サイババが帰って来るよ

Count down to the Golden age

クリスマスにサイババと話しましょう(上)

2016-12-26 23:00:35 | 日記
ポニョ:今日は予定を変更して四十年近くも前のクリスマスイブに西洋人帰依者達に向って話されたサイババさんの講話をサイババセンターのサイトから引用して載せますね。大変興味深い事を言われていますよ。

皆さんが生かされているのには理由があります。人間として生きる目的は、神との一体性を経験することです。過去と現在の状況がいかなるものであるにせよ、皆さんは、イエスが、生涯を通じて私たちに示した、いくつかの段階を経て進むことができます。

悲しみや、苦痛や、一時的な興奮を超越しなさい。あらゆる問題の原因と、それらに対する簡単な解答に気付くことです。人生におけるさまざまな矛盾を解決しなさい。人生の黄金律に従って幸せな毎日を送りなさい。透徹した洞察力と、冷静な決断力と、健全な判断力を養いなさい。神があなたに何を望んでいるかに気付きなさい。あなたの人格を作り変えて、神のごとき者になりなさい。何が最善であるかを知って、それを行うのに必要な勇気を奮い起こしなさい。

イエスの歩いた道をたどるのに必要な霊性修行を実践しなさい。神の御名があなたの心の中に鳴り響いているのを聞きなさい。イエスが常にあなたと共にあるのを見なさい。永遠の光と一つになりなさい。イエスがそうしたように、神があなたの内なる真の自己であることを知りなさい。

率先して人類と神とに仕えなさい。神は愛です。神聖な愛は、危害をもたらすことのない積極的な力です。神の愛の、永遠の霊的喜びを知りなさい。永遠の平安の、聖なる甘露を味わいなさい。

Q 神とはいったい誰ですか? またどのような存在ですか?

一部の人々は、神の存在や神の重要性を否定するかもしれません。しかし、彼らが自分たちの無知に基づいた生き方を放棄して、神に慈悲を祈らなければならない日がいつか必ずやって来ます。

「神は遍在である。神はすべてを知っている。神は人類の全能の父であって、この地球と、あなたと、あなたの宿っている身体とを含む宇宙の一切のものを創った」という言葉をほとんどの人が聞いたことがあります。私たちはまた、神は慈悲深く、聖なる愛の本質であって、真実であるということも聞いています。「神はあなた自身の根本的本質であって、あなたは本来、神である」という、イエスが人類に与えた最も大切なメッセージに気が付く人は、ほとんどいません。

Q 真理とはいったい何ですか? どうすればそれを見つけることができますか?

真理は一つしかありません。それは神のさまざまな性質の一つです。本当に真理を見つけてそれを理解するには、神を見つけ、神を体験しなければなりません。皆さんは、何かを体験するまでは、それに関して憶測することしかできません。

Q 真に人類を救うものとは何ですか?

人類を救うためには、人類とは何か、そして、人間として生きることの目的は何であるのかを理解しなければなりません。定義から言えば、人間の霊的側面は、肉体の中に住んでいる生きた魂です。生物学的には、人間はホモ サピエンス サピエンスと呼ばれています。ここで、ホモという言葉は人間の身体を指しています。サピエンスは「賢い」という意味です。人間は、物質的なものと霊的なものの両方を理解することができるので、サピエンスという言葉が2回使われています。人間は神を知ることができるのです。

Q 人間として生きることの目的は何ですか?

万物の創造主である愛の深い神は、私たち一人ひとりが、肉体を活用して、自らの魂を豊かにし、また、イエスがそうしたように、地上で神に仕え、神と一つになることによって神の栄光を表すことができるように、私たちに人間の肉体を与えたのです。

Q 魂とは何ですか?

魂とは、白分自身を何か神とは分離したものであると見なしている、生命をもった意識の主体です。

Q どうすれば魂を豊かにすることができますか?

神は、一人ひとりの魂が成長して分離の観念を超越し、全能の神と一つであることを完全に知ることを願っています。

Q 神は私に何を望んでいらっしゃるのでしょうか?

神実現へと向かう、ゆるやかな成長の過程をたどる魂の任務の中には、イエスが行動したように行動して、神の無私の愛の生きた手本となることが含まれています。人間として地上に生きている間に神性を獲得できることを示すことは、人類に対する理想的な奉仕となります。

Q 私の示す手本が、どのようにして他の人を救うのでしょうか?

あなたの静かな成就は、人に平安と、調和と、聖なる愛と、満足が、到達可能であって、獲得する価値のあるものであることを教えます。あなたの穏やかさ、落ち着き、謙虚さ、純粋さ、美徳、勇気、確信は、人をイエスに従うよう励まします。あなたの使命には大きな責任が伴っています。あなたは、自らの一つひとつの行いによって人類を教化しなければなりません。人生の目的とはそのようなものであり、実践の伴わない言葉のみでは充分ではありません。

Q 神と一つになることは可能ですか?

ええ、それは可能です。すべての宗教がそう約束しています。イエスは私たちに道を示すために命を捨てました。それが可能であるということに、疑いの余地はありません。

Q 他の人の立派な手本となるには、どうすればよいのでしょう?

あなたは、自分が霊的成長のどの段階にいるのかを、自分で見いださなければなりません。そうして、人生という学校において一つの学年から次の学年へと順々に成長していこうと、堅く決心しなければなりません。地道に一歩ずつ進みなさい。あなたが、自分の義務を精一杯果たしていれば、必ずや神の恩寵を勝ち得て、イエスのたどった道を歩いていくことになります。それによって、すべての人々があとをついて行くことができるようになるのです。

Q 厳密に言えば、神の恩寵とは何なのでしょうか?

恩寵とは、「神よりの贈り物」(エフェソの信徒への手紙2:8)です。恩寵は五つの方法で与えられます。

第一に、困難の時に、神は神の法によって加護を与えます。

第二に、神は、エゴと狭量な自己関心を超えて成長するのに必要な、聖なる力を与えます。

第三に、神の愛は、正しい行いをするための聖なる洞察力と智恵とを授けます。そのような贈り物によって、人は人生の浮き沈みによる影響を受けないでいられるのです。

第四に、神は非常に豊かに愛を与えるので、人は、すべての存在を愛によってできた調和に満ちた統一体であると見なし、あらゆるものに対する大いなる愛の喜びを感じます。

第五に、神は、魂が無限にして無形の神の状態に帰融することを可能にするという贈り物を与えます。

Q どのような人が神の恩寵を勝ち得ることができるのですか?

どんな魂でも恩寵を勝ち得ることができます。

Q 神の恩寵によって私たちのあらゆる苦悩が取り除かれないのは、なぜですか?

人間の行う一つひとつの行為によって、それに対する反応が生じます。あなたは何であれ自分が蒔いたものを刈り取るのです。

「少ししか蒔かない者は、収穫も少ない」(コリントの信徒への手紙二9:6)

神は、パートタイムの帰依に対して、どうしてフルタイムの報酬を与えることができるでしょう?

Q どうすれば神の恩寵を勝ち得ることができますか?

現在、あなたの動機は肉体に基づいています。肉体によって動かされることに終止符を打たなければなりません。神に動かされる人になりなさい。自分は肉体でもエゴでもないということに気付きなさい。不浄な行いをして時を過ごしてはなりません。神のほうを見なさい。思いと言葉と行いを最善のものにしなさい。神の愛を切望しなさい。あなたの心とあなたの人生を神の愛で満たしなさい。

すべての行いを、神の法に則ったものにしなさい。神の法を生きなさい。神に向かって進んで行くのは時間がかかり、努力が必要とされます。しかし、あたかも母親が子どもを守るように、神の法があなたを守ることでしょう。神は、あなたの徳にしたがって、智恵と愛と恩寵を与えます。このことをいつも覚えておきなさい。

Q 私たちが通らなければならない人生の諸段階とはどのようなものですか?

まったくの無知の状態から、すべてを包括する神の叡知に到るまでには、三つの意識の段階があります。

Q 一つひとつの段階について、もっと教えてください。

最も低い段階においては、人は、神のことや白分自身の本当の性質をほとんど知らないか、あるいは、それについてまったく考えもしません。その人は、おそらく心が重く、非常に怠慢で、自己中心的でしょう。肉体的、もしくは精神的に病気かもしれません。

第二の段階は、絶えず変化している物質世界における生活を象徴しています。この段階にある人々は、時間をこの世的な物事を追い求める活動と休息とに二分しています。

イエスは、意識の第三の段階のことを、「神の王国」とか、「天の王国」と表現しています。この段階は、感覚の世界を遥かに超越しています。この状態においては、人は、尽きることのない神の栄光と絶えず調和しており、神の聖なる特質に満たされた永遠の命を知っています。

Q 自分がその霊的意識のどの段階に相当するかは、どうすればわかりますか?

自分がどういう動機から神を求めているかを、注意深く正直に点検しなさい。あなたが神に心を向ける理由が、可能な限り高貴なものであるように、大きな注意を払いなさい。

Q なぜ人々は神に心を向けるのでしょう?

一部の人々は持病に悩まされ、疲れ切っています。神が彼らの病を癒せば、彼らは再び困難に直面するまで神を忘れてしまいます。

別の人々は、権力や地位や名声や富を求めて苦闘することに気をとられています。成功を確実なものにしようとして、彼らは神の保証を求めて神に心を向けます。ところが、いったん望みのものが手に入ると、彼らは、それを与えてくれた御方を忘れて、はかない物質的収益や楽しみに浸ります。

あなた方が第三の範疇に入りますように。このグループに含まれる幸いな人は、いつも変わらず神の愛による慰めを希求しています。その人は、万物の父なる神と一つになることを切望します。その人は、探求の旅路に必要な健康と富は与えられるものであることを知っています。

Q 神は、神を愛する人々をどのようにお世話なさるのですか?

神は、気を散らすものから彼らを守り、彼らを啓発する聖典や書物を与え、正しい友人関係へと導きます。さらに、彼らに霊的教師を与えて、彼らに見合った霊的生活にまつわる聖なる法に従って生きることを助けます。彼らの理性はより鋭くなります。神の王国の門が勢いよく開かれる時、彼らはそのチャンスを捕えて、すべてを慰める神の暖かい包容を、永遠に受け入れることができます。

Q イエスのように神と一つになることは可能でしょうか?

神を求める人は、誰もが、イエスの通ったのと同じ、さまざまな段階を通らなければなりません。イエスの聖なる布教活動は、闇の勢力によって加えられた命取りになるほどの打撃すらも、静かな自制心と神の愛によって克服することができることを、すべての人に教えました。

Q イエスに従うには、何から始めるべきでしょうか?

霊性修行や、人格改善や、他の人への奉仕の生活を始める時は、初心者として神の仲間に加わるのであり、戒めに背いて神の不快を招かないように常に気を付けていなければなりません。絶対の忠誠心と誠実さとを養わなければなりません。神の一つひとつの戒めを敬い、忠実に神に仕え、無条件に神の意志に従わなければなりません。その人が成長するにつれて、信頼された召し使いの地位が与えられ、果たすべき小さな任務が課せられます。

神とのこの緊密さによって、その人は聖なる諸特質を育て、霊的成長を遂げることができます。周りの人々が、次第にその人を神の手足と見なすようになり、その人は神の聖なる家族の一員として認められるという特権を得ます。

この第三の段階が熟すると、他から隔てられていた自我が究極の神我に溶け込んで消滅してしまい、神だけが残ります。すべてが一つになります。イエスは、「私と父なる神とは一つである」と言いました。あなたと天なる父(神)は、いつの日か一つになります。

Q どうしたら神が自分の根本的特質であることを体験できますか?

イエスをあなたの道案内人として選び、イエスの示した手本を見習いなさい。イエスが通ったのと同じ意識の成長の諸段階を通りなさい。霊性修行を実践しなさい。

Q 霊性修行とは何ですか?

イエスは、生涯において、いくつかの霊性修行を通して霊的進歩を遂げました。正しい霊性修行の方法を知るためには、各人がイエスの示した手本を見習わなければなりません。

Q イエスが実践した霊性修行にはどのようなものがあるのでしょうか?

イエスは、聖典の学習から始め、次には物質世界における神の探求に集中しました。次に、イエスは、神を心の目で見ることと神を黙想することへと進みました。イエスの最後の修行は、神を瞑想し、神と融合することでした。

Q それらの霊性修行の方法は聖書に書いてありますか?

聖典の学習に関して、イエスは、

「あなた方が私を愛するのであれば、私の戒めを守るであろう」と言い、また、

「人は神の言葉の一つひとつによって生きなければならない」と言いました。

神に集中して物質的加護を求める方法は、マタイによる福音書とローマの信徒への手紙の中に、

「あなたがたが祈りの中で求めるものは、何であれ与えられるであろう」

「神の御名を呼び求める者は誰でも救われるであろう」

とあります。神の姿を霊視することは、ヨハネによる福音書の中で、

「私が道である」

「私が扉である。私によって入るものは誰でも救われるであろう」

と要約されています。

神に帰融するための適切な瞑想の主題は、次のような言葉で与えられています。

「私は世の光である。私に従う者は・・・命の光を得るであろう」

「神は光である」

ですから皆さんは、魂の救いのために、次のような修行によってイエスの道を歩まなければなりません。すなわち、愛に生き、聖典を学び、神の法に則して生活し、神に祈り、絶えずイエスを呼び求め、イエスの御姿を万物のうちに見て、イエスを常に身近に感じ、神の本質である永遠の光と一つにならなければなりません。

Q 聖典はどのようにして学ぶべきでしょうか?

イエスと弟子たちが人類に残した贈り物に関して、私たち一人ひとりが彼らに大きな恩義を受けています。もしイエスと弟子たちが地上で神に仕えていなければ現存しなかった聖なる諸教典に対して、心から謙虚に頭を下げなければなりません。そのようにして頭を下げる一方で、それを敬虔な心で集中して読み、イエスが伝えているメッセージを理解するように、最善を尽くさなければなりません。

書物を読むという行為だけでは、心を浄化するのに充分ではありません。日常生活で実践できることがわかるまで、聖典の言葉についてよく黙想しなければなりません。もし本当にイエスを愛するのであれば、聖書の言葉の完全な意味を理解するために必要な時間をつぎこみ、霊的体験を持っている人々と、それらの言葉に関して話し合うでしょう。

なかには、優れた知識を持っていると主張しながら、実際は他からの注目や、自己宣伝や、金銭的利益を求めている人々がいるかもしれません。こういう人々には、彼らの望む道を歩かせておきなさい。

誠実に霊的生活を求めている人と霊的な勉強会を設けるのは賢いことです。真理を交換し、徳について語り合い、神の栄光に耳を傾けなさい。世間には、時間を見つけてはおしゃべりをする人々があふれています。そのような世の中でも、皆さんが神について学ぶ時間を見いだすことは可能です。

悪い仲間を避け、いつでも神の愛を吸収できるように、心の準備をしておきなさい。あなたを神のもとへ導いてくれるものは、愛のほかにはありません。聖典に書かれた精神を高揚させるいくつかの言葉は、あなたの心に共鳴することでしょう。祈るためにひざまずいたり座ったりする時、それらの言葉を思い浮かべなさい。心が静まり、心の動揺やこの世のしがらみは遠くに消えて行くでしょう。

Q 祈りとは何ですか? 祈りの目的は何ですか?

祈りは、宗教にとって欠くことのできないものです。その目的は、人と神とを一つにすることです。祈りには、あなたが望むことを神にお願いすることが含まれます。あなたの思いや言葉にならない祈りに、絶えず気を付けていなければなりません。神はすべての運命を司っており、あなたが心から願えば、その望みを叶えてくれるからです。しかし、よくよく注意しなければなりません。本当に有益なことだけを神に願いなさい。

「あなた方が祈り求めるものは何であれ与えられるであろう」(マタイによる福音書21:22)

富を求める祈りによって、あなたはそのうち裕福になるかもしれません。しかし、真の幸福を味わうことのできる億万長者がいったい何人いるでしょう?

Q 私たちは何を求めて祈るべきでしょうか?

許し、永遠の命、神の愛、イエスを見ること、何が正しいかを知る力、そして、正しい道をたどる勇気を求めて祈りなさい。

Q どのようにして祈ればよいのでしょう?

まことに、あなたの一生は、魂の救いを求める絶えざる祈りでなければなりません。これを成し遂げるために、最も進んだ魂たちでさえ、邪魔が入らないように静かな場所に行って祈ります。

一番望ましいのは、毎日の祈りのために、神聖な場所を一ヶ所用意しておくことです。直接地面に接触した状態で祈ったり瞑想したりしてはなりません。大地の力によって、貴重なエネルギーが吸収されたり、妨害されたりするからです。木の台か布を敷きなさい。毎日そこに2回座りなさい。理想的な時間は、世の人々が起き出してあなたの注意をひく前の、早朝の時間です。就寝直前の夜の祈りの時間も、非常に有益であることがわかるでしょう。

Q 祈りの姿勢はどのようにすればよいでしょう?

リラックスした、気持ちのよい姿勢で椅子か床に座り、背中と首をできるだけ真っ直ぐ伸ばしなさい。祈る目的のためだけに地面に敷く、特別の布を用意するのが一番です。祈りの姿勢は、あなたが身体に気を取られない限り、ひざまずいても、座布団の上に足を組んで座ってもよいでしょう。心が落ち着かないために色々姿勢を変えれば、あなたの祈りは、日常生活と同じようにせわしないものになってしまう可能性があります。旅行をするときは、いつもの祈りの場所と決められた時間の祈りに意識の焦点を合わせるだけで、心が高揚するでしょう。

Q 祭壇を作る必要はありますか?

あなたの心こそが本当の祭壇です。この世的な祭壇は簡単なものにしておきなさい。一枚のイエスの写真(もしくは絵)と、蝋燭一本と、香りのよいお香を使いなさい。

Q 神と一対一になった後、何をすればよいのでしょう?

目が覚めてすぐに、最初の活動として祈りを始めたらなら、ただちに神の御名に集中することを始めなさい。起床してから祈り以外の活動をした後や、夜の祈りの時は、リラックスして緊張をほぐさなければなりません。そのあとで、意識を神に集中しなさい。それを一定の手順に添って行いなさい。一つひとつの筋肉を、緊張させてから緩めなさい。頭の筋肉を一つひとつ引き締めて、次に緩めなさい。首の筋肉、肩の筋肉、腕と手の筋肉、背中と胸の筋肉、という順番で、一つひとつの筋肉を緊張させ、それから緩めなさい。次に、腰と、腰から足首までの両脚の各部分、足首から先のそれぞれの筋肉に力を入れ、それから緩めなさい。すべての筋肉をリラックスした後は、心をリラックスさせなければなりません。

Q どうすれば心をリラックスすることができますか?

長くゆっくりとした深呼吸を3回行いなさい。心が静まるまでこれを繰り返しなさい。聖書の言葉か、神に関する話を思い浮かべなさい。そのようにして心が静かになってから、朝の祈りを始めなさい。

「愛する神様。起こしてくださってありがとうございます。 おかげで私は眠りの胎内から生まれ、新しい日を迎えることができました。 今日一日、柔和で思いやりのある言葉で語ることができますよう、お導きください。 また、誰に対しても、落ち着いて、慈しみあふれた振る舞いができますように。 すべての人に幸せをもたらす善い行いをすることができますように。 イエス様がそうであったように、皆の理想的な手本となれますように。 どうか今日一日、神様によくお仕えできますよう、お導きください。」

Q 朝の祈りはいつ始めるべきでしょうか?

毎朝同じ時間に、祈りのために起きなさい。できれば、午前3時から6時の間がよいでしょう。少しずつ、あなたは日課に順応して行き、毎朝、神の促しによって目が覚めるようになります。初めのうちは、毎日10分~15分間だけ祈るようにしなさい。そのうちに、心を高揚させる平安の喜びを感じるにつれて、祈りの長さは徐々に増えていくでしょう。

Q その15分の間、私は何をすればよいのでしょう?

イエスの生き方そのものがイエスのメッセージでした。イエスのたどった道を見習いなさい。イエスの人生は、神の使者として始まりました。

イエスは、聖霊に満ちた神の息子、すなわちキリストとなりました。そしてついにイエスは、神と一つになることによって、運命を全うしました。イエスが通った三つの意識レベルを経て前進するためには、あなたが完成しなければならない三つの聖なる修行があります。それらは、聖なる御名に集中すること、聖なる御姿を黙想すること、光としての神を瞑想することです。聖なる御名と御姿と光は、霊性の目覚めと霊的完成と霊的不滅性への三つの鍵です。神の御名と、神の御姿と、神の光の三つです。

Q どのようにして神の御名に集中すればよいのですか?

イエスは、「神の御名を呼び求める者は誰でも救われる」(ローマの信徒への手紙10:13)と言いました。そのための簡単な方法があります。「ジーザス、ジーザス、ジーザス・・・」あるいは、「ジェーシュ、ジェーシュ、ジェーシュ・・・」または、「イエス、イエス、イエス・・・」とイエスの名前を繰り返して唱えなさい。これを、一分間に20回~60回、一度の祈りに300~1,000回繰り返すとよいでしょう。そのうちの、ただの1回でも完全に真心から唱えることができたとすれば、それはあなたにとっての収穫です。このような祈りによって、過去の罪が少しずつ清められてゆくのです。

Q ロザリオを使ってもよいですか?

ロザリオや数珠は心の集中を助けます。神の御名を1回唱える毎に、右手の人差し指で数珠を一つ繰りなさい。

Q もっと長い祈りの言葉を使ってもよいですか?

初めのうち、もっと長い祈りの言葉を使う必要を感じたら、

「イエス キリスト様、どうか私の魂を憐れんでください」と繰り返し唱えなさい。もし、これと少し違った祈りの言葉が心に浮かんだら、恐れずにそれを使いなさい。神はあなたを誤った方向へ導くことはありませんが、いったん祈りの言葉が決まってからは、それを変えないように注意しなさい。

Q 祈りを終える時にはどうすればよいでしょう?

祈りが終わった時に、急いで立ち上がってはなりません。ゆるやかに膝を動かしなさい。必要なら、少し手でさすってもよいでしょう。イエスによって与えられた心の平安を思いなさい。静かにゆっくりと、少なくとも3回「アーメン」と唱えます。それからゆっくりと立ち上がりなさい。そして寝床に入るか、あなたの一日の仕事に取り掛かりなさい。

Q 夜の祈りを終える時にはどうしたらよいですか?

夜祈るときは、あなたの魂をその夜一晩、神に委ねるようにしなさい。一日の出来事を手短に吟味しなさい。あなたの言葉や行いが誰に対しても苦痛や不快感を与えることがなかったか、振り返りなさい。そうしてから、

「父なる神様、慰めに満ちたあなたの両腕にこの身を委ねます。何か過ちがあれば、それを許してください。あなたの愛の力を私にお授けください」と祈りなさい。

そして、眠りに就くまでイエスを呼び続けなさい。

Q 一人の時には、イエスの御名を声に出して繰り返し唱えるべきなのでしょうか?

あなたが祈りを始めてまだ間もないうちは、声を出したり、小さくつぶやいたりする必要があるかもしれません。しばらくすると、黙って唇を動かすだけで充分になります。そしてついには、あなたの内なる声が、一日中、「イエス、イエス・・・」と呼んでいるのが聞こえるようになります。このようにして聖なる御名を繰り返し唱えることによって、あなたの帰依心は大いに高まり、神の平安がもたらされます。

Q 私が意識のそれぞれの段階を通って成長するのには、どのくらい時間がかかるのでしょう?

各人が、自分が今すでにいる地点から、自分に合ったペースで、神がその人に示す道に沿って、自分自身の内なる衝動に促されて進まなければなりません。あなたが突如として神の栄光に飛び込むのがいつになるかということは、神だけが知っています。

イエスは、祈りと瞑想と人類に対する奉仕の歳月を17年以上も送った後に、「私と父なる神とは一つである」と公言したのです。魂の成長は短期間に進むものではありません。毎日同じ手順に従いなさい。時間、時間の長さ、方法、姿勢を変えてはなりません。そうすれば、気を散らすものや心の動揺を容易に克服することができるでしょう。

Q イエスの御姿を黙想するには、どのようにすればよいのでしょう?

イエスは、「私が道である」、「私が門である。私を通って入る者は誰でも救われる」と言いました。あなたの心を鼓舞するイエスの絵か写真を一枚選びなさい。目の前の祭壇にそれを掲げなさい。あなたの職場にイエスの絵を一枚飾っておきなさい。どこに行くにもイエスの写真を一枚持ち歩きなさい。

あなたが朝起きた瞬間から夜眠って意識を失うまで、ほとんど自動的にイエスの御名を呼び求めている自分に気が付くようになったら、あなたの持つ絵に描かれているイエスの御姿を黙想する準備ができたのです。

朝の祈りの時に、御名を繰り返し唱えながら、あなたが愛してやまないイエスの御姿を心の眼で描くことを始めなさい。イエスの髪から描き始めます。髪の一房一房を区別して描きなさい。それから、顔の特徴を一つずつ描き加えなさい。これは、目を開けたままででも、目を閉じて行っても構いませんが、イエスの御姿を心の眼で描いている間中、その聖なる御名を呼び続けることをやめないように気を付けなさい。

これを一日中、少しでも時間がある時はいつでも行いなさい。いつも同じ絵を用いなさい。朝は羊飼いのイエスの御姿を使い、昼は神殿の12歳の少年イエスの御姿を使い、夜には幼な子イエスの御姿を使うというようなことをしてはなりません。どの御姿をあなたが選んだにしても、それを変えないようにしなさい。その恩姿があなたの心の中にいつまでも定着するようにしなさい。

あなたの思いがイエスの御姿から離れてさまようときは、イエスの御名に焦点を当てなさい。思いが御名から離れてさまようときは、御姿を描き続けなさい。心が100回さまようなら、心を100回連れ戻しなさい。その御姿が定着するにつれて、だんだんあなたは、イエスを実際に生きている存在として見るようになるでしょう。また、事実イエスは生きているのです。あなたは一日中、何があってもイエスを見、イエスが近くにいる暖かさと愛に満ちた導きを感じるようになります。