磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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広島-Hiroshima NOW- 石黒健治作品集第一巻

2008年12月26日 | 読書日記など
『広島-Hiroshima NOW- 石黒健治作品集第一巻』
   石黒健治・著/中井英夫・跋/
     横尾忠則・解説/深夜叢書社1970年

英文併記。
--その後のヒロシマをとったもの……。
よく、わからない写真集でした……。

横尾忠則の解説。下「」引用。

「ところが、石黒健治さんの「広島」はフレームの中に作られた写真ではない。-略-
 石黒さんの写真には一種独特の日常の空気が漂っている。私は石黒さんの「広島」を見ていると、私自身の「広島」体験になってしまいそうな錯覚を持つほど不思議な現実感に襲われるのだ。これは、つまり、写真ではなくひとつの現実なのである。-略-
 ここにある「広島」は原爆のあの物の影だけを残して物が消えてしまった物の記憶が写され、この物の記憶はわれわれ日本人の記憶にいつまでも焼きつけられた精神の傷痕でもある。」

すごく論理的でない文章でよくわからない解説でした……。


中井英夫は書く。下「」引用。

「戦後の日本人は、ことさら「広島」から眼をそらして続けてきた。まるでゴルゴンの眼に射られるのを恐れるように。かくいう私も、ひとりの若い叔父を一瞬の閃光のうちに失った。それでいてまだその町を訪ねて、どこがその墓だったか知ろうともしない。そんな情況の中で十数年前、土門拳は一台のカメラとともにその地に赴き、昭和二十年八月の阿鼻叫喚の地獄絵図がそのまま人々の皮膚の上に張りつけられて、いっこうに消えなていないことをその当時の日本人は差し示した。それを見た人々のかすかな動揺。少しばかりひそめる眉。その写真集は、そしてすぐ誰かの手が背後からのびてとざすように閉ざされた。
 ここに石黒健治が、二十年経って新たに映し出した広島は、表面のどこにも地獄絵図はない。-略-」

ヒロシマのことについては、ヒロシマのことを理解されていないとボクは思う。

裏表紙の裏に写真とともに……。下「」引用。

「奇蹟の乳房--宋年順さんは35歳で被爆。六人の子供のうち一人は大きな傷を負いながら生きつづけたが、五人はゴザにくるまり、無数の蛆の中で死んでいあった。宗さんの乳房も蛆が発生し形もなくなったが、22年被爆後また子供が生れた時〈神の加護があり〉ケロイドの乳房に乳首が新らしく出来て母乳が出た。宗さんの息子たちが死んでいった比治山は、今こぎれいな公園で、ABCCのカマボコの先に〈広島〉をみおろす展望台がある。--だれが、ここに展望台など作ることを思いついたのか? 広島の人、広島を訪れた碑とは、みな自分の中の展望台に悩むというのに!(石黒健治)」

第2回 広島〈奇跡の乳房〉

【訂正&お詫び】2011年3月9日
メッセージをいただきました。横尾忠男ではなく、横尾忠則。
訂正しておきました。また、表紙は素人ではどうにもならず、再版されたら、新たに載せる予定です。今は削除しておきます。横尾さんのような芸術家のいうことは、凡人のボクにはわからないものかもしれません……。失礼しました。





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