磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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非核平和都市宣言10周年記念誌-私たちの平和を考える-

2008年04月19日 | 読書日記など
『非核平和都市宣言10周年記念誌-私たちの平和を考える-』
   浦安市総務部総務課・編/浦安市総務部総務課1997年

昭和60年3月29日、核兵器の完全禁止と廃絶を希求し、非核平和都市宣言を行って以来、今年で10周年として出版されたようです。



広島出身の人の文章もありました。下「」引用。

「瀬戸内海が一望でき天候の良い日などはこの内海に「似島(にのしま)」が映って見え、地元の人達はこの光景を「安芸の富士」と呼んでいました。」

そして被爆体験も書かれてあります。下「」引用。

「教室は窓ガラスが割れ落ち飛散、天井は垂れ下がり壁は随所で落ちており、困り果てていました。」

悲惨な場におられた人たちは、それだけ平和の大切さを理解されていることでしょうね。下「」引用。

「夜、負傷者と同じ蚊帳(かや)の中にいて、鼻の穴から蛆虫(うじむし)が出入りしている友の顔を見ていると様々な思いが浮んでくる。「苦しい」とか「残酷だあ」とか言う友の声を耳にしても、してやれることは水を飲ますこと位で、「頑張れよ」と言う言葉も空しく、やり切れない思いばかりである。」

広島市役所の惨状。


ゼイタク病と書かれてあります。下「」引用。

「1億総平和ボケ・贅沢(ぜいたく)病に冒されていると言っても過言ではないと思います。」

大手マスコミを信用されているのでしょうね。
--この当時も貧しい人たちはいっぱいいましたし、福祉は大変でした。
今よりは余裕はあったと想いますが……。
お殿様のような新聞の記事を、そのまま信用していただきたくありません。
--積極的平和は構造的暴力をもなくしていくことですね……。

「終戦前夜の盆踊り」という小タイトルがありました。下「」引用。

「毎夜のように空襲があったのに、8月14日は、敵さんが現れない。
 伍長に昇進していてた私は、対空監視長をやらずに済み、心中ほっとしたものである。
 部隊長からは意外にも『盆踊り』の指示、歓び勇んで踊りの輪に入った。」

これも一見平和で呑気ですが、それは上辺だけですね。

そして、中隊長割腹。下「」引用。

「終戦当日の『ご詔勅』は聞かされ無かったように想う。
 とにかく部隊では、本土決戦論を叫ぶものが居たし、近くの飛行場からは、特攻機は飛び立つし、騒然たるものがあったが、やがてどうにか収まり、9月21日、郷里福岡に無事に、復員した。
 その後、偶然、銀座でかつての小隊長に出会い、『中隊長は、絶食を何日か続けたあと、割腹自殺を遂げた』と聞き、息を呑んだ。」

用語解説・少年養成工。下「」引用。

「軍需工場に動員され、見習い工員として働いた少年のこと。」












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