ポニョ:ルッドラムのチャマカム第十一章は、神様からこれらの数字を使っても良いですか、という許可を得るお祈りだ、なんて「サイババが帰って来るよ。Part1」にいちびって書いたけれど、おいらが時々遊びに行く、すまさんのブログにこれらの数字は、DNAに関する数字だよ。ということが書いてあったで。
ヨシオ:ほう。それは知らんかったな。さすがすまさんやな。よく調べておられるわ。俺も、なんでこんな中途半端な数字ばっかり並べてあるんかなと思ってたんや。もちろん深い意味はあるんやろうと思っていたけれど、やっぱりそうやったんやな。道理で、このルッドラムを唱えていたら身体の細胞の一つ一つが躍動するはずやな。
ポニョ:おいらも、このルッドラムを唱えていたら自分の意識のレベルが一つも二つも上に行くような気になるな。というわけで、そのすまさんの記事を引用しますね。
http://ameblo.jp/smanalo/entry-11921157595.html
パート1に入っている「認知症も癒すヴェーダの力」シリーズに、チャマカムの11章は神から数字を使う許可を得るお祈りで占められていると書かれていますが
最近チャマカムを唱えていて、この11章ってすごく不思議だなと思いました。
1章から10章までは富や知性、食べ物、幸運などありとあらゆる具体的なものを祈り求めているのに、最後の11章になって数字に関して望むものを列挙しています。
(略)
この部分の英訳を直訳するとこうなります。
これらを私にお授けください。
1、3、5、7、9、11、13、17、19、21、23、25、27、29、31、33
4、8、12、16、20、24、28、32、36、40、44、48
なんですかそれは。意味不明すぎ。と思いました。
もちろん各数字には固有の意味があり、例えば数字の1はプラクリティであるとか3は三つのグナを表すとかいろいろあるのですが、
なぜここでこうした数字が出てくるのかについて面白い解説を見つけました。
サシダラン博士によると、これらの数字は生命と知性の進化を可能にするアパあるいは水を形成する高分子鎖を表し、アパとはDNAの窒素塩基対以外のなにものでもない。
1から33までの数字はミトコンドリアDNAの3万3000塩基対を表す。
4から48までの数字は4800万のDNA核塩基を表している。
ふたつのDNA塩基のセットは、人間の生命の進化発展と人類の幸福の維持をもたらすために結びつく。
帰依者がこれらの数字の恩恵を祈るとき、実は人類の安寧と幸福の維持をもたらす、すべてのDNA塩基を授かることができるように祈っていることになる。
のだそうです。
私は人生で初めて塩基という言葉を使いましたので、正直理解できてないです。
この解説が正しいかどうかもわかりませんが、とにかく壮大ですよね。。。
(参照:https://sites.google.com/site/mathematicsmiscellany/mathematics-in-chamakam)
引用終わり
ヨシオ:ということは、ポニョのチャクラの位置が胃袋からハートや喉仏にあるチャクラに昇って行くってことやな。
ポニョ:そういう事になるんかな。でも、いつも唱え終わったらお腹が空くけど…。
ヨシオ:それやったら、全然チャクラの位置が変わってないやんか。何が、意識のレベルや。ポニョがえらい難しい事を言い始めたなと思ったらこれやから。ガクンって来るな。大体、胃袋から上にチャクラが昇れば、お腹が空くっていう感覚が感じられなくなるんや。
ポニョ:それは、おいらには永遠に無理な話でヤンス。でも、最初の頃、唱え始めた時には、身体中が熱くなって汗だらけになってしまったけど。あれは自分の汚れた細胞が、シヴァ神のレベルで振動する時に起こる身体の自浄作用やったんやろか。今はスイ~スイ~と泳ぐみたいな感じで最初から最後まで気持ち良く唱えられるで。それに、唱えている最中にババの教えや、霊的な事柄についての答えがフット浮かんで来る事もあるんや。
ヨシオ:それはええな。俺もそんな風に感じていたな。でもポニョは未だいろいろと間違って唱えているけどな。でもルッドラムを唱えている間、なんか、身体から魂が離れてしまうようなフィーリングになるやろ。でも、ババは「ヴェーダを唱えているサンスクリット語がペラペラのブラミンの坊さんでさえ、頭の中は世俗的な事を思ったり考えたりしてる。」と言っておられたから、ルッドラムを唱えている間は、世俗的な事は思わんと出来るだけ自分が唱えているヴェーダの意味に集中したり、眉間にある第三の目の位置に集中して唱えた方がええんやろな。
ポニョ:そうやな。おいらも唱えている間中、いろんな想念が湧き上がってくるな。以前にも記事にしたけど、ルッドラムを唱えていると、シヴァダンスと言われる原子の動きが、自分の身体の中で活発になるって分かるよな。
ヨシオ:そうやな。俺の場合は一日三回唱えているけど、毎回唱える度にシヴァダンスをしてる宇宙意識と一体になるっていう感じがするな。ルッドラムという良い贈り物をサイババさんからもらったなって喜んでいるんや。最初覚え始めた頃は、毎日何度も朝から晩まで繰り返し聴いてたから、夢の中までルッドラムを唱えてたな。今も、一人でいる時に、気が付いたら頭の中でルッドラムを唱えている時があるな。
ポニョ:あんたのとこに、寄せてもらって一緒に働いているけど、あんたはよく一人で、大きな声でクリシュナとかラーマとか言って叫んでるな。周りに誰もいないから良いけど、都会やったら気狂い扱いされるやろな。
“阿修羅の特質を変容させて、甘露の如く純粋なものにすることのできる神の御名は実に万人にとって、世界にとっての平安の天国であります。
御名を途切れることなく繰り返し唱えること、その御姿と御名を熱烈に愛すること、それこそがバクティ(神への愛、帰依)という呼び名にふさわしいものです。
バクティとは、最高の愛が、そしてもっとも純粋な愛(プレマ)が、神に向けられていることを意味します。至高の平安 P.99”
ヨシオ:ババは毎日神の御名を唱えるのが、このカリユガの時代では一番効果がある霊性修行やと言われているけど、本当に心の中から唱えたら時々大きな声が出てしまうんや。
ポニョ:横におったらびっくりこいたで。突然大きな声出すんやもんな。
ヨシオ:ヴィシュワミートラというガヤトリマントラを作った聖者が、いろんなヴェーダを整理したりして、聖音をそれぞれのヴェーダに振り分けた時に、幾つかの音が余ったので、それらの余ったラとかマの音を、全ての人類の為に共通の音として、ラとかマとかをくっ付けて神の御名にしたんや。だから、神の名前って、そこらへんの、ポニョとかヨシオとかいう名前とは訳が違うんや。
ポニョ:なんで、おいらの名前がそこで出て来るんや。でも、この前も言ったけど、神さんの名前って、ただ単に唱えていても飽きてくるよな。あんたは、クリシュナダスさんのハレクリシュナの歌を聴いたら頭の中にその歌が一日中残るから、それに合わして唱えたらええって言ってたよな。おいらも最近始めたけど、確かに良い方法や。
ヨシオ:俺が住んでいるところはポニョも知ってるとおり、周りに誰もいないし、隣の家まで少なくとも一キロメートルもある。だから、大きな声で神の御名を唱えても平気や。気持ちがええで。すごいバイブレーションを持ってるからな。一度、ポニョも大きな声で歌に合わせて一日中大きな声で唱えてみ。俺の言ってる意味が分かると思うで。これだけは経験せな分からんけどな。
神の御名を唱えている途中、突然至福のフィーリングが心の底から湧いてきて、涙が出てきて止まらなくなる時が一日に一回ぐらいはあるな。そんな時、身体中の細胞が音を立てて崩れてしまうような感じがするんや。自分が溶けて無くなっていくみたいな感じやな。
“このアヴァターがこの世界で悪魔を退治し始めたら、誰もこの世界にいなくなってしまうでしょう。
私はそれゆえ出来る限り、一歩一歩あなた方を霊的に高める為に来たのです。
この素晴らしい機会を逃すことなく,あなた方の人生の目的を果たさねばなりません。
後で後悔しても始まりませんから。
その方法は簡単です。ただ神の御名を唱えることです。p256ANDI”
ポニョ:ヴィベカナンダの師匠であるラーマクリシュナ パラマハンサも、一日一回は神を体験したい。と言っておられたけど。そんな感じなんかな?パラマハンサは、その日の夜になっても、その日にまだ女神様のヴィジョンを見れてなければ、とても悲しくしておられたそうやな。
ヨシオ:そのようにして毎日、神様を体験できれば人生が神聖化されるよな。別に何処か特別なところに神様を探しに行かなくても、自分の心の中をほんの一センチほど覗けば、そこにいつも神さんがおられるんや。「ちょっと覗いてくれますか。いつも待ってるよ。」と言って首を長くして待っておられるんや。
ポニョ:その、体の1センチほど中におられる神さんを、おいら達はいつも無視して生活してるんやな。
ヨシオ:前にも言ったけど、何かやる前にいつも神さんと話す癖を付けたらええと思うで。買い物をしている時も、「ババさんこれどう思う?私に似合うかな?買って帰ろうと思うんやけど?」とか聞けば、「前にも似たようなものを買って、全然着ずにタンスにしまったままやんか。」とか言ってくれるで。その自分の内なる声を聞いて、毎日生活することが出来れば、それが霊的な自信につながり、霊的に満足して行けるんや。人が霊的に満足すると、他の人にも自分が体験した満足感を分け与えたいと思って、いろんな困っている人や助けを求めている人の光となって、世の中を明るく照らしていける人になって行くんや。
ポニョ:そういう人は、神さながらの人になるんやな。おいらみたいに、頭の毛が少なくなっている人は、その人の存在自体が世の中を明るく照らすことが出来るんや。
ヨシオ:ちょっと違うけど、ポニョがそれでハッピーやったら、今日のところはそれでええ事にしとこか。
“神の御名が如何に強力であるか、自分自身で探求しなさい。
~一切は神から来ました。普通の人は、全てのものの根源をさかのぼって見極めるという基礎的な探求をしません。
しかし、科学者でさえ今やこの基盤を発見しようと研究に励んでいます。
実際、神の御名は全宇宙の基盤です。
御名とは、如何なる者をも等しく神と見る手段です。
それゆえ神を認識し、御姿のヴィジョンを拝する最善の方法は御名の憶念です。2/3/92
至高の神の御名が如何に甘美で神聖であるかを、言葉によって表現することは不可能です。
あなたが帰依の心でもって唱える神の御名は、その熱意に比例してあなたに恵みを授け歓喜を与えます。
声を合わせて、神の御名を唱えるように努力しなさい。
今日、空、風,火、水、地という世界の五大要素は汚染されています。
清らかな水、澄んだ空気を得ることは出来ません。
耳にする音も汚染されています。
大地も汚染されています。
カリユガはカルマシアユガ(不浄の時代)になりました。
これらを清めるためには至高の神の御名を唱えるのが唯一の手段です。
今日の人々は、多くの時間をテレビやビデオ映画を見ることに費やします。
このような時代に生まれた子供達はテレビ時代の申し子といっても差し支えないでしょう。子供たちは幼い時からテレビタレントのように振る舞い、人目を引くことを好き勝手にしたがります。それは両親の責任です。3/3/92”
ヨシオ:ほう。それは知らんかったな。さすがすまさんやな。よく調べておられるわ。俺も、なんでこんな中途半端な数字ばっかり並べてあるんかなと思ってたんや。もちろん深い意味はあるんやろうと思っていたけれど、やっぱりそうやったんやな。道理で、このルッドラムを唱えていたら身体の細胞の一つ一つが躍動するはずやな。
ポニョ:おいらも、このルッドラムを唱えていたら自分の意識のレベルが一つも二つも上に行くような気になるな。というわけで、そのすまさんの記事を引用しますね。
http://ameblo.jp/smanalo/entry-11921157595.html
パート1に入っている「認知症も癒すヴェーダの力」シリーズに、チャマカムの11章は神から数字を使う許可を得るお祈りで占められていると書かれていますが
最近チャマカムを唱えていて、この11章ってすごく不思議だなと思いました。
1章から10章までは富や知性、食べ物、幸運などありとあらゆる具体的なものを祈り求めているのに、最後の11章になって数字に関して望むものを列挙しています。
(略)
この部分の英訳を直訳するとこうなります。
これらを私にお授けください。
1、3、5、7、9、11、13、17、19、21、23、25、27、29、31、33
4、8、12、16、20、24、28、32、36、40、44、48
なんですかそれは。意味不明すぎ。と思いました。
もちろん各数字には固有の意味があり、例えば数字の1はプラクリティであるとか3は三つのグナを表すとかいろいろあるのですが、
なぜここでこうした数字が出てくるのかについて面白い解説を見つけました。
サシダラン博士によると、これらの数字は生命と知性の進化を可能にするアパあるいは水を形成する高分子鎖を表し、アパとはDNAの窒素塩基対以外のなにものでもない。
1から33までの数字はミトコンドリアDNAの3万3000塩基対を表す。
4から48までの数字は4800万のDNA核塩基を表している。
ふたつのDNA塩基のセットは、人間の生命の進化発展と人類の幸福の維持をもたらすために結びつく。
帰依者がこれらの数字の恩恵を祈るとき、実は人類の安寧と幸福の維持をもたらす、すべてのDNA塩基を授かることができるように祈っていることになる。
のだそうです。
私は人生で初めて塩基という言葉を使いましたので、正直理解できてないです。
この解説が正しいかどうかもわかりませんが、とにかく壮大ですよね。。。
(参照:https://sites.google.com/site/mathematicsmiscellany/mathematics-in-chamakam)
引用終わり
ヨシオ:ということは、ポニョのチャクラの位置が胃袋からハートや喉仏にあるチャクラに昇って行くってことやな。
ポニョ:そういう事になるんかな。でも、いつも唱え終わったらお腹が空くけど…。
ヨシオ:それやったら、全然チャクラの位置が変わってないやんか。何が、意識のレベルや。ポニョがえらい難しい事を言い始めたなと思ったらこれやから。ガクンって来るな。大体、胃袋から上にチャクラが昇れば、お腹が空くっていう感覚が感じられなくなるんや。
ポニョ:それは、おいらには永遠に無理な話でヤンス。でも、最初の頃、唱え始めた時には、身体中が熱くなって汗だらけになってしまったけど。あれは自分の汚れた細胞が、シヴァ神のレベルで振動する時に起こる身体の自浄作用やったんやろか。今はスイ~スイ~と泳ぐみたいな感じで最初から最後まで気持ち良く唱えられるで。それに、唱えている最中にババの教えや、霊的な事柄についての答えがフット浮かんで来る事もあるんや。
ヨシオ:それはええな。俺もそんな風に感じていたな。でもポニョは未だいろいろと間違って唱えているけどな。でもルッドラムを唱えている間、なんか、身体から魂が離れてしまうようなフィーリングになるやろ。でも、ババは「ヴェーダを唱えているサンスクリット語がペラペラのブラミンの坊さんでさえ、頭の中は世俗的な事を思ったり考えたりしてる。」と言っておられたから、ルッドラムを唱えている間は、世俗的な事は思わんと出来るだけ自分が唱えているヴェーダの意味に集中したり、眉間にある第三の目の位置に集中して唱えた方がええんやろな。
ポニョ:そうやな。おいらも唱えている間中、いろんな想念が湧き上がってくるな。以前にも記事にしたけど、ルッドラムを唱えていると、シヴァダンスと言われる原子の動きが、自分の身体の中で活発になるって分かるよな。
ヨシオ:そうやな。俺の場合は一日三回唱えているけど、毎回唱える度にシヴァダンスをしてる宇宙意識と一体になるっていう感じがするな。ルッドラムという良い贈り物をサイババさんからもらったなって喜んでいるんや。最初覚え始めた頃は、毎日何度も朝から晩まで繰り返し聴いてたから、夢の中までルッドラムを唱えてたな。今も、一人でいる時に、気が付いたら頭の中でルッドラムを唱えている時があるな。
ポニョ:あんたのとこに、寄せてもらって一緒に働いているけど、あんたはよく一人で、大きな声でクリシュナとかラーマとか言って叫んでるな。周りに誰もいないから良いけど、都会やったら気狂い扱いされるやろな。
“阿修羅の特質を変容させて、甘露の如く純粋なものにすることのできる神の御名は実に万人にとって、世界にとっての平安の天国であります。
御名を途切れることなく繰り返し唱えること、その御姿と御名を熱烈に愛すること、それこそがバクティ(神への愛、帰依)という呼び名にふさわしいものです。
バクティとは、最高の愛が、そしてもっとも純粋な愛(プレマ)が、神に向けられていることを意味します。至高の平安 P.99”
ヨシオ:ババは毎日神の御名を唱えるのが、このカリユガの時代では一番効果がある霊性修行やと言われているけど、本当に心の中から唱えたら時々大きな声が出てしまうんや。
ポニョ:横におったらびっくりこいたで。突然大きな声出すんやもんな。
ヨシオ:ヴィシュワミートラというガヤトリマントラを作った聖者が、いろんなヴェーダを整理したりして、聖音をそれぞれのヴェーダに振り分けた時に、幾つかの音が余ったので、それらの余ったラとかマの音を、全ての人類の為に共通の音として、ラとかマとかをくっ付けて神の御名にしたんや。だから、神の名前って、そこらへんの、ポニョとかヨシオとかいう名前とは訳が違うんや。
ポニョ:なんで、おいらの名前がそこで出て来るんや。でも、この前も言ったけど、神さんの名前って、ただ単に唱えていても飽きてくるよな。あんたは、クリシュナダスさんのハレクリシュナの歌を聴いたら頭の中にその歌が一日中残るから、それに合わして唱えたらええって言ってたよな。おいらも最近始めたけど、確かに良い方法や。
ヨシオ:俺が住んでいるところはポニョも知ってるとおり、周りに誰もいないし、隣の家まで少なくとも一キロメートルもある。だから、大きな声で神の御名を唱えても平気や。気持ちがええで。すごいバイブレーションを持ってるからな。一度、ポニョも大きな声で歌に合わせて一日中大きな声で唱えてみ。俺の言ってる意味が分かると思うで。これだけは経験せな分からんけどな。
神の御名を唱えている途中、突然至福のフィーリングが心の底から湧いてきて、涙が出てきて止まらなくなる時が一日に一回ぐらいはあるな。そんな時、身体中の細胞が音を立てて崩れてしまうような感じがするんや。自分が溶けて無くなっていくみたいな感じやな。
“このアヴァターがこの世界で悪魔を退治し始めたら、誰もこの世界にいなくなってしまうでしょう。
私はそれゆえ出来る限り、一歩一歩あなた方を霊的に高める為に来たのです。
この素晴らしい機会を逃すことなく,あなた方の人生の目的を果たさねばなりません。
後で後悔しても始まりませんから。
その方法は簡単です。ただ神の御名を唱えることです。p256ANDI”
ポニョ:ヴィベカナンダの師匠であるラーマクリシュナ パラマハンサも、一日一回は神を体験したい。と言っておられたけど。そんな感じなんかな?パラマハンサは、その日の夜になっても、その日にまだ女神様のヴィジョンを見れてなければ、とても悲しくしておられたそうやな。
ヨシオ:そのようにして毎日、神様を体験できれば人生が神聖化されるよな。別に何処か特別なところに神様を探しに行かなくても、自分の心の中をほんの一センチほど覗けば、そこにいつも神さんがおられるんや。「ちょっと覗いてくれますか。いつも待ってるよ。」と言って首を長くして待っておられるんや。
ポニョ:その、体の1センチほど中におられる神さんを、おいら達はいつも無視して生活してるんやな。
ヨシオ:前にも言ったけど、何かやる前にいつも神さんと話す癖を付けたらええと思うで。買い物をしている時も、「ババさんこれどう思う?私に似合うかな?買って帰ろうと思うんやけど?」とか聞けば、「前にも似たようなものを買って、全然着ずにタンスにしまったままやんか。」とか言ってくれるで。その自分の内なる声を聞いて、毎日生活することが出来れば、それが霊的な自信につながり、霊的に満足して行けるんや。人が霊的に満足すると、他の人にも自分が体験した満足感を分け与えたいと思って、いろんな困っている人や助けを求めている人の光となって、世の中を明るく照らしていける人になって行くんや。
ポニョ:そういう人は、神さながらの人になるんやな。おいらみたいに、頭の毛が少なくなっている人は、その人の存在自体が世の中を明るく照らすことが出来るんや。
ヨシオ:ちょっと違うけど、ポニョがそれでハッピーやったら、今日のところはそれでええ事にしとこか。
“神の御名が如何に強力であるか、自分自身で探求しなさい。
~一切は神から来ました。普通の人は、全てのものの根源をさかのぼって見極めるという基礎的な探求をしません。
しかし、科学者でさえ今やこの基盤を発見しようと研究に励んでいます。
実際、神の御名は全宇宙の基盤です。
御名とは、如何なる者をも等しく神と見る手段です。
それゆえ神を認識し、御姿のヴィジョンを拝する最善の方法は御名の憶念です。2/3/92
至高の神の御名が如何に甘美で神聖であるかを、言葉によって表現することは不可能です。
あなたが帰依の心でもって唱える神の御名は、その熱意に比例してあなたに恵みを授け歓喜を与えます。
声を合わせて、神の御名を唱えるように努力しなさい。
今日、空、風,火、水、地という世界の五大要素は汚染されています。
清らかな水、澄んだ空気を得ることは出来ません。
耳にする音も汚染されています。
大地も汚染されています。
カリユガはカルマシアユガ(不浄の時代)になりました。
これらを清めるためには至高の神の御名を唱えるのが唯一の手段です。
今日の人々は、多くの時間をテレビやビデオ映画を見ることに費やします。
このような時代に生まれた子供達はテレビ時代の申し子といっても差し支えないでしょう。子供たちは幼い時からテレビタレントのように振る舞い、人目を引くことを好き勝手にしたがります。それは両親の責任です。3/3/92”