磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ベトナム“200万人”餓死の記録-1945年日本占領下で-

2009年07月11日 | 読書日記など
『ベトナム“200万人”餓死の記録-1945年日本占領下で-』
   早乙女勝元・著/大月書店1993年

図書館の説明文。下「」引用。

「1945年、日本占領下のベトナム中北部で未曽有の大飢饉が発生して、「200万人以上」が餓死したという。ベトナムでは周知のこの飢餓に、日本はどう関係したのか。大惨劇の実像を示す数十葉の写真と共に、歴史の暗部に迫る。」



帯に書かれてあります。下「」引用。

「大惨劇の実像を示す数十葉の写真!
歴史の暗部に迫る旋律のドキュメント
刊行前から話題沸騰
「……早乙女氏が手に入れた写真は飢餓の事実を示して非常に価値が高く、(日本の)賠償問題にかかわってくる……」古田元夫・東京大学助教授(朝日新聞 93年8月2日付)」

「■「仏印進駐記念」の贈り物」 下「」引用。

「-略-すでに小学校は国民学校に変わり、ますます強まる国防色とともに、食糧、日用品など消費生活全判に統制経済の影が濃くなっていく。
 早くもコメ不足は深刻で、主食と称されたコメには、相当量の「外米」が混入されるようなる。コメについては後述するとして、ホトケの「仏印」で鮮明に思い出すのは、なんといってもゴムマリと運動靴だった。
 コメとちがって、ゴム製品には「仏印進駐記念」と大きくマークされているのが、わかりやすかった。
「仏印に進駐している兵隊さんから、全国国民学校のヨイコドモのみなさん方へ、うれしいお土産を下ることになりました」
と書き出された記事が、愛読していた『少国民新聞』(41・9・27)に出ている。-略-」

奪われた人たちのことなどは書かれてありませんね……。
--日本のマスコミは今もかわらない気がするが……。

「外米」 下「」引用。

「「外米」はそれまで見慣れていたコメ俵ではなくて、もう少し大きめの麻袋に入っていた。-略-「外米」は内地米にくらべて風味が落ちるという声もあって、それまでは低所得者沿うに多く利用されていたから、誰もが急に食糧難を意識せざるを得なかった。
 その「外米」は一九四一年なかばあたりから、それまでの内地米を圧倒するばかりの物量となった。-略-」

写真が掲載されている……。下「」引用。

「飢餓状況を伝える記録写真も、数十枚が保存されていた。当時ハノイ在住の民間カメラマンだったポー・アン・ニン氏撮影の者で、氏から寄贈されたとのことだった。ニン氏は、いま八六歳。」

日本軍によって、これらの人も殺されたといっていいだろう……。下「」引用。

「『冗談ではないわ。日本軍は穀物を作らせずジュートを作らせ、洪水になっても食糧もひとり占めにした。そのため一○○万人が死んだ。私はハイフォンにいたけれど、飢えで死んだ碑とたちを何人も見ました』--。」

今はない碑、写真の説明文……。下「」引用。

「地下には犠牲者の遺骨が埋められ、その上に慰霊碑が建てらている。碑面には、「1944~45年の爆撃と餓死により死亡した同胞の永眠の地」と刻まれているが、いまはない。」







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