磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

原発 最後の賭け

2009年02月09日 | 読書日記など
『原発 最後の賭け』
   西尾漠・著/アンヴィエル1981年

メディア批判をかなり詳しくされている……。



「はじめに」で書かれてあります。下「」引用。

「-略-日本においてスリーマイルアイランド原発事故が「終わっていない」ことを本書は主張するが、もちろんアメリカではさらに具体的に、事故は続いている。事故を起こしたスリーマイルアイランド二号炉の炉心の冷却は今なお続けられていて、放射能が汚染された大量の水をどう処分するか、という大問題が残っている。気体の放射能について、八○年六月から七月にかけて大気中への放出が強硬されたが、この際、住民の要求を無視して、公聴会を開かなかったのは違法であると判決が、同年一二月にコロンビア巡回控訴審で下された。これにより、今後行なわれようとしている数多くの後始末のひとつひとつが、公聴会の関門をくぐらせざるをえなくなる(この公聴会の位置づけは、その意味で、日本の「公開ヒアリング」などとまったく異なる)。汚染水の川への放流を差し止める住民の訴えが、NRC=原子力規制委員会の異議を排して、審理開始の決定をみた(八一年一月、最高裁)ことの意義も大きい。」

そんなことがあったとしても、日本の大手メディアは動かないだろう……。

以後も大きな問題があるという……。下「」引用。

「スリーマイルアイランド原発では、七九年三月以降もしばしば放射能漏れが起きている。放射能除去作業に伴う労働被曝の増大が懸念され、同時に、この作業から生み出されるトラック一七○○台(原発を所有するGPU社の見積り)もの放射性廃棄物をどうするかという課題もある。-略-
 他方で、事故の影響を否定しえない乳児死亡率、甲状線異常などのデータが、早くも現われはじめている。スリーマイルアイランド原発事故は「終わった」などと、いったい誰が言えるのか。」

これが、本当のことであるだろう……。

しかし、『パブリック・アクセプタンス』というのがあるという。下「」引用。

「日本電気協会が一九七七年六月に出版した『パブリック・アクセプタンス--原子力立地の課題と方策』という本があります。「パブリック・アクセプタンス」というのは、電力業界では「国民的合意(形成)」と訳されていまして、要するに多くの矛盾・問題点を抱えた原発の建設に反対する運動を、解決しようのない矛盾・問題点をそのほうはそのままにして“説得”する技術のことですが、その『パブリック・アクセプタンス』という本の中に、こんなことが書かれています。
「一般公衆に対する情報の提供(啓発努力)は、長期間にわたって、可能な限り豊富に、理解しやすい形で継続されなければならない。これは公衆の原子力への認知を促すことであり、原子力という『ことば』に常に接触させる一種の心理的オペレーションでもある」。
 同じようなことを、別の立場から、私はその前の年、七六年一二月一七日号の『朝日ジャーナル』で指摘しました。-略-」

「推進派の危機にイラ立つ朝日新聞」 下「」引用。

「-略-朝日新聞社の科学部記者で、『核燃料』という、電力会社が買い上げて住民に配っている本を書いている大熊由紀子さんという人がいます。いまは科学部の次長になっていますが、日本原子力研究所の平田実穂企画室次長が、当の大隈さんも参加しているシンポジウムの席で言うところによれば、「新聞社の中でも朝日の大熊さんや毎日の石川(欽也編集専門委員--西尾注)さんは、『あれは我が派だから頼んでくれりゃ具合の悪い記事は出さないで、適当にやってくれるよ』とまあ、こんな調子で接する」(日本原子力情報センター『TMI事故の影響分析と今後の検討課題』)人です。」

そして原発推進続ける……。下「」引用。

「大熊さんにしてみれば四面楚歌のかなで、科学部ひとり、次々と同工異曲の、業界紙を別にすれば他紙ではほとんどお目にかかれない類の原発擁護記事を書き続ける、ということになります。事故直後の三月三一日付朝刊に「安全装置は働いた」という三分の一ページの記事を掲げて、これは遅い版では全面削除の憂き目を見ますが、その後、当面の危機が回避されたのに勢いを得て、「避難の必要はなかった」「たいした事故ではなかった」と大宣伝をはじめるのです。それは、米大統領事故調査委員会や原子力規制委員会の資料から、都合の悪い事実は忘れて、都合のよいところばかりを切りとってつなぎ合わせた結果論--私ならすっかり同じ素材から、当局の混乱と腐敗を明らかにし、別の事故が起きればさらに大混乱と被害を招くおそれがあると指摘するでしょう--であり、結果が仮にその通りだとしても、なおそれは不幸中の幸いだったのだという認識のカケラもない。」

「コンセンサス」「社論」などといって、誤魔化しているという。下「」引用。

「秦専務は、「朝日新聞は記者個人のものではない。朝日として一つのコンセンサスがなくてはならない」と説明します。何のことはない。「記者の意見」だからではなく、「コンセンサス」に反するからボツなのです。
 秦専務は「コンセンサス」と言い、岸田論説主幹は「社論」という。奇妙なことに、その正確な内容は読者にも記者にすらも知らされていません。「社論」というからには、紙上で明らかにせよ、と原発モ等トリウムを求める会(野間宏・小野周代表)が公開質問状を出したのに答えて、朝日新聞東京本社の木村繁科学部長、その後、更迭されて調査研究室主任研究員となっていますが、当時の科学部長から、こう書き送ってきました。
「原子力発電に対する朝日新聞の社論は、すでに昭和二十年代から、おりにふれ『社説』として読者の皆さまに表明しております」。
 昭和二十年代からの朝日新聞の社説を検討するという作業をいまだしていませんから断言はできませんが、たとえば岸田論説主幹の述べた内容が現在の社説に一貫していない事実を一つととってみても、そんなにはっきり筋が通っているとは考えられません。」

要するに、大本営発表しかしていないのに、奇妙な言い訳しているようだ。
--戦争のことは反省するポーズはとるが、根本的に何一つと変わっていない……。

PHP……。下「」引用。

「七七年九月にPHO研究所から、『日本大停電--エネルギー危機への緊急提言』という本が刊行されました。筆者は山田一太郎とありますが、東京電力省エネルギーセンターの加納時男副室長のペンネームです。そこには、こんな“提案”が書かれています。
「非常事態が発生してから対策を明確かつ迅速にすすめるには、平常時から国民的合意のもとに周到な準備をしておく必要がある。この点、戦争や内戦などの発生のおそれのある諸外国はもちろんのこと、わが国でも旧憲法においてそうした事態の発生を十分に考えた枠組みがみられたのも当然である。-略-」

そして、実証されたという。下「」引用。

「スリーマイル島の場合、あれだけひどいことをやったにもかかわらず、外に対しては実際上、物理的、人的な被害はなかった。ひどい“実験”だったが、基本的な原子力の安全の概念は、むしろ実証されたのではないか」(森日本原子力産業会議専務理事--八月一五日付朝日新聞)。」

こんなものが通用するのか?
--朝日新聞?

そして、さらに大熊……。下「」引用。

「今度の事件では、非常にたくさんの機械や人間のミスが重なった。にもかかわらず、このくらいにおさまったということは、『いったん事故が起れば潰滅的、悲劇的になる』といってきた『危険の神話』が崩れたことになると思います」(大熊朝日新聞科学部記者--前出『朝日ジャーナル』。)」

index

チェルノブイリでは、どういったのだろうか?

「現場から「社説」までの距離--柏崎「ヒアリング」をめぐって--」
--「見せかけの対話方式」

「《原子力帝国》の治安管理システム」 下「」引用。

「『過激派警備対策等について』と題された一枚の文書がある。会社名が書かれていないのだが、ともかくある電力会社が、一九七九年の五月四日に発したものだ。-略-」

過激派より危険なのは、ファシストである。そのことは、第二次大戦でも実証されている。
--それをつづけるシステムを続けていることこそが、何よりも危険である……。


タイトルの意味はわからなかった……。






index

index

目 次



エンタメ@BlogRanking



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。