『破滅の決定 世界を変えた“manhattan”計画』
マイケル・アムライン(著)/
野間寛二郎(訳)/三一書房1962年
独自の考え方をもつ著者のようにボクは思います。しかし、核兵器によってのみで戦争に勝つことはできないし、核兵器ではそれを持つことだけでも、その社会を破壊されている。それはイランをみればいいし、アメリカをみればいい。その破壊された国の属国のようなものが日本じゃないか! と言われたら、否定しようもありませんが……。その巨費を福祉や環境に使われたら、どんなにいいだろうか……。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/d5/840c4059947494103e6a65879168e8b7.jpg)
表紙と裏表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「〈原子の世紀〉を招いた科学者たち、その戦争の影響については、すでに多く語られたが、〈荒廃〉を〈ヒロシマ〉にあたえた指導者の決定が、いつ、どこで、誰が、どのようにしてなしたかは、いぜんとして暗黒の幕(とばり)の彼方にある。
民主主義(デモクラシー)が民衆の政治への参加を原理としながら、現実の政治過程では、大多数の大衆をそこから疎外しつつ、一にぎりの人間によって疎策が決定され、遂行されるという〈マンハッタン計画〉の過程を追究しつつ現代〈民主主義〉政治の根本的な矛盾が存在している。
原爆戦争の準備と遂行にかんする記録と資料は、こんにちもまだ、最高の機密にとざされている。資料の一部が公表されることは事実だが、それは--真実から眼をそらせ、さいしょの原子戦争の恐怖に責任ある人びとの罪をかくし、原子戦争が煽動され、核戦争の基本的な様相を全般的にもっている事実をぼかすという--特殊な目的をもつばあいにかぎられていた……。
〔本書について『新時代(ポエ・ヴレーミア)』誌 一九六一年第二九号より〕」
スチムソン=〈老鷲〉のことも書かれてありました。下「」引用。
「ヘンリー・L・スチムソンは異常な経歴の持ち主だった。そのなかでとくにめだつのは、激動する二○世紀の四○年かん、かれが活動しつづけてきたことである。」
使用決定について。下「」引用。
「六月一六日に、ロス・アラモスでオッペンハイマーを中心に私的に会談した科学顧問団が、臨時委員会に報告を提出した。スチムソンがアンダーラインをして、ながくわすれなかった章句からみれば、報告したときのフェルミ、ローレンス、オッペンハイマー、コンプトンの心はくらかった。「戦争をおわらせるような技術上の公開実験(デモンストレーション)を、わたしたちは提案することができません。直接的な軍事使用いがいに、うけいれられる手段を、わたしたちはみいだすことはできません」
この勧告の背後の論点は、スチムソン、コンプトン、その他の人びとによってかんがえだされたものだった。」
“原子スパイ”ではなかっただろうローゼンバーグ。
「決定的重要性のなかった原子スパイ」という。
--それは事実だろう。
実用性のある水爆をつくったのはソ連が先。
第509部隊のバラード(詩)があったという。下「」引用。
「空中に秘密がまいのぼる/奴らはどこへいくのか、だれもしらない
明日、奴らがまたもどってくる/だからどこに奴らがいたかは/だれもしらない。
連中の戦果をおれたちにきくな/叱られたくなかったら、な
よくしっている奴らからこっそりきけよ/第五○九が戦争に勝たせてくれるとさ。
他の部隊が出発準備をするときは/ばかげた見世物(ショウ)のプログラムをもらう
ハンゼイの第五〔艦隊〕が日本を砲撃するときは/なとん、前の日からおれたちはしっている
マックァーサーもドリットルも、出発まえにおしえてくれる/だがこの新参部隊はだめだ
第五○九部隊が戦争に勝たせてくれるというのなら/ひと月もまえからおれたちは故郷にいたはずさ。」
チャーチルは、総選挙でやぶれて、1945年7月にアトリー氏と交替。
イギリスとの共同で原爆が開発されたのではないし、投下されたのでもない。
イギリスは協力しただけ。カナダと同様にと著者は主張したいのだろうか?
--チャーチルにポツダム宣言時、それほどの実権はなかったというわけか?
第二次大戦の出来事ですらないという。下「」引用。
「『新時代』誌は、広島と長崎への原爆投下を、第二次大戦の出来事としてではなく、第二次大戦の末期を利用して、アメリカが単独でおこなった独立したあたらしい戦争--人類さいしょの核戦争とみる。広島ではじまり、長崎でおわったわずか三日間のきみょうな戦争、だかそこに核戦争の典型がある。」
そして、もう勝敗がついていたので、投下しようがしまいが、敗戦は米国の手の内にあったのが事実だったという……。
このころには、『核の冬』などは考えられていなかった……。
それに、アメリカしか保有していなかった時代はすぐに終った。
index
INDEX
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マイケル・アムライン(著)/
野間寛二郎(訳)/三一書房1962年
独自の考え方をもつ著者のようにボクは思います。しかし、核兵器によってのみで戦争に勝つことはできないし、核兵器ではそれを持つことだけでも、その社会を破壊されている。それはイランをみればいいし、アメリカをみればいい。その破壊された国の属国のようなものが日本じゃないか! と言われたら、否定しようもありませんが……。その巨費を福祉や環境に使われたら、どんなにいいだろうか……。
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表紙と裏表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。
「〈原子の世紀〉を招いた科学者たち、その戦争の影響については、すでに多く語られたが、〈荒廃〉を〈ヒロシマ〉にあたえた指導者の決定が、いつ、どこで、誰が、どのようにしてなしたかは、いぜんとして暗黒の幕(とばり)の彼方にある。
民主主義(デモクラシー)が民衆の政治への参加を原理としながら、現実の政治過程では、大多数の大衆をそこから疎外しつつ、一にぎりの人間によって疎策が決定され、遂行されるという〈マンハッタン計画〉の過程を追究しつつ現代〈民主主義〉政治の根本的な矛盾が存在している。
原爆戦争の準備と遂行にかんする記録と資料は、こんにちもまだ、最高の機密にとざされている。資料の一部が公表されることは事実だが、それは--真実から眼をそらせ、さいしょの原子戦争の恐怖に責任ある人びとの罪をかくし、原子戦争が煽動され、核戦争の基本的な様相を全般的にもっている事実をぼかすという--特殊な目的をもつばあいにかぎられていた……。
〔本書について『新時代(ポエ・ヴレーミア)』誌 一九六一年第二九号より〕」
スチムソン=〈老鷲〉のことも書かれてありました。下「」引用。
「ヘンリー・L・スチムソンは異常な経歴の持ち主だった。そのなかでとくにめだつのは、激動する二○世紀の四○年かん、かれが活動しつづけてきたことである。」
使用決定について。下「」引用。
「六月一六日に、ロス・アラモスでオッペンハイマーを中心に私的に会談した科学顧問団が、臨時委員会に報告を提出した。スチムソンがアンダーラインをして、ながくわすれなかった章句からみれば、報告したときのフェルミ、ローレンス、オッペンハイマー、コンプトンの心はくらかった。「戦争をおわらせるような技術上の公開実験(デモンストレーション)を、わたしたちは提案することができません。直接的な軍事使用いがいに、うけいれられる手段を、わたしたちはみいだすことはできません」
この勧告の背後の論点は、スチムソン、コンプトン、その他の人びとによってかんがえだされたものだった。」
“原子スパイ”ではなかっただろうローゼンバーグ。
「決定的重要性のなかった原子スパイ」という。
--それは事実だろう。
実用性のある水爆をつくったのはソ連が先。
第509部隊のバラード(詩)があったという。下「」引用。
「空中に秘密がまいのぼる/奴らはどこへいくのか、だれもしらない
明日、奴らがまたもどってくる/だからどこに奴らがいたかは/だれもしらない。
連中の戦果をおれたちにきくな/叱られたくなかったら、な
よくしっている奴らからこっそりきけよ/第五○九が戦争に勝たせてくれるとさ。
他の部隊が出発準備をするときは/ばかげた見世物(ショウ)のプログラムをもらう
ハンゼイの第五〔艦隊〕が日本を砲撃するときは/なとん、前の日からおれたちはしっている
マックァーサーもドリットルも、出発まえにおしえてくれる/だがこの新参部隊はだめだ
第五○九部隊が戦争に勝たせてくれるというのなら/ひと月もまえからおれたちは故郷にいたはずさ。」
チャーチルは、総選挙でやぶれて、1945年7月にアトリー氏と交替。
イギリスとの共同で原爆が開発されたのではないし、投下されたのでもない。
イギリスは協力しただけ。カナダと同様にと著者は主張したいのだろうか?
--チャーチルにポツダム宣言時、それほどの実権はなかったというわけか?
第二次大戦の出来事ですらないという。下「」引用。
「『新時代』誌は、広島と長崎への原爆投下を、第二次大戦の出来事としてではなく、第二次大戦の末期を利用して、アメリカが単独でおこなった独立したあたらしい戦争--人類さいしょの核戦争とみる。広島ではじまり、長崎でおわったわずか三日間のきみょうな戦争、だかそこに核戦争の典型がある。」
そして、もう勝敗がついていたので、投下しようがしまいが、敗戦は米国の手の内にあったのが事実だったという……。
このころには、『核の冬』などは考えられていなかった……。
それに、アメリカしか保有していなかった時代はすぐに終った。
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