磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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さあ馬にのって 長岡弘芳遺稿集

2008年03月22日 | 読書日記など
『さあ馬にのって 長岡弘芳遺稿集』
     遠丸立・渡辺一衛(共編)/武蔵野書房1994年

長岡弘芳さんは、原爆小文庫をつくろうと最初に発言された方です。遺稿集であって、仲間たちがつくられた本のようです。



原爆だけでなく、いろいろと平和について考え、行動をとれらていたようです。

『夜と霧」というのが、映画化されているのを知りませんでした。
映画はどうも高いので、どうも関心がなかったと、ブログをつくっていて、つくづく思います。
お金がなくても、テレビなどでも放映されるのですから、見るようにしようと思っています。

ジョルジュ・ムスタキが、『ヒロシマ』を発表。
シングル盤で売り出された。

『長岡弘芳略年譜』が掲載されていました。

1932年1月、東京の中野に生まれる。六歳、父の死に遭う。母の郷里・三重県松阪市近郊に移る。

やはり楽な生活をされていなかったようです。

市民として活動されていたせいか、あまり他のこと語られていなかったように思えます。

年譜から。

1953年春、東京都立大学人文学部心理学科入学。
1957年三月、同大学卒業。同年四月、同大学大学院(心理学専攻)へ。
1959年、同大学院修士課程修了。同年四月、小学館に入社、幼児雑誌の編集。
1962年、同社退職以後フリー。学生時代より同人認「VIKING」に参加、主に詩を発表。
1967年、千葉べ平連に参加。
1968年、原爆文献を読む会を興す。同人誌「方向感覚」に参加。
1971年、原爆体験を伝える会を発足。
1976年、原爆小文庫を下保谷図書館に開設。新日本文学会会員。
1989年、関東学院女子短期大学国文科講師に就任。
1989年8月14日、練馬区の自宅にて自死。享年57歳。

絵も描かれていたようです。

遠丸立さんは、たいへんなことだったと書かれています。下「」引用。

「早世の家系であったらしく、祖父、父、ともに四○そこそこで亡くなっている。長岡さんの自身病気持ちのこと、そんなにの長生きしそうにない、とかねがね考え、またしたくもない、と思っていたようだ。五十七歳まで生き、何冊か著書を刊行し、社会的運動にも幅広く参加し……と考えあわせると、「よくぞやった! えんえん五十七歳まで精いっぱい根かぎり生きたんだなあ、長岡さん」と、大きな拍手を送りたいということは、たいへんなことだったのだ。」







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