鱒釣堀競技 ”者” Stanの備忘録。

夏は渓流、冬は鱒釣堀大会。
鱒族中心に季節が過ぎてゆく、
私の独り言&備忘録。
タイトルは、トラエキ復活まで。

さようなら。。。

2009-03-03 23:49:54 | 鱒釣り
トラキンプレ大会以来、年中行事となっていた、
年度末トラキン~トラエキ大会釣行。
既に報告の通り、本年の私は、トラエキで闘う資格を失ってしまいました。
スケジュール帳からトラエキ予定を削除するのは哀しいものです。

思い返せば、2000年のプレ大会から約9年。

トラキンの初期は皆、現在の釣技の幅からは想像できないほど
狭い範囲の持ち技/知識/経験で闘っていました。

放流=赤金なんて概念は語り継がれた一部の人のみ知ることであり、
知らざる人は、未だ真っ白な釣堀競技における方程式ノートを埋めるべく、
色々と試行錯誤していました。
だからこそ難しく、だからこそ面白かったともいえます。

ペレット系色の評価も微妙でした。鱒釣堀を始めた頃の私は、
こんな地味な色じゃ、魚が見つけられないし、興味を示さないよ。。。
などと思い込んでいました。
でも、当時お世話になっていた、ファクトリーNATOのNさんから、
釣堀の魚の捕食について教えてもらううち、これらの色を活用し、
更に色の切り換えにより反応を引き出す知識を得ました。

当時の選手の特徴として、某釣堀系の人たちは表層、某メーカーの人は巻き。
某メーカーはプラグ。某メーカーは人海情報収集/組織行動。などなど。。。
各々の釣りスタイルが固定されていることが多く、
その専門域においては秀でているスペシャリストに大会で対決する私は、
基本的な釣技の研鑽は勿論行っていましたが、それに加え、
ガチンコにおいては対戦相手のプロフィールから釣技を推測し、
「それ以外」を攻めて獲ってゆく。こういう釣り方を心がけていました。
その一方、対戦相手が得意な技術は柔軟に取り込み、大会経験とともに
自己の成長を感じられる時期がありました。

また、一寸姑息な手段でしたが、当時シマノのバイオマスターMgsという、
けたたましくドラグ音が煩いリールを偶然使用していたのですが、
バラシ対策+@を目的として、ゆるいドラグ設定でガラガラいわせ、
メンタル的な反撃を仕掛けたこともありました。
その点は今のダイワ系過剰音ドラグに通じるのかも知れませんが、、、。
あちこちに過剰音が響く昨今、対戦相手を見なくても反応の有無と
ランディングまでの成否を相手に教えてあげることになるし、
第一に恥ずかしく感じるので、
現在の私はラチェットバネ抜き静音リールを愛用しています(笑)

ちなみに、
当時得意だった私の釣りは、攻める(攻めきっている)人が少なかった、
ボトムトレースでした。
この方法は、当時の決勝会場だった鹿留と非常に相性がよく、
トラキンプレ大会は2位。第1回トラキンは3位(マイスター)という結果を
獲ることができました。

その後、トラキン開催が呼び水になったかは定かではありませんが、
鱒釣堀全体において釣技とモノの加速度的な進化が始まります。

@スティックの釣り。
これは現在でも非常に有効な選択肢ですが、
私にとっては、魚を餌ではない物体を、動きの誘いで喰わせるという
疑似餌の釣りに、動かさない誘いという、行動を求められるスティックには、
性格上、使用する気になれませんでした。むしろ、
「スティックに巻きで打ち勝つ!」ことを目標に頑張りました。

@スティック使用必至状況の大会現場で思いついた小技。
当時主流だった、ノセ主体の張りのないロッドで、底に沈めたスプーンに、
キレのある動きを効率よく与える操作方法。そう、今で云う「デジ巻き」を
駆使して勝ちあがった、予選@2002トラキン決勝鹿留大会。
その反応はすこぶる凄まじく、当時のいちぬけインタビューでは、
ボトム ”パ” ンピング ”なんか”しちゃいましたよ。などと、、、。
突っ込みどころ満載コトバが記録されてました。
当時は、ボトムバンピングさえ、”恥ずかしいもの”だと思っていた、
思っている風潮がありました。

@”技抜け”
決勝@2003トラキンクラシックは、スティックに対する技であるボトムの釣りを、
ウイードによって封印された逆境を、ウイードを味方につけた場所選択という
”技抜け”で、何とか2回目のマイスターを獲ることが出来ました。しかし、
このときから”鉄板の巻き”を通しきって鱒釣堀大会に勝つ自信は減衰しました。

@クランクの台頭
これは非常に脅威でした。
2000年初頭。
鱒釣堀においてのクランクは、あくまでもスプーンの釣りの目先を変えるだけ、
アタリも多いけど、バラシも多い。という印象でした。しかし、
既出ですが、朝霞ガーデンでTOMさんの釣りを拝見してから、
クランクに対する認識が大きく変わりました。比較的鉄板巻きに近いこともあり、
スプーンで獲れない活性の魚を、大半は食欲ではない部分で刺激し、疑似餌を
喰わせ(襲わせ)る面白さと、豹変する魚の反応に興味を覚えました。
私も、2003年以降はクランクの釣りに取り組み始めましたが、返骨心ゆえに、
”クラピーに勝つ”ことを念頭において、対抗できるクランクを物色しました。
その結果「古いが、新鮮」なフラットフィッシュに着目し、
唯一の欠点であった、フックハンガーをテール側に移動するチューニングは、
非常に効果的でした。
反応が顕著なだけに、今までの「スプーンに拘って引き通す」私のスタイルが、
少し反応が減ったらクランクを投げるようになったのも事実。
迷いと、依存がこの頃から多くなってきました。
また、フラットフィッシュのチューニングは、フックハンガーの移動だけなのですが、
.comルールでは使用できないことが判明し、一番信頼しているクランクは、
普段の大会には使用不可能だが、トラキンの本番には使用するという、
”ねじれ”た環境での使用を余儀なくされました。

@ネットでの情報伝達~その確度~自ら発信。
それまでのマンツーマンの情報伝達に、ネットを通した情報伝達が加わったのが、
2003年前後でした。情報が速い分、不正確、歪曲、美化、特化された情報も、
何の注釈もなされることがないまま総て既成事実として流れてしまうので、
なかにはコレ、違うんじゃない?とか、鱒釣堀競技者≠一般の釣り人
。鱒釣り堀競技者は、一般の釣り人にとって迷惑。迷惑掛けちゃいかん。
人の分まで釣っちゃいかん。てな論調を、発信者自身が"エキスパート”
なる位置付けから語り、それに迎合する人達を見るにつけ、聞くにつけ、
思うところがありました。

鱒釣堀競技者も、単なる釣りが好きで、たまたま鱒釣堀に出会って、
その釣りの魅力を理解した結果、釣堀に通い、それなりに釣れるようになり、
ふとした機会で競技を始めた、”普通の人”なんだよ。。。と、
私も発言、発信したい気持ちが強まり、その頃日本でも一気に殖えはじめた、
簡単かつ、自由に情報発信/受信できるBlogを始めたのです。

@はじめて約4年。
おかげさまで、最近では、一日にIP数で100名前後。閲覧数でIP*3倍くらいの方が、
この閑散としたBlogを訪問くださっているようです。
決して多いとはいえないアクセス数ですが、逆に今でもそれだけの方々に
こんなグダグダ備忘録にお付き合い頂いていることが嬉しく、
励みになっていました。

@Blog開始後からの鱒釣堀競技を眺めて。
その後の詳細な変遷は、”備忘録”たる、こちらを日めくって頂ければ幸いですが、
ボトムの釣りが脚光を浴び、そのリグや釣りスタイル、携行品にまで、
トラキン開始直後では、「鱒釣堀ではありえない」と考えられていた、
”勝った人”のタックルが注目される時代になりました。
また、釣技においては以前ほどの格差がなくなり、どんな大会においても、
誰が勝つか予想がつかなくなりました。だからこそ、皆が鱒釣堀競技に
今まで以上に興味を持ち、現在の熾烈なトラトラ抜け争いが始まったのでしょう。
私にとっても面白いこと、このうえない時代になりました。でも、実は、、、。
俯瞰的に眺めると、実はその面白い争いの渦を構成する人は、
ほんの数百人であることです。
鱒釣堀を愉しむ人は多くても、競技の渦に身を投じる人は僅か。 
何故なのでしょう。
かといって私は、業界を鑑みて、
”初心者の人が増えないと”などと憂うことはしません。
魅力ある遊びなら、隠していても人は増えるし、誰もやめてゆく事はありません。


競技ですから、優劣が決するのはあたりまえ。ですが、
”勝った”、”負けた”だけで ”面白い”か、”否”かは断じられません。

如何に己が納得できる釣りを展開できたか。
如何に納得できる釣りを展開した勝者だったか。

私はこれからもこの点に着目し、自ら追い求めてゆきたいと思います。
その一環として、トラエキ選手脱落の私としては、
ここで一旦、当Blogタイトルを小変更。
鱒釣堀競技”選手”は返上し、鱒釣堀競技”者”とさせていただきます。
まずは、トラエキに復活なるまで。。。


長々と読みづらい文にお付き合いいただき、ありがとうございます。
要は、思わせぶりな書き出しながら、実は何も変わりません(笑)
これからも、宜しくお願いします!!!

*過去の記事と重複する記述も多々ありますが、ご了承ください。*