磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

『角川文庫 昭和史の天皇 原爆投下』&『昭和史の天皇 愛蔵版4 広島からの第一報』

2007年11月16日 | 読書日記など
『角川文庫 昭和史の天皇 原爆投下』
    読売新聞社・編/角川書店1988年

二冊の本を同時に取り上げます。
それは、二冊ともほとんど同じ内容だからです。

文庫本の方は、ない章もありますが、文章もこなれています。

原爆に関する記述が日米ともあるのですが、これに昭和天皇が関わったことは書かれてありません。

しかし、これまでの本に比べて、日本の原爆開発がかなりのもんだったということが理解できます。

この本に、アメリカはドイツの開発は書くが日本のは書かないのか?
--ボクが思うには、差別している黄禍論の日本人に関わらせては、『原爆神話』が色あせるから取り上げないのではないではないでしょうか?

チベッツにしても、人種差別主義者だったと学者が語ったという本もあります。

もちろん、こんな神話を信じるならば、差別主義者と言われても仕方がないとボクは思います。

index

シラードが、バーンズ国務大臣のところに、原爆投下を阻止するために働きかけたのは有名な話です。

その時のシラードの言葉。下「」引用。

「こんながっかりしたことはなかった。もしわたしがアメリカに生まれて、有力な政治家になっており、バーンズがハンガリーに生まれて、物理を研究していたら、どんなにか世界はよくなっていたろう。そうしたら原爆も生まれなかったし、米ソの核競争もなかった」

シラードは、保安委員の尾行がつくようになったという。

B29の電波を「陸軍中央通信調査室」は受診していたそうだ……。
しかし、電波を解読することはできなかったという。
この部隊だけが、特別な暗号を使っていたという。
この部隊の番号は625。その部隊が東京に向かったこともあったという。

そして、ラジオで「原爆機」が東京に現れたと報道。しかし、何もなかったという……。

原爆機東京へ

日本の原爆開発は、アメリカの直後だったという。

陸軍航空技術研究所長、安田武雄中将(のち航空総監航空本部長)がはじめたという……。

20ページほどのパンフレットは、陸軍の諸学校、海軍の技術関係機関、それに航技行研に関係のあった三菱、中島などの航空機製作会社、金属材料の住友金属、日本特殊鋼、それに各大学の物理学科といった広範囲に配布されたという。

index

理研の仁科研は、原爆は可能であるとする……。

東条首相から、原爆製造を支持された川島虎之輔氏(当時、航空本部総務課長、陸軍大佐、終戦時少将、第六航空軍参謀長、のち、千葉県八千代市市議会議長)。

--四つのグループがあったという。
A、サイクロトンの原子核グループ。
B、宇宙線グループ。
C、理論のグループ。
D、放射線の生物に与える影響グループ。

Dグループには、日本医師会会長だった武見太郎がいた。

理研の寮は、その前は加藤高明(三菱・岩崎弥太郎娘婿)の屋敷だったという。


『昭和史の天皇 愛蔵版4 広島からの第一報』
    読売新聞社・編/守屋健朗・編/読売新聞社1980年


ドイツ敗戦寸前の5月早々、ヒトラーの山荘ベルヒテスガーデンにアメリカ軍がついに10トン爆弾を投下。

天皇を守るために、吹上防空室の補強を決意。
補強は延べ12万人。

やはり、天皇は特別な存在のようです。

しかし、こんな特別よりも戦争がない方がいいですね!

関係者の中には、吹上防空室は原爆でも大丈夫だという者もいる……。

しかし、原爆の放射線傷害のことは考えていないようだ……。












INDEX





エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。