磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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週刊朝日 2011-12-9

2012年02月05日 | 読書日記など
『週刊朝日 2011-12-9』
   河畠大四・編/朝日新聞出版社2011年

特集名 バンダイ元会長がハマった女と株



【カラー口絵】「考えるべきは「村民の復興」」千葉悦子。 下「」引用。

「ただ、そこで匙(さじ)を投げないのが飯舘村の村民です。私も参加した村役場の庁内検討委員会で「復興プラン」のたたき台がつくられました。そして担当以外の職員にも広く呼びかけ、ランチ・ミーティングを開き、「村に帰らない」選択肢も土俵に乗せて議論を深めました。また、村の若い世代も「幼い子供たちを守ろう」と、「負げねど飯舘!!」というプロジェクトを立ち上げ、村民の健康手帳の発行や村民の絆を維持する瓦版の発行、賠償・補償のための運動を自分たちで一生懸命やっています。メディアは村長ばかり取り上げますが、職員や村民の底力に飯舘のスゴさを改めて感じています。-略-」

除染できるんでしょうかね? そのお金で移住したほうがいいように、ボクには思えてなりません。

「【六ヶ所村再処理工場の危険性2】「海直結の沼から津波遡上の可能性」広瀬隆。下「」引用。

「実は、再処理工場の目の前、東側には、尾駮(おぶち)沼と呼ばれる湖があり、それは太平洋に直結している。また、すぐ南側には、鷹架(たかほこ)沼と呼ばれる湖があり 、そこれ同じように太平洋に直結している。つまり地形的にのは、尾駮「湾」と鷹架「湾」に近接しているのが、六ヶ所村再処理工場である。海岸から5キロ以上離れているから津波の脅威がないというのは、事実ではない。」

10月の新聞紙上で、過去の大津波の痕跡。下「」引用。

「そうした10月に、各新聞紙上で、次のような重大記事を目にした。北海道大学大学院地球環境科学研究院の平川一臣(かずおみ)特任教授が、北海道から三陸地方にまたがる過去の大津波の記録を地質調査によって発見し、何と、六ヶ所再処理工場のすぐ北にある東通(ひがしどおり)原発周辺で、過去1000年間に5回の大津波の痕跡を見つけた、というのである。さらに平川教授の調査では、江戸時代初期の1611年の慶長三陸地震では、北海道南部の広大な範囲が巨大津波に襲われただけでなく、仙台藩・伊達政宗の領内(現在の宮城県)でも1800人ほどの死者が出て、巨大地震だった可能性が高いことが判明した。とすれば、三陸海岸と北海道のあいだにある下北半島を大津波が襲ったことは間違いないであろう。」

ハルマゲドン津波……。下「」引用。

「ぞっとする話を聞いた。
「東通原発の海岸線一帯は、まるで津波災害を待っているような地形なのです。ハルマゲドン津波があったことは間違いない。北海道と下北半島については、長い間、調査が空白域だったのです」
 そこで私が、標高55メートルにある六ヶ所村処理工場を津波が襲う可能性について尋ねると、「山崩れが原因で津波が引き起こされた例ですが、1958年のアラスカ地震のあと、何と525メートルの高さまで津波が達したことがあるのですよ」と、たまげた数字を挙げて、私を驚かせた。にわかに信じられない数字だったが、この津波の世界記録はアラスカ地震直後、アラスカ湾の入江マラスピナ氷河の南東で発生し、信頼できる書物に、次のように記されていることを教えられた。-略-」

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「【福島地元ルポ】放射能汚染ごみ処分場を早く決めよ ▼「ごみを受け入れる」と言った福島の地元住民グループが、のけものにされた理由▼汚染地に人は本当に住めるのか」 下「」引用。

「原発事故から8カ月余り。国は放射性物質に汚染された廃棄物の処分方法や除染方針を一応は示した。だが汚染物の処分場はどこに置くかが明確ではないため、現場の苦悩はむしろ深まるばかりだ。避難している人々の生活はどこで再出発できるのか。野田政権は、この問題をいつまでも避け続けるわけにはいかない。」

住めないなら貯蔵施設に……。下「」引用。

「木幡さんは、6月に町民有志で立ち上げた「大熊町の明日を考える女性の会」の代表。8月、原発被災者への十分な補償などを求める要望書を、役場を通じて細野氏らに出していた。
「でもずっとなしのつぶて。私たちもそのことはすっかり忘れてたぐらいです」
 慌てて高速バスのチケットを買い、3日後、仲間10人と東京へ向かった。
「大熊町は放射線量が高すぎて、私たちはもう帰れないと思っています。子どもとお年寄りが一緒に暮らせる安住の地が欲しい。このままでは除染も進まないし、どうせ住めないなら、中間貯蔵施設は大熊に奥しかないですよね」
 木幡さんたちは、そんな話を細野氏にした。
「もう住めないですよね?」という問いかけに、細野氏は「線量が高いですからね」と言うばかり。だかが、中間貯蔵施設の受け入れやむなしと口にしたとき、「非常に重い話を聞きました」と態度を一変させ、神妙に応じたという。-略-
 木幡さんのグループは、中間貯蔵施設に「断固反対」から「受け入れやむなし」に転じた後、面会を許された。そこに政権側の意図があったかはともくか、木幡さんたちが求めたのは、あくまで十分な補償と安住の地だ。だが、地元では、まるで中間貯蔵施設の設置を要望しに出向いたかのように、話がいつの間にかすり替わっていた。-略-」

町長一派は……。下「」引用。

「先の木幡さんは言う。
「町長や町の幹部は除染、除染ばかりで、町内の低線量のところへまず帰りましょうと言いますが、低線量の被曝の影響だっていまだによくわかっていない。バッシングもありましたけど、私たちに『よく言ってくれた』と声をかけてくれた町民も多いんですよ」

除染は儲かっているようですね……。

さほどの効果はないと言われているのに……。

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