九、さよなら、大文字さん
100.府営住宅当選
雄二はベランダに行った。風景をじっくりながめた。
「雄二!」
曽我のおばあさんが声をかけた。
「どうしたんや」
いつになくやさしい話し方であった。
「ぼくも、もうじき、ここからお別れするのかと思うと、心に焼き付けておかななあーと思っているねん。写真で見ても、やっぱり本物とは違うさかいな」
「そうか。寂しいなるね」
「大文字さんも、見られなくなるよ」
「それは残念やね」
「いつも大文字さんはあって、京都を見下ろしいているのに、同じ京都でも、府下では見られないからなー」
「そうやな、ここと違って田舎やってなあー」
「そう、京都府綴喜郡田辺町大字河原小字神谷……」
「田舎は住所が長いな。ところで、今年の盆はどっちで、すごすねん」
「どっちって。ああ、むこうだよ。盆休みを使って引っ越しをするんや」
「そうか。去年は楽しかったね。頑固者の、ほら、何とかいいはったな。外国人の名前は片仮名やし、覚えにくいねん」
「ジョンさんや」
「そうやった犬と一緒の名前やったな。ジョンさん、あの人はええ人やったね」
「うん、まあね」
「わしも、聖書をもらったよ」
「えぇ、曽我のおばあさんが……」
「うん、まあ、そうや。洗脳されたわけやあらへんけどな。それで、聖書に面白いことが書いてあったわ」
「どんなこと」
「それはな。まあ、待ってなさい」
雄二は曽我のおばあさんについて行った。仏壇の下の引き出しを開ける曽我のおばあさん。そこから聖書が出てきた。
「そんなところに、バテレンの本を入れていて、バチが当らんのかいな!」
雄二はあきれていた。
「何を非科学的なことをいうんや。今は月に人類が行く時代やで」
「そうかいな」
「ここ、ここにええこと書いてある。『金持が神の国に入いるのは、駱駝(らくだ)が縫針(ぬいばり)のめどを通る方がたやすい』ジョンさんの聖書には、ええことが書いてあるわ」
曽我のおばあさんはにこにこしていた。
「まあジョンさんのイエズスさんも素晴らしいお人じゃ。しかし、仏さんに比べたら、まだまだ悟りがたらん。まあー、このイエズスという人は三十代という若さやから、そりゃー、仕方がおまへんけどなあー。ほな、夕方のお勤めをするので、雄二、ほんならなあー」
しわしわの手をふっていた。すぐにお経がはじまった。
閑話休題 このお話から離れますが、 「おばんざい」という言葉は今では、 多くの人が「お惣菜」、「おかず」だと 知っておられると思います。 番茶にもついている番で、 「つまらない」という意味とか、 「日常」とかあるそうです。 この言葉、京都ではあまり昔は 聞かなかった言葉です。 流通も今のようにいい時代ではなかったし、 藤村屋さんのようなWebShopはこの時代には、 あるわけがありません。 PCすらありません。 IBMは今ではPCをつくっていませんが、 この時代はPCではありません。 コンピュータであり、パーソナルはまだまだ 出てくる時代ではありませんでした。 「おばんざい」は一時は死語だったそうです。 昭和39年1月ごろ朝日新聞京都版に「おばざい」を 大村しげさんなどが、掲載したそうです。 昭和41年に『おばんざい京の味ごよみ』(中外書房刊)として、 出版されたそうです。それで死語がよみがえったそうです。 古くてもいいものは、甦るのです。 |
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ありがとうございます。
もくじ[メリー!地蔵盆]
おばんざいという言葉があまり京都では使われなかったというのは知りませんでした。以前大村しげさんが、「徹子の部屋」に出演されたとき、おかずのことを「おまわり」というのだおっしゃっていたのが記憶にあります。「おかずは何にしようか」というのは「おまわり何にしょ?」と言うんだとおっしゃっていました。
両親が関西出身で、関西の言葉や言い回しはわりあいと知っているつもりですが、同じ関西でも京都は独自の言葉がたくさんありますね。面白いです。
http://blog.mag2.com/m/log/0000016342
でも、最近の号にはなかったと思います。
他にも京都弁講座している方はいますが、
八代目さんのがユーモアがあって、
おもしろいです。
>同じ関西でも京都は独自の言葉がたくさんありますね。面白いです。
京都の中でもかなり違うと僕は思います。
祇園さんはテレビとか文化人の方も遊びに行かれる場所ですから、メジャーですよね。