大きな分岐点となったのは、
2002年トラウトキング選手権 鹿留決勝大会。
会場となった鹿留FAは、まさに雪シロ真っ盛り。
水温が限りなく零度に近づき、鱒の活性は低い。
ベタ底か、日当たりのいい手前かけあがりに定位している。
この低活性状況に、選手はスプーン(鉄板)を喰わせるべく腐心していた。
なぜなら、当時は鉄板で操作技術の優劣を競うことが主流であり、
「如何に動かすか??」をテーマとするには唯一、鉄板が適して居たのである。
そこに、スティック(棒)という新たなジャンルのルアーを投入した選手が居た。
彼は、周囲の不調を尻目に驚愕の勢いで予選を通過。
それを見た他の選手も棒を投入。
結果的に、棒を使用した選手が決勝大会上位を占めた。
これが、鉄板脱却元年だった。
賛否両論渦巻いた。
不定期に、続く
2002年トラウトキング選手権 鹿留決勝大会。
会場となった鹿留FAは、まさに雪シロ真っ盛り。
水温が限りなく零度に近づき、鱒の活性は低い。
ベタ底か、日当たりのいい手前かけあがりに定位している。
この低活性状況に、選手はスプーン(鉄板)を喰わせるべく腐心していた。
なぜなら、当時は鉄板で操作技術の優劣を競うことが主流であり、
「如何に動かすか??」をテーマとするには唯一、鉄板が適して居たのである。
そこに、スティック(棒)という新たなジャンルのルアーを投入した選手が居た。
彼は、周囲の不調を尻目に驚愕の勢いで予選を通過。
それを見た他の選手も棒を投入。
結果的に、棒を使用した選手が決勝大会上位を占めた。
これが、鉄板脱却元年だった。
賛否両論渦巻いた。
不定期に、続く