磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ドキュメンタリーは嘘をつく

2008年03月25日 | 読書日記など
『ドキュメンタリーは嘘をつく』
   森達也・著/草思社2005年

嘘にもいろいろな種類があると思います。間違いは訂正したらいいと思う……。人間は必ず間違う……。一度も間違ったことがない人のみ、原発を造り運転してもいいという人がいましね……。無理ですね……。



思い込みの激しさと指摘する著者。下「」引用。

「自らが中立で公正であると強い思い込みは、自らが正義の側に立つとの思い込みにあっさりと短絡する鳥インフルエンザ騒動で渦中の存在となった養鶏会社の年老いた会長夫妻は、まるで懲罰機関であるかのように彼らは糾弾するメディアに追い詰められ、遂に自殺した。こんな事例は実のところ(報道されないだけで)、数多くある。」

思い込みを通りすぎているようにボクには思える。
--まるで宴会のノリですよね……。
よくない吉本的なノリで、かつ視聴率をとるなら何をしてもいいという感じ……。

ドキュメンタリーにも台本があるという。下「」引用。

「なるほど、でもドキュメンタリーの場合も、活字化されてなくても台本はある。演技をしてもらうことだって珍しくない。」

マイケル・ムーアの『ボウリング・フォー・コロンバイン』は、日本のドキュメンタリー映画の興行記録としては『ゆきゆきて、神軍』(原一男、1987)を抜いて断トツの数字を記録したという。

テレビのアナウンサーが、アメリカの『電波少年』というので、ボクはお笑いだとばかり思っていました。
でも、見てみたら、ムーアは真剣でしたし、彼が企画しているわけで、その点は異なると思いました。

ドキュメンタリーの最初はやらせか? 下「」引用。

「つまり映像は、その誕生からフェイクだった。一九二八年、イギリスの映画監督ジョン・グリアスンが、ロバート・フラハティの作品について記述する際に、「ドキュメンタリー」という言葉を初めて使用した。」


その作品の名は、『極北のナヌーク』と『モアナ』、劇映画とは違う新たな映像ジャンルとして、大評判。

今野勉が、そのことを書く。下「」引用。

「今野勉著『テレビの嘘を見破る』(新潮新書)によると、『極北のナヌーク』では、セイウチ漁の際に銃ではなく銛で射止める伝統漁法で再現してもらったことや、撮影のための充分な光量を取り入れるために、家族の生活拠点であるイグルー(氷の家)を半分に断ち切って、撮影期間中はそこで生活させていたエピソードなどが紹介されている。」

当時はそんな面倒なことをしないと撮影できなかったのだろう……。

9.11同時多発テロをみて、歓喜するパレスチナ人の映像が世界中に配信された……。
しかし、これが事実だったかどうかわからないという……。検証ができないという。


NHK『奇跡の詩人』の致命傷。下「」引用。

「半分眠りこけた少年が、母親のアシストで文字盤に指先を当てつづけるシーンだ。誰が見たって、少年が自分の意思で指を動かしているとは思えない。編集でこのカットを繋いだ担当ディレクターに、その意図を問いただしたい。作品と格闘しようとするドキュメンタリストが、絶対にやってはいけない過ちをこの人は犯している。」

NHKのドキュメントはボクはよく見る。ほとんど毎日見ているのではないかと思う……。下「」引用。

「公平中立やら不偏不党などと、与えられたお題目を何の疑いもなく唱え続けるからこういうことになる。」

しかし、原発推進などというように、偏ったものを放送されても困ると一視聴者として思う。(この本には書かれていません)。

原発の危険性は基本的に変わっていないし、東芝がDVDの規格争いに敗けた時に放送するなど、報道というよりも宣伝のように思えました……。


反戦映画ではなかったという。下「」引用。

「特に『戦ふ兵隊』は、陸軍省後援で企画制作されながら、完成と同時に公開禁止となり、その後に監督の亀井文夫は治安維持法で逮捕された。しかし実のところ亀井自身は、反戦のメッセージは盛り込もうなどとは考えていなかったと明言している。」


ドキュメンタリージャーナリズム(報道)とは同じではないけれど、ボクの場合、NHKのドキュメンタリーはジャーナリズムだと思っていたところがあります。

いろいろなディレクターがおられるのでしようか?

これから気をつけて見たいと思います。

今まで考えてなかったことが書かれてありました。

もっと勉強しないとボクはいけませんね……。





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