『世界を震撼させたチェルノブイリ
ソ連原発事故についての海外エスペランティストの手紙』
エスペラント普及研究会・編/
エスペラント普及研究会1987年2刷
エスペランティストの人たちがつくられた本のようです。でも、翻訳されているので、ボクでも読めました……。
当時、おおくの人がニュースを知って驚きましたね。下「」引用。
「「最悪事故 炉心が溶解」--この新聞の大見出しが目に飛びこんできた瞬間、「ついにやったか」「起きてはならない事故が起きてしまった」という衝撃が、体を駆けぬけていきました。一九八六年四月三○日、日本の新聞は一面トップでソ連チェルノブイリ原発の大事故を報じました。」
しかし、史上最悪の事故であって、予想される最悪の事故ではありません。
奇跡的に事故の被害を少なくできたと書く人たちもいます。
そのためには、ソ連の人たちの生命が失われました。
--日本ではあのような事故が起きても、ソ連のように止めることはできないと言う人もいます。
日本では、もちろん、想定さえもしていないと思います。
日本では。下「」引用。
「それは多くの原子力責任者たちがとっている『備えなければ憂いなし』の構えがなせるわざなのである。」『原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ』より
--家族を疎開させた人がいるという。
「II 海外のエスペランティストからの手紙 ソ連 (1)家族は北コーカサスに疎開」
--キエフ在住のボゴレーリィ・スラフカさんから大阪市の田中愛子さんあて。一○月下旬ころ発信。
田中さんの説明文。下「」引用。
「ひとり息子のコンスタンティン君(五歳くらい)は、北コーカサス地方の妻の実家へすぐに難を避けて送ったとのこと。さらに私の心配をよそに、驚くことに彼の仕事の悲しさ汚染地域、原発事故現場へ何度も足を運び、こわれた原子炉の建物をバックにした彼自身の写真をも送ってきているのです。TV報道のためでしょうが、最初におとずれたのは五月一四日とのことで、ただただ彼の健康を願うばかりです。」
ロシア共和国のロストフに住むイワン・ワリューキンさんの手紙。下「」引用。
「わたしのスウェーデンの友人はこう書いてきています。「チェルノブイリ事故のために、葉菜などの野菜類を食べたり、家畜を牧草地に出すことは禁じられています。しかし、もしこれがわが国で、あるいは他の西ヨーロッパの国で起こったらとしたら、もっと事実を隠して言うか、あるいはまったく沈黙するかでしょう」
そう、わたしもそのように思います。というのは、アメリカや西ドイツでも(やはり五月に)同じような事故が起こっているのに、ほとんど一か月の間、何も報道されなかったたからです。イタリアでも同様のことが起こっています。まさにことわざにも言うように、「他人の目のわらを見ながら、自分の梁は見ない」といったところでしょう。」
日本でもヨーロッパでも便乗して、廃棄物を垂れ流したというのも他の本などで目にしました。
東ベルリン在住のルドルフ・ハールボームはアメリカのことを書かれている。下「」引用。
「アメリカでは別の爆発が起こっていました。直接的かつ具体的な核戦争の用意です。(その最初の実験が日本で行なわれたわけですが。)これはまさに人類に対する脅威です。」
同じ人間ならそう思うことでしょう。
しかし、アメリカ人は『原爆神話』をつくりあげた……。
「原子力? おことわり!」
西ドイツ、オーベルキル在住のF・W・ポペックさんの文章。
当時は日本も西ドイツもそう変わらなかったのに、政治力でこんなにも差がうまれた……。
目 次
ソ連原発事故についての海外エスペランティストの手紙』
エスペラント普及研究会・編/
エスペラント普及研究会1987年2刷
エスペランティストの人たちがつくられた本のようです。でも、翻訳されているので、ボクでも読めました……。
当時、おおくの人がニュースを知って驚きましたね。下「」引用。
「「最悪事故 炉心が溶解」--この新聞の大見出しが目に飛びこんできた瞬間、「ついにやったか」「起きてはならない事故が起きてしまった」という衝撃が、体を駆けぬけていきました。一九八六年四月三○日、日本の新聞は一面トップでソ連チェルノブイリ原発の大事故を報じました。」
しかし、史上最悪の事故であって、予想される最悪の事故ではありません。
奇跡的に事故の被害を少なくできたと書く人たちもいます。
そのためには、ソ連の人たちの生命が失われました。
--日本ではあのような事故が起きても、ソ連のように止めることはできないと言う人もいます。
日本では、もちろん、想定さえもしていないと思います。
日本では。下「」引用。
「それは多くの原子力責任者たちがとっている『備えなければ憂いなし』の構えがなせるわざなのである。」『原子炉を眠らせ、太陽を呼び覚ませ』より
--家族を疎開させた人がいるという。
「II 海外のエスペランティストからの手紙 ソ連 (1)家族は北コーカサスに疎開」
--キエフ在住のボゴレーリィ・スラフカさんから大阪市の田中愛子さんあて。一○月下旬ころ発信。
田中さんの説明文。下「」引用。
「ひとり息子のコンスタンティン君(五歳くらい)は、北コーカサス地方の妻の実家へすぐに難を避けて送ったとのこと。さらに私の心配をよそに、驚くことに彼の仕事の悲しさ汚染地域、原発事故現場へ何度も足を運び、こわれた原子炉の建物をバックにした彼自身の写真をも送ってきているのです。TV報道のためでしょうが、最初におとずれたのは五月一四日とのことで、ただただ彼の健康を願うばかりです。」
ロシア共和国のロストフに住むイワン・ワリューキンさんの手紙。下「」引用。
「わたしのスウェーデンの友人はこう書いてきています。「チェルノブイリ事故のために、葉菜などの野菜類を食べたり、家畜を牧草地に出すことは禁じられています。しかし、もしこれがわが国で、あるいは他の西ヨーロッパの国で起こったらとしたら、もっと事実を隠して言うか、あるいはまったく沈黙するかでしょう」
そう、わたしもそのように思います。というのは、アメリカや西ドイツでも(やはり五月に)同じような事故が起こっているのに、ほとんど一か月の間、何も報道されなかったたからです。イタリアでも同様のことが起こっています。まさにことわざにも言うように、「他人の目のわらを見ながら、自分の梁は見ない」といったところでしょう。」
日本でもヨーロッパでも便乗して、廃棄物を垂れ流したというのも他の本などで目にしました。
東ベルリン在住のルドルフ・ハールボームはアメリカのことを書かれている。下「」引用。
「アメリカでは別の爆発が起こっていました。直接的かつ具体的な核戦争の用意です。(その最初の実験が日本で行なわれたわけですが。)これはまさに人類に対する脅威です。」
同じ人間ならそう思うことでしょう。
しかし、アメリカ人は『原爆神話』をつくりあげた……。
「原子力? おことわり!」
西ドイツ、オーベルキル在住のF・W・ポペックさんの文章。
当時は日本も西ドイツもそう変わらなかったのに、政治力でこんなにも差がうまれた……。
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