『核戦争の危機に文学者はどのように対するか-共同討議-』
文学的立場・編/不二出版1984年
このような本を読むとき思うのですが、当時、このような会に出ている人たちをインテリ層とか、知識階級と呼んでいたと思います。
この人たちは、庶民からかけはなれた人たちだとボクは思う時もありました……。
そして、庶民のことを思うよりも、左翼的イデオロギーのことを大切にされていたと思うんです。
そもそも構造的暴力をつくっている人たちなのではないか? と最近は思うようになってきています。
しかし、知識を得るためには役立つ面もあるかと思いますが、今となっては意味あることは意外に少ないと思います。
「アメリカの核戦略に組み込まれた日本」ということは書かれてあっても、実際のことは話されていない。
この人たちも別のなにものかに組み込まれている感じもする……。
反米というのが基本のように感じられます。
そしてソ連は擁護……。下「」引用。
「この間、大江健三郎が炭坑のカナリヤを題にした文章を『世界』に書いていて、今の状態の進み方を見ているとかつての“鬼畜米英”がいつの間にか“鬼畜ソビエト”に変わってきていて、このままで進むとやがては“撃ちてし止まん”、“一億一心火の玉が”、“玉砕だ”ということになりかねない、と書いていた。」
戦争をやる人たち、核兵器を落とす人たちは、野蛮の極みであり、“鬼畜米ソ”とボクは思います。
--ボクは怒りをもって、反対します!
もちろん、どちらの国の人も反対しておられる人もおられます。
日本でも、組み込まれていて、名声や地位を得ている人たちもいると思います……。
しかし、彼らは「怒り」を反米には用いるが、ソ連の核兵器には触れない……。
ソ連や中国も組み込んでくるファシズムだと思います。
もちろん、核を持つような者、持とうとする人たちはファシズムと思います。
“戦争責任”はカイザーが最初だという……。下「」引用。
「それが現実的な政治用語になったのは、第一次大戦でドイツが敗けれた時で、カイザーの「戦争責任」を裁くということがヴェルサイユ条約に謳われたことが最初のようですね。」
ローマ法王も“戦争責任”を追求されているという。下「」引用。
「ホッホフートは『神の代理人』以来、つまりローマ法王の戦争責任の追及から一貫して戦争責任の追及をやっています。」
「目先の利害の手段と化した文学」
--政治も、何もかもが、そうだと思います……。
目先ではないけれどの、イデオロギーの手先もいるわけです。
--文学くらい、どちらも野蛮な行為と非難して、平和主義による人道ということでは、人類が一つになるように努力すべきだとボクは思います。
……もちろん、ファシズムのように強制するものではなく……。
反米と同様に、反カトリックにも熱心な人たちのように思えます。これがお決まりの彼らの言説だと思えてなりません……。下「」引用。
「ローマ法王は核兵器に反対していますけれども、しかしドイツのカトリックは必ずしも反対しているわけではない。むしろ、平和運動に参加する者は悪魔に手を貸す者だと言っている。そしてキリスト教社会同盟は、「平和行進はモスクワを利する」という表題の声明を出して一○月一○日のボン集会に参加するドイツ連邦共和国をアメリカから引き離そうとするソビエトの宣伝にそのまま乗るものであり、そもそも一○月一○日集会はドイツ共産党および反米主義者たちに操られたものだ、と言っているんです。これは日本の自民党とまったく同じですね。そういう意味では、反・反核の論理は国際的に共通しているわけです。」
吉本隆明は、「核」をなくせば米ソの体制は崩壊すると言っていたという。
違う体制が生まれるでしようね。
世界システムを変えねば、核廃絶もムリでしよう……。
故大平首相は、西暦を使わせないようにしようとしたという。
元号でなくても、受け付けるが、あとで役所で直すという。
--文書偽造になるという……?。
文学者の反核署名運動の経過は『核戦争の危機を訴える文学者の声明--全記録』(A5判・一八七ページ・非売品)としてまとめられたという。
これは岩波から出版されたと思います……。
世の中は複雑なもので、署名したからといって、裏では別のことをされている人もおられることでしょうね……。
Index
文学的立場・編/不二出版1984年
このような本を読むとき思うのですが、当時、このような会に出ている人たちをインテリ層とか、知識階級と呼んでいたと思います。
この人たちは、庶民からかけはなれた人たちだとボクは思う時もありました……。
そして、庶民のことを思うよりも、左翼的イデオロギーのことを大切にされていたと思うんです。
そもそも構造的暴力をつくっている人たちなのではないか? と最近は思うようになってきています。
しかし、知識を得るためには役立つ面もあるかと思いますが、今となっては意味あることは意外に少ないと思います。
「アメリカの核戦略に組み込まれた日本」ということは書かれてあっても、実際のことは話されていない。
この人たちも別のなにものかに組み込まれている感じもする……。
反米というのが基本のように感じられます。
そしてソ連は擁護……。下「」引用。
「この間、大江健三郎が炭坑のカナリヤを題にした文章を『世界』に書いていて、今の状態の進み方を見ているとかつての“鬼畜米英”がいつの間にか“鬼畜ソビエト”に変わってきていて、このままで進むとやがては“撃ちてし止まん”、“一億一心火の玉が”、“玉砕だ”ということになりかねない、と書いていた。」
戦争をやる人たち、核兵器を落とす人たちは、野蛮の極みであり、“鬼畜米ソ”とボクは思います。
--ボクは怒りをもって、反対します!
もちろん、どちらの国の人も反対しておられる人もおられます。
日本でも、組み込まれていて、名声や地位を得ている人たちもいると思います……。
しかし、彼らは「怒り」を反米には用いるが、ソ連の核兵器には触れない……。
ソ連や中国も組み込んでくるファシズムだと思います。
もちろん、核を持つような者、持とうとする人たちはファシズムと思います。
“戦争責任”はカイザーが最初だという……。下「」引用。
「それが現実的な政治用語になったのは、第一次大戦でドイツが敗けれた時で、カイザーの「戦争責任」を裁くということがヴェルサイユ条約に謳われたことが最初のようですね。」
ローマ法王も“戦争責任”を追求されているという。下「」引用。
「ホッホフートは『神の代理人』以来、つまりローマ法王の戦争責任の追及から一貫して戦争責任の追及をやっています。」
「目先の利害の手段と化した文学」
--政治も、何もかもが、そうだと思います……。
目先ではないけれどの、イデオロギーの手先もいるわけです。
--文学くらい、どちらも野蛮な行為と非難して、平和主義による人道ということでは、人類が一つになるように努力すべきだとボクは思います。
……もちろん、ファシズムのように強制するものではなく……。
反米と同様に、反カトリックにも熱心な人たちのように思えます。これがお決まりの彼らの言説だと思えてなりません……。下「」引用。
「ローマ法王は核兵器に反対していますけれども、しかしドイツのカトリックは必ずしも反対しているわけではない。むしろ、平和運動に参加する者は悪魔に手を貸す者だと言っている。そしてキリスト教社会同盟は、「平和行進はモスクワを利する」という表題の声明を出して一○月一○日のボン集会に参加するドイツ連邦共和国をアメリカから引き離そうとするソビエトの宣伝にそのまま乗るものであり、そもそも一○月一○日集会はドイツ共産党および反米主義者たちに操られたものだ、と言っているんです。これは日本の自民党とまったく同じですね。そういう意味では、反・反核の論理は国際的に共通しているわけです。」
吉本隆明は、「核」をなくせば米ソの体制は崩壊すると言っていたという。
違う体制が生まれるでしようね。
世界システムを変えねば、核廃絶もムリでしよう……。
故大平首相は、西暦を使わせないようにしようとしたという。
元号でなくても、受け付けるが、あとで役所で直すという。
--文書偽造になるという……?。
文学者の反核署名運動の経過は『核戦争の危機を訴える文学者の声明--全記録』(A5判・一八七ページ・非売品)としてまとめられたという。
これは岩波から出版されたと思います……。
世の中は複雑なもので、署名したからといって、裏では別のことをされている人もおられることでしょうね……。
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