三十分座っている間に三回も人を殴り殺しているやないか。と言われたんや。ゴパール君はベランダの座っている時にその男の事を思い出し、頭の中でその男を殴っているのをイメージして想像に耽っていたんや。
ポニョ:ババが怒って来られたのはゴパール君がそういうことを想像していたからか。頭の中で想像しただけで叱られるってボーッと出来ないな。
ヨシオ:だから、ババの近くにいつもいるって大変難しいことなんや。とても気を使って気を抜くことが出来ないんや。だから、いつも頭の中で良い事を思って、且つ、頭の中で思ったことと言葉と行為が自然に一つに出来る、子供の心を持ったような人でないと難しいんや。
ポニョ:おいらはそれが普通に出来ているな。逆に、何で人は頭の中で思ったことと違うことを言葉として言えるか理解出来ないし、それをやろうとしたら声が震えたり、言葉に詰まったりするからちょっと無理やな。
ヨシオ:ポニョのような人間はババのそばに居てても大丈夫やろな。それでゴパール君はババに、あなたは何でも知っておられるでしょう。あの男は僕の家のお金を盗んでいたんです。許すことなど出来ません。あなたがなんとかして下さいよ。と言うと、だからこうしてお前をここに呼んで殺される事から救っているんや。と言われたんや。ゴパール君は全然意味が理解出来なかったので、どうして僕が殺されるんですかと聞くと、ババは、このお前たちが住んでいる世界では気に入らない連中がいれば殺して消してしまえばそれで良い、と思っているんだろうけど、神の法則では違うんだ。神の法則では、頭の中でイメージした途端にそれが実現するのだよ。だから、良くないことを頭の中で想像すると七倍になってその人に戻って来るので気をつけなさい。お前の場合では、三回も人を殴り殺したので、その七倍だから21回も将来殺されそうになるんだ。でも、その男はお前の事を全然何とも思っていないので、お前のようなカルマを作っていないのだ。さあ、これでもまだその男のことを、嫌いか?と尋ねられたんやけど、ゴパール君はそんなの不公平です。まだ嫌いです。そんな簡単に許せないです。と言ったんや。
ポニョ:この前は十倍になって返って来るって言ってなかったか。状況に応じて違うんかな。でもこのゴパール君はやっぱり、おいらと反応が一緒やな。おいらも同じ事を言うやろな。ほんまに不公平やんか。なんでその男の事をボコボコにしてしまう事を想像しただけで、そんなカルマを作り、将来21回も殺されそうになるんや。絶対不公平やんか。受け入れることなんて出来ないぜよ。
ヨシオ:まあそれが普通やろな。それで、この後ババはゴパール君にヴィジョンを見せられたんや。突然ゴパール君がいたインタビュールームが断崖絶壁の上に変わって、その男が目の前にいたんや。ババの声がしてさあ、お前がやっつけたかった男がいるぞと言われたので、一発ぶち込んだんや。すると男は悲鳴をあげてゆっくりと後ろ向きに歩き、地面にある先のとんがった石につまづいて後ろに転び、崖から落ちそうになっているシーンやったんや。その時ババの声が何処からともなく聞こえて来て、ゴパールよ、何が見える?と聞かれたんや。ゴパール君は男が崖から落ちようとしています。と言ってその光景を冷たい目で見ていたんや。するとババは、その男は手に何か持っているだろう。と言われたので、よく見るとなんと、可愛い赤ちゃんを必死に一方の手に持っていたのが見えたんや。その赤ちゃんはゴパール君を無垢な目で笑いながら見つめていたんや。ゴパール君は男に恨みはあってもその赤ちゃんには何の恨みもないので、赤ちゃんを助けなければいけないと思い、とっさにその崖から半分落ちかけている男のところに行き、その男の身体を抱えたんや。そして渾身の力を込めて男を崖の上に引っ張り上げようとしていたんやけど、とても重くて、ババに助けてください、と大きな声を出してお願いしたんや。すると、なんとか男を引き上げることが出来、赤ちゃんも助かったんや。
そしてゆっくりと目を開けるとババが来てゴパール君の肩に手を置き、ゴパールよ。これでもまだその男のことを嫌っているのか?と聞かれたんや。ゴパール君は、いいえ彼に対する恨みは消えました。もう嫌いではなくなりました。と言ったんや。そして、これはお前の為に私が仕組んだ、恨んでいる人を恨まなくなるレッスンなのだ。これからの人生で、もし嫌いな人が出来たら、今日のようにお前の中にある愛の泉から愛の水を汲み出し、その者をお前の愛の水で溺れさすのだ。自分の愛が引き出せるものならなんでも良い。今回は赤ちゃんだったけれど、それが可愛い子犬でもなんでも良いのだ。とにかく、自分の愛の泉から愛を引き出せるものをイメージして、その自分が恨んだり嫌いだったりしている人の上に投影するのだよ。そうすれば、その者を今のように嫌いではなくなるようになるだろう。一番理想的なことは、その男もお前もお互いに愛を持つことなのだ。
でもそれが難しければ、お前だけでも、あの男を嫌いにならないようにイメージすれば良いのだ。でないとさっきも言ったように、もしこのまま放置したらあの男ではなく、お前が新しいカルマを作ってしまうのだ。あの男が何処か遠くにいてお前のことを嫌っているかどうか、そんな事は問題では無いのだ。大事な事は、お前がその男を愛しているかどうかなのだ。と言われたんや。
ポニョ:これは、すごいレッスンやぜよ。こんなレッスンをされたら誰でも、嫌いな人がいなくなってみんなを好きになれそうやな。
ヨシオ:ゴパール君も同じ事を言っていた。もういつでも、心を開いてその男と一緒にコーヒーを飲みながら談笑出来るって。恨みのうの字さえもう無くなったって言ってたな。
ちょっと、年取ったゴパール君です
過去記事終わり
ヨシオ:このように、意思の力、心の力ってとてもパワフルやから気を付けないといけないんや。最初の話に戻るけれど、性の営みをするという意思の力が射精時に入っていると、霊力も一緒に出てしまうんや。でも、夢精では覚醒時のような意思の力が働いていないやろ。
ポニョ:ババは君たちは実は途轍もない大きな神の力を有しているのです。何でも出来るのです。君達はまるで自分の巨大な力に気付かずに、自分よりはるかに小さな飼育人の命令に従っている大きな象のようや。と言っておられるけれど、その大きな力って意思の力、心の力の事なんか?
ヨシオ:心って本来何の力も無いんや。それが意思の力と結びついた時に大きな力となるんや。ババが心の力と言われる時、意思の力が心に作用している状態を指しているんや。分かりやすく言うと、この宇宙空間全体に鉄粉が充満しているとしよう。宇宙空間を膨大な量の鉄粉が隙間なく漂っているんや。そして、人の意思の力を磁力に例えるとどうなる?
ポニョ:そうやな。その大量の鉄粉を自分が出す意思の力、つまり磁力で自由な形に作り上げて行くことが出来るんや。
意思は至高神の本性です。
至高神はたんに意思するだけで、何事をも直ちにやり遂げます。
しかし人間は意思したことを、思いのままに成し遂げることは出来ません。
意思の力が決定的な要因です。
人間の意思は、一瞬にして物事を成就させる力を持ちません。
人が強い意思力を持つ事が出来れば、その時彼は至高神の力と等しい力を持つことになります。それを称して、神への帰融と言います。
瞑想によって、神へ帰融することが可能になります。
~内在のアートマの見地に立つことなしに意思と願望を培えば、揺れ動く心は、意思をしたり願望 をしたりする目的のものと交じり合ってしまいます。DVJp39
ポニョ:なるほど、心ってただの鉄粉でそれ自体動かず、あるというだけで何もしないけれど、一旦、磁力に例えられる人の意思が働くとその磁力によって鉄粉はどのような形や物になってしまうって事やな。
ヨシオ:説明する便宜上、心という言葉を使ったけれど、正確に言えばサットと呼ばれるのが鉄粉に当たり、チットと呼ばれるものが純粋意識でそのサットに意思の力を吹き込むんや。そしてそれらが全て至福アーナンダで包まれているのが創造主なんや。
「サット・チット・アーナンダ」〔実在・純粋意識・至福〕は神の基本的な特質です。
しかも、これらの基本的な特質は、生まれつき人間に備わっています。
ところが、人はこれら基本的な原理を実践に移すことができず、誤った認識のためにそれらを無駄にしています。
1972/7/8
ポニョ:あーなんだ、そーなんだ。チットも知らなんだ。
ヨシオ:何を言ってるんやポニョは?そのようにしてババは無からいろんな物を物質化されるんや。鉄粉に例えられる動かず、全てに充満しているサットが、神の意志によって姿形を取ったものが俺たちが住んでいるこの世界なんや。
ポニョ:なるへそ。今の例えは分かり易いしぜよ。すると、姿形の無い鉄粉に例えられるサットが、今自分たちの周りにある五代元素に姿を変えているんや。
ヨシオ:それをまやかし、迷妄、マーヤーと呼ぶんや。今回は分かりやすい様に鉄粉に置き換えたけれど、元々は実態を持っていないものが姿を現したんや。
ポニョ:その宇宙に充満している姿形が無いものが、意思を持ち、しかも至福に満ちているのがブラフマンつまり創造主なんや。その創造主と同じ意志の力を持ち。自由にその意思の力で宇宙に充満している鉄粉に例えられるものをコントロール出来る力を与えられているのが人間なんやな。だから、自分たちは象のように大きな力を持っているのにそれに気づかず、蟻のように小さな事に思い悩んで、自分の持っている大きな力を顕現せずに毎日をしょうもない事に時間を潰して過ごしているのがおいら達なんや。
ヨシオ:その通りや。意思の力を目の前の取るに足らないような小さな物に向けてそれを欲しがったり欲望を満たしたりしているのが人間なんや。そうではなく、もっと大きな神御自身を求めれば、人は神そのものとなり全てのものを自動的に手に入れることが出来るんや。人はその意思の力を欲望に向けて無駄にしているんや。欲望に向かう意思の力をどんどん減らして行くと、逆に意志の力が増えて行くんや。
ポニョ:欲望に向かう意思の力と神さんの方に向かう意思の力は反比例するんやな。それはおいらでも良く分かるぜよ。当たり前田のクラッカーや。
ヨシオ:クラッカー?また、食べもんが出て来た。だから今日の晩御飯のおかずはオクラの天ぷらやったらええなとか、世俗的な事ばっかり思ったらあかんって言っているんや。
ポニョ:でも、そんな小さい事や食べ物の事でおいらは幸せになれるんやぜよ。
ヨシオ:それはまた別の話や。
物体はどのようにして生じるのでしょうか?
物体は意志の力によって創られます。
(ここでスワミは黄金の鎖を物質化なさり、スワミがこれを意志したとおっしゃいました。)
この鎖は、私の意志から生じ、意志する前には存在していませんでした。
すべては神の意志によって生じます。
神はマーヤー〔幻影〕の原因です。
全創造物はマーヤーと神が結合したものです。
マーヤーがなければ創造はあり得ません。
それゆえ、マーヤーはすべての人に影のようにつきまといます。
人はマーヤーの影響のもとに人生を送ります。
マーヤーは影と同じように私たちから去ることはありません。
マーヤーはあらゆる迷妄の原因です。
太陽が昇るとき、影はとても長くなっています。
太陽が頭上にあるとき、影は足の真下にあります。
このように、影は長くなったり短くなったりします。
ですから、私たちは影を人生の基盤とするべきではありません。26/12/07
コメントを拝見しました。凄いお名前ですね。多分御先祖様はインド人だったんでしょうね。福一のデブリによる人工露天風呂はシャレにもなりませんよね。ほんの一部のブロガーしか警告を発していませんから、ほとんどの人は普通の生活をされていますよね。このブログでも記事にしましたがディズニーランドの正門前の線量がチェルノブイリの強制避難区域より高いんですよね。でももうご存知かもしれませんが、ロシアでレーザー光線を使って放射能を中和する技術が発見されたそうですよ。実用化まで時間がかかるかもしれませんが、もし本当だったら福島の救世主になるでしょうね。農業者への奉仕活動をされているんですね。頭が下がります。自分たちの妄想記事が少しでも皆さんのお役に立てば嬉しいです。世の中に偶然って無いんですが、二日後の記事に七十歳になれば霊的なパワーが最高になる話を載せました。以下その記事で載せたババの御言葉をここに貼っておきます。また、放射能の事でも何でもお気付きになられた事を気軽にコメントして下さいね。本当にありがとうございました。
一般に、子どもたちは、70歳を過ぎた人間は役立たずで、社会でも家でもお荷物だという印象をもっています。
しかし、実際はそうではありません。
実に、熱意、勇気、そして、精神的な強さは70歳を越えると増加します。
心的能力とアートマの強さは、人が70歳を越えて初めて頂点に達するのです。
それまで人は、並みの人間のように振る舞い、他の人の手本となる努力をすることはありません。人間の内なる心的能力、神聖な力、意志の力は、70歳を過ぎてから完全に表出し、人が人生において新しい目標を定めることを促すのです。
その結果 、老人は人生について熟考し、その神秘を探求するようになります。
老人に潜在している神聖な力は、若者がもっている能力を上回っています。
その神聖な力は老人の行動においてありとあらゆる形で現れます。 10/2/05
日本の良心ある科学者は皆無になるでしょう。秋田県大潟の知人の田圃15町歩の計測を始めたばかりですが、9月中に空間線量率と土壌表面線量の計測に基づき核種調査の資料として土壌サンプルの採取を行う予定です。日本列島が日本海溝に崩壊する直前まで、真なる農業者の支援を続ける決意です。
ババの召し使いとして!