『岩波新書 青版255 広島からバンドンヘ-戦後アメリカのアジア政策- From Hiroshima to Bandung』
L.ナタラジャン(著)/長洲一二(訳)/岩波書店1956年
ボクの生まれる本です……。
ヒロシマ・ナガサキについては、原爆投下は必要なかったと歴史的事実を書いている……。
「著者まえがき」 下「」引用。
「この研究が日本で出版される計画があることを知って、私はとくに有難く感じているしだいであります。というのは、日本は私の国インドと同様に、この本で述べられた事態の発展における一つの焦点となってきたからであります。この点に関しては、中国革命がワシントン=南京枢軸を打ち破ったあと、アメリカでアジアにおける事件に影響力をもつためには、日本を利用する方がよいと考えた人たちと、インドを主要な基地として強化しようとした人たちとの間に激しい論争が行われた事実を指摘すれば十分であります。アメリカのめざす諸目標についてインドの指導者たちが感じた幻滅、ならびにアメリカから解放されようとする衝動が日本において高まりつつある事実は、「バンドン精神」によって象徴される、この大陸における新しい考え方に対する大きな寄与となったのであります。今後の何年間かにおいても、また、私たちのこの二つの国が自由な、そして進歩的なアジアを建設する大きな責任を肩に担うことが期待されていると思います。」
「アメリカ極東帝国の成立」 下「」引用。
「アメリカは、一八四二年のアヘン戦争ではイギリスのあと押しをし、一八四四年には、当時イギリスにあたえられていたすべての特権を中国政府(清朝)から手にいれた。一八五三年にはペリー提督が日本の“門を開いて”、彼のいわゆる“かの非道なるイギリス政府”のたくらみを出しぬいた。一八六七年にはロシアからアラスカとアリューシャン群島を買いいれた。一八七一年には、二日のあいだかってに海戦をしかけて(これで三百五十名の朝鮮人が殺された)、西洋諸国中まっさきに朝鮮の“門戸を開放した”。一八七八年にはサモアに、一八八七年にはハワイに、給炭港設置権を獲得。一八九八年には、スペインと戦ってグァム、ウェーク、フィリピンを手にいれ、さらにハワイを占領。その翌年、イギリスおよびドイツと協定をむすんで東部サモアを手にいれた。」
アメリカのウソ……。下「」引用。
「アメリカの植民地主義はほかの帝国主義諸国の植民地主義とかなり根本からちがうという考えが、ひろく宣伝されている。だがそれがウソであることはフィリピンの経験が証明している。最近の国連の調査があきらかにしたところによると、一九四九年のフィリピンのひとり当り所得は、インドのみじめな水準よりも二三パーセントも低い!(国連編『合衆国ドルであらわした、一九四九年における七十カ国の国民総所得およびひとり当り所得』)」
“目に見えない帝国”……。下「」引用。
「パンディット・ネルーが一九三三年一月三日に娘にあてた手紙のなかではっきりのべている。
「アメリカの帝国領はフィリピン群島だけである、などと早合点してはならぬ。たしかに外見上は、アメリカが手にいれた帝国領はこれだけだ。けれどもアメリカは、ほかの帝国主義諸国がなめた経験や困難にかんがみて、旧式の方法を改良したのである。アメリカはある国を併合するような面倒なことはしない。イギリスがインドを併合したのとはちがうのだ。アメリカの関心事は、要するに収益がすべてなのだから、相手国の富を支配するような措置をとる。富を支配すれば、その国の人民を支配し、さらに国土そのものを支配することはいともたやすいことだ。こうして、たいして面倒もおこさず、戦闘的な民族主義との摩擦もおこさずに、アメリカはその国を支配し、その富のわけまえを手にいれる。この巧妙な方法は経済的帝国主義とよばれる。地図をみても、これはわからない。地理や地図でしらべれば、自由で独立しているようにえみる国でも、ヴェールをはいで見れば、他国に、というよりはその銀行家や大実業家の手中ににぎられていることがわかる。アメリカがもっているのは、このような目にみえない帝国なのだ。」(ジャワハルラル・ネルー、大山聡訳『父が子に語る世界歴史』第三分冊、三二三-三二四頁)」
アメリカは中国と日本に期待していたという……。下「」引用。
「アメリカは、日本がソ連にくらべてあまりに弱くなることをのぞまなかった。また両国をうごかして、一九○四-○五年〔日露戦争〕のときのようにたがいに戦わせることができるのではないか、という希望がいつも存在していた。……」
「VIII アイゼンハウァー=ダレスの新政策(ニュールック)」
--「アイク=ダレス構想」 下「」引用。
「(一)数十万のアメリカ軍とフランス軍をどろ沼にひきずりこんだ朝鮮とインドシナでの軍事的行詰まりに終止符をうつこと。
(二)従属的なアジア人の軍隊をつくり上げて、アメリカ軍と交代させ、アメリカ軍は機動戦略予備軍として使うようににすること。
(三)アジアの非共産主義諸国との紛争を解決し、中立主義をおさえることによって、全地域をアメリカの指導する軍事同盟に引き入れること。」
「IX アジア人とアジア人を戦わせよ」というタイトルの文字もあった……。
「バンドン会議ひらかれる〔追補〕」下「」引用。
「-略-アジア=アフリカ会議がバンドンでひらかれたのである。インドネシアとインドの指導者たちは、勇気をもって会議開催を首唱した。それがすぐれて賢明だったことが、はっきり証明された。-略-アメリカの外交官は、会議を「有色人種の小国連」設立の試みだとあざけり、「悪徳の都バビロンのような不協和音の集まりとなり、やがてついには混乱と不決断の絶頂となりおわるであろう」(一九五五年四月十二日『クリスチャン・サイエンス・モニター』)と予言した。-略-」
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L.ナタラジャン(著)/長洲一二(訳)/岩波書店1956年
ボクの生まれる本です……。
ヒロシマ・ナガサキについては、原爆投下は必要なかったと歴史的事実を書いている……。
「著者まえがき」 下「」引用。
「この研究が日本で出版される計画があることを知って、私はとくに有難く感じているしだいであります。というのは、日本は私の国インドと同様に、この本で述べられた事態の発展における一つの焦点となってきたからであります。この点に関しては、中国革命がワシントン=南京枢軸を打ち破ったあと、アメリカでアジアにおける事件に影響力をもつためには、日本を利用する方がよいと考えた人たちと、インドを主要な基地として強化しようとした人たちとの間に激しい論争が行われた事実を指摘すれば十分であります。アメリカのめざす諸目標についてインドの指導者たちが感じた幻滅、ならびにアメリカから解放されようとする衝動が日本において高まりつつある事実は、「バンドン精神」によって象徴される、この大陸における新しい考え方に対する大きな寄与となったのであります。今後の何年間かにおいても、また、私たちのこの二つの国が自由な、そして進歩的なアジアを建設する大きな責任を肩に担うことが期待されていると思います。」
「アメリカ極東帝国の成立」 下「」引用。
「アメリカは、一八四二年のアヘン戦争ではイギリスのあと押しをし、一八四四年には、当時イギリスにあたえられていたすべての特権を中国政府(清朝)から手にいれた。一八五三年にはペリー提督が日本の“門を開いて”、彼のいわゆる“かの非道なるイギリス政府”のたくらみを出しぬいた。一八六七年にはロシアからアラスカとアリューシャン群島を買いいれた。一八七一年には、二日のあいだかってに海戦をしかけて(これで三百五十名の朝鮮人が殺された)、西洋諸国中まっさきに朝鮮の“門戸を開放した”。一八七八年にはサモアに、一八八七年にはハワイに、給炭港設置権を獲得。一八九八年には、スペインと戦ってグァム、ウェーク、フィリピンを手にいれ、さらにハワイを占領。その翌年、イギリスおよびドイツと協定をむすんで東部サモアを手にいれた。」
アメリカのウソ……。下「」引用。
「アメリカの植民地主義はほかの帝国主義諸国の植民地主義とかなり根本からちがうという考えが、ひろく宣伝されている。だがそれがウソであることはフィリピンの経験が証明している。最近の国連の調査があきらかにしたところによると、一九四九年のフィリピンのひとり当り所得は、インドのみじめな水準よりも二三パーセントも低い!(国連編『合衆国ドルであらわした、一九四九年における七十カ国の国民総所得およびひとり当り所得』)」
“目に見えない帝国”……。下「」引用。
「パンディット・ネルーが一九三三年一月三日に娘にあてた手紙のなかではっきりのべている。
「アメリカの帝国領はフィリピン群島だけである、などと早合点してはならぬ。たしかに外見上は、アメリカが手にいれた帝国領はこれだけだ。けれどもアメリカは、ほかの帝国主義諸国がなめた経験や困難にかんがみて、旧式の方法を改良したのである。アメリカはある国を併合するような面倒なことはしない。イギリスがインドを併合したのとはちがうのだ。アメリカの関心事は、要するに収益がすべてなのだから、相手国の富を支配するような措置をとる。富を支配すれば、その国の人民を支配し、さらに国土そのものを支配することはいともたやすいことだ。こうして、たいして面倒もおこさず、戦闘的な民族主義との摩擦もおこさずに、アメリカはその国を支配し、その富のわけまえを手にいれる。この巧妙な方法は経済的帝国主義とよばれる。地図をみても、これはわからない。地理や地図でしらべれば、自由で独立しているようにえみる国でも、ヴェールをはいで見れば、他国に、というよりはその銀行家や大実業家の手中ににぎられていることがわかる。アメリカがもっているのは、このような目にみえない帝国なのだ。」(ジャワハルラル・ネルー、大山聡訳『父が子に語る世界歴史』第三分冊、三二三-三二四頁)」
アメリカは中国と日本に期待していたという……。下「」引用。
「アメリカは、日本がソ連にくらべてあまりに弱くなることをのぞまなかった。また両国をうごかして、一九○四-○五年〔日露戦争〕のときのようにたがいに戦わせることができるのではないか、という希望がいつも存在していた。……」
「VIII アイゼンハウァー=ダレスの新政策(ニュールック)」
--「アイク=ダレス構想」 下「」引用。
「(一)数十万のアメリカ軍とフランス軍をどろ沼にひきずりこんだ朝鮮とインドシナでの軍事的行詰まりに終止符をうつこと。
(二)従属的なアジア人の軍隊をつくり上げて、アメリカ軍と交代させ、アメリカ軍は機動戦略予備軍として使うようににすること。
(三)アジアの非共産主義諸国との紛争を解決し、中立主義をおさえることによって、全地域をアメリカの指導する軍事同盟に引き入れること。」
「IX アジア人とアジア人を戦わせよ」というタイトルの文字もあった……。
「バンドン会議ひらかれる〔追補〕」下「」引用。
「-略-アジア=アフリカ会議がバンドンでひらかれたのである。インドネシアとインドの指導者たちは、勇気をもって会議開催を首唱した。それがすぐれて賢明だったことが、はっきり証明された。-略-アメリカの外交官は、会議を「有色人種の小国連」設立の試みだとあざけり、「悪徳の都バビロンのような不協和音の集まりとなり、やがてついには混乱と不決断の絶頂となりおわるであろう」(一九五五年四月十二日『クリスチャン・サイエンス・モニター』)と予言した。-略-」
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