『実録 アヘン戦争』
陳舜臣・著/中央公論社1985年
内容 実録アヘン戦争 それからの林則徐
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/3e/a3d2cf7033ed9a17727125e700ad209b.jpg)
「まえがき」下「」引用。
「アヘン戦争は、東と西の邂逅にはちがいないが、平等の立場のそれではない。東にたいする「西からの衝撃」(western impact)にウェイトを置いてとらえるべきであろう。東と西とは、この時点において、おなじ条件で出会ったのではない。
西にとって、東はまずキリスト教を伝道すべき、宗教上の処女地であった。そのための研究は早からおこなわれていた。つぎに--とくに産業革命以後は--東は西の商品を売り捌く市場、茶場など西にとって必要な商品の供給地として研究された。宣教師とともに貿易商人が渡航して来て、彼らは西の故国に自分たちの見聞を伝えた。
だが、東にとっては、西はたんなる「夷狄の土地」にすぎなかった。-略-」
しかし、キリスト教というのが、支配(システム)ではなく教えならば景教というのがあり、姿をかえ伝わっていただろう……。そして、そのシステムのようなものは、もはやイエス・キリストの教えではないのではないか?
一国の歳入の半分をためこんだ和珅(ホンエン)。下「」引用。
「嘉慶四年(一七九九)に乾隆帝が死ぬと、乾隆時代の寵臣であった和珅(ホンエン)が処刑された。没収された彼の家産は八億両を下らなかったという。当時、政府の歳入は七千万両であった。一国の歳入の十年分以上を、和珅はくすねていたわけである。彼は二十年間、閣臣であった。言いかえると、毎年、国の歳入の半ば以上を、おのれの懐に入れていたことになる。」
チャルメラの音で心神喪失の詩人・龔自珍。
中国人は極端な歴史尊重民族……。
阿片によって関係がかわる……。下「」引用。
「インド製のアヘンの輸入が、清国の貿易形態を逆転してしまった。イギリスはこのアヘンという新商品を開発することによって、万年入超という、アンバランスな対清貿易を正常化しようとしたのである。」
アメリカ商人もあつかった。下「」引用。
「以上はインド産だが、ほかにトルコ産を「金花(チンホア)」、イラン産を「新山(シンシャン))といって、これらはおもにアメリカ商人が扱った。
密輸品であるから、中国側には輸入アヘンの正確な統計はない。」
中華思想=伝統的な通商観。下「」引用。
「いわゆる中華思想にほかならない。中華思想には、外交という観念がはいり込む余地はないのである。外交とは対等の国家のあいだに存在するものだ。中華唯我独尊観では、外国はすべて蛮夷であり、朝貢国でなけば属国である。そんな国とのあいだに、対等の外交はありえない。」
小説的にすれば……。下「」引用。
「小説的に構成すれば、はっきりと公羊学派の革新官僚対保守的な富裕階層との争いということにしたほうが面白いだろう。前者を更に限定して宣南詩社としてもよい。そうすれば、後者も公行(コンホン)と限定して、わかりやすくなる。-略-」
賃借していたアメリカ館など……。下「」引用。
「夷人は中国で不動産を取得することがてぎない。夷館といっても、すべて中国人の私産で、それちを賃借しているのであった。」
死罪にできない、直隷総督善(チシャン)。下「」引用。
「--ふつうの叛乱の勦滅(そうめつ)は、叛徒を殺してもせいぜい八千人か一万人ていどにすぎないが、アヘン吸食者を死罪にするなら、何十万の人間を殺戮しなければならない。苗族や〓(*犭童)族(どうぞく)のような獰猛な人種は、みすみす死刑になるとわかって、首を垂れ縛受に甘んずるとは思えない。-略-彼らに死罪をもって迫れば、海島に逃れて、外国人と結託するおそれもある。天下の大乱となれば、百万の満洲族は億の漢族のために消滅させられるだろう。……」
良い子アメリカ、漁夫の利をねらう。下「」引用。
「アメリカはこの戦争に、一貫して「観望して待つ」という政策を採りつづけた。
ボストンなどの商人や船主の要望もあり、また駐英公使エヴァレットが、イギリスから中国に戦勝した際の成果はアメリカも均霑(きんてん)できるという保証を取りつけたからである。
ただ中国在留米人の保護と、米人のアヘン貿易阻止という名目で、ローレンス・カーニー提督に東インド艦隊を率いて、広州に赴かせた。-略-」
売り込むアメリカ。下「」引用。
「また戦後のことだが、アメリカは広州でしきりに清国要人を、自国の軍艦に招待して参観させた。水師提督の呉建勲(ごけんくん)も参観したうえ、ボート一隻とアメリカ地図一冊を贈られている。彼はそのことを北京に報告したから、アメリカは清国の中央にも、うまく売り込んだことになる。」
良い子アメリカはありついた。下「」引用。
「こんなふうに良い子になりつづけながら、イギリスが軍艦と大砲で獲得したのと、ほとんどおなじ成果(いわゆる望厦条約)に、アメリカはありついた。」
親米ムードが朝鮮戦争まで続いたという……。
新疆ウイグル地区でやり返す。下「」引用。
「林則徐はここで大砲を鋳造し、蕃人の叛乱を平定した。近代武器を用いて、弓矢をおもな武器とする連中を沈黙させたのだ。広東でイギリスにやられたことを、ここでひっくり返して、沙漠の狼たちにむけたのである。
小さな内戦であたが、相手がモンゴルやトルコ族であった点、やはり準対外問題とみてよいだろう。」
広西の紛争--叛徒はキリスト教という異国の宗教を、統一の紐帯にしていた……。
もくじ
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目次
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陳舜臣・著/中央公論社1985年
内容 実録アヘン戦争 それからの林則徐
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「まえがき」下「」引用。
「アヘン戦争は、東と西の邂逅にはちがいないが、平等の立場のそれではない。東にたいする「西からの衝撃」(western impact)にウェイトを置いてとらえるべきであろう。東と西とは、この時点において、おなじ条件で出会ったのではない。
西にとって、東はまずキリスト教を伝道すべき、宗教上の処女地であった。そのための研究は早からおこなわれていた。つぎに--とくに産業革命以後は--東は西の商品を売り捌く市場、茶場など西にとって必要な商品の供給地として研究された。宣教師とともに貿易商人が渡航して来て、彼らは西の故国に自分たちの見聞を伝えた。
だが、東にとっては、西はたんなる「夷狄の土地」にすぎなかった。-略-」
しかし、キリスト教というのが、支配(システム)ではなく教えならば景教というのがあり、姿をかえ伝わっていただろう……。そして、そのシステムのようなものは、もはやイエス・キリストの教えではないのではないか?
一国の歳入の半分をためこんだ和珅(ホンエン)。下「」引用。
「嘉慶四年(一七九九)に乾隆帝が死ぬと、乾隆時代の寵臣であった和珅(ホンエン)が処刑された。没収された彼の家産は八億両を下らなかったという。当時、政府の歳入は七千万両であった。一国の歳入の十年分以上を、和珅はくすねていたわけである。彼は二十年間、閣臣であった。言いかえると、毎年、国の歳入の半ば以上を、おのれの懐に入れていたことになる。」
チャルメラの音で心神喪失の詩人・龔自珍。
中国人は極端な歴史尊重民族……。
阿片によって関係がかわる……。下「」引用。
「インド製のアヘンの輸入が、清国の貿易形態を逆転してしまった。イギリスはこのアヘンという新商品を開発することによって、万年入超という、アンバランスな対清貿易を正常化しようとしたのである。」
アメリカ商人もあつかった。下「」引用。
「以上はインド産だが、ほかにトルコ産を「金花(チンホア)」、イラン産を「新山(シンシャン))といって、これらはおもにアメリカ商人が扱った。
密輸品であるから、中国側には輸入アヘンの正確な統計はない。」
中華思想=伝統的な通商観。下「」引用。
「いわゆる中華思想にほかならない。中華思想には、外交という観念がはいり込む余地はないのである。外交とは対等の国家のあいだに存在するものだ。中華唯我独尊観では、外国はすべて蛮夷であり、朝貢国でなけば属国である。そんな国とのあいだに、対等の外交はありえない。」
小説的にすれば……。下「」引用。
「小説的に構成すれば、はっきりと公羊学派の革新官僚対保守的な富裕階層との争いということにしたほうが面白いだろう。前者を更に限定して宣南詩社としてもよい。そうすれば、後者も公行(コンホン)と限定して、わかりやすくなる。-略-」
賃借していたアメリカ館など……。下「」引用。
「夷人は中国で不動産を取得することがてぎない。夷館といっても、すべて中国人の私産で、それちを賃借しているのであった。」
死罪にできない、直隷総督善(チシャン)。下「」引用。
「--ふつうの叛乱の勦滅(そうめつ)は、叛徒を殺してもせいぜい八千人か一万人ていどにすぎないが、アヘン吸食者を死罪にするなら、何十万の人間を殺戮しなければならない。苗族や〓(*犭童)族(どうぞく)のような獰猛な人種は、みすみす死刑になるとわかって、首を垂れ縛受に甘んずるとは思えない。-略-彼らに死罪をもって迫れば、海島に逃れて、外国人と結託するおそれもある。天下の大乱となれば、百万の満洲族は億の漢族のために消滅させられるだろう。……」
良い子アメリカ、漁夫の利をねらう。下「」引用。
「アメリカはこの戦争に、一貫して「観望して待つ」という政策を採りつづけた。
ボストンなどの商人や船主の要望もあり、また駐英公使エヴァレットが、イギリスから中国に戦勝した際の成果はアメリカも均霑(きんてん)できるという保証を取りつけたからである。
ただ中国在留米人の保護と、米人のアヘン貿易阻止という名目で、ローレンス・カーニー提督に東インド艦隊を率いて、広州に赴かせた。-略-」
売り込むアメリカ。下「」引用。
「また戦後のことだが、アメリカは広州でしきりに清国要人を、自国の軍艦に招待して参観させた。水師提督の呉建勲(ごけんくん)も参観したうえ、ボート一隻とアメリカ地図一冊を贈られている。彼はそのことを北京に報告したから、アメリカは清国の中央にも、うまく売り込んだことになる。」
良い子アメリカはありついた。下「」引用。
「こんなふうに良い子になりつづけながら、イギリスが軍艦と大砲で獲得したのと、ほとんどおなじ成果(いわゆる望厦条約)に、アメリカはありついた。」
親米ムードが朝鮮戦争まで続いたという……。
新疆ウイグル地区でやり返す。下「」引用。
「林則徐はここで大砲を鋳造し、蕃人の叛乱を平定した。近代武器を用いて、弓矢をおもな武器とする連中を沈黙させたのだ。広東でイギリスにやられたことを、ここでひっくり返して、沙漠の狼たちにむけたのである。
小さな内戦であたが、相手がモンゴルやトルコ族であった点、やはり準対外問題とみてよいだろう。」
広西の紛争--叛徒はキリスト教という異国の宗教を、統一の紐帯にしていた……。
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